年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

カレンダ-の季節

2013年11月30日 | 築地市場にて

今日で11月が終わる。カレンダ-がやってくる季節となった。暇に任せて平成28年5月の暦を見る。11月の市場休の日の日本経済新聞によると魚価が上がったという記事の中に新市場の開場日が平成28年の5月の大型連休の時という。平成28年 5月2日が月曜日で週中が3連休となる。東京都は何処を休市にして引越しさせようとしているのだろうか。
 都議会の混乱は何処で決着をつけるのだろうか。市場の移転は戦前の日本橋魚河岸のときのも50年間の紆余曲折があった。築地はまだ40年余である。
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築地の食堂で

2013年11月29日 | 宅老のグチ

築地にも吉野家をはじめチェ-ン店の外食店がある。何時もお品書きの食べ物が出る。時たま欠品があると心配する。偏った売れ行きを示したのか気になる。
 今騒いでいるレストラン等の偽表示とかは欠品を恐れたことから始まったといえる。ス-パ-等の業界はもう何年も前に表示の問題は終わっていて年末商材に関して心配はない。個別の企業の問題で業界全般の問題とはなっていない。
 築地の食堂ではうまそうなものとか良さそうなものは看板に出ていて欠品が早そうである。運が悪いと欠品したものからすばやく食べるものを変える。終戦直後の時代と違ってちょっと待てば手に入るし餓死することもない。内田百ケンの戦争時代と戦後日記を読むと貧乏も物不足もそれなりに楽しんでいたようだ。
 今しきりに内田の本を読んでいるが色々な人が賞賛している良さがまだ感じない。どうしたことか。資料として読んでいるからかもしれない。
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三の酉の宵

2013年11月28日 | 築地市場にて

27日は三の酉ということで波除神社からおはやしが聞こえる。休市の夕方築地市場内は夕方の転送の荷物待ちの車が多い。今年の忘年会今週末から始まるのだろうか。
 例によって休市日は環状2号線の隅田川に架かる橋脚用のコンクリ-トミキサ-車が場内を走る。勝鬨橋から見るとまだまだ橋脚の姿が見えない。汐留電通ビル前の工事でトンネル天井用のコンクリ-ト工事が行われていた。あの下はトンネルとなったようだ。汐先橋工事ももうすぐ終わりそうで来年は汐先橋と築地市場青果門の間の工事となるだろう。
神社のお囃子も年末の始まりを感じさせる。築地はジングルベルよりお囃子である。門松のミニュチュアが売り出されるのは何時からだろう。
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アルコ-ル暖房

2013年11月27日 | 築地市場にて

夕方、波除神社付近にあるコンビニで築地市場の中で働いていると見られる人がアルコ-ル飲料を買っていた。自宅で飲むかもしれないが仕事中寒いので体を温めるための酒かもしれない。もしそうだとすると移転した豊洲でも木製の小車(大八車のようなマグロ等が運びやすい。人の力で動かす車)消えないこととなる。タ-レ-は酒気帯び運転となるので今後罰金の重さで飲酒運転は無理だろう。
 寒いロシアでアルコ-ル度数の強い酒が売れるのは体を温めるためということもあるという。築地市場の冬はロシア並となる。
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銀行の紙が大きくなって

2013年11月26日 | 宅老のグチ

銀行へ入金の用紙が大きくなった。取り置きの用紙より一回りおおきい。これは高齢者のための改革のようである。そういえば最近の窓口の混雑が少なく、機械のところが混んでいる。振込でもコンビニ入金をしているので銀行の混雑が減るのも納得がゆく。窓口に並んでいる人は高齢者でキャッシュコ-ナ-は少ないと感じる。操作に慣れないので窓口に並ぶのだろう。高齢者は無言のところを避けるのだろうか.
来年の銀行の始まリが1月6日となる。休み過ぎ。まだ現金取引の多い築地は多分豊洲市場へ行っても現金取引が続くだろう。
困ったもんだ。
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漬物と政治&歴史

2013年11月25日 | 宅老のグチ

食の世界でもマイナ-な漬物は研究者も少なく語られることも少ない。いやまったくと言って良いくらい無いと強調できる。ここ数年タクワン漬やべったら漬・福神漬のエピソ-ドの由来を調べたが政治情勢に影響があったことを検証した。べったら市では明治の暦の改定で市の実施日が1か月ほど繰り上がり、冬大根の甘みが不足した為、サッカリンという人工甘味料を使用した事実を記載した。これは今でもタクワン、べったらにはサッカリンが使用できる歴史となっている。このサッカリンの禁止は明治政府による税収確保という見地から、強引に使用制限をしたものだった。戦前の検証でもサッカリンの危険性は証明できなかった。現在では未熟な製造方法で作られたサッカリンには発ガン性というものがあるようだが純粋なサッカリンには危険性はないとされている。ただ消費者には純粋なサッカリンを知ることは難しいので使用制限は必要と思われる。
 今年の秋野菜は高騰していて、通常なら漬物の売れ行きが良いのだが「キムチ」だけがパッとしない。まだ正確な統計分析は出来ないが韓国食品に対する「嫌悪感」は政治状況で動かされている気がする。今年の秋の韓国食品フェア-の見積もり依頼が少ないと感じる。どうやら国産キムチで良いということかもしれない。韓国酒の数字も良いとは聞こえない。
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冷蔵庫の工事

2013年11月24日 | 築地市場にて

外が寒いので冷蔵庫の中があったかい。一応昼は10度を越えるので電源は切ってはいない。この時期に冷蔵庫の移設工事を行ったがテスト稼動で異臭がする。隙間を埋める接着剤だろう。
 電気工事の人と話すがこの時期築地市場では新設工事はほとんどなく、修理工事のみという。また冷蔵庫の工事業者によると関東周辺の業者を全部集めても豊洲移転のとき冷蔵庫移設は二日では難しいという。たった一坪の冷蔵庫の移設工事は数人がかりで二日かかった。築地市場内に数百以上ある業務用冷蔵庫を長い間不景気で減ってしまった工事業者が短期間で移設できるのだろうか。長い不景気で職人の高齢化が進んでいる。やはり新市場移転は冬しかない。
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忙中暇あり

2013年11月23日 | 宅老のグチ
仕事がパタ-ン化すると効率がよくなり、暇が何処からとなく出てくる。ただ不測の事態の確率が測れないので遠距離調査の意欲がわかない。まだまだ確認しなければならない事項がたくさんある。今内田百ケンの缶詰を捜索しているがどうやら彼が日本郵船に食卓として勤務していた昭和16年頃の随筆らしい。これがもし郵船の社内報に載っていたら郵船社員にどのような印象を残したのだろうか。想像すると新たな展開が予想できる。
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月島へ

2013年11月22日 | 築地市場にて

小用があって月島へ午後行く。ここで昼飯の推薦先を聞く。「めしや」が良いという。再開発でようやく元の位置に戻ったという。水産系の料理だという。長話をしたため昼の営業時間を過ぎてしまった。本日の収穫はなし。月島スペインクラブがランチをやっているようだ。ネットで料金を調べると1000円、勝どき橋たもとの「天竹」フグ料理もランチがある。築地市場周辺のランチめぐりも良いかもしれない。佃島や八丁堀まで守備範囲かもしれない。
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内田百ケンの缶詰臭

2013年11月21日 | 福神漬
内田百ケンの缶詰臭
内田百が福神漬の缶詰を食べたのは何時のことなのだろうか。鉄製の缶詰食品を食べ、鉄の缶臭が文明開化の香りと思っていたようだ。内田は明治22年生まれなので日露戦争後に大陸の戦場で備蓄されていた軍事用食糧の払い下げがあったのを食べた気がする。戦地で不要になった缶詰は当然時間がたっていて今より製缶技術の未熟な時代では強い鉄の缶臭がしていたと思われる。
幕末から明治のかけては新しい鉄の文明時代とも言える。特に大砲製造する反射炉の時期は幕末で、明治初期は鉄道で、中期は缶詰が文明開化を具体的に示していたような気がする。
 夏目漱石は小説で福神漬の缶詰を出しているが何を感じていたのだろうか。
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内田百ケンの福神漬から

2013年11月20日 | 福神漬
内田百間-イヤダカラ、イヤダの流儀
別冊 太陽 2008.9
茂木健一郎さんの文を読んで、もう一度内田百を読み直す。パラパラと軽くペ-ジをめくって読むと、内田百の財布の写真があった。財布に船の写真があって客船と牽引船で日本郵船の船らしかった。
 どうやら内田は昭和16年から終戦時まで日本郵船の文章指導という名目で嘱託として郵船本社に勤務した。どのような仕事をしていたのだろうか。この時期の本を読むしかない。今の時点で郵船のカレ-ライスと福神漬への影響はわからないが内田は缶詰入り福神漬が文明開化の味として好んで食べていた。
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築地はやはり朝だ

2013年11月19日 | 築地市場にて
月曜日の仕事で家に着いたのが午後10時前、品揃えの不足が目立つ、急遽早朝の荷物の立会いに出勤することとなる。4時起床。築地に4時半。大方の荷物は無事届いたようで運び出しが始まっている。本日晴天。昔は1個の荷物が20キロ近くあったが宅配便の影響と、商品の小口化で軽くなった。青果でも10キロの物が目立ってきた。そんな訳でトラックドライバ-の中に女性が増えてきた。朝6時まで仕事をして帰宅。寝る。昼過ぎ出勤となるだろう。多分今夜も忙しい。
 昨年頻繁にあった韓国食品フェア-の声が聞こえない。何時ごろ数字に表れるのだろうか。今年の鍋需要は和風の勝ちだろう。
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日々心喪失

2013年11月18日 | 築地市場にて

17日の豊洲のイベントも近くて遠い世界。13日の休市日に日本経済新聞でX日は平成28年の五月連休に築地市場が豊洲へ引っ越すという。この移動に向けて動き出だすのは何時ごろからだろう。まだ2年半もあるという考えもあるが二年半しかないということもある。日々の仕事に追われて何も考えることもなく時間がたつ。のんびり出来る正月はあと二回しかない。最後の年は狂騒の正月になることが今からでも予想できる。市場内にあふれた観光客で仕事にはならないだろう。
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表示義務がないからといって

2013年11月17日 | 築地市場にて

ス-パ-で販売している惣菜は多数の素材を調理しているので添加物やアレルギ-物質は表示の義務があるが商品ラベルが小さいため、材料産地を全部書けないと言うことで表示義務を免れているが商品名に入っている場合は記載する必要があるであろう。優良誤認される表示は書く時代が来たようだ。国産野菜と表示していて外国産を使用したり、地元産と表示しているのに他の産地だったりしては虚偽となる風潮となってきたようだ。

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佐賀小城公園の柳生宗矩

2013年11月16日 | タクワン
佐賀の小城公園内に岡山神社がある。その神社内に「玉成社」という祠があるという。この玉成社は佐賀藩の支藩小城藩二代藩主・鍋島直能が 柳生宗矩から「玉成集」という柳生新陰流の極意書を 伝授されたものを祀った祠です。
 この話を佐賀有田の漬物業者に話したところ、見に行ってくれました。
 江戸時代の「島原の乱」の時、幕府方の最後の総攻撃の時、その前日に命令を無視して原城を攻撃した藩がありました。軍令を無視した罪は重いので藩の取り潰しも予想されていました。この時柳生宗矩の力で何とか藩の存続が図られました。鍋島家は柳生の恩を感じて祠を建てたそうです。
 江戸品川御殿山では三代将軍徳川家光が幕府の政策を思案するところでした。柳生宗矩(剣道)千宗旦(茶道)沢庵和尚は同時期京都大徳寺で修業していたようです。
 幕府の政策の基準となるところを探るため、大名が品川東海寺の沢庵和尚に接近したと思われます。このことが沢庵和尚が作っていた(東海寺では貯え漬け)タクワン漬と名称になったと思われます。大根を糠に漬けた沢庵漬はビタミンB1が増え、江戸で白米食となったためビタミンB1不足(脚気)の大名には美味しかったと思われます。これは夏の汗の大量に出た時、水がおいしく感じるのと同じ理屈です。ただタクワン漬のビタミンB1だけでは江戸患いという脚気対策にはならなかったようです。
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