ペリーの白旗-150年目の真実 岸俊光著
開国を拒めば戦争になる。そうなっても、白旗を掲げてきたら和睦してやる-。ペリーが幕府に渡した「脅しの書簡」は本物か、偽物か。「つくる会」歴史教科書が採用して議論沸騰の、開国ミステリーに挑む論壇ノンフィクション 図書館の解説文から
こんな解説のある本を今読んでいる。歴史家と歴史愛好家との論争は今一つかみ合わず謎が解けないまま今に至る。
そもそも「白旗伝説」にも複数の解釈があるようでそれぞれの立場で解釈しているのは邪馬台国論争と似ている。決定的な文献があれば決着すると思えるが安政6年の江戸城内火災で基本文献が焼失している可能性があり、混乱を増やしているようだ。わかっていることはペリーの黒船が嘉永6年6月3日(旧暦)に来て、7月10日の水戸藩の書類に白旗の文言があるのでこの間に偽なら偽の文章か噂があったと思われる。
歴史家はアメリカ側の文献がないからと言って、「白旗伝説」は偽文献として史料としては取り上げていないようだ。6月4日に黒船に乗り込んだ日本人は多くない。水戸藩にどのようなルートで風説が伝わったのだろうか。風説だからと言って詮索はしていないようだ。
そもそもペリーが初めて来た時の日本側の文献はそのまま信じてよいのだろうか疑問である。アメリカ側と日本側が合致している時だけ文献として役に立ち、脅迫感から生じる記述から史料として信じてよいのだろうか。
香山栄左衛門上申書に書いてある、6月4日に江戸の在府浦賀奉行だった井戸石見守邸でのオランダからアメリカが日本に来ることを通告したという事を無視して、浦賀には風評ということで処理していたことを聞き、香山が数時間悔しく泣いていたという。香山の涙はニセ涙のような気がする。香山の上申書によって、今の教科書はペリーが開国の準備のない日本に突然やってきたように書かれている。一般庶民は外国の情勢は知らなかったと思われるが浦賀の関係者は準備していた。それなのに知らなかったとして涙したと書いた香山の上申書はなぜなのだろう。
こんなことが福神漬の命名に関する経緯を調べると気になることとなって来た。
開国を拒めば戦争になる。そうなっても、白旗を掲げてきたら和睦してやる-。ペリーが幕府に渡した「脅しの書簡」は本物か、偽物か。「つくる会」歴史教科書が採用して議論沸騰の、開国ミステリーに挑む論壇ノンフィクション 図書館の解説文から
こんな解説のある本を今読んでいる。歴史家と歴史愛好家との論争は今一つかみ合わず謎が解けないまま今に至る。
そもそも「白旗伝説」にも複数の解釈があるようでそれぞれの立場で解釈しているのは邪馬台国論争と似ている。決定的な文献があれば決着すると思えるが安政6年の江戸城内火災で基本文献が焼失している可能性があり、混乱を増やしているようだ。わかっていることはペリーの黒船が嘉永6年6月3日(旧暦)に来て、7月10日の水戸藩の書類に白旗の文言があるのでこの間に偽なら偽の文章か噂があったと思われる。
歴史家はアメリカ側の文献がないからと言って、「白旗伝説」は偽文献として史料としては取り上げていないようだ。6月4日に黒船に乗り込んだ日本人は多くない。水戸藩にどのようなルートで風説が伝わったのだろうか。風説だからと言って詮索はしていないようだ。
そもそもペリーが初めて来た時の日本側の文献はそのまま信じてよいのだろうか疑問である。アメリカ側と日本側が合致している時だけ文献として役に立ち、脅迫感から生じる記述から史料として信じてよいのだろうか。
香山栄左衛門上申書に書いてある、6月4日に江戸の在府浦賀奉行だった井戸石見守邸でのオランダからアメリカが日本に来ることを通告したという事を無視して、浦賀には風評ということで処理していたことを聞き、香山が数時間悔しく泣いていたという。香山の涙はニセ涙のような気がする。香山の上申書によって、今の教科書はペリーが開国の準備のない日本に突然やってきたように書かれている。一般庶民は外国の情勢は知らなかったと思われるが浦賀の関係者は準備していた。それなのに知らなかったとして涙したと書いた香山の上申書はなぜなのだろう。
こんなことが福神漬の命名に関する経緯を調べると気になることとなって来た。