いよいよ8月入り。旧盆が終われば多分農林水産省の豊洲市場の認可も下り、小池知事の築地市場関係者に安心安全宣言を行うだろう。それから前例のない仕事始まる。誰も知らない移転の全体像。その中で対応するしかない。内部の打ち合わせで事前処分が始まる。捨てるもの保存するもの。通常の引越しならば現状回復義務が借家人に課されるが築地市場の引越しはイヤイヤ引っ越すので廃棄処分の机等の事務機器はそのままで良いこととなっている。もちろん不法投棄は都の条例で処分が行われる。多分駐車場等に不法投棄があるかもしれないが売り場等は名誉もあってないだろう。
普段入れない築地市場のトイレに8月19日に大掃除があるという。カレ-ライス付で参加費1000円と言う。前回の移転ではこの様な企画は無かった。これから期日が迫るにつき想像できない騒動が始まる。自社でも大変なのに調整のつかない人たちがやってくる。それを煽る人たちもいる。
盆が終われば猛暑も終わって落ち着くと思うが梅干の売れ行きは異常である。
浜離宮と築地市場の間の仮設通路が舗装し直し。ようやく前に進み始めた。週明けには豊洲市場の地下の工事の評価が出る。この結果で都知事が安全宣言を出し、築地市場関係者の望みである都知事による安全宣言が出る。儀式の次第はこの様な予定でその結果農林水産省に豊洲市場の認可を得る。農水は反対はできない。なぜならオリンピックという御旗に逆らうことはできないだろう。
後世に築地市場移転史というのが編纂されたら副題は東京オリンピック開催で無理して移転したとなるだろう。戦前の日本橋からの移転も関東大震災となっているが良く調べれば震災ではないことがわかる。関東大震災は大正12年で、築地市場が出来たのが昭和10年2月である。この間の複雑な経緯は市場史に簡単に載っているがべったら市の時に読んだ昭和初期の新聞報道ではかなりの論争があり、疑獄もあった。震災ということで天災扱いのテレビ報道では日本橋魚河岸の移転史を語ることはできない。昔も今も食の世界の旧勢力と新興勢力の争い市場の移転の陰にある。
梅干し騒動が世間にも広く知られ始まった。旧盆休みが終われば移転ム-ドとなる。
見たことも無いコ-スを予想されている台風で猛暑の夏も終わったような気温。いま20度。これから28度になるという。台風一過でまた猛暑とか。
梅干騒動もまだ続く。
史料と言うことで春画を読み解く本を借りた。そこに(笑)と言う題があった。笑話・ワ印。笑本(エホン)とあった。全て春画を意味する。
幕府のお庭番をしていた山中共古は山中笑と言う名を持っている。笑というは(エム)と読むらしい。どの様な意味があったのだろうか。山中笑は人生の最後を青山学院大学の図書館長をしていたようだ。福神漬の史料では共古随筆になた豆が出てくる。幕末時になた豆がどの様な言い伝えがあったか参考にしている。
漬物は地域振興の農産加工品として政治家などの支持率向上の道具とされることがある。多くは失敗するのだがまれには成功することもある。このことの詳細な分析がなされていないので今でも新規予算獲得のため、無理な計画が目立つ。過大な需要予測は仮に成功しても、前例を重視する予算獲得競争で新たな参入者を招く。そこで不要な競争が始まり、成功した事例も次第に不振となる。予算という安易な金が地域を越える存在となると逆に制約となって他の地域に工場を作ることも出来ず、拡大を阻止される。
補助金と言う餌には程よい成功しかないと思える。紀州南部町の村長はこれを超えた人物だった。
今年の6月24日に函館で戊辰戦争150回忌があった。幕府軍方の800名の戦死者の中に行徳の漬物商人がいた。まだ最後の戦闘で中島三郎助と共に戦死した経緯が解明されていない。
そういえば今年は維新150年だが上野戦争150年(7月上旬)でもある。パンダの影で上野公園で戦争があったことを知っている人がいたのだろうか。福神漬は上野公園のご当地漬物として始まった。
今年も梅雨末期の大雨で大水害が生じた。比較的災害の少ない瀬戸内でこの様な水害が起きるとは。200名を越す死者は最近の台風でもない。
草戸千軒の遺跡を知ったのは桶と樽の歴史で九州で筒型の井戸の崩落を防ぐものが見つかり、次第に東へ向かった。丁度九州と京都の中間である草戸千軒遺跡で見つかり、いきなり京都まで行かなかったようだ。水の多い日本では井戸を深く掘る必要性が少なかったかもしれない。
京都のところまで井戸の囲いの技術が来た時、渡来した木材を加工するカンナによって水漏れの無い樽が作られた。税収の基盤の弱い室町幕府は壷による酒造に税金を掛けた。樽で酒造することによって課税を逃れた。徴税官が来た時樽は解体できた。この酒税は平成の今でも続いている。
草戸千軒遺跡は日本のポンペイといわれる。今度の水害で土砂によって埋まることを確認した。
この暑さは築地で40年以上仕事していても経験しない。閑散となった市場内を日陰を求めて歩く。用意してある水がすぐに体内から汗となって出る。試食の漬物で塩分を取る。この時期は冬季より塩分濃度が多くなっている。
新聞報道によると築地の人たちの引越しに関して危機感が薄いと思うとあった。そんな感じがする。ただ火事場のばか力が働くことを信じているようだ。何度もあった築地市場内の火事のあと何事も無く復活している。築地場外市場の火事後もいまは誰も気にすることもなく動いている。問題は引越しでなくその後の豊洲ル-ルというものが形成されるまでの時間だろう。どこに誰が車を止めるか、建物の略称とかが共通の理解が得られるまで配送位置を地図で説明するしかないだろう。
でも何とかなるんだ築地の引越し。仕事だから。
新しい魅力のある口コミで交流ソフトの休眠口座が多数ある。アメリカで批判されたFACEの口座漏洩も使用していないので実害は無いと思っていたが実際パクられると休眠口座のパスワ-ドが不明でその再発行に手間がかかる。どのソフトも完全削除のことは難しいようでFACEの削除も1週間ほどなら再開は実に簡単である。このことから多分大本のシステムに侵入されれば過去の不使用だった履歴もそれなりの意味を持つようになる。要は解釈の仕方が時代によって異なるから消えた過去もデジタルの時代は怖いといえる。
今は悪役でも将来も悪役と言うことにはならないこともある。英語以外の使用している人の少ない言語でもソフトの進歩である程度画像とともに内容を理解できる。築地で働いていた密入国者が数字と地図で場内配送していた30年前のバブル期を思い出した。あの人たちは今生きていたら故国で財を成していただろう。
台湾女性(推定年齢30前後・本人の写真から・おまけで20代後半)はどうやら友人関係の写真から台湾新竹市周辺に住んでいる人のようだ。新竹市はネットで調べるとIT関係の人や企業が多い台湾北部の都市である。
ビン南民系の人が多くすんでいるという。この台湾住民と中国本土の福建・東南アジアの中華系の人たちと海の交流で人的結びつきがあるという。
昔台湾人と漬物の原料産地から付き合いが始まり、生姜がタイへ移っても窓口は台湾人のところが多かった。今では中国に移っても基本は台湾のネットワ-クとなる。
このまま削除が出来なければスト-カ-行為がまだ続けなければならない。
いろいろ調べてヤットこさでFACEのアドレスを削除。休眠口座は自身だけでなく外部に害をもたらす。ネットの世界ではナリスマシが簡単で一度使われたら不利益は現金だけでなく築いた信用を失う恐れがある。政治家が秘書の行為を見過ごし、不作為で時間を経過すると批判されると同じ構造となる。自己を検索する必要があると感じる。個人情報が漏れることを前提にしなければならない。
数年前に一度だけアドレスを登録したのだが休んでいたFACEとかがタブレット端末に(ウィルスソフトが入っていない)台湾の女性の顔写真が載るようになった。中国語が読めないのだが字や写真から想像できる。
対処のためにここ数日勉強中。想定外ので出来事で色々試行しているのだがまだ変更は出来ないようだ。台湾女性らしき友達写真が毎日増えている。今はこの女性のスト-カ-しているような気分である。
ウィルスソフトの入っていないタブレットに削除漏れのために、アドレスが乗っ取られたようだ。いきなり台湾語になっていた。数日以上このようだったらしい。ウィルスソフトの入っている端末には注意してくださいとあっただけで、まさかメ-ルを受信しているだけで発信をしない端末に入るとは。このアドレスが非公開になっていて、普段は使用していないので誰から情報が漏れたのだろうか。
不使用のソフトの削除はどこでも難しい。不親切でいざ事故が起きれば処理費用が多大となる。
図書館検索で明治事物起源本を検索すると多数出てくる。缶詰の始まりでぞれぞれの本が微妙に異なっている。どこに文献資料の根拠があるのかが示されていないのでどれが正確に近いかわからない。
ライマとライマン、さらに明治3年には無かった工部大学などなぞが尽きない。典拠が示されていないと正確ではないが著者の意思が出てくるところでもある。
豊洲での工事はほぼ終わり。後は搬入のみとなる。8月5日午前中は習熟訓練と言うことで事前の届け出なしで入れるようだ。問題は自社の問題から豊洲の慣習がどの様に形成されるかがまったく解らないことだ。今の物流システムは徐々に変化してきた。今後はカ-ト輸送が青果で主流となるだろう。そうなるとリフト付き、温度調整できるトラック輸送となる。つまり豊洲の仕入れは品質確認だけとなる。積載時間も少なく、駐車場問題も解決する。
大型トラックの駐車場が足りないが小型は若干余裕があるという。