8月が終わる。コロナで昔のと言っても戦後の混乱期のユーチュ-ブ映像を見る。父を昭和30年に亡くしているので気分は戦災孤児に近い。昭和20年代はは国民すべてが貧しかった。自動車が増え、車輪も3輪から4輪になったように、少しづつ生活が向上していた。江戸時代生まれの人間が明治期の蒸気機関車を見る目と同じ。今年の中国の水害の動画を見ていると、昔の昭和40年代まで日本で活躍していた3輪トラックがまだ現役の様だ。
中学生になると8月の旧盆にお供え物を持たされて、家族の名代として父の実家に一人で行かされた。今落ち着いて当時の記憶をたどると母は生きていた父の実母へ父の遺児を見せる目的があったと映像を見ていて想像した。その母も間もなく100歳となり当時の記憶も定かではない。8月の15日までは戦争のことを思い出し、15日を過ぎると戦後の買い出しを思い出す。闇市、芋入りご飯。お米持参の旅行、米穀手帳等はモノ余りの今は言葉として記憶が残る。
大田区久が原の昭和の暮らし博物館は戦後の20年代の木造家屋があって、その貧しい時代の記憶を思い出す。
コロナで収入が不安定になっている人へ戦後のあの混乱に比べれば今の状態を嘆いてもいけない。すべての人が痩せていた。お相撲さんも痩せていた。