年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

年末の築地で3

2010年12月31日 | 築地市場にて
例年30日夕方から築地市場正門入り口でハッポースチロールのゴミを築地市場に持ち込む車の取締りをしている。正月のゴミ収集が減るため築地に持ち込む車を検査している。
 築地市場の何でも修理屋さんと年末の挨拶兼情報交換をする。暮れになって野菜が暴落し、みかんも予想外に売れなかったたようである。水産物は2年連続で不振だったようでイマイチ元気が無い。例年は食品物価が本格的に上昇するのに消費者が上がった価格についてゆくことが出来るのだろうか。
 年末のニュースで痛くない注射針の需要が増えている中国で糖尿病患者が増えているという。やはりという感じがした。肉体労働していた人が車に乗るようになり、フォークリフトのようなものが普及すると摂取カロリーは少なくてよいのだが、多くなった収入が食欲を刺激し、過剰カロリー摂取となる。昔といってもほんの十年ほど前よりかなり太目の人が増えたという。日本の終戦直後の相撲取りは写真で見る限り、太ってはいなかった。
 どうやら平成22年は無事に終わりそうである。23年は2月から激動が始まる。
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年末の築地で2

2010年12月30日 | 築地市場にて
年末の挨拶に色々な人がやってきて雑談することになる。築地市場内を営業している女性保険外交員・銀行員も伊藤ウロコ印?の長靴をはいて、挨拶に回るという。彼女らの情報からどうやら水産部仲卸の人達も一応仲間の建前上、口を開けば移転反対となっているが西東京市・茨城県議会・松戸市議会の民主党の惨敗ぶりから、解散を恐れて豊洲市場移転費用を計上している予算案を否決できないだろうと思い始めたようである。
 行く人、廃業する人、新たに入る人達の騒動がこれから始まるのだろうか。それともドンデン返しの事態が起こって、現市場再建案実施となるのだろうか。食品速報の記事からは水産荷受2社で仲卸300社という話を聞いたことがある。300なら今の築地で十分やってゆける気がする。魚の方も予期せぬ税務署からの指摘でコンプライアンスの問題が発生した。漁業資源維持という時代に金の力で割り当て以上の水産物獲得は非難される時代となった。
 築地市場移転問題で東京都の市場担当の職員の士気はかってなく上がっているように思える。昔なら何か不祥事を起こしても肩書や見出しが無くて済んだのが「築地市場」の従業員が覚せい剤使用とか見出しに「築地市場」が付くようになった。この様な結果から東京都の組織の中で永久に市場の部門は都行政の局の整理統合から除かれるだろう。役所の人達は自分の職場が減ることを一番懸念している。他の都市は市場を健康安全局とか経済観光局(横浜市)に統合を考えるようになっている。市というものがあって都市が成立した日本の歴史からまた市の賑わいをどの様に展開してゆくのだろうか。デジタルの時代に多様性とイカガワしさの混在している市を、安心安全性を保ちつつ、展開するには次代の人達の創意工夫の余地のある市にしなければ箱物の市場は都市のお荷物となる施設となるだろう。その様な事態を避けるには市場使用料の設定が安くならなければならない。
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年末の築地で

2010年12月29日 | 築地市場にて
置荷で駐車場が塞がれ、決まった駐車位置から離れ、配達すべき相手の車を捜索する時間がかかる。従って置荷のない新大橋通りに駐車するのが増えるのだが、のんびり歩く観光客が仕事の邪魔をするので危険となってしまった。
 先が見えるという事から年末商材のレンコンが大量入荷し、ようやく大根、キャベツ等の野菜が置荷となるくらい入荷し大幅に安くなっててきた。昔の品種の砲弾型の三浦大根が入り、角松が立って正月を迎える体制が整った。年末寒波も会津地方だけ混乱しているようだが若干の延着で正月用品の品ぞろえが終わりそうである.
 朝から築地場外市場が混雑していて、満員電車の中をすり抜けるように通過する。年に一から二回築地にやってきて安くて新鮮で良い物を得るには築地通と回るしかない。ここには昔の市場の風景が残っている最後の場所となるかもしれない。

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依田学海の覚書

2010年12月28日 | 福神漬
依田学海の覚書
福神漬の歴史を調べてゆくうちに気になった人が現れた。幕末千葉佐倉藩の江戸詰留守居役として、明治に入って森鴎外の漢文の先生だったり、歌舞伎改良の提案をしていたり幅広い行動をしていた人の日記を読むこととなった。
 学海日録 第三巻
明治4年3月4日(旧暦)大垣戸田藩主が渡米の表を見る。3月20日戸田研堂(欽堂?)と広尾で牡丹を見る。
明治6年11月5日高島嘉右門が会議所に来る。どうもガス事業のことらしい。三井の三野村とも面識があったようだ。
明治9月7日 たぶん日本橋の魚河岸だろうか魚市場が汚いので市場関係者に申し入れたところ、合議して返答するという。

依田は幕末に佐倉藩の情報収集役をしていて、福神漬の歴史には直接出てこないが根岸の人達との交遊や晩年の住まいであった地で榎本武揚とも交遊があった。非明治政府の心情をもっていたが明治の中頃からは時代についてゆけなかったように見えた。
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緑のイチョウ

2010年12月27日 | 築地市場にて
新橋の第1京浜通り沿いに発見!!「ロジスパック」という包装資材の店の前にあるイチョウは12月も末になっても1本だけまだ緑色している。例年2本だけが遅れて黄葉となるが今年は1本だけが今も緑色している。昨年の今頃はブタインフルエンザ騒動でマスク等が買い溜めで不足していたが今では社内不良在庫となっている。年々一年のスピードが速くなって昨年の騒動が遥か昔の話のように思える。
 正月読書用の図書として幕末の江戸町奉行関連の本を読むこととなる。原胤昭・筒井政憲等の南町奉行所関連の本と松林伯円の講談本となる。上野物という歌舞伎の用語があるが佐倉義民伝や『天衣紛上野初花』 河内山宗俊等は上野を舞台としている。福神漬の周囲には何重にも掛け言葉があって、単に正月の七福神めぐりとして命名されたとした方が説明が要らない。講談は演じる所が少なくなり寂しい限りである。

ロジスパックは昔は下島・シモジマという名前で浅草橋に本店がある包装資材専門店である。

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冷蔵庫屋さんが年末の挨拶に来て

2010年12月26日 | 築地市場にて
年末の挨拶に築地市場の冷蔵庫・ダンベなどを扱っている業者が来た・場内の人達の動向の情報交換をする。どうやら水産部の人達は石原知事の豊洲移転にはまるで関心が無いように思える。年末の仕事が忙しく評論などしている場合ではないようにおもえる。市場の外部はどんどん変化して浜離宮前の交差点が最大80センチ盛り上がるカサアゲ工事が半分ぐらいまで進行し、三井造船の新築工事も来年6月の完成を目指して着々進み、新大橋通りの築地市場付近にある歩道橋も年明けには撤去される。着々と地下では道路工事が進んでいる。不景気によって公共工事は国の予算で減らされているが東京都はここ何年増やしているという。東京都の来年の予算が11兆円という韓国国家予算より若干少ない予算をほんの20億円ほどの築地市場移転費用を否決できるのだろうか。都議会の解散をおそれて、承認せざるを得ないだろう。そうなれば加速度的に移転に向かい冷静に将来を考える余地がなくなり、三菱総研とかのコンサルタントの考える市場となりツマラナクなる気がする。創意工夫が人情という味付けで市場というものの潤滑剤多なっている気がする。
 26日朝日新聞の石原知事の記事は衣の下にヨロイがチラチラ見えていた。解散風を恐れている都議会民主党議員は予算案を付帯決議を付けて承認するだろう。この様な様子が見えれば豊洲関連株が2月頃から急上昇する。既に鹿島の株が上がった。関連工事を含むと2兆円という。不景気の中、国債を発行しないで出来る公共工事の誘惑に都議会民主党議員は豊洲移転を繰り延べる勇気があるのだろうか。
 この様な意味から都下で行われる市議会議員選挙の結果が注目される。
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言論の弾圧

2010年12月25日 | 福神漬
 為政者は政権維持のためと都合の悪い言論を様々な方法をとって弾圧する。

 明治14年の政変後、明治政府は憲法制定、国会開設に向かって、政府の意に沿わない活動を弾圧するようになって行きました。その中で明治10年に発刊された今風に言うと風刺漫画雑誌『團團珍聞』にも弾圧の手が伸びました。この團團珍聞は文久2年頃、横浜で発刊していた『ジャパン‐パンチ』という漫画風刺雑誌の影響を受けていて、編集者に『寄笑新聞』の橋爪錦造(梅亭金鴬・瓜生政和)を編集者に迎えていた。梅亭は政府の恣意的な弾圧を避けるため、驥尾団子(きびだんご)という姉妹誌を発行して、弾圧を避ける手段を取っていたが新聞条例の改正で新聞雑誌の発行禁止措置が多大な経費がかかるようになった。
 酒悦主人がこの様な時期に、醤油と砂糖で甘ショッパク味付けた漬物を缶詰入れた食品の命名を梅亭に依頼した。そしてその命名料は非常に安かったという。この当時は広告文を戯作者達が結構作成していたという。また鶯亭金升の証言によって、木版の引き札(広告文)の印刷も行っていたようである。
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被災地の気持ち

2010年12月24日 | 築地市場にて
12月始めの大雨で築地市場青果部が4時間近く停電だった。雨を排水するパイプの目詰まりもあって、あふれた雨水が配電盤に降りかかり停電となったらしい。
民間施設なら金の威力で直ぐ修理となるのだが、東京都の施設ので大規模な修理は原則的に入札となり時間がかかる。雨漏りの抜本的な修理はかなり難しく、細かい修理でなく雨が落ちているところに蓋をして防ぐしかない。今建設業者が不景気で仕事が無いため、築地市場内の小工事も小口に分散され発注されているようである。部外者の工事人と築地の実情を話すと納得される。豊洲の汚染の問題も食品の安全安心の問題ではなく、そこで一日8時間労働するする人達の労働安全の問題であるのに、食の汚染問題にすりかえられている。
 食品を扱うところでは大きな声を出して被害を訴えるとライバルに不衛生を指摘され出し抜かれる。築地の不振は今の素材の扱い状態が豊洲でも行われ、当然汚染されると思われているからである。食の衛生事故は店舗展開している企業にとって致命的となる。築地の常態を知っている人たちは声を上げなく、他のルートから仕入れている。一度築地で事故が起きれば『当社は築地から仕入れていません』と掲示が出る気がする。宮崎の口蹄疫の時にも、『宮崎産の肉は扱っていません』という掲示をしたスーパーがあった。
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明治人物逸話辞典 

2010年12月23日 | 福神漬
明治人物逸話辞典 上 著者森銑三編から
史料調査が停滞し、この本を借りる事となった。明治に活躍した人物の逸話を集めた本であまり知らない話が載っていた。その中で天田愚庵と明治25年頃から正岡子規の交友があって、子規の短歌に影響を与えたという。
 さて天田愚庵という人は今ではあまり知られていない人だが清水次郎長の話となるこの人が欠かせない。山岡鉄舟との交遊から清水次郎長に一時養子となり、明治16年頃からの自由民権運動弾圧の余波で博徒の取締が強化され、次郎長も囚われの身となった。この時天田が書きとめてあった次郎長の逸話が出版され、世間に知れ渡ることとなる。清水の次郎長と今のところ福神漬には直接の関係は見当たらない。しかし酒悦主人と山岡鉄舟との交友とか富士山麓の開拓地を次郎長死去後に高島嘉右衛門に売却している。
天田は子規とどこで出会ったのだろうか。
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築地では常識でも世間では知らないこと

2010年12月22日 | 築地市場にて
時たま、築地市場と関係ない飛び込みの営業がやって来る。世間の人達が築地の事をどの様に思っているか聞くとその差が面白い。

毎日安くて新鮮でおいしい食事をしている。

昔の話で朝日新聞が数寄屋橋から築地に引っ越すまでは良かったが/

ついでに肉の話となったので、生肉は東京都では生食用として販売して良いという肉はないという。つまり焼き肉店で生の状態で食べられるという肉は存在しない。

「生肉 生食用」で検索してみてください。

○食肉に付着している可能性がある主な食中毒菌と特徴
腸管出血性大腸菌O157 加熱不十分のハンバーグや生肉、生レバーなどが原因となる。
潜伏時間:3~8日
症状:腹痛、下痢(血便)、発熱、HUS(溶血性尿毒症症候群)
※腸の中で「ベロ毒素」という毒素を出す。
サルモネラ属菌 卵やその加工品、食肉などが原因になることが多い。
潜伏時間:6~72時間
症状:下痢・腹痛・高熱
※近年、卵によるサルモネラ・エンテリティディスによる食中毒が増加している。
カンピロバクター 鶏肉などの食肉、ペットから汚染された食品や水が原因となる。
潜伏時間:1~10日
症状:まず頭痛・発熱などのかぜ様症状、次に下痢・腹痛

日本で肉食文化の歴史がまだ短い。

日本では魚等の生食文化があるので解体処理して直ぐに食すれば問題ないと考えるが大腸菌は怖く、幼児には重大な後遺症が残るという。

また魚の文化でも生食流通が多いため、冷凍の魚処理の基準として世界標準となりつつあるEU基準というものがあるのだか日本国内の業者がEU基準の衛生状態を超えている業者は少ない。もっとも築地市場から海外の日本料理店等に提供しているのは生魚であるのでEU基準というものがあまり知られていない。だいたい日本以外で生魚を生で食する文化がなかったのである。
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場外市場は込んでいるだけで

2010年12月21日 | 築地市場にて
築地場外市場の人達から込み具合を聞く。人は多いのだが見るだけであるという。玉子焼きとすし屋のみ忙しい。観光地のレストランのように団体観光バスですし屋に入っていくので落ち着いて寿司を食べる雰囲気が消えた。築地場内の行列のできる寿司屋で食べている暇人が築地市場で働いている人の中にいるのだろうか。年末に警視庁機動隊が派遣されて交通整理に入るのだが事故が起きない方が不思議である。
昔日本各地にあった市場の風景が消えてしまって、今に残るのが築地だけとなってしまった気がする。市場の得意先である青果商・魚屋がどんどん消えて市場も仕分け場となってしまった。そこには食文化など入る余地より、コストカットの世界となる。
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マグロのセリ値

2010年12月20日 | 築地市場にて
そろそろ正月の勤務のローテーションの話となる。銀座等の正月でも営業しているところがあるので、築地の仲卸はそれぞれ三が日でも配達をしている。宅配便の人達も交替で休むので荷受の時間を打ち合わせしないと、無駄な再配送となる。正月3が日の食品の売り上げと人件費を考えたら、微々たるものだが出だしが悪いと一年がうまくいかない気がする。来年1月5日の初セリはテレビの取材があるのでマグロのセリ値が過去最高値2000万円を超して、香港に行ってしまうのだろうか?
 青果のテレビ取材は築地で行うようでどの様なコメントがあるか楽しみでもある。
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お宝売り

2010年12月19日 | 築地市場にて
昔といっても江戸時代の話であるが、暮れになると「お宝売り」というものがあった。縁起物の絵を描いてあって、枕の下に敷いておき、初夢を見る事を期待していた。宝船に乗った七福神の絵が描いてあることが多い。
 ところで今の時代に枕の下に置く、夢を見たい絵はあるのだろうか。空に上る凧の絵が一番ふさわしい気がする。デフレが終わってインフレ期待とは人の都合に合わせた夢なのだろうか。
 劇的に変化する時代は夢が直ぐに正夢となる。今築地の仲卸で忙しいところはレストラン等の業務用小分け作業をやっている所が忙しい。得意先においては必要量を新鮮で決まった時間に届けてくれる仲卸は忙しい。ゴミも出ず,余りも出ず便利である。夜間業務終了後FAXで発注しておけば、翌日指定の時間に必要なものが宅配便で届くサービスである。水産部にはまだ光は届かない。しばしば漏電で止まる電気はパソコンの一番苦手な所である。
 海幸橋の所で縁起物は販売される時期でもある。事故のない年末年始を祈ることにする。初夢は見ることが出来るのだろうか。
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伊藤ウロコで

2010年12月18日 | 築地市場にて
年末の掃除道具で水を使う仕事が残っていたので築地市場内で水産仲卸の人達が使っている前掛けを買うこととなった。店舗の場所とかお勧めの店を築地通の人に聞いたら、伊藤ウロコと言った。ゴム長は築地市場用に出来ているという。ウロコのマーク入りで電車の中で晴れでも長靴を履いているのを見た人もあるだろう。
 付属店舗の寿司大の斜め前に店舗がある。いつも行列で邪魔されていて不便だろうと思っていた。店舗に入ると三種類の色があるという。気にしてはいなかったが仲卸毎に前掛けの色は統一にしているのだろうか。代金1180円なり。ゴム長は9000近い値段だが魚の油で滑りやすいので必要なものかもしれない。あと10日で今年も終わる。
店舗内にはかなり観光客用グッズがある。寿司屋や魚屋の減少を補う工夫は何処でもやっているようである。
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旧時計台通り

2010年12月17日 | 築地市場にて
築地市場に昔時計台があったらしい。現物は見たことはないが写真にはある。しかし、見たこともない時計台が通路の名称として残っていて築地市場内で行く先不明の時かなり重宝して使っている。蓋かけ駐車場・合物門等はよく知られているが1000番通路を旧檜舞台通りということを知っている人は少ないと思える。さすがに水産部の立体駐車場が出来てから築地市場内の放送がされなくなったが昔はよく「経理学校跡」という地名が放送されていた。これは旧海軍経理学校の跡地ということで今は立体駐車場がたっている。引き込み線後とは昔国鉄の貨物線があった。
 年末の交通規制は12月20日から始まり1月5日で終わる。年末の挨拶も始まり、一応年の瀬らしくなった。年が明ければ三井造船の前にある歩道橋が消える。外では着々と工事が進んでいて、かえって場内が無風である。
 ここで1年が終わる。年々時間が経つのが早くなった気がする。年が明ければ2月は大変なことになる。デフレ化の中の海外特に中国からの輸入食材の値上げ交渉が始まる。
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