年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

嘉永3年10月末の事件の後始末

2019年11月30日 | 福神漬

嘉永3年10月末日に高野長英が南町奉行支配下の与力たちによって撲殺された。当時の記録では逮捕時、高野が抵抗し、混乱の中自殺したと記録に残る。鶴見俊輔氏の評伝だと南町の人たちによって最初から生け捕りする意思はなかったように思える。今でも警察等に拘留中に逃げ出すと大騒ぎとなるが江戸時代の終わりでも放火による逃亡は重罪であった。

 この嘉永3年の11月頃は南町奉行は遠山景元・西丸留守居役が筒井政憲・浦賀奉行の江戸在任が戸田氏栄・浦賀の砲術指南が下曽根金三郎・その補助役として内田弥太郎(五観・恭)だった。

 12月末までに高野を江戸市中で逃亡を助けた人たちが処罰された。その中で逃亡を助けた蘭学仲間の内田弥太郎が処罰を免れた。(取り調べはあったようだ)なぜ内田は処分を免れただろうか。事実関係を小説に書いている吉村昭氏の小説(長英逃亡)でも内田の無罪の理由が書かれていない。この件の処理が福島事件被告人花香恭次郎の養子縁組の謎解きにつながる。

 弘化年間から嘉永年間(黒船が来るまで)浦賀奉行と幕閣上層部で異国船打ち払い令の復活評議中だった。

1異国船が頻繁にわが国沿岸を通行するので海防負担が増えて、沿岸領民が疲弊・内乱・侵略・異人の手引きによる密交易が深刻化するという危機意識があった。

2幕府財政が疲弊していて海岸防備の不備から中国のように侵略されるという危機意識があった。

3異国船打ち払い令が復活しても、対外戦争に負けたことにない日本は大事に至らないという希薄な危機意識があった。浦賀の人たちは浦賀の来た船に乗り込み大砲の威力を目にしているので、浦賀与力・浦賀奉行達は積極開国で交易によって国防費用を賄うという考えが主力だった。しかし長い平和でわが国の進化が止まった大砲の威力と戦争が絶えなかったヨ-ロッパの進化した海軍力を本の上だけ知っていた人たちの間では結論が出なかった。

 このような時期に浦賀の海防を実務として指導している内田弥太郎が処罰されることは国力を阻害すると浦賀奉行戸田は判断したと思われる。内田を処罰すると彼の上司である砲術指南下曽根金三郎も任命者として処罰は免れない。下曽根が処罰されると実親の筒井政憲の立場も弱くなる。戸田氏栄は印旛沼開削工事の目付として鳥居甲斐守の下で仕事をしていて、途中で駿府町奉行に転任となった。(出典・井関隆子日記) 元々高野長英は蕃社の獄で処罰されたので北町奉行だった遠山景元 も元南町奉行筒井も冤罪と知っていた。

 もう嘉永のこの時期は蘭学から英語.フランス語.ロシア語の時代に移りつつあって高野の語学力の必要性が薄くなっていた。

続く

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目覚ましイヌ

2019年11月29日 | 宅老のグチ

朝、芝犬に起こされる。名前はアロという。癒しを意味するアロマからきている。昼寝が十分なので朝は早い。仕事はセ-ルスマンの早期離脱。聞きなれない足音に対して騒音とも聞こえる声。

 ちょっと外出すると寂しげな遠吠え。こちらが家にいるのを無視して遠吠えする。今日も4時半に起こされ、真っ暗な町内を散歩。

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二番町の長井乙三郎

2019年11月28日 | 福神漬

江戸切絵図で幕末ともいえる時期は図書館で見ることが出来る。比較的まとまっているのが中央区と台東区で探しやすい。弘化3・4・5年嘉永元年・2・3・4・5・6・7年に近江屋版が出版されていたようだ。この切絵図の需要は各武家屋敷の家紋が掲載されていて、江戸市民の常識とも言えていた。家紋で武家の地位を判断していたようだ。嘉永3年頃の麹町裏二番町の切絵図には長井乙三郎の名前があった。弘化年間は長井五右衛門となっていた。この乙三郎は嘉永3年頃の切絵図に名前が見える。

 地下鉄麹町駅の上の日テレ通りの歩道に江戸時代の安政3年・1856年の切絵図がある。この隅に長井五右衛門昌言の屋敷が掲載されている。現在の一番町にある高齢者用施設のプラザ一番町が旗本長井家となる。

 嘉永年間に旗本長井家にお家断絶の危機が生じていた。養父の長井義次郎(小普請)長井乙三郎(小普請)がすぐに死去したためで、遺児となった女子が残された。当時の西の丸留守居であった筒井政憲(元南町奉行)の斡旋で戸田氏栄3男が養子となった。(出典・鶯亭金升日記)この強引ともいうべき養子縁組の措置は幕閣上層部の不祥事隠しであったと思われる。

 嘉永3年10月末の小伝馬町牢獄から放火による火災で囚人が解放された。この時放火を企画したのは高野長英だった。数年日本各地を逃亡し、世間の噂ではロシア等の外国に逃亡したという噂があった。

 嘉永2年から3年にかけて、対外危機が懸念され洋書翻訳の監視が厳しくなった。そこで流通していた翻訳本の解析から高野が生存していると思われ、南町奉行の遠山景元 (通称金さん)等が再度捜索し始めた。その結果嘉永3年10月に居場所がわかり生き取りの手配となったが元々高野が牢獄に収監されたのは冤罪と知られていたので、南の与力は捕まえても微罪で解放されてはメンツが保たれないので逮捕時撲殺したと思われる。

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天保六歌仙

2019年11月27日 | 福神漬

歴史への招待19 昭和56年

明治の講談師松林伯円の天保六歌撰の話は黙阿弥によって歌舞伎となった。明治7年(1894)河原崎座で上演され、さらに新しい場面や登場人物を加え、今も上演されている(天衣粉上野初花)が明治14年3月に新富座で上演され、大当たりした。

 明治16年9月1日の福島事件の判決後、原胤昭が小林清親の浮世絵を天福六歌仙と名付け無料配布した。この伯円の講談は中込重明氏の研究によると、麹町二番町に留守居として隠居していた筒井政憲の隣の家に出入りしていた伯円が筒井家にも出入りするようになり、筒井が南町奉行時代の事件を聞き出し講談にしたという。

 歴史への招待という本は中込氏の研究以前の本でこの件は触れていない。NHKの本では御仕置例類集の文政七申年御渡の事件で41人がこの事件にかかわっているという。

 NHKと中込氏の研究を合わせると、南町奉行の管轄外となる武士への捜査は火付盗賊改となるがこの時期は長井五右衛門昌純(文政8年まで)だった。南は筒井で火付は長井だった。後に筒井の斡旋で戸田氏栄3男が途絶えそうになった長井家に養子の斡旋をした。(出典・鶯亭金升日記)

 もし河内山宗春が武士なら、同じ二番町の近所付き合いで連携したかもしれない。筒井は南町奉行所に住んでいたが、火付盗賊改の仕事場は自宅となっていたので、二番町で事件処理されていた。

この部分は今は誤りで、長井家の中では河内山宗春の事件は処理されていない。
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貴重書なので

2019年11月26日 | 宅老のグチ

各地の図書館へ行くのだが郷土資料は貴重書なので住所氏名を書くこととなる。個人情報のことを考えると図書館カ-ドを作った方が良いので作成する。都心の3区のカ-ドを作った。後は墨田区と江東区となる。

 千代田区の区役所にある千代田図書館で昭和9年ころの漬物・佃煮情報誌を読んだ。まだ中国との戦争が激化する前で神奈川の業者が横浜から中国向けの漬物を大量に出荷していることが広告から読み取れる。現在まで営業が継続している業者は数社しかない。横浜の岡本浅次郎商店は今でも輸出漬物を商いをしていてこの業者が消えた時、海外の日本食屋は困るだろう。神戸の黒田食品も今年営業休止となった。広範囲に漬物輸出を扱うところが少なくなった。個別はかなりあるが採算は取れないだろう。

簡単に言うと商品の裏面に輸入業者名と商品の内容を販売する現地の言葉で貼る必要がある。量販品は印刷だが少量は手貼りとなる。フランスはフランス語。中国は中国語となる。1コンテナにするには商品ごとに大量のシールがいる。

 添加物の知識とか商品の内容と現地語との同定も必要となる。

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何とかリカバリー

2019年11月25日 | 宅老のグチ
ワイヤレスのキーボードがあったのを思い出す。この先どんな方法で入力できるのだろうか。音声入力をテストしているのだが結構正確で何とかなりそうだな。
今日の文章は音声入力でやってみた。
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ゴミのため

2019年11月24日 | 宅老のグチ

ゴミのため、キーボードが動かず。当分休みか!!

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雨の中二日目の大嘗祭

2019年11月22日 | 宅老のグチ

氷雨で大嘗宮公開の混雑が少ない予想で出かける。大手町駅から坂下門へ向かうのだが大回りで皇居の二重橋の方に回され、ロスした。予想通り混雑無し。検問も少ないので警察官と雑談。飲み物を持っている人は飲んでいるようだ。皇居の中は飲み物なしと警察官が言っていたが大嘗宮の直前に飲み物の自販機があった。警察官に騙された。あと一か所水飲み場があった。トイレは多数あり。行列の隙間が多く、傘の波をよけて写真撮影。天気が悪いのですっと帰る。最後の大手門交差点で東京駅方面は人の混雑で信号3回待ちで渡る。帰りは大手門をさけた方が良いようだ。

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天気が良いので忍野八海

2019年11月22日 | 宅老のグチ

天気が良かったので富士山を見に行く。忍野八海は外国人観光客ばかり。山中湖の図書館で電動自動車が充電していた。忍野から見る富士山は午前の早くか、夕方の方が良いようだ。昼は逆光で映りが悪い。

 昼は犬の入れるところでほうとうを食べる。まだまだ犬付きの旅は大変。道路工事がオリンピックを目標として進んでいる。急ぎの工事で安全管理が足りず、死者が出る事例が増えたと感じる。

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デイサ-ビスの人との会話

2019年11月21日 | 宅老のグチ

水害の話から、家と外の段差で車いす外出が難しい家の人は次のような傾向があるという。若い時、電車とかに身障者が乗ってきたとき、迷惑と思っていた人ほど自身が障碍者になったとき、他人の目を気にし、外出できなくなり引きこもるという。すこし納得した。

 ある時、友人の娘さんが若くして結婚したがうまくゆかず離婚した。そこで相談を受けたのだが役所へ行って、相談するように伝えた。子供が高校卒業までお金がもらえた。このような知識は余裕のある人は知っているが日々の生活に追われている人は相談できず悩んでいる。

 今は生まれた時から、収入が無くとも税金を払っている。(消費税)堂々と日本国民なら主張すればよい。脱税するなら、恩恵を受けない気持ちがある。ただ政治家の税金の無駄遣いに対抗すのは節税するしかない。わかりにくい税制は弱者・高齢者いじめで、消費抑制で対応する。今の不況は高齢者の行動予測が外れている。AIはどうやらパソコンを使用しない高齢者の対応ができないようだ。さらに現金しか使わない人も対応外のようだ。中国が急速に進歩したのは偽札の力があり、変な紙幣で疑われることを避けたという。韓国は経済危機でクレジットカ-ドが進んだ。アメリカは強盗多発でカ-ドが進んだ。現金があると強盗に狙われる。

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今頃台風の後始末

2019年11月20日 | 宅老のグチ

千葉の大被害の時から雨漏りがしていたのだがどこを見ても壊れているところが見えず、放置していた。その後二度の大雨も漏れがあったが千葉ほどではなかった。ところがこの前の小雨で雨漏りがあって、急遽屋根の上に上がったら、排水するところに土砂がたまり、草も生えていた。これが原因だろうと考え排水パイプの洗浄工事が始まる。次の雨で結果が解かるかもしれない。すでに築40年だが後何年持つのだろうか。最近ポストに入れられた不動産広告で近所の売れないマンションの地図に水没危険の地図があった。今まで不動産広告で水害地図が掲載されていることは無かった。狩野川台風を経験しているので、家は2Mほど持ちあげているので垂直避難することにしていたがスマホの避難命令が大変だった。水没地図だと3Mが最大となる。田園調布と二子玉川を歩いたが、水害準備の有る上げ底の家もあった。狩野川台風を経験していたのだろうか。狩野川の時、50センチの出水でかろうじて床下で済んだ。その時は塀が壊れた。今回の千葉の台風で塀が傾いて、今建て替え中。

 

 

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江戸時代のビンヅメ

2019年11月19日 | 宅老のグチ

千代田区立千代田図書館で明治の文献探し。司書の方と文献を探しているうち、江戸時代の漬物佃煮業者の文献があった。文献にはビンヅメとカタカナで書いてあった。江戸時代の漬物佃煮でビンヅメはおかしいと思って調べるとコンプラ瓶というのでヨ-ロッパに輸出していたようだ。陶器の容器に醤油を入れて、口を栓して漏れないようにしたようだ。ガラスの瓶でなくとも陶器だったかもしれない。

 ガラスの瓶はペリ-の黒船から記録が残る。浦賀では廃棄された瓶がまだ海底にあるかもしれない。

ラムネの瓶は今骨董となっている。

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あみだくじ歩きで築地散歩

2019年11月18日 | 宅老のグチ

京橋図書館へ先日の日本郵船株式会社からの本社設立期の住所の違いについてメールを届ける。その後聖路加病院の隣で中央区が築地の魅力再発見という展示会があったので見に行く。どうやら水神社に関しては私が調べたのと食い違っていた。

 江戸時代の築地は今より広い地域を示していたようだ。帰りのコ-スで東銀座駅まであみだくじのようにジグザク歩きした。前に築地の3丁目に花柳流のけいこ場があって、木造の家がビルの谷間にあったが真新しいビルになっていた。最近築地にできるビルは前はオフィスだったがマンションとなり、今はホテルとなった。それも銀座という名称がついているのが多い。空き家の旧電通はいつ解体になるのだろうか。

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缶詰のブリキ

2019年11月17日 | 福神漬

ブリキ缶

缶詰の鉄板はスズで覆われていて光沢があってさびにくいのです。これをブリキと言いはオランダ語の「blik 」から来ているようです。フランスで発明された缶詰はイギリスで発展しました。スズメッキされた缶詰用鉄板はイギリスではコーンウォール地方という当時有数のスズ鉱山に恵まれてブリキが缶用として使われました。 この画期的な発明品はしかしなかなか普及しませんでした。初期の開缶が難しく、缶切りが発明されて普及が進みました。缶詰用としてブリキ鉄板が普及すると缶用のスズが足りなくなり、イギリスは、新たなスズ鉱脈を世界中に探し求めます。そこで注目されたのがマレー半島のスズ鉱山でした。多くの中国人とインド人が人口の少ないマレ―人のところに鉱山労働者とタイヤ用のゴム農園労働者として移民しました。これが多民族国家となったマレ―シアの原型となりました。

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スカラベ(ふんころがし)

2019年11月16日 | 宅老のグチ

車で運転中、漬物業界はスカラベのようなものだなと思った。昔と言っても50年ほど前で上野でエジプト展があって、スカラベが神聖視されていた。なんで昆虫がと思っていたが大自然の砂漠の中で排泄物処理の最後をして餌とすることかなと思っていた。実際はどうか知らないが漬物業は日本食の最終処理をおこなっていたが最近の風潮で再処理は食品偽装の疑いが出るので漬物業もゴミが出る業界となった。

 エコな仕事も時代の変化でえこでなくなくなる。

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