日本経済新聞の朝刊小説で今江馬細香(幕末期の女流漢詩人)の話が出てくる。安政の大獄を調べると、小説的に女性を参加させると必要な人物である。この人を知ったのはペリ-が浦賀にやってきたとき、浦賀奉行の要請で幕府に大垣藩士の緊急出動届けを出していたことから始まる。大垣藩小原鉄心が浦賀の見物人の対処に向かった。
準備の良い手はずは通説の突然やってきた異国船ということと異なるという感じを受けた。小原鉄心のことを調べているうち、
大垣の蘭学とか洋学などを知る。そして鳥羽伏見の戦い後、大垣藩を幕府よりから西軍支持に藩論を転換させた。西軍が大垣で東征軍となるまで長期滞在し、岩倉具視が大垣藩主と子女(後の戸田極子)を婚約させた。これが福神漬の命名に関する裏歴史となることは調べ始めた当初から想像も出来ない。
明治の初期の漢字の多い文章は知り合いの中国の人に聞いても読み解けないようだ。江馬細香の評伝本で吉川幸次郎氏が日本の漢詩を純粋な漢文を学ぶには妨げになるという言葉が重い。明治期の日本漢文を読み解けないと当時の政治は理解しにくい。