さて日本のキムチは韓国人と日本人のライタ-達は日本の最近の大手量販店で販売されている日本製キムチ製造事情を詳しく知らないだろう。
戦争前に朝鮮が日本領土となる前から、留学生が韓国から明治日本へ入っていた。ただ人数が少ないのでキムチも日本人には広まらなかった。また今の日本でのキムチの主役野菜のハクサイはまだ日本で栽培することは出来なかった。ハクサイが明治に入って大陸との交流が始まり日本でもハクサイ栽培が始まったがアブラナ科のハクサイは交雑が激しく、自家栽培で種を採るとすぐに結球しないハクサイとなり、一時は日本での栽培を諦めたときもあった。何度かの挑戦で日本で栽培に適するハクサイの種取りが出来た。明治の終わり頃でこのハクサイ栽培で江戸の漬物用野菜の三河島菜が絶滅した。最近都立農産高校(葛飾区)で三河島菜の復活があり、地域の料理店に調理依頼した記事があった。江戸時代の伝統野菜の半分は生野菜で販売の他、加工できる野菜だった。土物は保管は簡単だが野菜は干したり、塩漬して保存し、使う時に塩抜きして使ったようだ。ついでに日本と韓国のハクサイの差だが日本は雨が多く降るのでハクサイには水分が多い。韓国のハクサイは水分が少ない上に、キムジャンの季節では少し干して水分を減らして個人は漬けているようだ。気温が大陸性気候に準じていて、韓国の秋冬は日本より寒いが雪は少ない。
キムチは戦前に大陸に進出した日本軍人には知れていたがニンニクに強烈なにおいで当時の日本人の食卓にあがることは少なかった。今は忘れられているが戦前の日本女性は通常漬物を漬けることは当たり前の仕事だった。従って明治に入って軍隊・工場とか学生寮とかの所で漬物が金銭を使って購入していた。従ってニンニクの臭いの強いキムチは無理だった。江戸時代の藩邸でも野菜を作り漬物を漬けていたようだ。3千人もいたと言われる仙台藩江戸屋敷は今のJR大井町駅付近で仙台味噌を作っていたようだ。キムチのような発酵の漬物は慣れないと食してくれず捨てることになるので、家庭は保守的は食生活となる。
戦争が終わって、大陸から引き揚げた人や軍隊生活を朝鮮半島で送り、キムチに馴染んだ人たちが日本に戻り都市で設備投資の少ない漬物業に入ってきた。また戦争で男性が少なくなり、さらに女性が戦時中に家を追い出され、軍需工場に入ったことから、家にいなくても良い時代になった。そこで都市の狭い家に漬物樽を多数並べることなく食料品店で漬物を購入するようになった。特に糠味噌漬は空気を循環させないといけないので専業主婦しか発酵の管理ができない。今では骨董品的な漬物となった。
戦後の都市生活で食の世界が徐々に落ち着いてくると外食の世界に向かっていった。弁当をもって通勤していたが食料事情が良くなると外食が増えてきた。
戦前戦後を通じてあった食料の販売統制が解除されると、外地から帰国した開拓団の人たちの野菜で作った漬物が都市に流入した。満蒙開拓団が帰国し、開拓した農地はコメつくりには適さない寒冷地域が多くさらに都会から離れていたので野菜出荷だと運送費がかかり、また鮮度が落ちるためしきりに行政が漬物製造へ向かうように指導した。軽井沢や八ヶ岳山麓・嬬恋等の冷涼気候を好む夏野菜(レタス・高原キャベツ)で有名なところも戦後の開拓民はサッカリン入りの浅漬け沢庵を販売していた。特に長野県は松本方面は名古屋・大阪市場に出荷し、上信地域は関東市場に出荷してきた。同様に東北は東京市場に出荷してきた記憶がある。
多くの地域が都市に漬物を売り込むと乱売となり、過剰野菜が漬物原料となってしまった。そこで関東の漬物業者が食品規制をする官庁に働きかけ、戦後の混乱期の粗悪醤油に入っている保存料の安息香酸が戦後の漬物に入ってしまう問題から、漬物に保存料の使用許可が出た。勿論賞味期限の短い漬物は許可されないが醤油漬の表示があるものは許可された。今は漬物に安息香酸ナトリウム 添加することは禁止され(醤油由来の誤差の範囲内は黙認)、ソルビン酸Kが醤油漬の保存料として許可されている。漬物原料とさらに規制緩和だけでなく新規商品の開発を目指した。戦争前の味から大陸で知った、辛みのある漬物が食欲増進する。これが朝鮮漬の始まりで、ほぼ同時期に関西・関東で辛みのある味で醤油漬の表示で販売され始めた。これもまた乱売となり、ある業者が自社競合を避ける上級な辛みのある漬物を(キムチ)と命名した。これが新製品として小売店で朝鮮漬と両立して売れたので、一店舗にキムチと朝鮮漬が並ぶこともあった。保存料を入れてある日本のキムチは発酵食品で無いため、ポリ袋に入れ、加熱殺菌の方法するのですが、80℃30分間で行なわれます。この目的はたくあん漬では長期間発酵熟成されているわけで、乳酸菌や酵母菌が生きています。無殺菌では乳酸発酵が進みすぎて、風味が損なわれてしまいます。発酵の進行を止めるため加熱殺菌を行なっているのです。またこの殺菌条件は病原性大腸菌O157(75℃1分で死滅するといわれています)他有害な微生物にも十分効果のある殺菌条件です。タクワン以外でも80度のお湯の熱が材料に伝わる 80度C10分以上ほど浸け過熱殺菌する。(あまり長時間湯に漬けると野菜を煮たように歯切れが落ちる)中にある腐敗菌を殺菌した。この作り方は韓国の発酵キムチと完全に異なる製造方法だった。
この加熱殺菌した日本のキムチ・朝鮮漬のことを知らない、韓国・日本のライ-タ-達の無知からキムチの混乱が始まる。誤報から始まった日韓の関係と似ている。
また韓国でも常温流通できる過熱殺菌した日本キムチをマネしているものも出た。これまた混乱に拍車をかけた。食の世界は本家本元であってもいつかは廃れる。そして文献に載れば良いが正確なレシピが無いので再現は不能となる。仮に再現できても時代の変化で味の好みが変わっておいしいと感じないだろう。戦時中の何もない時のスイトンのおいしさを老人が言っていたがなんでも不自由なく食する時代ではおいしいと感じない。給食のクジラの龍田揚げはおいしかった記憶があったが、食の豊富な築地のクジラは昔ほどおいしいと感じなかった。
30年以上前の日本人が作った常温流通できる日本キムチの主流は過熱殺菌したキムチ・朝鮮漬だった。要するの日本の漬物屋・食品問屋で冷蔵輸送で漬物を配送していなかった。この加熱殺菌した日本キムチが海外にドライコンテナで輸出され、表示ラベルがキムチと翻訳され、世界各地で韓国人のキムチ本家の意識をいらだたせた。本家本元の韓国キムチはドライコンテナでは船積の以前に発酵し、キムチの包装袋を膨張させコンテナ内で爆発し、にんにくの臭いでコンテナが再使用できなくなる。コンテナ洗浄費用が発生する。
3へ続く