豊洲市場入場車申請締め切り日
東京都中央卸売市場のホ-ムぺ-ジに豊洲の入場証の申請が6月30日までに各団体に提出するようになっている。6月20日に告示しているので実に短い期間である。注目するのはICタグの貸し出しがあるという。どのようなものだろうか。量販店の万引き防止のためタグをつけているが豊洲へ入る車につけさせて管理すことなのだろうか。
豊洲市場入場車申請締め切り日
東京都中央卸売市場のホ-ムぺ-ジに豊洲の入場証の申請が6月30日までに各団体に提出するようになっている。6月20日に告示しているので実に短い期間である。注目するのはICタグの貸し出しがあるという。どのようなものだろうか。量販店の万引き防止のためタグをつけているが豊洲へ入る車につけさせて管理すことなのだろうか。
新しいワイシャツのタグを見るとベトナム製となっていた。ちょっと前は中国製だった記憶がある。先日の社内の回覧でショウガが中国製からベトナム製に切り替わるという案内があった。漬物でも生産地移動の結果が出た来たようだ。EU
の問題でテレビはにぎやかだが遠いはずなのに為替の影響が一番早い。これで再値上げの予定は消えそうだ。豊洲移転時は1ドル95円位かも知れない。本年度の漬物の輸入価格の決定は今ごろから始まる。
3月までの豊洲市場の工事はまだ終わらないようで水産卸、仲卸のところの駐車場工事が続いている。進み具合から7月も工事中のような気がする。付帯工事でゆりかもめ・市場前駅からの歩道橋工事も続いている。この工事が終われば築地市場の部分を除いて環状2号線の工事は終わりそうだ。
フォークリフトの選定を急がされている。8月初めまでに注文しないと間に合わないという。東京都の補助金もあるので様々な手続きに慣れている業者にしたほうがよい気がする。今度の移転で都の施設を新規に利用することの手続きが煩雑であることを実感する。特に火事の多かった築地市場が移転するので消防関係が厳しいようだ。
ナチスのキッチンから家政学というものがドイツ派とアメリカ派があることを知った。今の日本はどうなっているのか知らないが昔タレント本でアメリカ留学して、大学で履修したホームエコノミックスというものを選択したら、出席した学生がほとんど女性だったということを思い出した。誰の本だか忘れたがミッキ-安川さんの顔が頭に出てきた。どうなんだろう。
ナチスのキッチンという本から食文化というものを栄養学というものを離れて考える必要があるらしい。戦争・飢餓栄養学に食が知らず知らず汚染されているようだ。政治が飢餓を強調し、税金を片よってばらまいている気がする。築地での仕事も政府の陰謀にアシストしているかもしれない。
英国の年寄が不満を表明したようだ。昔はよかったと。異国民がドンドン流入し、国全体が国際化しつつあることに耐えられなかったようだ。
この問題を日本は語る歴史経験が少ない。まだ在日大陸民を排除している。どう付き合うか時間しかないように思える。正解といえる回答は日本史にはないようだ。
水産の規格でEUが基準となっている。様々な国にあわせたようだが日本には厳しく感じる。
今日はイギリスの日。離脱が確定すればEUの各国の不満分子の活躍が拡大し、昔のEUに戻るという。そうすればバルカンの国ように小国乱立による経済弱体になるだろう。古い歴史が地理的制約で民族が生まれ、そこに外部の流入民が民族をかき回す。さらに宗教というもので外部の判断から心の問題となり、疑心暗鬼となり紛争が始まる。そこに連帯が加わり小さな紛争が大きくなる。武器の進歩が大きな戦争となる。とめる方法は悲惨さを伝えるしかないのだろうか。
歴史では話し合いより、武力での勝利しかないように思える。そして武力拡大は際限がない。矛盾という語源から。武器の限りない能力拡大競争が始まる。
今はテロの時代に入った。
食べ物語源辞典から酒悦の店名由来より
北白川宮能久親王(きたしらかわよしひとしんのう)
千代田区北の丸公園にある旧近衛師団司令部庁舎を改修して出来た「東京国立近代美術館工芸館」があります。その敷地内の東部に「北白川宮能久親王銅像」があります。
江戸から明治にかけて、東叡山寛永寺(上野)を統括していたのが、出家した天皇家子息『輪王寺宮』と呼ばれる方々でした。この輪王寺宮は、親王を自分の後継者として迎え、天台宗の統括を図るという天海大僧正の遺言により実現したものです。幕末の輪王寺宮は後の北白川宮能久親王で慶応3年(1867)21歳のとき輪王寺門跡を相続されていました。翌年、上野の寛永寺に彰義隊が陣を構えた時に反西軍の代表に擁立されてしまいました。
鳥羽伏見の戦い後、有栖川宮熾仁親王は恭順を条件に徳川慶喜を助命する方針を固めており、江戸から東征中止の要請と慶喜の助命嘆願のために訪れた輪王寺宮と静岡で会見し、宮に慶喜の恭順の意思を問うている。一方で、輪王寺宮(後の北白川宮能久親王)のもう一つの目的であった東征中止については、有栖川熾仁親王はこれを断固拒否した。
天皇家子息でありながら幕府側とみなされ、維新後、謹慎生活の後ドイツに留学し陸軍に入りました。日清戦争後台湾出兵を志願し台湾にて死去しました。明治28年
福神漬の『酒悦』の店名は上野寛永寺の輪王寺宮様からいただいたと言われています。従って明治維新後、店主の行動はどちらかと言えば反明治政府の人達との交流が目立ちます。
覚王院義観の生涯 長島進著より
覚王院義観は今の埼玉県朝霞市の出身で縁あって東叡山に入った。慶應3年寛永寺の執当職つまり天台座主に代わり職務の代行を行う最高の地位についた。44歳であった。ほぼ同じ時期に21歳の輪王寺宮もその地位に付いた。前例のない幕末の政治情勢に彼等は寛永寺を守らねばならなかった。
慶應4年の鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が江戸に戻り、謹慎ということで江戸城を出、寛永寺で蟄居することから彼等が歴史の騒動の中に巻き込まれることとなった。
徳川慶喜を助命嘆願するため、輪王寺宮等が静岡に向ったが西軍に適当にあしらわれた。一般にこのことから覚王院義観の心に変化が生じ恭順から主義主張するという方向に変化したと言う。しかしこの本によると彼は執当職を忠実にこなしていたため徳川の意地を貫いたという。明治になって彰義隊が悪役となったが輪王寺宮の処遇と上野戦争の戦犯との整合性のため彰義隊に全責任を負わせた歴史となっている。
吉村昭著『 彰義隊』の広告に
戊辰戦争でたった一人朝敵となった皇族がいたとあった。
上野の戦争の時。寛永寺の管主は輪王寺宮で元皇族でもあった。僧籍であったが最後の将軍が江戸城を出て寛永寺で謹慎することから彼の人生が変ってしまった。
西軍(京都方)の理不尽な要求に対して抵抗をしようとした武士が彰義隊を結成し、最初は寛永寺での将軍警護と言う目的から江戸市中警護と言う仕事に変化し、西軍と衝突し、さらに水戸に将軍が移動すると、寛永寺守護が目的となってしまった。
福神漬の創られる以前の歴史が福神漬の命名等の背後の歴史の前提となっていて、新商品の開発・改良・販売促進等に上野での戦争の影響がある。
『天衣紛上野初花』
くもにまごううえののはつはな.
天衣紛と書いてあって「くもにまごう」とは歌舞伎通しか読めないだろう。築地の大谷図書館で借り出す時、思わず『上野のてんぷら粉』と言いそうになった。
明治14年の歌舞伎新報で初め は「雲見」とあって、新富座で公演が始まった時には『天衣紛上野初花』となっていた。この出し物は3月1日から当時上野公園で開催されていた、第二回内国勧業博覧会の客を取り込もうとした企画であった。
この博覧会の事務を取り仕切っていたのが北白川宮能久親王であった。博覧会当時は上野に住んでいたようである。「能久親王事蹟」森鴎外著
「明治十四年辛巳、三十五歳。東京におはす。議定官を兼ねさせ給ふ。歩兵大佐に任ぜられさせ給ふ。紀尾井第を営むとて、しばらく東叡山(上野寛永寺)に住ませ給ふ。」
江戸時代にあった話や言い伝えの実話を明治初めに2代松林伯円(しょうりんはくえん)が「天保六花撰(てんぽうろっかせん)」で講談としてまとめた。ここでは河内山宗俊は上野寛永寺の御数寄屋坊主(茶事や茶器の管理を行う)とされ、松江藩(松平家)への乗り込みと騙り(かたり=金品をだまし取ること)が中心となっている。さらに明治7年(1874年)には河竹黙阿弥が伯円の天保六花撰をさらに脚色し、歌舞伎作品『雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)』として初演(主演九代目市川団十郎)。さらに明治14年(1881年)3月には、やはり黙阿弥によって『天衣紛上野初花』と改題されて、東京新富座で2カ月上演した。
福島事件で自由民権運動を支持していた原胤昭は国事犯となった六人を見立て「天福六歌撰」と題して浮世絵を出販し,政府によって犯罪者となった。原の投獄を見ていた團團珍聞の梅亭金鵞はまともな比喩だと投獄されると考えただろう。
明治28年9月30日資料作成
大倉喜八郎が福神漬300樽を寄贈している。
『留守第4師団より大倉組よりの献納福神漬の件』
日清戦争が終わったのが明治28年4月だがどうして留守部隊だった大阪の第四師団へ大倉喜八郎の大倉組が福神漬を献納したのだろうか?
この当時の少し前大阪第四師団の師団長が北白川宮能久親王で明治26年から赴任していた。北白川宮能久親王は上野戦争の時は輪王寺宮であった。日清戦争が始まり明治28年1月15日に有栖川熾仁親王が亡くなると北白川宮の兄の小松宮が直ちに参謀本部長となり、弟の北白川宮は第四師団長を免ぜられ近衛師団長となり広島に赴任した。5日後、日本と清国は休戦した(3月15日)。
日清戦争後の福神漬献納はどんな意味があるのか?
日清戦争は明治28年4月頃休戦となるがその年の9月に大倉組が留守第四師団に東京名産福神漬を300樽献納したいという書類があった。明治28年1月終わり頃大阪にあった第四団の師団長は北白川親王(元輪王寺宮)で2月に近衛師団に移り、4月に中国大陸に行き、情勢不安となった台湾に六月初め向った。日本軍は台湾を制圧するのに苦労し、宮は10月28日台湾で死んだ。
大倉喜八郎の大倉組が献納した福神漬は宮が行った近衛師団と共に台湾に向ったのだろうか。大倉喜八郎は明治の当時から「死の商人」と知られていて、大阪の第四師団に福神漬を献納したのには何か意味があったと思われる。何しろ上野戦争の時、大倉喜八郎は武器を彰義隊と西軍の両者のところに販売していたので、下谷池之端「福神漬」の何かの意味を込めて献納したと思われる。
朝から晩までの露天の仕事で夏至は気になる。市場のカレンダ-も半分終わる。故障続きの冷蔵庫の処置が終わり、フォ-クリフトも何かと修復の問題が出てくる。すべて豊洲でいらないと予想されるものだ。
参議員議員選挙が始まる。今は昔の話となってしまったが築地で第一声を上げた人があったように記憶がある。定かでなくなった記憶は遥か昔の話となりつつある。政治に築地市場が翻弄される歴史の中に参加者としてここまで来たとは想像できない。築地市場の終幕は予想もつかないどんでん返しがありそうだ。東京都と市場関係者の終幕のシナリオは一致しない。
6月の水曜日が月末の29日を除いて休市。円高にも関わらず欧米系の顔つきの人が築地に来ている。団体のようで旗振りの人が先導している。築地の混雑は毎日縁日のようになってきた。
豊洲の市場に入る車の許可証申請書の配布が始まった。たぶん当初は混乱するだろうから、今のうちに申請したほうがよいだろう。
漬物の古漬は賞味期限が3ヶ月は多い。9月11日の表示を見て、半年の漬物は豊洲移転後の話となる。そろそろ具体的な日程の話となりそうだ。
不動産施設でも店舗面積割と売上高使用料を設定しているところがある。豊洲市場も東京都の条例で使用料が設定される。電気とか電話回線の維持費用は別途請求される。当然市場内の人達は東京電力に電気代を支払うのではなく、東京都に支払う。多分大口料金となっているのだろう。
このことは外部の人達は知らないので電力の自由化で売り込みの電話がかかっているが消防署の方から来た消火器の売り込みの業者のようで胡散臭い。この使用料の問題は築地市場の歴史を書いている本でも通過物の取り扱いで問題があったという。豊洲の茶屋制度も使用料というお金の問題があるのでこれから時間がかかるだろう。過去の事例からあいまい決着となりそうだ。市場の施設を使い、使用料を払わないことが過去問題だった。今は携帯電話で連絡取り合い市場内で荷物の受け渡しを行っていることを見かける。どの行為が正当な行為か外部の人にはわからない。
目立つのはゴミの不法持込みである。
土曜日の読売新聞夕刊で築地市場の茶屋制度を書いていた。どことなく記者の分析不十分を感じる。豊洲では一時預かり制度があり、品物が揃ったら取りに行くことになっている。今は茶屋を利用したり、配達を待っていたりしているが閉鎖施設となっている豊洲市場は荷卸し場の数に限りがあるので今より不自由を感じるかもしれない。
東京都とコンサルタントの結果でこのような施設プランとなったがもっと早く移転に賛成の立場を表明し、コンサルタントのプランを破壊すべきだった。築地市場は知恵者そろいの人達だから多分打開策を考案するだろうから心配する必要はない。
一箇所の冷蔵庫が劣化して腐食し、ガスが漏れ、冷蔵機能を果たせなくなって10日となる。このため他の冷蔵庫に無理して詰め込むが在庫管理が難しく、最小注文のため在庫切れを起こしてしまった。これも今日で終わる。
三井物産益田孝の横浜との関係の本を読む。なかなか福神漬との接点は見えないが過去の資料によく出てくる人物が多い。多かれ異国人との付き合いに肯定的な人が多い。
英国で国会議員がテロで暗殺された。この結果がEU離脱投票にどう影響があるのだろうか。福岡の飲酒運転事故で東京が日本の都市となった経緯に似ている。
福神漬の資料収集の中で石井研堂の明治事物起源の缶詰の始まりに三井のことが書いてあった。これは誤記として調べていなかったが高島嘉右衛門の資料で出てきたので調べることになる。
福神漬は三菱系の会社ではよく資料が出るが三井では三野村利右衛門・小栗上野介しか出てこなかった。益田孝の資料を取り寄せる。
郵送代引きでキットが送られてきた。説明書を詳しく見ると日本人のデ-タはないようだ。全体の25%が超味覚人でテストキットを使うととても苦いと感じる人。やや苦いと感じる人50%、何も感じない無味覚の人25%という。
このキットの説明書では体質の違いで、好き嫌いは体質から来るものがあるという。超味覚人は舌の上に味を感じる細胞が直径7mmの範囲に35個以上程度で超味覚人という。
アメリカで食関係で就職試験でキットを使う事例があるという。普通人が50%なのでどのような使い方をするのだろうか。
日本のデ-タはあるのだろうか。
都知事がオリンピックの呪いで3人やめた。築地市場の移転に向けての会議がノロノロしていたのが10年ほど前だった。突然2016年オリンピック国内候補地に立候補し、築地市場移転の会議が急に早くなった。福岡が飲酒運転事故で敗れ、東京が候補地となった。リオに負けたが移転の会議は元のようにのんびりした会議となった。
次にまた2020年に開催地に立候補したが駄目と思っている人が多く、まさかまたオリンピックが日本であるとは思えず、築地市場移転反対の人達は驚いただろう。錦の御旗か水戸黄門の印籠のような状態で築地市場内外の工事が反対行動もなく進む。
11月7日の豊洲市場開場延期論もオリンピック道路工事の遅れということで終わりそうだ。都知事が早期辞任を抵抗したがオリンピックの旗は誰が日本へ持って帰るのだろうか。ここまで来ると次の都知事は東京オリンピックの顔となる。