2024年2月27日日経新聞の1面コラム・春秋で時代のイメ―ジという東証株価最高値更新の記憶について書いてある。34年前のバブル期の様子の記憶である。自分自身も図書館で平成元年12月と翌年1月の記事を読んでいた。何か違和感があって平成2年の昭和天皇の1周忌の後、株価が出尽くし感があってダラダラと下がっている。ところが土地に関してはまだ株ほど下がらないでいた。今から思うと株を売って(割高観)土地へシフトし、銀行も土地担保で稟議が通りやすかったと思われる。
日経新聞のコラムで書いてあるように、バブルの象徴であるジュリアナ東京は平成3年5月開業でこのアイデアを出した折口 雅博氏は、ジュリアナの成功後間も無く消える。転身した人材派遣業(介護系・コムスン)も些細なミスで失脚した。彼は今アメリカで起業家として活躍している。この人の著者アイアン・ハ-トを借りて読んだが、出自の問題で味方が少ないと感じる。彼のアイデアを盗み、成功した時に実を奪う。でも彼は慣れているようだ。コムスンの失脚時にどこかの情報で戦後にサッカリンを商っていたという情報が頭に残っていた。日本でも稀な起業家と言える。
このサッカリンは日本橋の日清戦争後のべったら市が盛業になる隠し人工甘味料だった。
今の株価をまたバブルという人がいるがまだバブルには程遠い。その理由は高齢者が多すぎて、物価が上がっても工夫して生きている。時間があるので半額までなるのを待って購入する。20%30%ではお得感が無いようだ。オ-ケ-ストアやロピアのような特売が少ない、現金優先の店は高齢者で午前中が賑わう。まだ厳しい低所得労働者は銀座にもいて、警備、掃除等の仕事をしていて、ダイソ―・オ-ケ-ストア・ユニクロで生き残っている。人が住んでいない銀座は最低時給が1500円を超すし、それ以下では面接にも来ない。ドン・キホーテ銀座も銀座の外れで、圧倒的な陳列ではない。
株の上昇のグラフとマンションの上昇グラフを見ているが、土地バブルは起きそうにもない。34年前は株から土地へ向かったがこれからは外国人の好む土地しか上がらないように見える。
そんな思いで28日JR田町駅に降りて向かった。昔の記憶が微かに残っていて、記憶があいまいなので住所を調べると港区芝浦1-13付近だった。田町駅の東口で駅前の街路地図でながめていたが、記憶の位置と住所が違いスマホで探し歩く。今は運河の様になったところで撮影する。東京ポ-トレーンというボウリング場が残っている。このビルの1階の2000平方Mが跡地になる。今は乱立しているタワマンの地が30年前は港湾用の物流基地で名残はDHCの配送センタ-がある。田町駅との間に東京ガスの球状のタンクが二つあって、築地の豊洲移転時に愛育病院が移転する地に選ばれた。ここは少子の先頭に立つ産科の病院である。自分は生きていないが次の大変化は東品川地区だろう。品川駅前の食肉市場は湾岸の埋め立て地に移転させられると予想する。
今でもコスプレ用のジュリ扇が売っていて、アマゾンで1000円程度で売られている。ここにもデフレ日本が残っている。