年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

アマゾン ブラック 売れていない気がする。

2023年11月30日 | 宅老のグチ
アマゾン ブラック フライデーで靴を買ったのだが、配送を指定しないのに、すぐに届いた。去年のセ-ルは遅れた記憶がある。もう年末のセ-ルは力不足なのだろうか。
 浅草や渋谷・新宿を徘徊していて、大江戸線の昼間がコロナ中は閑散としているのに今はキャリ-バッグをガラガラ慣らし、歩いている姿が目に付く。特に都営浅草線浅草駅は国際線空港の成田と羽田を結ぶので目立つ。夜の明るさと治安が良いという評判の日本はさらにトイレ文化の清潔さで、女子旅が目立つ。
 円安ということで激安日本の食のランクが特上が外国人観光客で普通のクラスは日本人の接待で最下層は日常食になってきている。家族の法事の京都旅行で3条通りの京都のホテルの朝食で日本人は1割程度しかいなく、さらにほとんどが欧米系の人だったという。京都の紅葉の報道から、話を聞くと嵐山の観光地で生活している人は、毎日観光客に家を覗かれているに違いない。それも盗撮というのも含まれている。只今大目に見ているのはコロナの傷が深く、今ここ3年の損害を取り戻さないと、前に進めない。
 多くの日本人がスマホで音声変換により会話している姿が見える。そこが日本の危機感が現れ、受験英語から日常英語に変わる時期かもしれない。英語には多くの国で話すので方言が多い。かえって機械変換の方が正確かもしれない。それでも取引等の問題ではAIによる取引チェックかもしれない。国が人手不足で異国人の就業を安易化する傾向がある。人手不足は日本の人口構成を変える。ヘイトの人も人手不足には負けるのだ。
 転居して家が狭くなり、物欲が薄くなった。いまは仕事がないので時間消費を先に考える。
 何か最近は不景気の話がネットに出てこない。ブラックフライで―は高齢蟄居の人には関係ない。プライムでお急ぎ便は使うことはない。急ぐより、手間暇かけ歩き回る。チョコザップを使わなくともタダ歩き回る。
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福島県郡山に行って、石井研堂のイベントに行くが大失敗

2023年11月29日 | 宅老のグチ
12月3日までの福島県郡山市文学のもりで石井研堂のイベントに行く。朝早い電車で行くと9時半ころに新幹線を利用しなくても行ける計算だった。ところが京浜東北線高輪ゲ-トウエイで工事車両のトラブルで山手線の電車が止まって動かない。復旧後に赤羽、宇都宮、黒磯、新白河で最後に郡山行きにのった。着いたのが10半くらい。約1時間の予定超過となり、気分が乱れる。郡山駅でバスの案内所で郡山文学の森に行くバスを教えてもらう。駅から出たバスの乗客は自分だけなので料金を聞いて用意する。結局着くまでのバスに乗り込む人はいなかった。平日の11時では誰もバスには乗らないのだろう。車社会を感じる。
 昼間の閑散時期に自転車と共存がJRの生き残り策と思える。それぞれの接続が悪く、郡山までの普通電車で40分待ち、20分待ちがあって見な耐えている。これでは少子の時代に北東北の地域路線はJR貨物の専用線になる。普通電車より貨物の電車が多い。これからトラック労働者の時間規制でますます増える気がする。
 石井研堂の没後80年のイベントでは予備知識と変わらず、目新しいのは明治事物起源の原稿があったこと。自分の持っている本は最後の改定本で、福神漬の缶詰は初版本を調べるということになった。初版と最後との比較となる。石井は缶詰で何を語ろうとしていたのだろうか。文献の根拠となるところが消えている今は何を手掛かりにして良いのだろうか。見学後に冊子を求めたところ、イベント開始早々に売り切れて終売という。さらに今回の冊子は郡山中央図書館郷土資料の所にもないという返事。何たることで郡山に来た意味がない。帰りに呆然として安積国造神社に行き、いつもは十円のお賽銭だが30円のお賽銭。悲惨(3)重(10)援と祈る。前に訪問した時は車だったので郡山中央図書館 郷土資料の所で清水次郎長の本を見つけ、福神漬との関連を調べたことがある。郷土資料と言う所は司書の腕の見せ所で多くの図書館の優秀さが解かる。地域の関心がどこにあるかがわかる。逆にあるべき資料がないのは関心が無いか知りたくないこと、地域の恥と思っていることを暗に示している。これは調べてみないと判らない。
 まえに来た時はセシウムの表示があったが、郡山駅前に無かったように見える。JR郡山駅バス停周辺ではイルミネ-ションの工事をしていた。12月になれば点灯するのだろうか。今年の政府の節電要請は聞こえない。
 次回は普通電車で来て、JR白河駅前の白河城に行ってみたい。何か木造で再建を進めているようだ。失望の郡山行きで次回は車で一か所で失望しても車なら回れる。福島三春から滝桜の季節にいわきの海岸を巡り、海産物を食べるのも良いだろう。
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寒いので家に引きこもりユ-チュ-ブ動画を見る

2023年11月28日 | 宅老のグチ
家を出ないでユ-チュ-ブ動画を見ていると外国人観光客のインタビューで日本の清潔さが出て来る。これはどこから来ているか考えると江戸時代の鎖国と言われた時から来ているような気がする。戦国時代のヨ-ㇿッパ宣教師の本を読んでいると知能の記述が目立つ。ところが幕末の記述が美しい景色となる。
都営三田線春日町で降りて、東京都水道歴史館で江戸という街の水の環境維持の様子が解かる。水の制御は治世の基本で天災の多い日本は水害と地震となる。水害時の混乱時に盗難などの事が少ないのは慣れとしか思えない。それでも不謹慎なことはある。火事の場合は不用品の援助で助けられた。
 日本では水色という色の表現があって、透明な水の色を表現する。ところがこれを英訳し、WATER colorとは言わず、一般的に英語で水色と言えば、light blueというよう。異国では水は透き通っていないと感じる。

 日本は水資源という言葉があります。風呂に毎日入る習慣は水が豊富で無いとできない。バスタブの無い家が普通ということに驚く。蒸し暑い日本の夏は行水という言葉もある。保育園でミニプ-ルで 遊んでいる姿を見かける。
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旅行計画のためらい

2023年11月27日 | 宅老のグチ
福島県郡山市で12月3日まで石井研堂のイベントがある。そこに行きたいのだが宿泊費がコロナ以前と違って高騰していて、さらに他の地域を回るには季節が悪い。そこで郡山行きの交通では日帰り選択となりそう。

もう少し若ければ車の日帰りもあるが今は選択肢には入らない気持ちの老化が進んでいると感じる。日々の散歩でIWTCHでデ―タをとっているが、分速80Mの不動産屋速度を出すと汗が出る。そこで落として歩くとヒ-ルを履いた女性に楽々と抜かれる。データを見ると分速70M台でこれではあっという間に差が付く。1里は3.93Mだが江戸時代は1時間で歩く距離のようだ。国土交通省のHPでは旅人が一日で歩く距離が32Kから40K程という。朝早く出て夕方に宿に着く。
 退職後に歩き始めて、歩くことの文献を見ていると最近の論文では4000歩くらいで良いという。1万歩では多いというのが目立ってきた。継続してさらに心臓に負担をかける速さらしい。
 多くの高齢初心者はリタイア前に老後の計画をするが実際問題で計画通り行くことは無いと知った。コロナは最強の計画ぶち壊しだった。今の円安が国内・国外を問わず観光旅行の選択肢は消えつつある。これからの傾向でリピタ-の訪日外国人の徘徊先は東京の閑静な街歩きのような気がする。
 まだ銭湯には訪日外国人に侵略されていない。入れ墨と人前で裸になる試練を超えそうにもない。来年春先の開業の豊洲市場内の温浴施設は着衣で風呂に入るのだろうか。気になる。
 
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沖縄嘉手納沖の伊江島

2023年11月26日 | 宅老のグチ
関東大震災百年と言うことで今年に入って多くの本と映画が公開された。その中で福田村事件という映画を観てから、当時の理不尽な虐殺事件の記録と本をよんだ。その中で下記の本はチョット読んだだけで、最後の引用文献をコピ-して返却した。
関東大震災と民衆犯罪-立件された一一四件の記録から-(筑摩選書 0262)
佐藤冬樹著
 本の後半に江戸川区の工場に集団で仕事をしていた沖縄伊江島の人たちが危うく、日本人によって暴行されそうになった話がある。彼らは京浜工業地帯から、正社員募集で難儀していた江戸川工場へ正社員として仕事を得た。今は江戸川区は都会だが大正時代は辺地で、田畑の地域で工場に魅力を感じる住民が少なく、伊江島の真面目な労働者でほとんど占められたという。そのため沖縄の言葉が東京風にならず、震災時に不審者と見なされたようだ。
 このことの確認のため、都立中央図書館で沖縄県伊江村史を読んで驚いた。通常地域史は行政の長の発刊の挨拶から始まり、古代から現代にいたる。ところが伊江村史はヘロドトスと司馬遷の名前を書きだしにある。歴史の記述の難しさを書いたようだ。
 伊江島には飛行場がある。それの建設の経緯は日本が戦争に入って、ミッドウェー海戦で大敗北になり、浮沈空母として伊江島に飛行場を急遽作ることになった。この島は石灰岩でできた島で重機の無いので多くの軍人と住民の力で飛行場が建設された。
 叔父たちの特攻隊の一機はこの伊江島海岸に停泊していたLST808に特攻し、大破させた。米軍の記録によると20名以上の戦死者がある。船は戦後に台湾で解体され鉄くずとなったようだ。その時の戦死した軍人の本が出版され、2019年5月アマゾンで購入した所、円高だったので800円位で、ある時また検索すると1200円ほどになっていた。今再び検索すると3028円となっている。円安を強烈に感じる。
The Death of the 808: The True Story of Lst 808 ペーパーバック – 2018/2/7
 この本で伊江島海岸で炎上しているLST808が見える。本の内容から激戦だった硫黄島に参戦していたようだ。叔父たちは硫黄島の敵討ちとなった。
伊江村史によると今でも戦争の傷があって、米軍の占領地も残っている。
 
 神奈川県鶴見に沖縄の人が戦前住んでいた人たちの残留地がある。江戸川区に行った人たちの情報入手地という。京浜工業地帯の労働者は人数的には農村部の人が多いと思われるが意識の高い人は地域から飛び出す意欲の人と思われる。
 築地市場で不法就労の人たちの付き合いで得たことは、多くのダメになった不法就労者は次のステップに目標が無く、日本の緩さに負け、堕落するという。日本で金を稼ぎ故郷に家を建て戻るのが普通で中には日本からアメリカに向かった人もあるという。日本はふみ台、緩いから自己管理しないと堕落する。今は人手不足で入国管理が緩くなりそうだ。
 




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正月飾りが売っていて

2023年11月25日 | 宅老のグチ
近所のドラッグストアで正月用の松飾を売っていた。この頃は少し早いと思うが何かせわしい。平日の都心の電車はコロナ中はガラガラでシルバ-パス利用で乘っていても席を占めていてもなんとも思わないが今は旅行鞄をガラガラ音出し、電車内にいる人が増え、せわしいい。急に低温となり、雪の便りで今年はスキ―関係は良いようだ。地球温暖化でも日本が雪の多い国として残るという。
23日の浅草酉の市で、久しぶりで雑踏というのを感じた。ここは浅草仲見世通りと違って、ほぼ日本人しかいなく雑踏警備の人も緊張感が緩い。昼間だからと思う。熊手の大きさは父と来た70年前と同じ大きさ。帰りの道で佐川急便の集荷場で熊手を入れたダンボ-ルが見えて、これは昔は無かった。ひさご通りから興行街を通り抜け、都営浅草駅に行く。雷門の交差点で見ると日本人らしき人を感じない。今とんでもないことになっている。
 日本人が英語とかの外国語を10年以上習っていても使うことがなかったが、地方でも徘徊する外国人観光客で身振り手振りで、片言で話す機会が増える。
 築地市場で働いていた時、歩道を清掃している人に外国人観客が英語でない言葉で尋ねていた。すると身振り手振りで答えを出していた。時にはフィリッピンの言語で場内放送があって、集合場所に来るような案内があった。
 言語は必要になると進む。日本人の語学力は急速に進む気がする。ただその理由はお金が入るからである。成田空港に納品していた時、空港内の消費は市中の一万円札が千円札の感覚で使われていた。日本を離れると少しの間買えないと物を買う。そこに値段の比較が無い。
 ついで買いはス―パ-の戦略でドンキホーテの店は暇つぶしで訪問しても何かを買わせる。外国人観光客の増大は語学の進歩を促進する。
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銀座のセイコ―ミュ-ジアムで

2023年11月24日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
あと二年で戦後80年となる。そこで特攻で亡くなった叔父の調査を終わらせようと企画している。南九州の知覧特攻平和会館の収蔵庫に特攻兵士の遺品とか遺書が収蔵されているが叔父の遺品等はない。台湾から出撃した仲間はある。この件で今でも生きている同期の妻となった人と知り合い、聞いたところ遺書等はほとんど書いているという。そこでなぜ叔父だけが遺品等が皆無のだろうかと思った。確かに叔父の母は字が読めなかったと思っていた。確認したところ頭が良い人で当時の農村では女性が学問すると生意気と言われていて、すぐに嫁にだされたようだ。叔父と私の父の生母の出身地は低地にある村で江戸川が大水だと排水できない水田の村であった。
 この件を親族に聞きまわっていて気が付いたのが、親族の人は昭和20年1月に叔父が一時帰郷した時に初めて飛行機の兵士と知ったように思える。つまり昭和18年9月に陸軍特別操縦見習士官の試験に家族に無断で受験したと思われる。その理由として川辺小学校の校長先生に進路相談した所、千葉県野田市の野田農工学校で農産加工を学び、その後埼玉師範学校で小学校の先生となり、農家の子女のため小学校で学問と基礎的農業知識を教えることになったようだ。
 時局がその夢を砕いたが、航跡から抵抗していた姿が見える。
昭和18年9月6日の毎日新聞埼玉版で陸軍と海軍の試験のが売閣発表が記事として載っていた。(埼玉県文書館)この新聞には陸軍の合格者は10名で叔父の名前が無かった。不合格を狙っていて、家族には失望させないと思っていた。
 特攻で死亡後に遺品が南桜井駅に戻ってきたときは多くの人が駅に出迎え、英霊とされた。敗戦後にまた遺骨(空箱.遺髪か石ころ)が戻り、引き取りのため駅に行っても家族以外は誰もいないし、無駄死にと言われていた。鬼畜米英といったいたが南桜井駅付近にアメリカ占領軍の兵士が常駐していて親切であったためだった。
 この時代の南桜井村の聞き書きを埼玉県立庄和高等学校の生徒の部活の本がセイコ―時計資料館に所蔵され、その本を古書店から購入した。
 精工舎の時計工場が南桜井駅前に移転した経緯は精工舎の社史が今でもないのではっきりと書けないが、この部活の本でおおよその事を知ることが出来る。敗戦直前に東京の空襲を予想し、精工舎は工場の疎開適地を探していたようだ。そこで選ばれたのが南桜井だった。終戦間際に工場が稼働していて戦災被害が無かった。昭和20年3月10日の東京大空襲では墨田区大平の精工舎の工場から南桜井に多くの人が移転していて、東京の家に向かった人が亡くなった。杉戸町図書館で所蔵している庄和町と東京大空襲という本で内容が知ることが出来る。
 この部活の本を知覧に届けて、叔父の霊に言い訳として納本したい。そこで万引きや窃盗本でない証明をセイコ―ミュ-ジアムの人に依頼した。この流出の件の説明があって、毎年増える文献から定期的に古書店と契約し処分しているという。そこでこちらの懸念を話した。古書店はいつかは消える。しかし知覧の平和会館は50年・100年以上も残る。精工舎の所蔵本の由来も記憶から消える。しかしこの本が叔父の遺書と遺品の無い理由を簡単に説明できる。
 まだ完全な証拠はないが地域の秘密を守るため処分したと思われる。この遺品処理を知った私の父は怒り、特攻隊員と選ばれた叔父の最後の宴会写真が父の写真帳に残っていた。他の親族にはこの写真はない。そしてここ写真で多くの人と知り合った。
 
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二の酉 思い出作り

2023年11月23日 | 宅老のグチ
身体が徐々に動けなくなることを自覚しているので、コロナという予期せぬことも考え、思い出作りで動く。
 酉の市は9歳で亡くなった父との少ない思い出。熊手を買っての持ち帰った。亡くなってからは熊手が小さくなり、大きくはしなかった。昔の言い伝えで三の酉のある年は火事が多いと言っていたが寝タバコも減って少ないと感じる。ただ救急車の音は良く聞こえる。
 銀座のセイコ―ミュ-ジアムへ行って、確認したいことがある。そこから浅草へ行き、浅草2丁目で浅草田圃草津亭の跡地を見てみたい。浅草3丁目の草津亭は初代が破綻後に名をつないだ店で普通の日本料理店のようだ。初代の画像を見ていると老舗の料亭という雰囲気があって、宴会場が百畳もあったという。バブル崩壊で企業は交際費を抑え、さらに税収の減った国は課税強化し、飲食業を不況にした気がする。団体旅行はきえ、対応して大型化したホテルと旅館は交際費課税に強化によって、廃墟の施設となった。
 今中国の不動産不振は国の制度が違っているので、似ているけれど日本と同じような経過になりつつある。それは手の届かない一般庶民が富裕層の慌てぶりを眺め不動産の値下がりを待っている。日本の経験ではデフレとなり、金利は下がり、貯蓄が増える。それも危ない金融機関は貯蓄も増えない。物を買うより清貧の思想が流行る。

 都営浅草線で浅草へ行き、浅草寺で戦争の想い出を消し、八王子高尾山で見た寄進者の草津亭跡を見て、浅草千束の鷲神社へ向かう予定。どんな記憶が戻るのだろうか。時間が余れば築地場外の波除神社の酉の市も見てみたい。今日は忙しい。
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ネズミの本が届いた

2023年11月22日 | 宅老のグチ
埼玉県北葛飾郡杉戸町図書館で読んだ 高校生が追う ネズミ村と731部隊
 という本を読んでいた。この本をいつものように前書きとあと書きを読み、さらに文献参考をコピ-しようと思ったが、一度家に帰って古書店検索の後に無ければ越谷の図書館をもう一度訪問すればよいとなった。
 そこで古書店検索すると一冊出てきて、購入する。

 この本は埼玉県立庄和高等学校地理歴史研究部の部員とその指導した先生の本であった。杉戸の図書館で読んだ本と届いた本は違っていた。なぜ気が付いたのかは杉戸図書館本では中国黒龍省の人の賛辞があって、古書店本は消えている。どうやら杉戸の方は部活の本で、古書店から来た本は、教育資料出版会という出版社の新刊だった。このあたりの部活本と出版社の本との差異は越谷市図書館で確認するしかない。部活本は埼玉県の図書横断検索でも出て来るがそれほど多くはない。目立つのが杉戸町と越谷市で比較的多い。埼玉県立図書館(熊谷)のもありそうだ。
 中国黒龍省ハルピンで日本の731部隊が細菌による戦争研究のための生きたネズミを飼育していたことの告発だった。軍の機密保持のため、日本国内で比較的に軍需関係の町と見なされていない埼玉県北葛飾郡庄和町付近で飼育し、中国に送っていた。病原菌で細菌戦争を計画していた731部隊このことは南桜井村戦後史という庄和高校地暦部の本で知っていたが日本で731部隊が話題となったのは森村誠一の本と常石敬一の本から1980年頃で、特攻した叔父の遺品・遺書等の捜索とは無関係と思っていたが、部活本で春日部市のイベントでこのネズミと731部隊の事が春日部市教育委員会が学校で生徒に見に行くことの宣伝行為を禁止したため、問題となり、報道され、そして6000人ものイベント見学者があったという。そこに加えて、右翼系の圧力があって庄和の地域で大騒動となった。
 なぜネズミが731部隊で問題となったのかは、戦前の中国でネズミの生産には苦労していた、731部隊の研究の妨げとなっていた。そこで戦前のネズミの生産地である埼玉県春日部市付近と岐阜県だったが交通の便の良い春日部付近が選ばれたようだ。庄和高校の地暦部の人も親が農家でネズミを飼育していて聞き書きで、自分自身が親が戦争に参加していたことに驚いていたようだ。
 まだ読み始めたばかりだが、右翼と左翼の行為が叔父の特攻直前(昭和20年2月)川辺小学校(今の春日部市立川辺小学校)の上空を超低空飛行して、戦地に向かった話が伝承として記憶から消えている原因と思われる。
 叔父の特攻の記録を書いた きむらけんさんは世田谷区の代沢小学校の学童疎開地の所で特攻隊員との交流で戦地に向かうとき、疎開地の上を超低空飛行の話で記憶の復活となった。叔父の小学校上空の低空飛行の話しが伝承から消えているのはこのネズミ本からと思うようになってきた。

 戦争が終わり、731部隊が消え、ネズミ生産農家は余ってこまっていた。国内需要は病院と医学部だけとなった。そこでネズミ生産農家を助けが出たのはGHQだった。コロナの病原菌流出で疑われいるのは中国武漢の研究所でこのことはひたすらに隠すのは731部隊の史実を知っている国としては知られたくない歴史のように見える。医学の進歩には実験動物が必要でどこかで飼育がある。そこにはコロナのようなこともあるということを知った。
 遺書・遺品は消すことが出来るが周囲の記憶を消すにはよっぽどのことが無いと記憶は消えない。
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家族が墓参りと京都のモミジで留守番

2023年11月21日 | 宅老のグチ
15歳を超えた老柴犬の介護で家族中で交代にしている業務をこなしている。犬の高齢は認知症もあるので、動き出したら要注意。昨日からの一日で起きていた時間は1時間もないだろう。当然動きが無いので食欲もないようだ。
 雑事をこなし、次の予定を計画する。石井研堂のイベントが福島県郡山で行われている。そこで泊まりか日帰りかを検討中。何か外国人観光客のためにビジネスホテルの宿泊費が上がっているという。新幹線の郡山なら2時間で行ける。無理すれば泊まり賃で始発終電の新幹線旅行が出来る。コロナ前は平日なら5千円程度で泊まれた。
 もう土日の観光地の優遇は有名な観光公害を促進する。何気ない土手道を歩き、どこかの家庭菜園の景観を眺める。多摩川土手歩きを復活させたいのだが桜の季節は来年となる。
 帰ってきたら京都の観光公害の話を聞きたい。宿泊費の高騰は東京でも確認できるがバスとかの込み具合は、京都観光の通の行動を知りたい。

 京都の中央卸売市場は京都駅から山陰線で最初の駅付近にあって一度駅に降りて見物したことがある。活気がないと感じた。京都はス-パ-を拒否した歴史があり、さらに戦災が無かったので、京都市中には小売市場が多いという印象があった。それから小売市場が減り中央卸売市場が大阪に負けたような気がする。ただ京都は漬物に関して観光客需要と、朝食の食文化で漬物が重要視されていて、業界の参加人数も全国では多い所となる。多くの京都の業者は隣接地で造り、京都市内の住所地で販売する形が多い。祇園の舞妓さんたちの甲部歌舞練場で全国の漬物業界の会合があって驚いた。普通の業界の会合は駅近い所のホテルだった。もう十年以上前の話である。
 京都の中央卸売市場は移転先がないので、市場内改築の様で全部完成するまで時間がかかる。ということは仲卸が減っているから出来るのだろうか。財政の厳しい京都は観光税で稼ぐしかない。最近出版された京都本で京都の大学生の大部分は卒業後に京都に残らないという。大阪はまだ半分以上の大学生が大阪に残るという。
 京都の漬物業者の歴史は普通は古いと思われているが多くは先の戦争で経営難となり戦後から伸びたところが多い。戦前の下請けの歴史を加えて書いてあって、盛業となったのが修学旅行と新幹線の開通だろう。
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新宿で平和を感じる秋

2023年11月20日 | 宅老のグチ
10月19日
東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル33階の平和祈念展示資料館で台湾生まれで国籍は台湾で心は日本人という呉正男さんの数奇な先の戦争話を聞いた。何度の取り上げられている人で今の台湾と中国の関係で気になって行くこととなった。それを教えてくれたのが叔父たちの誠204飛行隊に関しての不思議なメ―ルだった。この対処の仕方の相談を持ち掛けたら19日の会を教えてくれた。
  2時からの講演で早めに都庁駅前駅に着いたので久しぶりに都庁の展望台へいった。1階のエレ-べ-タ前は休日で閑散としていた都庁の中で行列があって見ると列の最後を探し並ぶ。徐々に進んであと少しの所で簡単な荷物検査、見ていると2台のエレべ-タを調整しながら、運行している。一回の人数を数えると15名位。およそ7回ほどイモムシ歩きで45階の展望台に着く。南館は初めてで今までは北展望台だった。晴天で真っ白い富士山が見えた。タダ筑波山だけが探しても見えない。どこからのビルが展望を邪魔していたとおもう。
 早めに展望台を降りて、時間を見るとまだ1時間もある。そこで新宿中央公園で暇つぶしで30分。まだ紅葉の初めで子供連れが遊んでいる。この平和が叔父たちの功績と思いたい。早めに平和祈念展示資料館へ向かい、会合の席の会場に行く。席は殆ど残っていないので開いている席に座る。
 2時丁度に呉さんの講演が始まったのだが司会者の話でユ-チュ-ブ動画で同時放送のようだ。これなら行く必要はないと思った。96歳の呉さんは少年飛行隊に応募したようだ。しかし年齢ガチャで生き残った。さらに運と適切な判断で日本に残ったこともある。台湾人で日本語しか話せない人がソ連の抑留後にどこに帰属するかで台湾・中共中国と日本を選択する判断で日本を選び生き残った。中共中国を選んだ人の連絡は途絶したという。
 呉さんはグライダ-の飛行で特攻する予定だった。話を聞いていると無謀な計画とわかる。大型飛行機によってけん引して木製のグライダ-で米軍を狙うのだが木製のため新幹線のスピ-ドより遅い時速160Kしか出せないという。それ以上の速さはグライダ-が壊れる。叔父の乗った一式戦闘機隼は最大速度時速500Kで米軍の戦闘機でも同程度あったのでとても沖縄に着きそうにもない。滑空飛行でどこまで行けると思っていたのだろうか。結局今の北朝鮮で終戦となり、もたもたしている内にカザフスタンへ行ったという。ここはシベリア抑留でも生還の人が多いという。それでも60Kの人が戻ってきたとき40K台という。
 生き証人の記録と記憶は戦後80年にもなるので記憶の混同があるようだ。あと数年で生き証人の講演会が終わると思う。特に生存率の少ない男性が100歳をこえ、記憶がしっかりしているとは思えない。しかし呉さんの講演で戦争の事実を伝える意思が生きる希望の様に思える。

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最先端から限界集落を歩く

2023年11月19日 | 宅老のグチ
大田区の天空橋駅のイノベ―ションセンタ-が完成し、自動運転の車に乗って見た。いまはまだ試運転中で補助員が付いている。見た目は幼稚園の送迎バスだがセンサ-が車の前方に多数見え、さらにカニの様に突起の上にもある画像センサ-もある。後方もセンサ-だらけ。今は運転を監視している人が乗っているが始動時は見ているだけ。運転席の後ろに、センサ-が見ている画像を出している。カニの目が結構遠くまで見ているが平面という感じ。イノベーションセンターを一回りしたのだが、信号の停止があって、モニタ-と現実を見比べていた。半分走ったところで信号待ちとなり、動き出したら反対側の横断歩道の上を自転車が二台来た。急に車が停まった。これはセンサ-の指示か補助員の判断か判らない。アメリカの報道によると自動運転の車が事故を起こし、車の下に人がいるのに動いたという。これで自動運転の試験が一時中止となった。今の小事故でもテスト中止はありうるのだ。日本の原子力船むつは放射能漏れで廃船となった。
 目的の自動運転車に乗ったので、街歩きをするため羽田空港との境の海老取川へ向かう。ヤマト運輸の物流センタ-を過ぎ、空港の方を見ると、東京モノレ-ルが地下から地上に出る所に来た。さらに進み東糀谷の都営アパ-ト群にぶつかりよく見ると解体の様で無人のアパ-トが見える。何かバランス釜のようなガス排気口が見える。かなり古そうで解体計画もある。これが大田区の限界集落と言われる団地。
 65歳以上の高齢者が人口に占める割合が50%を超えた地域を「限界集落」と呼ぶ。過疎地の問題と思われがちだが、東京23区でも、町丁目レベルで分析すると、「限界集落」がある。大田区は都営アパ-トしかない地域が該当する。隣はANA、ヤマト運輸、ディスコという上場会社の敷地で普通の住民はいないか少ない。シングルマザ―と保育園を備え、子供が18歳になれば収入の如何にかかわらず、退出する制度が欲しい。高齢者は仕事を得ることのできない施設に収容すべきだろう。羽田なら空港施設でほぼ24時間仕事がある。ホテルも多数あって、清掃の仕事もある。そこに空室があるとは情けない。都議の研究が欲しい。
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文京区ふるさと歴史館で

2023年11月18日 | 宅老のグチ
多くの自治体では小学生のための、郷土資料館を設けている。かなりの数の郷土資料館を見てきたので、東京とその郊外の展示物の差に気が付く。東京という都市は戦災・震災と交通網の発達で膨張していて今でもその広がりがタワマンとかで上に伸びている。
 展示物は小学生の祖父母の時代からの品が多く、想像だが祖父母が孫を連れて郷土資料館で昔話をしている姿が見える。戦後の10年位は小学校は木造校舎が残っていたが火災と地震のため、コンクリ-ト製の建物となった。今は耐震と災害時の避難施設ということで建て替えが始まり、少子ということで余った小中学校は高齢者施設に転向することが流行りのように見える。多くの所でちゃぶ台が今の中心と見える。昔の飯食いドラマの記憶が残る。一家の人数が減り、マンションと言われる部屋は70m2程度の広さでは、昔の木造家屋は広い。まだウサギ小屋の展示は見えないが取り壊された中銀の銀座カプセルは何処に行ったのだろうか。
 戦後の物として、ラジオ・冷蔵庫・扇風機・テレビ(ブラウン管・白黒)蓄音機とレコ-ドなどは見学している子供が親に聞いている姿が見える。
 郊外の郷土資料館に行くと、まだ農家があって、昔と言っても50年前の農機具が展示されている。農業の機械化は戦後まで目立っていないので、郷土資料の農機具は江戸時代を感じる。何か効率の悪い世界と思いつつ、お祭りの盛大なことに気が付く。武士の統治策といざ戦闘になると予備兵力にするのだろうか。幕末の草莽の兵士は武士階級の人でない人の記録が見える。刀は訓練だが銃と砲は体力と感じた。浦賀の砲台の弾の重さが200kをこえ、上に持ち上げ、砲に入れる。何人で運び装填するのだろうか。米俵は60kと言われるが普通の人でも2俵は運べたと思う。日本はコメという食料の国と思う。

 地域の郷土資料で気になるのが地名。文京区の郷土資料館の側に、真砂図書館がある。ここには大正5年の東京市の電話帳がある。叔父の親戚の電話を探したが、大正10年の電話帳に載っていた。下町の調査では地籍図よりの火災保険の算定のための地図を良く出される。
 地名のこだわりは地域の長老が商人系はこだわりが強い。農家も同様な気がする。真砂の地名の由来が図書館の側にある。有名な( 切れろ、別れろは芸者のときにいう言葉)というセリフが出てくる芝居を思い出す。 
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野菜の暴落で大恐慌の記憶

2023年11月17日 | 宅老のグチ
日本の白菜の異変でテレビで嘆いている農家を見ていて、同時に中国のネギ農家が価格の暴落を嘆いていた中国の報道を見ていた。日本ではあまり見かけないがネギの農産加工は中国であるのだろうか。
 日本の昭和の恐慌はアメリカの昭和4年10月に始まった世界恐慌が日本には昭和5年にやってきた。第一次大戦のバブルの処理が終わらない時に関東大震災が起きて、社会不安が継続されていた。深刻なデフレは都市に出稼ぎに行った人が都市に戻ることが出来ず、農業に専念した人もあった。ちょうど日本が恐慌状態に入った時、農業は天候に恵まれると収穫が増す。通常より多くの農業労働者があると生産が上がり、2年ほど過剰になったコメ価格が下落する。そこで都市周辺の自治体は農産物の消費地であるところに出荷を促進する政策を行う。そこに鉄道と自動車輸送というものが徐々に目立ち、大八車や船で生鮮食品を輸送している時代が変わった。いま高輪の物流博物館で開催されている汐留の歴史はその変遷を知る。鉄道輸送による生鮮食品の変遷も知る。地方の農家の状況を知っている役人は東京へ農産物の出荷を狙うが、距離というハンデがあって、漬物加工を揃って参入した。不正競争がおこり、中央卸売市場法に漬物が取り扱いの品となった。それは軍隊需要の要請でもあった。

 テレビ等のマスコミ報道は物価高をいつも非難するが、漬物世界にいた経験から農業はギャンブルに近い仕事と思う。つまり農家は自分では農産物の価格は決定できない。あくまでも予定価格であって、収穫して初めておおよその結果が解かる。そのためのシステムが出来ているがあくまでも予想なのだ。多くの資本家が農業に進出し、結果的に成功している会社の歴史を見ると堅実な営業をしつつ、放漫経営の会社を安価に買収し、競争を抑え、過剰になりそうなときは安売りせず、廃棄して農産物価値を維持することにたけていた。そして一品に投資を集中することなく、リスクヘッジと投資地域の拡散を行っていた。この辺りは世界の穀物企業の歴史を知るとすさまじい。
 中国のネギ農家の価格の暴落で嘆いている報道を見た。あの姿は日本の昭和恐慌を思い出す。中国は建設業の不況に入っている。政府は道路、鉄道の公共投資でGNPを増やしているが、不動産バブルと公共投資のいきわたりで、採算の合う投資先が少なくなっていて、工事を担う農民工と言われる出稼ぎ人が生活費の少ない地元に戻っている気がする。しかし戻っても仕事はないので農家をするしかない。すると農産物が生産過剰となって、価格が暴落する。
 昭和恐慌の日本に似てきた。その後の展開を知る身では結局日本は大陸進出し、戦時需要の拡大と、軍隊徴集により、過剰労働力が消えた。
 今のロシアは戦時需要の拡大で5.5%の高成長という。
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埼玉県は水害の多い県と実感する、関東のへそ地に立つ関宿城博物館

2023年11月16日 | 宅老のグチ
昔の葛飾郡と言われたところが水害の多い所だった。このことを知ったのが千葉県流山市の郷土資料館でもらった水害の冊子で知った。葛飾郡は東西南北の中で西葛飾郡の印象が薄い。南葛飾郡は今は東京都になる。京成四つ木駅でキャプテン翼のマンガの絵が多数あって、この地が作者の出身地から。来ている。南葛scで記憶に残り、区名で葛飾が残る。南と北の葛飾郡は昭和21年9月のカスリ-ン台風で利根川中流の栗橋付近で堤防が決壊した。一応は台風の大雨で決壊したということで知られているが、房総沖を通過した台風で雨台風だった。栗橋から旧南葛飾郡へ濁流が向かった。つまり水没地域は古地図の川の流れを示していた。今の千葉県になる東葛飾郡も水害があったのだが、東京都と埼玉県の被害報道が記憶に残る。
 昔と言っても10年ほど前に、利根川と江戸川の分岐点にある野田市関宿三軒家のス-パ-堤防の上に作られた関宿城博物館へ再度訪問した。この城は江戸時代にあった関宿城と位置は異なる。コンクリ-トの城の4階から四方を見渡すと関東の中心ということがわかる。関東の起伏の模型があって、春日部市の所が関東平野の中で比較的に低いことがわかる。関宿から江戸川を下ったところに、埼玉県春日部市庄和排水機場があって、そこに地下神殿と言われる首都圏外郭放水路が設置され、水害を減少させている。そこで知ったのだが栗橋から南葛飾の方へ水が流れるのだが江戸時代の利根川と江戸川の分離工事の無理が残っていて、小河川の方が大河川の利根川と江戸川の水位より低いことから氾濫すると、大河川の水が引くなるまで自然排水しか出来ず田畑が長期水没し収穫が消えることとなっていた。埼玉県の財政を水害復旧工事が圧迫していた。災害復旧工事のため教育予算が少ないと埼玉大学教育学部百年史に記述がある。
 関宿城博物館は利根川東遷の歴史を知る博物館でこれを知らないと関東の水害史と水運を知ることになる。水運を知ると産業と知識の移動も知る。
 洪水の対策とその工夫、河川改修と利根川の蛇行による沼地の干拓、利根川と江戸川を利用した水運。そこから生まれた産業。醤油、みりん、酒、たばこなどの様子も見える。
 地球のの温暖化によって、海水の蒸発が増え、雨の量も増える。天気予報の精度が上がり、水害の予防のために貯水池の事前放水もこれからあるだろう。
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