今年は学徒出陣80年と言うことで、11月1日は色々なイベントがありそう。叔父は正確に言うと学徒ではあるがあの神宮外苑での行進組ではない。雨の中で学生服を着て、制帽をかぶりそれぞれの大学の旗のあと行進する映画には悲壮感がある。戦後に戦犯となり死刑となった東条首相の声が今では空元気と思う。多くの学生が無責任な軍人の生き残りの中で死を選択した。極東軍事裁判で被告人の意思確認でいかに法廷戦術とはいえ、無罪主張をする行為は今では虚しい。叔父たちの特攻兵は死によって平和を願った気がする。そして戦後に戦争に至る経緯を知って虚しさを感じた。特攻崩れは虚しさの表現方法で、多くの生き残りは先に特攻に行った仲間を想うとつらい戦後を過ごした。それ以上つらかったのは兵士の産みの母と思う。自分は生まれ変わりと思われていて、会いに行くと異常に喜ばれた記憶がうっすらとある。
叔父の埼玉師範学校時の記録を求めていて、埼玉大学教育学部百年史に昭和の師範学校と言う所は学費の掛からないし、卒業後に短期間だけ軍務に付けばよいということで比較的競争率が高かった。しかし中国大陸での戦火の拡大で徴兵猶予の期間が短くなり、競争率が下がった。埼玉県は戦前は師範学校と工学系の学校しか高等教育機関は無かった気がする。多くの学生は東京の大学に行っていたようだ。
教育学部百年史で埼玉の学童の様子が記述されているが多くの農家が貧困ということがわかる。県の予算は水害等の天災で費消されていた。高等小学校も出ることなく働く。その貧困の様子が226事件の反乱軍とされた埼玉県の兵士たちの記録がある。
新編埼玉県史別冊 二・二六事件と郷土兵
反乱軍約1400名のの半分は埼玉県出身の兵士で、鎮圧されたのちも不遇な扱いで、戦後まで生き残った人は少ない。多くの若者が亡くなり、戦後の農業を担う人が消え、食料不足となった。海外からの引揚者が増え、農家の人が増えても生産量は上がらず、季節によっては人が余った。全ては朝鮮戦争までの話で戦争が諸問題を解決する。今のウクライナの戦争で世界が抱えている問題がはっきりしてきた。どう解決するかは判らないが何か再度の戦争で決着をつけることはいやである。でも方向は向かっている。
無人兵器で誰はボタンを押したか判らない戦史が出来そうだ。AIによるプロパガンダは無責任となる戦史だろう。