99歳の母の皮膚病が酷く、空いている皮膚科に3人かかりで連れてゆく。本日の自粛行動で外出は犬の散歩とこれだけの予定であとは特攻した叔父の資料調査の再準備で何もない日になる予定だった。夕方二つのニュ-スが入った。
1月の台湾総統選で再選した民主進歩党(民進党)の蔡英文総統は5月20日、総統府での就任式で宣誓し、政権2期目がスタートした。
あと夏の高校野球が開催中止となった。
5月20日は叔父の特攻命日で台湾から出撃した日だった。 2019年7月4日(木)アメリカの独立記念日・日本テレビの夕方の放送を見ていたら、台北の日本料理店・紀州庵が特攻した隊員の宿舎で出撃した6人の隊員の集合写真が放映された。父の写真帳に残っていた写真と同じだった。今はこの写真帳の中身を知る人はいないので写真の張ってある理由が長い間不明だった。 今はこの写真に写っている人物の名前と当時の階級まで知ることが出来る。出版されているのだ。この写真の父が所蔵している由来は不明だが想像では戦後に栗原家を訪問した航士55期の人で写真の中央に写っている人が栗原家に持ってきたものと推測される。叔父の軍歴から昭和20年4月から5月の間で陸軍飛行二百四戦隊の同期の人たちと思う。
知覧から特攻した台湾人が一人いる。この人は戦後日本人として特攻したのに軍人恩給が支払ってもらえないとユーチュ-ブで台湾・特攻と検索していたら出てきた。いずれ台湾へ行って、叔父の特攻した基地の石を叔父の何も入っていない墓に入れたい。知覧の陸軍特攻隊員1036名の中には朝鮮人の数名の特攻隊員もいる。台湾の人も含まれているのだろうか。
彼らは戦後に日本政府によって日本人扱いは外され、又朝鮮からは裏切り者として糾弾された。知覧では今同期の仲間として扱っているようだ。
さらに夕方のニュ-スで高校野球が夏の甲子園開催が中止となった。これで9月入学が無いと高校3年生は落胆するだろう。
親族にくそ真面目な高校野球の制度を作った人がいる。甲子園で敗者となった球児が土を持って帰る映像を見た人は多い。この逸話を作った人が親族にいる。今京都の本能寺にこの人の墓がある。今年のNHKの大河ドラマは明智光秀である。
高校野球でまだ日本に復帰していない時代に沖縄の敗者となった球児が持ち帰った甲子園の土は検疫という理由で捨て去ることを占領していた米軍に強要された。1958年夏の第40回記念大会ということでまだ米軍統治下の沖縄首里高校が甲子園に出場し、一回戦で敗退した。検疫問題で沖縄上陸前に甲子園の土は目前で捨てることを強要された。
甲子園出場記念の碑が日本の石で作られ首里高校にあるようだ。これも沖縄に行って見てみたい。
5月20日は普通の日だが家族にとって大切な思い出のある一日となった。
組織の上層部の判断で子供の夢が消える。叔父の特攻へ志願したわけではないと資料が出てくる。小学校の先生になる夢がかない一月ほど先生(越谷市立大袋中学校と思う) をしたようだ。しかし時局の切迫で視力が良かったため、欠員が出て埼玉師範学校のメンツのために、陸軍特別航空士官1期生として一月ほど遅れて入隊したようだ。軍歴では他の一期生が10月入隊だと思うが叔父の軍歴では11月1日となっている。この件で靖国神社で調査する必要がある。一期生のアイウエオ順の特攻した人には叔父の名前があるが全員の名簿には見当たらない。漏れかもしれない。遺書のないため色々な想像が出来る。叔父の人生は歴史に翻弄され、誰も知らないで記憶と記録が消えることだった。
先の戦争で戦友の無残な死を目撃した下級兵士は悲惨さを家族に語ることもなく人生を終えた人が多い。そして高齢になって初めて心の整理がついて、記録も記憶も消えた人を呼び戻そうとした人が目立つ。