関連性の低い地名が並んでいるが築地・石川島・戸田・長崎そして函館は漬物の福神漬の歴史から意外な関連がありそうだ。築地にコンワ会館というビルがある。ここは昭和10年頃消えた東京築地活版製造所の跡地に立っている。今は貸しビルとなっているが印刷業界の記念的な跡地であった。中央区に印刷業界の拠点が集中するのは築地の活版印刷から製紙に始まり、需要家である新聞まであった。初期は新聞創刊も簡単で記事をつくり、活字で記事を出来るところへ運び、印刷していたようだ。従って中央区周辺に印刷業界の企業が集中したようだ。(都新聞史より)。この外部委託による新聞発行は今でもあって漬物業界紙は各新聞社の印刷の合間に発行しているようだ。
築地の活字は長崎の本木昌造から始まる。長崎の通詞からの転進だった。本木の異母弟で松田雅典という人がいる。日本缶詰の始まりとして記述されている人の一人である。他に北海道開拓使の工場と山田箕之助がいる。それぞれ地域と時期が異なっていて関連性が低いと思っていたが福神漬の歴史から関連があったように思われる。このことが日本缶詰史に三者とも日本における缶詰の始まりとして記述されている理由かもしれない。ただこの関連性の研空はなされていないように思われる。特に長崎の人は缶詰発祥の地として長崎しかないと考えているようだ。
山田箕之助を缶詰の始まりとする石井研堂は食の文明開化の象徴として福神漬を缶詰化したことで明治という時代を表現したと思われる。不必要な文章(島原の戦・北方領土・工部大学・津の守)などがあって文献的には根拠が無さそうで缶詰の始まりとしては誰も調べなかったようだ。文献と見ないで石井研堂の明治史観と見るとまた違った文章と思われる。