老年精神科医の和田先生の著書は今売れていて、特に80歳の本はとても参考になりそうだ。65歳を過ぎれば好きな生活行動を取ったらよいと感じる。
自分が高齢になるということ 和田 秀樹著 2018年6月
死ぬまで上機嫌 弘兼 憲史著
連続で高齢者本を読む。前者は医者系で、後者は作家系
どちらも人の付き合いの多い人で一般人の本としては上から目線と感じるところもある。そこには介護の情報取得の勝組で高齢者の制度変更の情報を入手できる人と付き合っている。多くの高齢者は突然の身体の変化で、どこに相談してよいのか不明で迷うひとが多い。大きな病院は相談係があって次の地域情報が入るがそれでも病院の制度と介護保険の制度の仕組みが異なっていて、母の介護体験では介護の認定質問の時に母は健康(できる事)を強調したこともあって、困った。それも時間が経って普通に介護認定となった。特に要介護3と2では大きな違いがあって、特養には3が絶対必要なのでほっとした。介護の情報は地域のマネ-ジャ-が知っていて、そこに辿りつくまで時間がかかる。多くの人は健康時に付き合いがなく、デイサ-ビスの車が日中に町内を回っていても眺めていると感じる。
安い介護施設は待機人数が多く、介護者の困窮度によっては入れる速さが異なると感じる。介護ヘルパ-さんとのデイサ-ビスの隙間時間に話すと100歳になって要介護3だと特養に入れる確率が高いという。
金力で入れるサービス付き高齢者住宅は今は成功者のシンボルで、身内の介護は本人以外は人生の時間を拘束し、さらに旅行等の時に息抜きであっても罪悪感もある。ある程度介護すれば少ない時間でも悔い感が薄れる。やっぱり100歳は人生の成功者と見なされるが、今20歳ぐらいの人は医学の進歩で女性は105まで生きるのが普通だろう。
母の100歳死を伝えると、お悔やみより介護の苦労を慰められた。多くの高齢者は全部と言っても身体障碍者で裕福だった人ほどわがままだと上記の本に書かれている。どの国も日本より急速高齢化してはいないつまり前例がない。今の日本の成長の技術革新は高齢者介護のところだろう。高齢者に対する虐待は法的に犯罪と見なされるのも長期の介護で仕事の不満を高齢者(弱者と見なされる)にぶつけてしまったと思う。幼児と違って高齢者は介護すればするほど進歩は見えない。見えるのは自己満足しかない。親から受けた恩を返したという。しかし今は相続という問題が後で発生し、介護の評価のむなしさが残る。相続にはそれぞれの介護評価が加わり、虚しさが残る。宗教観が薄れている今何が祖先を知ることが出来るのだろうか。長寿は寿なのだろうか。呪とも書ける。