年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

年度末でも明日は来る

2023年03月31日 | 宅老のグチ
3月31日は日本の多くのことが区切りとなる。築地にいた時に思っていたのは区切りが多数あって、初めは正月、旧正月、年度末、旧盆は意識していた。そこに5月の連休が加わる。TVドラマが3か月毎に変わるが経費の掛かる時代劇が減り、刑事・医療ドラマばかりで変化はない。残るジャンルは介護系のドラマだが夜見るには暗すぎて話題にはなるが企業宣伝はよほどのことでは提案が通りそうにもない。
 WBCの大谷選手の決勝戦前の激に日本の報道はなぜ中国・韓国を口にしたかの分析が単純で、本当の大谷の言いたいことはアメリカでの東洋人差別を無意識に発言したとおもう。アイアンハ-トという本を読んでいて、アメリカ大学等の入試で東洋人がガリ勉すぎて、単なる成績順だとアメリカの人種構成と異なる学生集団となってしまうという。幸い大リーグで東洋人の占める割合が少ないので問題にはなっていないが、野球人気が衰え、東洋人の選手に占める割合が増えれば問題が出るとおもう。サッカ-でも外国人選手枠を設けているし、日本の相撲も外国人の制限をしている。
 お金と運動神経によって選手は動く。でもあの世にはお金は持ってゆけない。なぜか日本人の遺産は平均3000万円あるという。多くは不動産でこれでは相続税はかからないが物価高で少子であっても揉めるという。家が1件で売却しないと分けることができないがそこに介護で住んでいたら、退去しないと分けられない。そして介護人は住まいを失う。これでは二人以上は産めない。街散歩で寺院と墓地を見るといつまで維持できるのだろうかと思う。長生きで老後対応している宗教はキリスト系の介護施設しか見当たらない。特に新興宗教は死の恐怖を煽るが長寿の対応が出来ていないように見える。お布施を多く出しても寺院には老人の収容施設が少ないと感じる。あるのは末期がん患者の終末期患者施設しか記憶が無い。この辺は日本仏教でも終末期の病院もあるようだ。

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南茅場町の花香恭次郎と三菱との関係

2023年03月30日 | 宅老のグチ
江東区深川図書館が長い間改修で閉鎖されていて、やっと復旧したので、明治10年代の自由民権運動福島事件の東京士族で唯一の被告人花香恭次郎の判決書類の確認を深川図書館郷土資料室で行った。深川図書館は清澄庭園に隣接している。大江戸線清澄白河駅で降り、地上に出ると公園の隣ということがすぐに解かる。もう3度目の訪問なので郷土資料室のカギを開けてもらい、ロッカ-に荷物を入れ、中の資料を出してもらう。
国会図書館・憲政資料室・河野広中文書 『福島事件関係者履歴書』
この資料から花香恭次郎の東京府深川区深川伊勢佐木町32番地と住所がなっている。
 出典 干潟町史 (今は千葉県旭市に統合)
 この深川伊勢佐木町が墨田区の図書館で調べると、清澄白河駅の小名木川添いと前は思っていた。明治の終わりの地籍台帳では深川伊勢佐木町32は岩崎久彌の名義となっている。
 花香恭次郎は明治10年の西南戦争の時、今の銀座8丁目の公益問答新聞の記者として働いていたが社主の服部撫松(誠一郎)と編集で対立し、退社した。その後宮城出身の佐藤清と東北に向かい、福島自由民権運動の政策立案者として活躍した。福島事件の東京での裁判で弁舌が爽やかで当時の公判で傍聴人が殺到したという。丁度明治の維新の岩倉具視が死去したころに高等法院で裁判が始まり、連日のように公判記録が記事となって出ていた。

 深川図書館の人と深川伊勢佐木町32の地図でほぼ該当地域は確定できたが、その地図にはまだ清澄庭園がなく、伝説となっている紀伊国屋文左衛門の邸宅跡地という様子は地図上では見えなかった。東京都の公園の歴史本で清澄庭園の成立は岩崎弥太郎の当該地域の購入から始まったようだ。同じ深川伊勢佐木町に三井の明治維新後の大番頭となった三野村利左エ門の子孫の所有の土地も目立つ。この三野村の会社は今でも清洲橋通りに存在している。どのような変遷を辿ったのだろうか。
 地籍台帳によって、岩崎弥太郎の長男久彌の所有となった花香の住所はどうなったのだろうか。出された地図は明治30年代で清澄庭園のあたりの道路が不自然にへの字型に曲がっている。この曲がり切ったところが32番地と図書館の司書が指摘した。当時の道路は今より狭く岩崎久彌が三菱の従業員のための保養所の整備をしたときは今の清澄庭園の敷地より広かったと思われる。清澄庭園の面積は約3.7万平米ですが、購入当時は約10万平米(3万坪)の広 さという。関東大震災・東京大空襲と大きな火災が当地を襲った。清澄庭園の隣に中村学園という女子教育の学校があって、その沿革史でも火災のことが書かれている。特に震災時は近隣の住民の避難所となり、多くの命を救ったという。 今の大江戸線清澄白河駅のA3出口の所が花香の住所だろう。

 花香は明治の初めに南茅場町に住んでいた記録があって、ほぼ同時期に三菱の東京の出発地である南茅場町と重なる。三菱地所の歴史もこの時期を福神漬の考察から疑問に残る。日本郵船の歴史博物館で東京都中央区中央図書館郷土資料室に南茅場町の沽券台帳があって、三菱の社史の時期でも名義は異なっていた。税金は誰の名義で支払っていたのだろうか。この辺りは今でも存在する清酒白雪の社史から辿れるかもしれない。
 南茅場町付近は江戸時代は下り清酒の到着地だった。維新後に酒税の増税のため多くの酒問屋が衰退した。今でも酒税は国税の中でも一定の地位を占めていて、酒の技術革新があったのは腐敗して酢にならないためと思われる。
花香家の家業は酒と醤油だった。後は銚子の金融業でもあった。明治12年設立国立第142銀行、所在地銚子、明治14年吸収統合される。(千葉銀行史より)
 明治の時代は記録が偏っていて、今後の時代劇の作家の活躍の場になると思われる。福神漬から歴史を辿ると今の大手企業の社史もおかしく見える。岩崎弥太郎がいつ深川伊勢佐木町32の土地を花香家からいつ購入したのだろうか。
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コインランドリ-の出来上がりまで読んでいた本

2023年03月29日 | 宅老のグチ
 連日の雨と日程から洗濯物をコインランドリ-で乾かすことにした。待ち時間で居眠りしない本と選択したのが (血塗られた慈悲、笞打つ帝国。−江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変え)この本は一昨年大学病院に入院中に読んでいて、看護婦にホラ-本とみられた。
 明治の初めに日本の牢獄の改革をした人。小原重哉のことを詳しく書いた本。
明治政府の不平等条約改正を目的とした体制が徐々に進展するに従い、江戸時代の刑罰制度と欧米の制度の食い違いが目立ってきて、刑罰の仕組みを変えないと条約改正にはならないことを指摘され日本の刑罰制度を変えた小原重哉の評伝本になっている。
 条約改正には仇討とか切腹、むち打ち刑などの法制度の整備が必要だった。さらに斬首は残酷な死刑で絞首刑になったという。
 なぜこの本が気になるというのは明治3年10月河鍋暁斎が上野の不心池の畔の料亭で書画会中(客がいる前で即席の芸術を披露する)に政府批判ともいえる絵画と為政者批判の言動をしたとしてとして投獄された。そして大番屋というまだ江戸時代からの取り調べ番屋に収容され、不衛生のため間も無く病気となってしまった。
瓜生政和(梅亭金駕)と河鍋暁斎が暁斎画談という自伝本を出版し、当時の大番屋の様子が風刺画となっている。
この大番屋の風刺画と書画会(客がいる前で芸術を即席に披露する)での暁斎の言動が暁斎の研究者たちの統一した見解はまだない。蕨市図書館で研究誌暁斎では度々論及しているが決まっていない。暁斎はむち打ち刑だったので江戸時代の刑罰が継続されていた時期でもあった。西洋の監獄をまねした木造2階建ての獄舎が出来たのが明治七年(1974年)鍛冶橋に監獄署が設けられ,衛生面が改善され、獄内で病死する人が激減しました。 

 二日の雨で桜見物日程が混むし、4月に入れば浅草三昧になりそうだ。その中で浦和と蕨行きが混ざる。そして海が荒れない時期に新島に行きたい。色々調べごとがあるし、春日部市の観光施設でもらったパンフレットから地下神殿見学もしたい。これは100Mの高さの階段があるので年寄りにはきついので遅らすことは出来ない。

 コロナで人生の3年を浪費し、さらにこの期間に親族を二人亡くした。先は意外と短い。タレントのだれかが不要不急の芸能記者が突然の訪問行動で慌てた老女が骨折し、フレイルとなり間も無く死去したと憤っていた。大腿骨骨折は高齢者は死を呼び寄せることになる。健康であればあるほど入院経験が少なく骨折は長期入院となる。入院が長引くほど世間の付き合いが断絶する。ましてコロナ期間中は入院患者の面会謝絶で気分は晴れない。特養で101歳で死去した母もリモ-ト面会は出来ず、コロナの感染が弱まった時、一度15分だけあった。これが今は救いとなっている。面会しても何もできないとわかっていても。
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皇居 乾通りの桜見物 このはなさくや姫の意味を知る

2023年03月28日 | 宅老のグチ
雨の日曜日を回避して、27日遅れた皇居乾通りの桜見物を決行。都営三田線日比谷駅で降りて、桜田門から向かったのだが、桜田門の警備の人にここからは乾門通り抜けに行けないと言っていたが信号待ちで人の流れを見ていると、どうも警察官の誘導に疑念があって、桜田門から皇居二重橋コ-スを選択する。桜田門の所に外国人と自分だけの桜見物。出て二重橋の観光客を見ていると、区分されていてどうやら東京駅方向から行くと通り抜け見物コ-スの様だ。最初に体温チェック、荷物検査、金属探知検査。なぜか観光客にマスク着用のお願い。
 乾門の通り抜けの桜は少ないし、大きくはない。やはりお上りさん用の桜と見た。乾門を出て国立近代美術館へ行く。通常は月曜日が休みだがこの時期は学校が休みで明いていた。重要文化財の秘密というテーマの記念展で日本近代美術の学者たちの評価の見方が理解できた。要は専門家と素人と学校との美術の評価は揺れる。重要文化財となっても、評価の基準が揺れている。
 学校の美術の教科書作品の実物が見れる。大きさを感じる。これでは東京へ一極集中は止まらない。
 作品群の中の説明で日本画だったと思うが、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)は、日本神話に登場する女神 で桜を意味しているという。桜見物に来ていたので気になり、家に帰って調べると、日本神話の矛盾、天皇が神の子なのに死ぬことを木花之佐久夜毘売のことで死はありうるとなったという。従って桜は死が止む得ないと日本人の心に入っている様だ。
 近代美術館を出た後、千鳥ヶ淵の桜見物人の人出を眺め、靖国神社の標本木を見る。幕末の江戸における3大剣道館の練兵館が靖国神社内にあったことを知る。帰路は都営新宿線九段下から帰る。やはり異国の言葉が観光客の中から聞こえる。
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50年程前千代田区三番町にあった科捜研には女性はいなかった(事務系を除く)記憶

2023年03月27日 | 宅老のグチ
大学での実習で千代田区三番町にあった警視庁の科学捜査研究所に見学に行ったことがある。どのような経路を辿っていったのは忘れたがイギリス大使館から靖国神社へ向かう道の左側にあった記憶がある。化学の実験室という印象があった。TVドラマで警察捜査物は根強い人気がある。

 べったら市の文献を探す作業を横浜開国資料館地下図書室で探していた時、べったら市の開催記事を探すと、ついでに市井の雑多な記事も読むことになる。そしてその当時は三面記事と言って、犯罪の記事が多かった。被害者が女性の時は多くの記事は美女だった。孝女も多かった。読者層に興味を示す記事で購読者を増やしていったようだ。紙面の広さか判らないが一回で事件の内容を書くのではなく続きはまた後日と言って新聞購読を継続させようとしていた。結果として新聞の購読者拡張には事件と戦争が必要だった。多分ロシアの人はウクライナ戦争は負けてはいけない戦争と思っていて、自分に徴兵が来ないことだけを願っていると思う。
 昔は読売新聞が巨人軍のチケットで新聞購読者を増やしていた時もあった。明治の20年代に発行された都新聞(今の東京新聞)は初期の購読者獲得で歌舞伎の観覧チケットを出していた様だ。今と違って芝居の観覧は芝居茶屋を通じて観るので様子は異なる。今のようなチケットの制度は新劇の始まりに繋がり、自由劇場(じゆうげきじょう)は、作家・小山内薫と歌舞伎俳優・二代目市川左團次が始めた新劇運動である。二人が知り合ったのは 鶯亭金升の雑俳の席だったという。同様に大逆事件の被告人も雑俳仲間が含まれている。(幸徳秋水・大石誠之助)
 福神漬の時代背景を探ると近代日本史の知識が必要となることに気が付く。

 視聴率は採れないと思うが今後のTVドラマで高齢者の介護物がある気がする。悲しいけれど介護の現実は日々変わる。そして介護の心配の種が消えるとすぐ忘れる。人生のハッピ-エンドは結婚ではないことを知っている。苦行の始まりで、この苦行(煩悩)が無いと人生はつまらない。
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夏日から寒い一日

2023年03月26日 | 宅老のグチ
あさ老芝犬が起きて、トイレとなっている道路の側溝に向かったのだが天気予報の通りに寒い雨が降っていた。土曜の朝の通勤時間でも人は少なかった。そのままトイレを済まし、家に戻って軽い朝ごはん。新聞を取って、ネットで天気確認だが変更はない。今日も明日も雨。家人の高熱もほぼ原因がわかり、新規に服用した薬の副反応ということで落ち着いている。
 そこで外出しようとしたが外の様子を確認すると雨が酷い。これなら桜は見納めに近いだろう。昨日に九段下の桜を見ていて正解だった。

 近所のミニス-パ-で暇つぶしの食料の購入に向かった時、神社の桜が満開で雨に打たれ落ちた花びらが歩道に張り付いていた。このまま雨が続き桜が散ると歩道は花絨毯となるのでは思いたい。今年の花見は雨で期待外れ。
 街散歩でも思いがけない所でサクラに出会う。

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桜もうで

2023年03月24日 | 宅老のグチ
都営三田線神保町駅で降り、千代田区立千代田図書館で河鍋暁斎の評伝3冊を読む。一人は福神漬命名者瓜生政和(梅亭金駕)、次は飯島虚心(飯島半十郎)、そして建築家ジョサイアコンドル。
 明治3年10月の上野不忍池の料亭での事件の記述の差を確認。図書館を出て東日本大震災で講堂の天井が落下し死傷者が出た九段会館が最近に再建され、お堀の桜が別角度で見ることが出来るようになった。どうやら一方通行逆行となってしまったがあまり知られていないのでぶつかることはなかった。九段下から武道館へ行く途中で桜が満開で歩道が大混雑。ちょうど武道館では法政大学が卒業式だった。はかま姿の女子学生が親と共に桜と共に記念撮影していた。
 その直後にあまりの混雑で靖国神社の桜の開花標本木の訪問をあきらめ、千鳥ヶ淵の戦没者祈念施設に向かう。桜の雑踏に比べ人は少ない。そこから番町の日テレに向かう道すが昔ここにあった警視庁の科学捜査研究所を訪問した記憶がよみがえった(東京都千代田区三番町六番地・今は柏の方に移転) 。今は裁判員裁判で素人が流血した遺体写真を見ているようだが、研究所の所員の説明で初めて見た時は、肉類とかイチゴジャムは思い出して食べることが出来なかったという。ここにあった遺体写真は経年劣化しないカラ-写真で生々しかった。つまり科捜研の中に入ったことがあった。印象としてのこっているのが実験室。
 大妻女子大、家政大学とか女子教育のメッカともいえる地域を地下鉄番町駅に向かう。東郷公園が整備中で、隣接する千代田区立九段中学が卒業式のようだった。そこで安政3年の番町の古地図を写真にとる。千代田区が歩道に設置した地図で今と江戸時代の比較地図だった。一番町プラザという千代田区の高齢者施設は江戸時代は旗本長井五右衛門昌純の家で子孫が長井総太郎(金升・鶯亭金升)で金升の明治の面影はここの話となる。
 地図のあるところは久世三四郎の家でここで後の講談師松林伯円が育った。今の日テレ番町スタジオは江戸時代南町奉行だった筒井政憲の家であった。(出典・明治文芸と薔薇 : 話芸への通路 中込重明)
 どろぼう伯円は筒井に南町奉行時代の話を講談にしたという。

 夏日となって汗をかきすぎ、都営新宿線市ヶ谷駅で帰途につく。

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コロナ明けなのに家人が高熱

2023年03月24日 | 宅老のグチ
雨模様で外出をためらっていた時、家人が昨日から38度超えの熱。いつもの町医者が水曜休みでアイスノンで冷やし様子を見る。確かに熱があるのだがコロナの症状が無く、一日様子見となった。朝になると39度もあるということで、桜を見ることを止め、医者行きを決断する。9時過ぎて電話した所、12時過ぎまで待機となり、予約時間に行って検査したがコロナとインフルエンザの結果は感染していない。落ち着いたら37度まで下がり、入院ということは無くなった。
発熱の原因はまだ不明。

 仕事を止めたらやりたいことがあると思っていて、その中で基本は金銭支出が出ない行動を優先する。季節によって変わるが神社仏閣のお祭りは今は土日に集約されているがやはり期日指定の方が変化がある。むかし関西にいた時7月15日の祇園祭の前に京都市中を徘徊し、鉾立中の様子を眺めていた。完成した所では一般人がテストで山車を引っ張っていた処もあった。まだお囃子の調子があっていないところもあって、一年のブランクを修正していると思った。
 もう東京の桜開花の標本木の靖国神社が満開の様だ。散り桜が同期の桜の歌詞にある。散ってしまった桜が千鳥ヶ淵の花筏になるのも間も無くと思う。築地市場が移転する前に、花散らしの雨で浜離宮の桜はが市場の通路を彩った風景が記憶にある。浜離宮と築地市場との間の築地川の仮設通路はいずれ撤去されると思うがそこに花筏が現れるのはいつのことだろう。イカダの下から魚が頭を出して呼吸する姿を思い出す。
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今週は桜の散歩

2023年03月23日 | 宅老のグチ
やっとマスクなしでも散歩が出来るがやはり携帯。手慣らしで東京では気分的には一番長い桜道。多摩川土手道。途切れ途切れだが多摩川両岸は合わせて100KMはある。ある人のコロナで羽田空港ホテル監禁で人と会わない外出として多摩川土手道を二子玉川往復をしたそうだ。43KMあって、これではマラソンコ-スより少し長い。川崎よりの六郷橋から空港の新しい橋までは桜並木。東京寄りのガス橋から二子玉川までの長い桜みち。途中の東急多摩川線の沼部駅から福山雅治の桜坂。田園調布住宅地の桜。特にガス橋付近の桜は他の桜と違って土手下の木を目線の高さでサクラを眺める。所によって見下す。

 今年の花見は天気が悪そう。写真は田園調布の桜坂。見下し桜。

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祭日の勝利 日の丸は

2023年03月22日 | 宅老のグチ
アメリカに旅行に行ったとき、多くの場所に祝日でもないのに国旗が掲揚されていた。移民の国で国旗の下に集まらないと治安が保てないと思った。日本は暗黙の国であって,天災等の予期せぬ事件があっても他国から比べると混乱は少ない。今日は桜の下で花見をする人も多いと思うが2分から3分咲きで今週末が満開だろう。週間天気予報が良くなく、入学式の桜は散ってしまっているのだろうか。
 多くの地方議会の定例会が終わり、選挙の4月となる。築地の移転問題の時は都議会選挙を気にしていたが、今はあれは何だったのかと思うこともある。あの虚しさは時間のロスでバラマキだった。次の食の問題に良い前例となったとは思えない。かえって後世の日本の食の歴史本では日本水産業界の凋落の始まり、または端緒と書かれそう。サンマの漁獲割り当ての交渉で実際の漁獲量より多い割り当ててで資源保護になっていない。こうなると2から3年休漁しないといけないがそこまで国際交渉が出来るまとめ役が不在と思える。
 今日のネットニュ-スで築地場外市場が豊洲移転前より混んでいるという。良く3年間を耐えたと思う。多分というか今後も豊洲市場が築地に戻ることができないと断言できる。もう水産仲卸の引っ越しの金銭体力が無いし、今の物流状況化では休日のある市場制度の制約のあるところは魅力が無い。あるのは豊洲直送と言って場外で荷捌きする形しか見えない。豊洲の一般人には魅力が欠けるのは行政の衛生意識が過剰で築地の時は衛生に無関心とは言えないが仕方がないと思っていた気がする。設備が古すぎて小手先の修繕ではどうにもならないと思っていた。今は先進国の基準に近くなったと思う。
 場外市場は祭日でも国旗は無かった気がする。ネット報道によると豊洲が水曜日に休んでいても築地場外は開いているし、営業時間も遅くなったようだ。でも働きすぎに注意しないといけない。
 もう少し豊洲が閑散となって、各入場門の警備が緩やかになって素人が入れるようになったら別の展開があるかもしれない。昔の築地のようにゆるゆるにはならないだろう。
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介護のお客様は誰のことか

2023年03月21日 | 宅老のグチ
高齢者なので話しの途中で介護関連の話題となる。そこで最近相手に次のようなことを聞くことにしている。

 介護でお客様は誰と思うか?

色々なサ-ビス産業のお客様満足度の広告がある。たいてい一位で二位の広告は皆無と言ってよい。その広告を良く検証すると楽天で一位。そこにもxx部門とある。これではミスコンテストでワ-ルドと付いているミスコンのように乱立気味である。そのうちxxミスワ―ルド、zz県YY市代表とかもあると思う。美人のと言われるのも時代によって好みが違っていて、今の美人は時代によっては選考対象外だろう。ミスコンの日本の始まりは浅草の凌雲閣十二階 という高層建物の壁に美人の写真を掲示したことから今日の美人が始まる。写真を見ると今の時代と感覚が異なることを知る。
 さて介護のお客様と問うと大方は介護を依頼する人と答える人が多いと感じる。これも要介護3になると特に認知症になった人の介護のお客様は見解が分かれそうと感じる。家庭で介護される人は普通は地域包括センタ-に依頼する。そこから介護認定に向かう。従って見た目では介護保険を申請する人がお客様と思う。
 さらに介護の状況が酷くなると認定の度数が上がる。要介護3を超すと法的な問題が生じ、後見人の問題が生じる。今の後見人制度は発展途上で問題が多いと感じる。そこの一番の問題はお客様は誰なのかに尽きる。この認識問題が後見人制度の発展を妨げている。良い介護をすれば長生きする。しかし長生きすると後見人の管理費用の多大となる。すると非介護者が死去した時、優良・高額な介護費用のため財産(遺産)が残らないこともありうる。この状況を遺産相続者が後見人を裁判に訴えても勝つことは難しい。なぜならお客様は貢献人にとっては死去した人でお客様に満足させた介護を選択したと言われておしまいのような気がする。
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高校生部活の古書が届く 国会図書館と埼玉県立図書館に蔵書があって、地元の図書館に無い 

2023年03月20日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
春日部市庄和町にある埼玉県立庄和高校の地暦部が平成元年に出版した古書が届いた。この本は庄和高等学校の隣接地にある春日部市立庄和図書館や他の春日部市の図書館には蔵書が無い。そこで先日春日部市歴史資料館を訪問した所蔵書としてあって、少し読ませてもらった。事前にネット検索で古書店には在庫があるのでコピ-する必要はなく、古書店から購入決断した。図書館の横断検索すると埼玉県では県立図書館のほか何か所の図書館で蔵書している。(県立熊谷図書館3冊、越谷市・杉戸市・川越市)そして驚くことに国会図書館にも蔵書がある。そんな本が春日部市の地元というところ図書館に無いということが普通なら不思議と思うがなぜか蔵書したくなかった事情があったと思われる。
 このあたりのことは特攻で亡くなった叔父の遺書等の処分に関係があると思うようになってきた。
 鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館の遺品館には特攻で亡くなった兵士の遺品があるところに叔父の遺品は何もない。どうやら同期の人のは殆どあるようでなぜ叔父だけが何もないのが長い間不思議だった。この件の解明が徐々に進んで、戦後の特攻に関する考えだ英霊扱いから無駄死に犬死にと変化してとても耐えられないから処分したと思っていたが庄和高等学校地暦部の部活で聞き取り調査した本を読むととんでもない地域独自の事実が分かり、これでは遺族が地域の仲間のために処分した可能性も見えてきた。それは地域全体で戦中と戦後の混乱期の様子が記憶喪失となっている。いずれきむらけんさんの本が出回れば川辺小学校の学童疎開の人たちから気兼ねの無い情報提供があるかもしれない。
 高校生の部活の聞き取り調査の本が春日部市史の文献となっていて、このような事例が他の市町村の戦後史本にあるのだろうか。
 この部活の本と春日部市の正史という本と見比べてみたい。どこが部活の本から除かれたのだろうか。叔父の経歴調査で不都合なことが隠してあってもどこかで記録と記憶が残っていて徐々に解明しつつある。

 まだ確定していないが叔父は陸軍特別操縦1期生の受験を埼玉師範学校の軍事教官に受験を強要されたと思う。従って合格する意思がないので家族には受験することを伝えなかったと思われる。しかし昭和18年9月に合格発表があって、毎日新聞埼玉版には埼玉師範学校から陸軍10名海軍22名が合格している。しかし予定通り叔父の名前は新聞の所には無かった。だが陸軍と海軍に両方合格した人が1名いて、当時の人気から多分海軍航空隊に行ったと思われる。すると陸軍の方が1名欠員が出るので師範学校の軍事教官が画策し、叔父を繰り上げ合格させたと思われる。その理由は現在でも埼玉大学教育学部に保管されていた叔父の成績表を見せてもらった時すぐに解かった。
 視力が1.5もあった。当時の朝日新聞の飛行士官の不合格となるのが視力であった。埼玉県文書館に昭和25年の埼玉師範学校の同窓会名簿で陸軍航空士官に合格した10名の内、海軍へ1名、一名死去理由不明だった。全体として昭和18年9月の繰り上げ卒業者140名の内2割程度が昭和25年にまで生死不明だった。今の生命表からだとほとんどこの年代は生きている。

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コロナ明けで連日の外出・足を痛め安静中

2023年03月19日 | 宅老のグチ
コロナマスク明けの直前から外出を増やした結果、靴が合わないのか急に痛み出し、昨日は雨ということで安静で過ごす。今日の様子でもまだ足に痛みが残っていてもう少し安静かな。ネットの広告で厚底靴が高齢者の歩行には良さそうに見える。しかしこれは宣伝。疑いの目で見て対処をしないといけないと感じる。電車内の厚底靴を履いている人は殆ど若い女性でさらに背が低い。
 歩数データから今平均8000歩歩いているが高齢者はこれ以上歩行すると障害を招くという。さらに10000歩では効果が歩数の伸びほど無いし、害もあるという。
多くの厚底靴は女性用が多く・25.5CM位まで、男性用もあるが少ないと感じる。どちらかというと男性用で多いのはランニングシュ―ズ系と思う。もう膝軟骨の老化で無理は出来ないし、走る気がしない。土手道散歩で抜かれれても、走りに転向する気もない。無理してあの世に急いでゆく必要もない。車の運転でも急いでゆくより早く出発し、渋滞するところを過ぎてから休む。走る時間は同じで結果も同じ。ただ危険は少ない。
 電車の乘る時間も通勤時は外すので、乗車駅では満員であっても途中から座れる。年度の替わりで引っ越しのトラックの姿が目立つ。建物の竣工を急いでいる所が遅くまで工事している。不景気とはとても思えない。インフレは利益の出ていない企業を淘汰する。今年もインフレが続くと対処できない人が消えるしかない。しかし歴史は新しい産業が生まれる時でもある。そこに戦争の誘惑が生じる。行政の所に遺骨が集まっているという。少子の結果だろう。将来は誰も存在が消える。谷中の墓地で関藤藤陰の墓が合祀されていた。墓碑を書いた人は子孫があるためまだ谷中に残っている。150年でこうなるのだ。これからは加速して消える。
 5月3日の鹿児島県の知覧での特攻慰霊祭には欠席となった。とても連休の飛行機賃が高く、日にちを十日ほどずらせば激安となる。沖縄・台湾にも行きたい。来年は知覧での慰霊祭70周年となる。そこには参加して終わりにしたい。
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古書を一冊購入 なんと高校生の部活で出版した本(平成元年)

2023年03月18日 | 宅老のグチ
埼玉県春日部市の郷土資料館へ再び訪問した。用件はコロナ明けの都立中央図書館で春日部市の庄和地区の戦後史を読んでいて、埼玉県の編纂の書籍と見比べつつ読んでいたが文献の中で出て来る埼玉県立庄和高校の地暦部の書籍の引用が目立ち、春日部市の編纂部分で一部の利用にと留まっていた。家に帰って春日部市の図書館検索をかけると、蔵書はしていないようで。念のためググ-ルで検索するとヒットし、古書店にあるようだ。この本の内容が判らず、都営浅草線押上駅で東武スカイツリーラインという名の電車で春日部駅に行った。
 前回対応してくれた人が外出中で念のため探していた地暦部の本を所蔵している尋ねるとあるという。そのため広い場所で半分強を読んでしまった。

春日部市の編纂分の所で昭和23年2月18日に埼玉軍政部から米軍司令官ライアン中佐が南桜井小学校に南桜井村の男子が各戸一名ずつ出席させ、演説した。
その内容はカスリ-ン台風の被害を理由として農産物の供出割り当て分の未達成に対して、米国の余剰食糧があると言って供出できない理由はない。他の埼玉県の村は達成率が高い。場合によっては隠匿食料の家探しをすると言っていた。
 叔父の川辺村中野村の農産物供出の達成率は南桜井村より極端に低く、何故か南桜井村で演説したか謎だった。
 春日部郷土資料館で庄和高校の地暦部の本で理由が分かった。18日より東武線が値上がりする。押上と春日部駅との運賃が17日までは片道471円(IC)が18日から481円となる。古書店で地暦部の本を購入。片道電車賃の3倍の価格だったが何度も春日部市に通う必要性が消えた。
 単なる日本の埼玉の一農村が世界情勢に巻き込まれていたことを地暦部の本で知った。
 この件を前回対応していた人に聞くと、庄和図書館に無いんですかと驚かれた。賀川豊彦、三木清等の著名人がこの村に戦中戦後に関係していたことを知る。
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元麻布の厳重警備・しかし警察官の姿はのんびりと見える

2023年03月17日 | 宅老のグチ
3月16日 コロナ明けの港区有栖川公園内の都立中央図書館で春日部市庄和地区編をを読む。大江戸線麻布十番駅から歩いてゆく。いつも途中で何らかの建設工事があって、今はアルゼンチン大使館前から韓国大使館にかけて大規模再開発工事の準備が始まっていた。
 10時40分に図書館の3階に着いたが先着者は1名。コロナ期間で訪問した時は予約制なのにもっと人は多かった。
 春日部市史の本と埼玉県史と交互にみる。編纂の新しいものは紙が白い。今の市町村で編纂事業は最近の分は少ないと感じる。地方の財政が厳しいと感じるのは東京の区の図書館が奇麗すぎるのか地方が人口が減って教育に金銭をかける意欲が消えたのだろうか。埼玉県中央図書館というべき熊谷図書館はどこかの高等学校の廃校転用に見えるし、千葉県中央図書館は千葉城の公園内にあって、確か記憶では震災で建物の落下の恐れか一部の使用制限があった記憶がある。この二県は財政が厳しいのだろうか。
 予定通り春日部市の本の確認ができ、2時間で図書館を出て、12時56分バスに合わせて図書館を出たが30分以上余って、公園内をうろつき、年寄がたむろしている所を眺めると喫煙所だった。その先に出口があって、急に開けていて、公園の外周の所にあった木が伐採されていた。切り株から直径1Mはあったので大きな木だっただろう。この付近は大使館が多く、神宮外苑のように文句を言う人がいない。伐採理由は道路拡張でこの部分の歩道が狭い。地図を見ていて(ありすのもりxxx)という高齢者の施設があった。どこか高級ホテルと感じた。港区は財政が豊かと実感する。でも特養は要介護3以上でないと入れないので公園は一人で散歩も出来ない。公園内は外国人の男性が保育園の子供を連れて散歩していた。カッコイイ。
 バスにはまだ早かったので仙台坂通りを下ってゆく。韓国大使館前には警察官が普段の倍ほどいて整列しているような警備。さらに服装も写真い撮られて良い奇麗な服装。何かなと思いながら時計を見ると12時55分。仙台坂のバス停時刻表では13時に着く予定。そのためバス待ちのようにして韓国大使館の様子を見ていた。バスが来て坂を下り出た信号の所で、今日は特別な日であることを知った。右翼の街頭宣伝車が麻布十番の道路でわめいていた。それでも警察官と街宣車との緊張感が無い。家に帰って韓国大統領が日本に13時頃来たことを知った。北朝鮮は例によってロケットを発射した。
 暖かい日で20度を超えている。明日の天気は雨模様という。もうじき都内の桜は咲く。
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