まるで長い間闘病していて老衰死した人の葬儀のように忙しい。予定はしていても気はあせる。築地の葬儀はあと一週間となった。後は電話の切り替え。既に司法書士さんに依頼して法人の所在地変更を申請中。まだまだ手続きは続く。江東区もどんな組織か知るには時間がかかるだろう。今時勢いのある青年が汗を流してそれぞれの分担で働いて姿は築地でしか見られない気がする。
台風24号の強風で壊れかけた築地市場の屋根が飛ばないと良いのだが。最後の週はテレビドラマのように予定調和で終わらない。
まるで長い間闘病していて老衰死した人の葬儀のように忙しい。予定はしていても気はあせる。築地の葬儀はあと一週間となった。後は電話の切り替え。既に司法書士さんに依頼して法人の所在地変更を申請中。まだまだ手続きは続く。江東区もどんな組織か知るには時間がかかるだろう。今時勢いのある青年が汗を流してそれぞれの分担で働いて姿は築地でしか見られない気がする。
台風24号の強風で壊れかけた築地市場の屋根が飛ばないと良いのだが。最後の週はテレビドラマのように予定調和で終わらない。
築地市場内の配送をしている人たちと豊洲移転に伴って、業務区域の変更で別れる人たちがいる。人手不足と言うことで業務自体が他社へ委託し、豊洲へは配送しない会社もある。それぞれの休暇もあるのでまた豊洲で会ったらと言うことで築地で毎日話し別れる。あと一週間。都の職員の疲労が目に見える。ヤットここまで来たかという感じである。
今日は豊洲でのデ-タ処理の予備のパソコン設定準備。何が起こっても大丈夫なようにしておけば不安は取り除ける。安心感は労災を防ぐ。既に豊洲での火災保険・業務事故による施設賠償保険も10月1日から補償される手配が終わった。9月末の支払いも無事終わり、後は9月に設備した支払いが終われば20年近く豊洲移転に関係した事も終わる。後は豊洲ブランドを確立しようとする若い人たちの夢を妨害しないように静かに消えるだけと思う。築地市場の人達は江戸時代から続く日本橋魚河岸・京橋大根河岸の伝統を引き継ぎ、世界に通じる築地ブランドを創ったという自負がある。ITの時代に若い人たちが豊洲ブランドを創るべく行動することを妨害してはいけないと思う。今は不祥事があっという間に世界に伝わる。そしてデマであっても記録・記憶は消えない。これが築地と豊洲の差でもある。楽しみでもあり、不安でもある。今日のTVの天気予報では豊洲移転日は台風25号襲来もありそうと言う。10月11日は波乱の幕開けか大安の日で台風一過の晴天か?
27日豊洲市場へ税務関連の保存書類の豊洲搬入等が終わる。ほぼ工事は終わった。後の残りは電話の開通か。28日は九月としてのまれな晴れの日。九月はとにかく雨の日が多く、29日30日は台風で大荒れだろう。まだ築地の外では豊洲移転反対を叫んでいる。言論の自由だから良いのだが前に進まないといけない。
鉄道開通時、蒸気機関車の煙の被害や、旅行客の減少を恐れて鉄道拒否をしたところがあったという。この都市の後の衰退は歴史の証明するところである。死者まで出した成田空港も軍事拠点となるところも無く今日に至る。ただ内陸なのでどうして成田が良かったか理解できない。豊洲もあそこしか無かったとはとても思えない。後の歴史で豊洲移転を動かした人の評価が見直されるだろう。浜渦さんだ。悪役、嫌われ役を演じる人がいなければ築地は残り、再開発の議論だけで工事は進まない歴史だった。
オリンピック招致ということを都庁内部で発想した人が豊洲移転の本当の始まりかもしれない。
平成3年9月の今頃後にリンゴ台風という名前が付けられた台風があった。日本列島を縦断し、農作物に多大な被害を与えた。特に収穫前の青森のりんごが風により落果した。漬物関連では九州の冬大根がまだ少し芽が出た程度で豪雨と風により被害を受けた。この時期の被害は種を蒔きなおしても気温の低下のほうが早く大根が大きくならずかなり収量が減った記憶がある。この事から九州の産地の漬物業者が中国山東省の大根に本格的に進出した気がする。中国産の大根のイメ-ジが悪かったが無い袖は触れないという理屈で中国産の大根で安い大根を使う商品として製造し今日に至る。今中国でも漬物用の原料野菜の生産は価格的な魅力が消え産地が消えている。50年ほど前の高度成長期に日本から漬物用の原料野菜の製造が都市近郊から地方に移った。今中国から漬物原料がどこかに移ることが起きつつある。
週末に沖縄から日本列島を縦断すると予想される台風24号は後にどの様な名前が付けられた台風となるのだろうか。少し前の大阪付近を襲った台風は関西国際空港に多大な被害を与え、外国人観光客が大幅に減り、一気にホテル等が暇となった。
晴れの日が九月は極端に晴れの日が少ない。晴れの合間に書類整理を行う。今日も明日も雨の予報。台風24号もやってきそうだ。25号も10月初めにやってきそうTV報道では営業に関係ない部署の引っ越しが始まっているようだ。築地場外市場担当の営業に廃業予定の得意先はあるのか聞くと(今のところはない)という。
先のところはまだ見えないが毎日混雑する場外市場で扱う商品を変えつつ生き残る気がする。銀座と言う飲食街を持っているのでそこそこ生き残る気がする。
廃業する企業の人材を採用予定していたがこれで新しい選択が始まるしかない。また難問が増えた。日々変化する築地の情勢。
後10日となった築地市場の営業の日々。豊洲へ宅配のヤマト便の築地市場内の配送の従業員(場外は別)はそのまま移動するようだ。佐川はまだ情報が入らない。多くの路線便は営業区域が中央区から離れるのでかなりの変更がありそうだ。そんな別れもこれから出る。経験が物言う築地市場の配送からしっかり区域表示のなされている豊洲へ移る。晴海にある郵便局はどこに駐車して豊洲市場の配送するか今検討中だという。豊洲市場の中心は東京都の管理棟付近かもしれない。ここにはみずほ銀行と郵便局が入ると聞いていた。(ずっと前に)城北信用金庫は市場前駅に近いところに移動し、ヤット普通の金融機関となった。いまどき店舗営業時間以外に利用できないATMがあった。
新時代にあった業者がこれから伸び、あわない業者が衰退する。
これから2週間は築地と豊洲の二股作業。築地で書類の分別作業。豊洲では商品と書類の位置きめ作業が平行して進む。自分の仕事は特になし。もう終わりに向かうだけ。11月にある講座を予約したが抽選となっている。車で豊洲市場へ入るとき5街区の管理は青果連合が管理しているようだ。水産部と管理が違うという。
10月7日の午前5時から仮開通した環状2号線を引っ越し専用道路としてタ-レ-とフォ-クリフトが走行する。特にフォ-クリフトの激走が見もの。タ-レ-の集団走行も。いまタ-レ-が壊れていて豊洲まで無事にたどりつけることが出来るのだろうか。排気ガスを築地市場内を撒き散らしていて健康を害していたガソリンタ-レ-が全て消える。いち早く電動車両の世界となる。ヤット大田市場に追いついた。これから差がついた大田市場にどう追いつくのだろうか。神田時代は築地との差は3対2だったが今は3対1.5となって築地の青果部の東京都中央卸売市場の本場だったことを忘れさせる。量販店対応が築地の設備で出来なかったためである。連休前に混雑しス-パ-の開店時に商品が届かないことも築地の全盛時にはたびたびあった。築地の青果部の量販対応の青果業者が環境の良い大田市場に移り、築地の青果が閑散となった。
秋分の日の連休と雨で物流混雑かと思うが予想に反して築地市場の混乱なし。22日は粗大ごみの無料搬出も終わる。この連休が終われば本格的に引っ越し準備となる。後は豊洲市場のエレベ-タ-の稼動待ちとなる。毎日普段の倍近いごみが出る。業務をこなしつつ少し前に進む。現場事務の移動出来る物置を提案。採用。まだ天気予報が出ないが豊洲移転時晴れなのだろうか。
仕事柄、食品のことならある程度わかるが豊洲移転では建築関係の用語が理解できず、図面を見てもどうなっているか解らないことを実感する。倉庫にようやく棚が出来たが、棚の位置が決まらなかった影響で電源コンセントの位置が決まらず、あわてて月島にある築地市場の御用達とも言える電気工事業者に注文するが豊洲の仕事が殺到していて豊洲開場後になる可能性があるという。全ての工事が今盛んに豊洲で行われているようだ。
ハト小屋という言葉が冷蔵庫製作過程で出てきた。何も解らなかった。今では誰も知らない(たくわん貿易)と言う言葉があった。50年以上前の日本食品貿易のことを揶揄していた。外貨の持ち出しが制限され、海外に移民した日本人のために細々と輸出していた。タクワンは一番懐かしい食品だったようだ。ただ今と違って本物のぬか漬のタクワンだったので異国人の嫌う悪臭があった。
晴れがほとんど無い九月。築地市場の閉場の雨か。粗大ごみの無料排出も後二日。骨董のような築地で活躍した備品が捨てられる。築地市場内の秤を検定する備品も廃棄物となった。豊洲は上下に動くので電動物が増えそうだ。
暑さ寒さも彼岸までと感じる気温となった。本日21度が最高気温。
朝十時より午後6時まで豊洲市場のLANと電話工事の立会い。特に電話工事が遅れていて開通の見込み不明。当初想定していたNTT主導の電話が想定以上ほかのシステムの要望が多く、結論が出ず遅れたようだ。短期に集中して出された書類の審査に時間がかかっているようだ。これも時代の想定力が弱くなった例かもしれない。
ざっと半日滞在で感じたのは食事難民が出るだろう。ここに観光客が来ると混乱必死だろう。
経済活動の結果で(見えざる手)と言う言葉がある。食品の最下流の位置にある漬物は政治経済活動に影響されていることを世間では知らない。上流の変化が下流に影響が来るまで時間がかかり、途中で他の流れが入ることにより複雑となる。よほど分析をしないとどれが影響していたか解らなくなる。
大安は全ての市場の行事日程を拘束する。豊洲市場開業式典も開場日も大安である。
今度の豊洲市場の移転問題も後の歴史書にはオリンピック開催による移転と書かれるだろうが実際は50年ほど議論していた問題でオリンピックは後講釈となる。もし東京オリンピック2020が無ければ築地はそのまま残り再建も出来ず、老朽化で次の震災などの天災を待つだけとなる。
今まで漬物が時間が経ってひそかに影響していたことを調べていた。キムチの中国と韓国の貿易戦争は結果的に韓国の敗北で高価格で販売できる日本市場に損害を与え、数量単価が下がってしまった。食品の再下流に位置する漬物は大手企業が参入するも停滞するところが多く、難しい食品でもある。
福神漬やタクワン漬も比喩が含まれていて、驚くことが多い。アメリカと中国の貿易戦争が本格的に戦闘状態になれば新しい食品開発が始まるかもしれない。
急に寒くなって秋の商材が動き出した。その対応に追われて築地の最後の感傷に浸る暇なし。明日も忙しいだろう。そろそろ廃業の挨拶もありそうだがまだ聞こえない。
昔の築地はと語る人が築地から豊洲へ行かない言い訳かもしれない。デジタル時代で築地経由の価値も無く、定義もない築地ブランドも不祥事があれば消える。築地の跡地に何が起こるか、そしてどう報道されるか誰も想定しないでいるようだ。最近は想像力の限界を超えている事例が多いと感じる。