年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地本1-1 築地市場年代史

2021年06月30日 | 築地市場にて
築地市場  -クロニクル1603-2016 
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版

 クロニクルとは時系列に沿った順番で書かれている書物「年代記」「編年史」のこと。1603は江戸幕府が出来て、魚の市場が出来た年。2016年は築地市場が最初の計画で豊洲へ移転する年。この後クロニクル1603-2018が出版されている。福地 享子さんは元築地市場内の付属商の建物の2階にあった図書館の館長というべき人。築地で公平な話をする唯一の人。

 読み始めて、築地で働いていた人は何も説明なくても解かるが普通の人には気が付かないが多くの写真の解説が必要と思える。
第一章 築地市場の24時間の鼓動
何気なく、書いてあるが1万人を超す人が築地市場で日に水産1700トン、青果1100トンをさばいている。この数字はトン数で、市場の統計はトンで、金額は消費税込みの価格となっている。午前1時から始まるのだが大方午前4時には終わり、セリをするものが残る。開市の前日夕方5時過ぎから全国各地からトラックが入り、出てゆく。空で出てゆくトラックもあれば空いたところに築地から積んでゆく車もある。
 築地の魚の売り上げはバブル時は全体で1兆円をはるかに越していたが今は青果部の売り上げを加えても、築地市場の売り上げがバブル時に届かない。しかし東京都の市場全体で築地市場の売り上げの占める割合とか、仲卸人の数などから、東京都の市場行政の全体会議は築地市場の講堂で開催される。大田市場は青果の代表的市場だが都内にある築地市場以外の人には電車で行くには不便である。新宿に都庁が移転するまで、築地市場内に市場行政の本部があった。また最後まで東京都の食品衛生試験所は豊洲移転直前まで築地市場にあった。この衛生試験所がすごいと知ったのは、ロシアと福島の原発事故で、常時稼働している食品を検査している。ゲルマニウム半導体検出器 を常時稼働させている唯一の市場だった。液体窒素で冷やしているので維持経費が掛かる。


14ページ マグロ屋はばくちをやらない。築地の人は昼で大方の仕事が終わるのでギャンブルが好きだがどうやら生マグロの業者はやらない人が多いようだ。毎日がギャンブルである。
 毎年1月5日が東京都の市場の始まりで、これが日曜日あっても変わらない。
2001年の初セリでの青森・大間産のマグロが2020万円で競り落とされた。バブル時でもこの価格はなかった。ちなみに前年の2000年はは400万円、翌年の2002年は280万円だった。今初荷のTVのマグロ報道が過熱化したのは2208年からで、2013年から築地喜代村が参加した初セリ生マグロが暴騰した。この理由として、1月5日は正月で目新しいニュースがなく、景気の良い、鮮度抜群の話と絵になる風景が価格競争を激化した。
 2001年の初セリ暴騰で競り落とした仲卸はその後遺症で倒産したと聞いた。頭に血が上ってライバルの仲卸を蹴落とそうとし、売り先の見込みなしで競り落としたようだ。当時は冷ややかな目で2020万円のマグロを売買参加者が見ていたという。その後、仲卸が購入見込み業者と手を結び、競り落としたすし屋を公開し、顧客誘導を果たした。正月のTVニュ-スは広告効果は抜群でNHKまで宣伝した形となった。江戸時代からの日本橋魚河岸の初物競争は魚河岸からの伝統でもある。それまで東京都の指導もあって、場内に素人を入れることは禁止されていた。混雑している場所に一般人を入れないル-ルがあった。
16ページ 冷凍マグロ 築地の花形は生マグロだが、量の多いのは冷凍マグロで一日千本、年間440億円あるという。
18ページ目利き 築地で仲卸の番号のついている帽子は仕入れ権のある人で、これを紛失すると大変である。夏などは脱いで忘れることもある。懐中電灯・ボ-ルペン・メモ用紙が必需品。
20ページ セリ人 TVでセリしている風景があるが、この時間は緊急時でも場内アナウンスはない。セリの単価をセリ落とした人の番号を間違えることを防いでいて、セリのところでは一人は書記のように取引結果を書いてある。今は大田花き市場のように電子セリが始まったがと豊洲では導入していないようだ。
22-24ぺ-ジ 築地の青果物  築地市場は青果も扱っているが、大田と違って、得意先が料亭・ホテル納めとか銀座等のデパ-トの菓子専門店も近いので高給果物の扱い量が多い。コロナではかなりのダメ-ジを受けた。
26ページ始発電車の客を JR新橋駅から、顧客と築地で働く人が同時に来る。これは110Mの障害物競争と似ている。新橋駅からの相乗りタクシーは人数がまとまると発車する。お客より早く築地市場に着かないと、夜中から働いている人の休憩が取れなくなる。寝坊すると、得意先が時間がないので他の仲卸を仕入れに回り回り、場合によっては、得意先が移る時がある。JR新橋駅より徒歩15分。
28ぺ-ジ 冷凍マグロの解体の機械
 冷凍マグロはマイナス80度で凍っているので、電動のこぎりで解体する、生マグロは包丁で解体する。
30ぺ-ジ すし屋やてんぷらの材料を扱う 小物屋 これの反対語がマグロ部会の大物部会。小物屋の設備はそれぞれの扱う商材で異なる。従って移転反対だった期間が長く、店舗設計に仕事の内容が十分に反映されず、豊洲移転時の使いにくいと不満が多発した。
32ページ 締める ほどく。頂点の味を求めて
 築地市場には生きている水産物がある。代表は活魚だろう。〆の技術で得意先の要望に合わせて加工する。
34ページ 道具はやがて体の一部となる。
 ここではマグロを切り分ける長い包丁の事を書いてある。築地市場には包丁を研ぐ業者が4社あって、豊洲へ移転するとき、銃刀法の問題でもめていた。一般には15CM以上の刃物は規制がかかっているが築地のマグロ包丁は1M以上あって、前からどのような管理をしてるか気になっていた。豊洲では警察が4社を一か所に集めようとして、もめたという話を聞いた。それぞれの会社で包丁を研ぐには秘伝があるという。隣だと技術情報漏洩の恐れがあると抵抗した。その後の豊洲の話は知らない。
36ページ 気持ち高ぶる市場の勝負服
 築地水産部仲卸で働く服は、前掛け、長靴などが標準服で、特に長くつは、水産部の濡れて魚の油で滑りやすいので、特別な加工をしてある。昼までで仕事が終わるので、ギャンブルの新聞を長くつに折りたみ差し込んでいる。
38ページ店の司令塔 お帳場さん
 どこでも仲卸の店舗は狭い。畳1枚あれば上等。ここはTVに良く映像で写されるが、冬は寒い。今気が付いたのだが仲卸店舗TVを見ていたところはなかった気がする。ひっきりなしの電話は雑音を避けている。TVアンテナを築地市場内に建てることが出来ず、東京都が有線でTV電波を引いていた。アナログからデジタルになって、半年ほどたって、TVが映らないことに気が付き、NHKに解約を頼んだ。少なくとも半年は事務所のTVを誰も見ていなかった。
42ページ 氷の量 一日平均140トン
 築地市場の中心というべき所に新橋からの都営バスの到着所があって、その付近に氷の販売所があった。他に何か所か水産部にあって、そこにはドライアイスも販売していた。真夏に冷蔵庫が故障したときに、氷の販売所から氷柱を買って、冷蔵期の修理中の温度上昇を防いだこともあった。氷温が水産物の流通には最適な温度で、市場から出るトラックから溶けた水が落ちる。
44ページ 雪による荷物の延着
 雪の日は散々だ。多くの築地人は12月中旬以後の雪の情報が気にしている。東北・新潟方面は比較的雪害による荷物の遅れは長引くことはないが、関ヶ原あたりが大雪となると西日本からの延着が長引く。特に売り上げが多い12月後半は天皇誕生日が12月23日になっていて、複雑な準備が必要となる。普段ならあらかじめ余分に仕入れることができるが年末商材の時期は難しく、さらにチラシが入っているので雪には勝てない。
46ページ やっと一息 賄い飯
 このページの写真は煮炊きをしているのだが築地の魚のところはガスか練炭で煮炊きしている。石油スト-ブは原則として使わない。石油を補充するとき漏れた石油の臭いが付くことを嫌っていた。一度練炭の売っているところを築地市場周辺で探したが、見つからなかった。

 


 
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条約改正と監獄整備

2021年06月29日 | 福神漬
随分昔の話だが大学で刑事政策を学んでいた。その時、日本の牢獄の環境問題で条約改正が難儀したという事を学んだ。そのことを調べていたら、横浜開港資料館の記録があった。2002年(平成14年)10月
開港のひろば から
明治の10年代に監獄の建設が急務となったもう一つの理由がある。条約改正である。幕末に日本が西洋諸国と結んだ不平等条約が改正されると、領事裁判権が廃止され、一般の外国人にも日本の裁判権・警察権がおよぶことになる。つまり、外国人の犯罪者も日本の刑務所に収監されるのである。そこで日本が人権にも配慮した近代的な法治国家であることを諸外国に示すために、「牢屋敷」の改善は外交上の観点からも急務となった。日本の風俗の西洋化を示すため日比谷には鹿鳴館が造られたが、この時期、日本各地に新たな監獄が建設され、近代的法治国家としての態様を条約諸国に示したのである。
 カルロスゴ-ンさんが日本で長く拘留されていた時、欧米と日本の刑事司法制度が異なるという事を感じていたが明治の時も秘かに問題となっていた。
 河鍋暁斎と梅亭金駕の暁斎画談はこの条約改正の領事裁判権問題の渦中で出版計画が進んでいた。このことは研究誌暁斎にはまだ書かれていないようだ。
 
 政府に都合の悪い人物はどの国でも投獄するのが基本となっている。しかし、近代化国家では親族等の情報から投獄の中の状態が外部に知られ、不法な部分を報道されるようになった。それぞれの国には拘禁・監獄の生活の長い歴史があって、日産のゴーンさんのような問題はその国の人権の歴史観を表している。中国共産党100年ということで、記事を読んでいたら、日本へ留学していた中国留学生の人たちが創立時に多数いた。どうもロシアから共産主義を入れたのでなく、日本で翻訳変換し、中国にあった様に直したようだ。中華人民共和国という言葉で、中華以外は日本で作られた漢語のようだ。今の中国の言葉の半分以上は日本で作られた和製漢語という。100年前というと大正10年頃である。関東大震災前で、社会主義等の弾圧が激しくなる前だった。香港・と中国の今の警察官僚の行動は明治・大正・昭和の日本の治安維持方法を研究しているように思える。

 参考 刑事政策とは、刑事法にまつわる諸政策、またはそれを論じる学問。 より具体的には、犯罪の予防・対策などを、中心に立法や実務の動向を考慮した上で研究する。 矯正政策、被害者学などもその範疇に含まれる。 刑法が犯罪論を対象とするのに対し、刑事政策は刑罰論を対象とする。


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今は昔となった平穏な日々

2021年06月28日 | 宅老のグチ
坂口安吾の白痴という小説をマンガ化したものを読むと、戦争末期に東京大空襲の下で疎開することもできるのに、ワザワザ東京の新興工場街というべきところに坂口が住み、女子挺身隊(工場に働く若い女性・女学生)に人たちと暮らしながら焼け野原を生きるという記録的小説があった。はるか上空を飛んでいるB29に対して焼夷弾による火災を水のバケツリレ-で消火するしかなかった。あるものは焼けた住居の残り火で暖を取っている人もいた。多くは生き残ることが必死だった。人が焼き鳥のように死んでいても生き残るに必死で火除け地を探し脱げていたようだ。防空壕に入りそこない爆弾死を逃れたこともあったようだ。
竹槍三百万本論で鬼畜米英に勝利すると言っていた陸軍大臣がいた。

 叔父の特攻記録では当時はB29に対抗する飛行機は少なく,多くの飛行機は特攻用に隠してあって、燃料節約と飛行機の温存方針だったようだ。工業力の圧倒的な差が当時の日本では語ることは出来なかったようだ。
 
 コロナ戦の完全敗北は、初めの対処で根拠がない思い込みでコロナが制御できると思っていて、過去の中国由来の感染病が日本で酷くならなかったので油断していた。ファクタ-Xなどと言って、日本は例外と思っていて、夏には静まると一年前の今頃はTVで語られていた。今となっては多くの時間を無駄に過ごし、他国の承認だけでは認めずワクチン接種のスピ-ドを後らした。今となっては準備期間があったにもかかわらず、ワクチンの確保後の接種システムの混乱が続いているが、データによると急速に接種数が上がって、一日100万人を超えた日が来た。もし1日200万人がワクチンを接種すると効果が出るころに希望者はアメリカのようになりそうだ。5月25日二回目のワクチン予約をしようとして、オンライン接続が1分もしない内にでき、さらに空き具合を見ていたら6月上旬に空きがあって、7月21日の予約を変更した。少し経過を見て2回目の予約の変更を6月30日に入れた。

 鳥インフルエンザで毎年冬が騒がしいが人から人への空気感染がまだ見られないので心配していないがいつ変異するかはわからない。世界史の区分となった中世の終わりはペストの流行で本(ペスト大流行-ヨーロッパ中世の崩壊(岩波新書 黄版 225)を読むと、クマネズミのノミによる感染でアジアからヨ-ロッパヘペスト感染が広まったという。今は小康状態なのはクマネズミを駆逐したドブネズミのせいかもしれないという。さらに中世のペストはノミからペスト菌が移ったのともに空気感染するペスト菌で被害が拡大したという。

 もうここまでくると、コロナの産地が中国産とかイギリス産・インド産とかの問題は学者に任せて、生き延びる算段するしかない。二年前の平穏な日常にはまだ戻れない。

 くだらない話だが旧築地市場で活動していたネズミは見た限りドブネズミで一番大きいのはモルモットくらいあった。  合掌 粘着マットで何匹駆除したか。食の世界では毒物で駆除は出来ない。多くは生まれたばかりの子ネズミで漬物は無知なネズミしか食べない。おいしいマグロは生き延びたネズミが食べていたと思う。水産部のネズミは青果部より大きかった。
 今度のコロナ戦争は勝者があっという間に敗者となったり、後出し日本のワクチン遅れも、前例を見て、ワクチン選択が出来たということもありうる。
 ある日までコロナ差別を受けていた高齢者がワクチン接種が終われば、打たない人を危険人物扱いに代わる。日々日本で差別する人と区別をする人が生まれ、結局普通の風邪扱いになるまで時間がかかりそうだ。こんな差別される経験は日本人は初めてだろう。アメリカで日本人もアジア人としてコロナ隠しとして理不尽な暴力を受けているようだ。
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日本人で中国でワクチンを打って、日本戻って、再度中国に行ったら隔離されるのか

2021年06月27日 | 宅老のグチ
中国のヨイショ情報があって、情報隠しもあって、真実が解からない。中国政府が中国ワクチン接種者が韓国に入国すると隔離されないことを喜んでいたが、韓国人が中国ワクチンを打ってあっても、中国に入国後隔離されるというのは本当なのか。また日本で台湾で日本から送ったワクチンで死去が多発しているというのがあった。これも怪しいのだが確認できない。中国検索システム百度で(台湾 ・ワクチン)と入力したら、台湾の人が中国本土でワクチンを打っていた。どうやら台湾でコロナが広まっているという報道から打っているようだ。しかし、台湾から中国に戻ったとき、台湾人は隔離されないのだろうか。マカオの感染は留学から戻った人から広まったという。

 このままだと、北京の冬季オリンピックも日本と同様に外国人観光客を入れることは出来ない気がする。
 中国ワクチンは中国人しか有効でなく、外国人は有効でないのだろうか?なにかインフルエンザワクチンと同じ位の効果しかないのだろうか。日本はもうじき風邪並みの病気となる気がする。
 コロナのワクチン記事は中国ヨイショ・ライタ―のリトマス試験紙のようだ。出る色は赤い。
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豊洲の地下に今でも汚染が在るのに、豊洲から出る汚染魚がないのか

2021年06月27日 | 宅老のグチ
岩波ブックレット
ルポどうなる?どうする?築地市場  -みんなの市場をつくる-永尾 俊彦著

 あの築地の移転反対派の経緯は永尾氏の本で詳しく書いてある。すでに3年近くたってまだ豊洲の地下から汚染物質が出ているがこの汚染が豊洲から商材について出たという事例が聞こえない。
 築地の汚染の事を書いているライタ―が狭いところ取材と自己の都合の良い話を取り上げていたことが今になってはっきりした。築地の混雑で多くの商材を短時間で処理しないといけないので多くの商材はセリということをしないで売り場で見本品だけ開け、トラックに積みかえる。物流センタ-のようになっていて、築地・豊洲での商材の滞在時間は少ないし、発砲スチロ-ル入りで断熱しているので、汚染が在っても中に入らない。さらに今は中央卸売市場法が改正され、違法でなくなったが、市場を通過するだけの商材もあった。この始まりが東京都の市場使用料に痕跡が残っていて、東京都中央市場史には通貨物の使用料の由来が書かれている。築地市場で他県からの荷物を市場の施設を使いながら転送し経費を払わないで利益を上げていると苦情があって、通貨物料金が出来たようだ。これは場内の配送業者だけで、実際は築地市場周辺の路上で荷物の転送が行われていて、汚染することはない。豊洲でもトラックからトラックへ移転する荷物はあると思われるが大田よりは少ないと思われる。駐車場が築地より整備されているので変化があるだろう。トラックのアイドリングを防止する電源コンセントもあって築地ではできなかったサ-ビスも出るかもしれない。

最近の東京都中央卸売市場条例集の使用料
種別
食肉市場以外の市場 つまり豊洲市場


事務室使用料
一月一平方メートルにつき 二千四十八円
集会所使用料
一回(三時間以内)につき 四千七百六十二円
荷さばき場使用料
一月一平方メートルにつき 五百五円
低温荷さばき場使用料
一月一平方メートルにつき 六百九十五円
作業所使用料
一月一平方メートルにつき 千三百五円
低温作業所使用料
一月一平方メートルにつき 千四百九十五円
バナナ発酵室使用料
一月一平方メートルにつき 千四百二十円
買荷保管所使用料
一月一平方メートルにつき 二百四十一円
桟橋使用料
総トン数一トンにつき 二十四時間までごとに十五円
倉庫使用料
一月一平方メートルにつき 九百五十三円
冷蔵庫使用料
一月一立方メートルにつき 千百六十二円
通過物使用料
一トンにつき 九千五百二十四円
車両置場使用料
一月一平方メートルにつき 六百二十九円
その他の施設使用料
一月一平方メートルにつき 七百六十二円

 地下の汚染がこれからも続くが、閉鎖型の空間が汚染され、労働者の健康が阻害されてから、商材が汚染されると思われる。まだ豊洲の労働者の地下汚染による健康被害は聞こえない。
 結果的には水産仲卸の移転反対派は経営が厳しく、得意先の魚商の激減で赤字だった。都内の魚商組合員(豊洲に事務所を構える魚商組合のHPでは200店位)は築地の仲卸店舗(今は500弱・最盛期は1300以上)より少なかった。どちらかというと築地の魚の得意先はすし屋、料理屋系の得意先が多かった気がする。スーパ-の鮮魚が充実するに従い魚商が減り、スーパ-の鮮魚部門に転職したと思われる。今は昔ながらの魚だけの商いをするところが少なくなり、多くは魚を主として提供する飲食店を経営している。

 これから福島の汚染水放出騒動があるが、報道機関の様子では福島漁連の金銭補償問題にすり替えている気がする。本当は豊洲と大田市場の人たちに丁寧な説明をし、風評懸念をなくすべきであって、トリチウム希釈海水を入れた水槽に魚を入れ豊洲市場見学者通路に置いても良いのではないのか。福島の魚を評価するのは豊洲・足立市場の人たちでそこで安心安全感が出なければならない。太平洋を泳ぐ魚は中国の漁船が捕れば、中国産。韓国漁船が捕れば韓国産。日本の漁船が捕って,水揚げ漁港が産地となる。銚子産の魚は銚子沖で捕っただけではない。
 これは漬物でも同じ問題があって、中国の梅干しが日本で味付ける。原料は原産地中国、加工地日本となる。福島の原発で事故があったとき、築地の講堂で放射能汚染の専門家の丁寧な説明があった。トリチウム水の放水時にはもう一度食の専門家が集まっている、豊洲で丁寧な説明がいる気がする。築地で働いている人は汚染に関しての知識が少ないのでいわゆるライタ―の面白おかしく書く煽り報道に心が汚染される。時間が経てば誤りと気が付くのだが悪評の記録が残る。
 あの豊洲地下の汚染は今も残っているのに誰も気にしない。煽り報道で無駄な税金が使われた。

 東京都の市場の職員はまじめなのだがどうも出る釘のような人がいない。福島の汚染水では豊洲で丁寧な説明で活躍しないと、電気をもらっている都民の責任でもある。ただ福島漁連に補償すれば良いという問題ではない。永遠に記録が残り、差別を生む。

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今だから書ける築地市場移転の裏側

2021年06月26日 | 宅老のグチ
岩波ブックレット
ルポどうなる?どうする?築地市場  -みんなの市場をつくる-永尾 俊彦著

 今この本を読んで、著者は今の豊洲を見てどう思うのだろうか。築地市場の整備の混乱はやはり時代に負けたのだ。毎日新聞記者の経歴から弱者の取材は慣れているようだが、築地の全体的に格差が広がっていくことと、移転に賛成だった青果部の取材がなされていない。築地の移転時に強硬に反対していたのは水産仲卸と水産買参人で青果部と水産卸は豊洲移転には賛成だった。青果部は神田にあった市場が大田に移転すると、築地の売り上げが急に落ちた。その理由として大田はトラック輸送にあう整備をしているので築地のように休市前後の物流混雑がなかった。さらに卸売場に冷気が行き渡り、夏場は大田の方の野菜が鮮度の日持ちが違うといって、築地から有力な小売店・量販店が大田に移った。従って再整備に時間がかかるのは反対だった。築地の水産仲卸はライバルがいなかったので、時代に遅れたことを気にしなかった。
 さらに再整備が可能と著者が言っていたし、TV朝日の玉川さんも言っていたが、これが報道機関の最大の欠点で、日々競争している市場で業者同士の話し合いには時間がかかる。さらに工事現場で分断された店舗は得意先をもってライバルの仲卸に行くことのあると予想する。従業員だって数年工事が続くと、忙しい得意先がライバルの仲卸へ行く。売り上げが減り給与が減れば、引き抜きもある。忙しくなった仲卸は新人を養成するより、引き抜きしたほうが早い。築地の地下の汚染、埋蔵文化材(大名庭園)などがあって分割工事には時間がかかる。さらにTVコメンテ-タの気が付かないことは完成した店舗も古い店舗も家賃は同じである。新旧の差はない。従って一斉移動しか工事の合意形成が難しい。400億円捨てた築地市場内の再整備は工事の工程の合意が出来なかった。
 時代遅れだった築地市場
今に時代ネットに繋がらないとデータのやり取り難しいが、築地は電話・FAX・携帯だった。ネットはなかなか光回線を築地市場内に引くことは難しかった。老朽化していて、電話線利用のADSLは雑音がひどく使えない。光回線でも水産部の定期的にある店舗移動のためNTTのHPでは築地市場へ導入することには難しかった。自分の会社でも他社の光工事を聞いて、入れることに成功した。多分水産仲卸で最後の方で光回線を築地市場内に引いたようで、豊洲が移転がはっきりしないときは光回線を売り場に入れたところは少ないと思う。普通の水産仲卸は場外や自宅に事務所を構えて事務処理していたようだ。
 豊洲へ行ってみればわかるのだが青果部の仲卸は売り場の上に事務所を構え、卸とネット回線でデ―タ処理している。水産部仲卸の売り場の上(屋根裏・築地ではハッポ-スチロ-ル置き場)は何もない所もある。

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リンゴ日報の死

2021年06月25日 | 宅老のグチ
明治の10年代に薩長政権を批判していた言論人は旧幕臣と薩長から嫌われた、土佐、肥前、安芸の元の武士層でした。彼らは言論の場を使い、専制政府と攻撃していました。中央集権で富国強兵政策を批判して明治の20年頃は不平士族と言われています。特に五か条の誓文の中で万機公論ということが根拠となって言論弾圧に様々な手段で抵抗していました。
 今香港では、中国の言論統制が強化され、過去の政府を批判する自由が消えつつあります。明治日本では新聞が発刊停止が度々あって、新聞を人と見立てて、葬儀を行い、弔辞で過去の功績を讃えていました。戦争前の日本でも言論統制・検閲が厳しく、多くの当時の文化人が政府宣伝の協力者となって小説等を残していますが戦後に記憶に残るものが少なく、かえって協力者ということでいまは戦中の文化人の記憶から消えてしまった例が多い。

 香港の政府懐疑記事を載せていたリンゴ日報は発刊停止となったが、どこかで名前を変えて出るだろう。それは香港でない気がする。のんびりとした日本から見ると、金の卵を産んでいる香港で発行されているので朝からコケコッコウと騒いでいる、経済の活性を産む鳥を次の鳥インフルエンザを起こす懸念があると、感染の源として駆除したと思われる。最近は香港でも日本流の生タマゴを食べ始めているので周庭 女子による日本タマゴ宣伝を警戒しているのだろう。金の卵を産む香港の鶏が消えて、密封したカゴで、外部から遮断されて産む機械のような日本産の卵がどこまで伸びるのだろうか。日本のタマゴはアメリカ産飼料で育てられケチな味がする。
 中国と香港が一体化すれば狭い香港の不動産が他の中国都市より高いのは無くなる気がする。
 お金の制御が一番難しい。特に流浪の民の歴史がある国は金(キン)が生存手段となる。

 
驥尾団子 兄弟誌:団団珍聞 自殺号を出し廃刊 明治16年5月9日の第235号で廃刊した。言論弾圧を受け、廃刊となった。投獄された編集者は今では記録しか残っていない。ネットの時代は創刊がたやすい。どう対応するのだろうか。言論弾圧も厳しいが、資金封鎖の方がこたえる。明治日本は多くの新聞が資金封鎖で消えた。
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226事件が気になって

2021年06月24日 | 宅老のグチ
沖縄戦最後の6月23日に叔父の特攻で気になった226事件の栗原安秀中尉の事を調べるため、久しぶりに都立中央図書館へ行く、時間指定でさらに3時間ということで、人数制限の上でも閑散としている。
 埼玉県史の別冊を読む。(雪未だ降りやまず : 二・二六事件と郷土兵)
226事件で麻布の歩兵連隊(今のミッドタウン)が参加したのだが、半数は埼玉県出身で、事件後に交戦中の中国の最前線に回され、半数は死去したという。さらにこのことを生涯の恥として、226事件に参加したことを心に隠して生きていた人も多いようだ。麻布十番駅から図書館へ行く途中に、死刑となった226事件の慰霊碑のある興国山 賢崇寺・港区元麻布1-2-12を過ぎて坂を上る。

 226事件の前に熊谷での要人暗殺計画には栗原安秀中尉は逮捕処罰は逃れたが、マークされていたようだ。
 叔父が陸軍特別操縦見習士官の試験に不合格となっていたのに、なぜ他の合格者よりひと月遅れて合格になった理由が不明である。(昭和18年9月6日毎日新聞埼玉版より)同姓の栗原中尉と埼玉県ということで補欠合格となったのだろうか。埼玉師範学校(今の埼玉大学教育学部)の同期の飛行見習士官試験合格者は陸軍で1名の戦死者と叔父を除いて、戦後に教員として復帰している。特操1期生は4割ほど戦死しているので不運と考えるしかない。不合格の理由はたぶん無理して問題を解かなかった気がする。軍事教練の教官に参加を要請されて受験しても合格したくなかった気がする。従って、生母には陸軍特別操縦見習士官の試験受験は不合格を予定していて遅れて合格通知が来ていても、飛行機の関係の招集と言っていた気がする。埼玉護国神社と靖国神社の特攻兵士の名前には栗原は1名しかない。気のせいなのだろうか。なぜか師範学校の軍事教官が叔父を欠員の補充の推薦をした気がする。毎日新聞の記事には陸軍と海軍の試験に合格した人が1名いる。当時は海軍の方が人気があって、競争も激しかった。

 以前はなかったのだが麻布十番の賢崇寺に張り紙があって、参拝客以外は出入りは遠慮してくださいとあった。コロナせいなのだろうか。7月12日は226事件で処刑された人々の慰霊日。これから8月15日まで記憶に残る戦争の慰霊の日が続く。
 このような妄想を持つのは戦後に叔父の最後を知らせた上官に生母は怒鳴ったという。何もいらないから生きて返して。本当に生母は何も知らなかった、知らされなかったのだろうか。戦後遺骨が戻ってきたとき、木の空箱に遺髪があっただけだった。
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覆水盆に返らず。 築地移転騒動 4年経った

2021年06月23日 | 築地市場にて
最近のコロナ騒動で、あの4年前の動乱の築地移転騒動から、勝ち組として逃れた身としてコロナで落ち込んだ豊洲を見ると歯がゆい思いがする。過去の知見で想定以上のことは想定しても誰も関心を持たなくなって来ている気がする。
 TVで面白おかしく地下汚染の問題を4年前の夏に他の事も報道する価値があるのに地下の空洞問題を騒いでいた。空洞問題はそれ以前に知っていた。それは都営ゆりかもめ線市場駅前に移転する城北信用金庫との人たちとの雑談から、城北信用金庫の移転する支店に金庫が置けないという。金融機関に金庫がないとおかしいので聞くと、床の耐える重さが設計していないという。さらに隣に移転する会社の床にマンホ―ルがかなり多いという情報も入っていた。これは移転するまでに減らしたようだ。埋立地なので過去の知見から建物の耐震設計の問題だろうと思っていたが空洞だった。なぜ空洞だったかは(築地と豊洲)という本には書いてなかった。最も今となっては空洞の有無が移転を後らす、根拠となったのはおかしい思い出である。今でも東京都中央卸売市場のHPには毎月の地下汚染の情報が出ていて、移転後3年近くなるが減っていない。要するに汚染を遮断する対策会議とか工事は必要がなかった。地下の汚染が在ろうと無かろうとプロの食関係者は仕事をしている。このことで数百億円の税金が消え、環状2号線工事も遅れた。さらにコロナもあって、海外観光客4千万人も消えた。オリンピック目当てのホテルも飛行機も需要が消えた。

 今でもアナウンサ-系は情報入手先が裕福な人が多いようで、最後にドンデン返しの築地移転騒動は面白いだろう。当時は筋書きのないドラマと思っていたが豊洲移転でなければ、再建は築地では無理で豊洲が以外では物流センタ-化するしかないと思っていた。誰でも参加できる築地の移転は今から思うとTV解説者の無知と市場で働く労働者と付き合いがなかった。誰も好んで午前2時から働かない。それなりの給与は出るので、個人経営の仲卸は移転費用も出ないだろう。都議会に出した市場の仲卸の経営状況の数字を見ると、赤字か損益がぎりぎりで後継者は先行き不安で多大な移転投資が予想される豊洲へ移転するのは否定するだろう。そこに通常の移転と違って補償がある思っていたが、低金利の融資で借金には変わりない。バブル時水産仲卸の権利は1億円以上の価値があって、鑑札の担保で運営できたが最後は2千万円ほどまで下がったという。他の組織で似ているのが大相撲の親方の年寄株のようなもので当事者以外は価値はない。バブル時1600ほどの築地水産仲卸は今は500以下で大手の仲卸もス-パ-との取引のない所は苦しいようだ。海外のすし屋もダメで高級すし屋・ホテル需要も消えた。
 残った築地市場の更地はワクチン接種場となってしまった。コロナで東京都の余裕資金が消え、次の都知事によって土地は売却されいずれビルの町に変化するだろう。

 懸念していた地下汚染で豊洲で働いている人の健康被害の報告はない。同時に食材の汚染もないようだ。結果として最大の不評被害は移転反対派だろう。これから残った築地市場周辺は銀座に近いため、地上げが急速に進むと思われる。
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びっくり予約殺到した豊洲本

2021年06月22日 | 宅老のグチ
本日、次の借り出しのため、築地と豊洲 -「市場移転問題」という名のブラックボックスを開封する-澤 章著を返し、予約してあった無頼派の織田作之助の本を借り出した。
 土曜日の日本経済新聞書評で気になる本があった。
食農倫理学の長い旅 -<食べる>のどこに倫理はあるのか-ポール・B.トンプソン著 太田 和彦訳
 この本も借り出したが最初の3章まで読んで、あまりこの本に関わると漬物の調査に支障が出そうだと思い返本した。内容は濃い。今まで築地で働いていた時、いつも感じていたことが書いてあった。農業の根本的問題でこの部分の研究はまだ不十分と考える。食の添加物拒否者が読んだら、悩むだろう。
 
 頂きます と挨拶して食べることの倫理。食と農の社会学というべきか。漁業でも
金子みすゞの(大漁)という詩を思い出す。
 イワシの大漁で騒いでいる港の外では、イワシの友達がその死を嘆いている。
 さて返本してから、午後から築地と豊洲の本の予約を入れようとしたら、前回借り出したとき、予約者が0だったのに十数名増えていた。他の所蔵している図書館も予約でいっぱい。豊洲地下汚染会議に参加していたので、東京都職員が小池知事の行き当たりばったりで苦労している姿が実名で書かれていた。
 今オリンピックのコロナ対策が風任せということが良く理解できる。





 

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縁座を調べる

2021年06月22日 | 宅老のグチ
日本では、明治時代初期まで家から犯罪者を出した場合、血のつながりから家族に連帯責任を科す『縁座』という制度が存在していました。
 一人の犯罪者を出すと、家族が連帯責任のように社会から糾弾され謹慎させられるのも今に残っています。法的には未成年者は親の責任が認められますが大人になると法的責任は無くて、道義的責任というものが出てきます。
 ところが縁を切ると言う制度は今では無いようでしつこい人は調べているようです。寺院に行ったとき、身元調査はお断りと掲示しているのを見ていると過去からの経歴から判断している人がまだいるようです。時期時代によって考え方とか価値観が異なっていて、仕方がなく追い込まれたと思うしかないのですが、今の価値観では許されない。
 夫の姓になった女性が夫の死後に、夫の両親の介護を離れるため、死後離婚という言葉が聞かれるようになってきます。夫婦別姓と同姓の議論の中で、隠れた介護の問題があります。100まで生きる女性と仕事で無茶な生活を過ごして早く死去した場合、長い余生を介護という人生になるとは考えたくないと思われます。不動産の物件案内で病死は事故物件の扱いから外れ、事故も3年経てば告知する義務がなくなったようだ。高齢者が多い時代に病死を事故扱いすると不動産は混乱する。

 高齢者を介護している男性のインタビュ―で&#88021というのがあったがなんだか分からない。しかし理解できたのは高齢老女がイケメン介護男性が好みであるという。これは100歳の母を介護していてすぐに分かった。子供が世間を気にしないで発言すると同じで高齢女性は男性介護士の顔面偏差値に低い人を嫌うようだ。女性の人生も終わりになると節操も消えるようである。江戸時代の大奥は3000名の女性が働いていたという。天保の改革で辣腕をふるって、幕府財政を立て直そうとした水野忠邦は大奥を制御できなかった。莫大な砂糖の消費を抑えようとしたが男という楽しみない大奥で砂糖くらいはという理屈で制御できなかった。女性の甘さ指向は今でも続く。そして太めとなり、金をかけて運動をする。
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築地市場移転の最高機密・ネズミはどこへ行ったのか

2021年06月21日 | 宅老のグチ
築地と豊洲  -「市場移転問題」という名のブラックボックスを開封する-
澤 章著 
 もう移転して3年ほどたって、都議会選挙の時期となった。そろそろ築地の移転問題の本が出ても良いと思って検索すると、東京都の中で苦労した関係者の著書があった。あの騒動はどこから来て、そして今オリンピック開催の五輪旗という御旗が吹きさらしの会場で揺れている。
 著者が言っているのだが、築地の移転には告発され無罪となった浜渦さんの功績を誰も述べていない。鈴木都知事から始まった市場の移転は青島時代からずっと放置されていて、その間に築地市場内での再建工事が始まり、400億円ほどで勝鬨橋たもとの隅田川添いの桟橋上に立体駐車場が出来、その導入通路の工事の建設工事途中で築地市場の再構築工事が止まった。さらに市場営業中の工事車両の浜離宮との間の通路工事など今でも残っている遺産があるが誰も気にはしていない。これに関しての情報を書いている本はまだ見つからない。この本でも著者は書いてはいない。なぜならここが一番の問題なのに都庁の役人が市場の人たちと会話をしていなかったことが原因である。それには業者との癒着を恐れ、倫理規範で交際を制限したことから来ている。移転延期の説明で都庁の若手の役人にどのように築地の移転は難しいかを話したがびっくりしていた。商流の下部の人たちの集合体で築地が動いているので、マグロだけでは成り立たないと言っておいた。魚でも他の市場は全部を扱っている仲卸のところもあるが築地では貝専門とか佃煮専門とかがあって、それぞれの仲卸は全国の代表となっていて、築地では小さな存在でも全国の指標となっている。場外には刺身のツマ等の取扱い業者の通りまである。茎わさびで一家をなしている業者も複数ある。青果と水産がついているので存在感があって、青果だけが豊洲へ移転するという案は消えていた。千住の市場は昔は水産と青果が一緒だったが、今は青果のみ移転し、水産は千住に残っている。
 ここもいずれ市場の再編の波に巻き込まれるだろう。・そして跡地が東京都の買い上げで、赤字補填となるのは必至である。

さて(築地と豊洲)という本に、豊洲へ移転した夜に、エサの消えた築地市場内にネズミ捕りが仕掛けてあって、ネズミの悲鳴が聞こえていたという。市場の開場中は毒物を仕掛けることは出来ないが、移転してしまえば何でもできる。これは築地にいたときは語ることは出来ない。
 ドイツの童話で(ハーメルンの笛吹き男)という話が合った。一夜で消えた築地のネズミはどこへ行ったのだろうか。誰も笛吹男にお礼は言っていない。今その返礼が来ていて、築地を移転させる目的のオリンピックがおかしくなっている。コロナはコウモリ由来でなく、ペストのようにネズミ由来と!!!
 
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気楽でない遠山の金さん 4 新潟奉行

2021年06月20日 | 宅老のグチ
幕末遠国奉行の日記  -御庭番川村修就の生涯-小松重男著
 
嘉永5年に引退した南町奉行だった遠山景元の本を読んでいて、さらに明治の歌舞伎・遠山桜天保日記から終幕の舞台がなぜ新潟か気になってこの本を読みだした。
 天保年間に始まった新潟奉行は初代の町奉行川村修就で維新後の明治11年まで生きていた。子孫はその多くの資料で江戸時代の分は新潟県に寄贈し、明治以降の分は江戸東京博物館へ寄贈したようだ。
日本海側の小さな湊町であった新潟町が北前船による密貿易で栄えていた土地を1843(天保14)年 に、幕府が長岡藩領から新潟町を取り上げたのが新潟上知です。この密貿易を探知したのが幕府隠密でした。天保の頃は度重なる天災とロシアを筆頭として異国船が日本の沿海を航行し、時には海上で漁民と物資のやり取りしたり、無断で上陸し、農民と交流を持った事例がありました。特に水戸藩の大津浜に一時上陸した異国人がいました。異国人と農民が言葉が通わなくても交流があったことが水戸藩の危機意識を高め、幕末の攘夷思想の根本となりました。
 築地市場で長年働いていて、まだ外国人観光客が少ない、バブル時期は築地市場もまだ活況があって、平成の初めに大田市場が開場し、築地の青果部の大口の顧客が大田市場に移動するまで、不法残留や蜜入国の人たちが築地市場で働いていました。彼らは日本語が出来なくても何とか数字と体力で仕事をしていました。彼らは金を稼ぐために日本に来ていたので、市場の人たちに告発されることを恐れていました。築地の人たちは不法と知りつつ、代わりの日本人が年寄りしかいないので食堂では若い異国人(イラン・バングラ・ミャンマ-・パキスタン・中国人等々)が働いていました。言葉が通わなくても築地では体力があればなんとかなるのです。水戸藩農民も異国語を話さなくても通じるということが水戸藩上層部の脅威となったと思われます。
 19世紀半ば、江戸幕府の支配は大きくゆらぎ始めます。1841年、幕府老中水野忠邦は、 幕府政治の改革に乗り出します。新潟は、日本海沿岸の海上交通の重要地点であり、幕府の流通統制からはずれた 抜け荷の舞台となっていました。異国船に備えた海岸防衛を強化し、商品の流れを把握し、幕府権威の再確認を するために、幕府は新潟を長岡藩から密貿易の監督不行き届きを理由とし、上知して取り上げたのです。
 初代新潟奉行として赴任した川村修就(かわむらながたか)は,政治・社会の動揺に危機意識を持つ官僚であり、お庭番から勘定吟味役 に登用されていました。町奉行の初代は前例となるものが無く、江戸町奉行の良し悪しを調べ、町の運営を行いました。修就は新潟を皮切りに堺・大坂・長崎の奉行を歴任し、明治の10年代に死去しました。
新潟奉行川村修就
天保14年閏9月(1843)より嘉永5年7月(1852)
新潟奉行の退任時は江戸南町奉行遠山景元(金さん)だった
弘化2年3月(1845)より嘉永5年3月まで、南町奉行で遠山景元で天保の改革時は遠山は北町奉行で南町奉行鳥居耀蔵 (とりい-ようぞう とと対立した。
歌舞伎の遠山桜天保日記を知って、その筋書きの最後に新潟の繁栄している場面が出る。これは作者の竹柴其水の何か思惑があって、天保の改革で打撃を受けた歌舞伎と寂れた江戸の町を比較し、繁栄していた新潟を持ち出したのだろう。新潟は川村が初代新潟町奉行に就任する前は密貿易の盛んな町で、幕府の直轄の町となり、新潟町奉行が川村修就で遠山を町奉行の手本としたようで、多くの行政の基本を創った。江戸より繁盛していたようだ。
 
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高野長英渡辺華山開化廼魁 講談本

2021年06月19日 | 宅老のグチ
高野長英渡辺華山開化廼魁  (カイカ ノ サキガケ)
幕末から明治の中頃まで活躍した講談師松林伯円が公演したものを速記者が記録し、出版した本で、検索した結果,国会図書館にもなく、公共図書館では宮城県立図書館と大田区馬込図書館城昌幸記念文庫にある。今から130年前の講談本を手にして読むと、その時代の背景が気になる。出版人の前書きで、明治29年の日清戦争後の頃なので、朝鮮がかたくなに開国を拒み、日本によって強引に開国をされたことは高野長英・渡辺華山のような人物が朝鮮に居なかったと書いてあった。結果的に朝鮮が日本の植民地(後に併合)となったのは彼らのような人物が育たなかったという見解があった。
 今から10年前の大地震前に一度読んだ本だったが、その当時は単なる長英の講談本と言う感じで、読むというより眺めていた。史実と異なる小説と見ていたが、鶴見俊輔著作本から作者松林伯円(若林義行)がかなり長英の逃亡を取材をしているような記述があった。特に南町奉行筒井政憲の高野長英に関して、逃げの姿を批判している筋書きとなっている。泥棒伯円と言われる講談作家の松林伯円は最近の研究から、伯円が一時養子先の二番町若林家に滞在し、隣家にペリ-来航後に隠居していた筒井政憲家に出入りし、その家人らに講談を話して慰めていたようだ。その時に筒井から南町奉行時代の話を聞き、講談に仕立てたものがあるという。それが今に残る歌舞伎演目として残っている。鼠小僧・天保六歌撰・安政三杯盃などがある。(出典 明治文芸と薔薇 話芸への通路・中込重明著)

 歌舞伎と言うのは今では古典劇の様に思われているが明治の10年代はまだ多くの人が和装で着物を着ていて、ちょん髷を結っている人もいて、刀を差している人もあって現代劇であった。
 江戸時代は天候によって、コメの不作などがあると、備蓄の食料で一時的に救済していたが、明治に入るとコメなどの不足していた食料が貿易で入ってきている。高野長英らは蘭学を研究している内に鎖国している幕府の物足りなさを感じていて、それが批判言動となり、幕臣でなかったのでお咎めを受けた。
 言論の不自由な時期はどこでもあって、そこを身分の差を超え批判して時代が進む。

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サッカリンという人工甘味料から今を考える

2021年06月18日 | 宅老のグチ
築地市場で働いていた時、明治期から戦争の時までの漬物の歴史を知らない人たちの文章が誤っていることに気が付いていたが、仕事が人手不足でさらに漬物に関しての根拠ある文献が少ないと感じていた。多くの食品関係の学者も明治期の状態が詳しく研究している人が少なく誤った評論でも根拠が薄く反論できないでいた。それでも機会があって入手した文献を忘れないためにネットにあげておいた。
 人工甘味料サッカリンの日本での戦前の歴史は単なる甘味料の歴史でないと知って驚いた。サッカリンに関して多くの添加物批判家は漬物に一番サッカリンの使用が多いと思われている。それは使用基準が0.02%となっていて、他の許可されているサッカリン入り食品に比べて圧倒的に使用許可量が多い。以前は漬物の購入頻度も比較的高く、食品添加物を批判している人たちの標的となっていた。さらにサッカリン入り漬物の批判論に反論する漬物業界人で皆無で今に至っている。
 サッカリンが近代日本の漬物にどのように使用されたかの研究もなかった。この問題を研究した食品学者の著書はまだ見当たらない。さらにタクワン漬でも缶詰入りは今も過去もサッカリンは使用できないことになっている。戦前には普通にあったタクワンの缶詰は手に入らないが最近復活させた漬物業者がある。宮崎県田野町の道本食品が3種類の味付けのタクワン缶詰を通販で販売している。添加物・保存料は当然不使用でサッカリンも使用していない。以前タクワン缶詰を作っていた大分の業者が自衛隊納品(今は防衛省)のたくわん漬缶詰が作っていたが、自衛隊員の漬物離れかどうか廃業してしまった。
 厚生労働省のサッカリン使用基準の内容やその他の食品添加物本にもどうして缶詰がサッカリンが漬物に関して除外しているか納得いく説明がある本はなかった。戦争前の漬物の缶詰に関しては軍隊需要が大きく、さらに不当競争も激しく、陸軍糧秣廠が規格を制定し監督していたので、サッカリン使用の缶詰は認められなかった。しかし軍隊納入の樽詰め沢庵漬は明治33年制定された、人工甘味質取締規則の例外扱いだったが軍隊には先に昭和16年ににサッカリンが今の使用基準と同じだけ公認となった。昭和の初めには台湾の砂糖で自給していたが日中戦争拡大し、サッカリン入り沢庵でないと軍隊需要が賄えなかったと思われる。

 平成23年(2011年)サッカリンの使用基準が改定された。
サッカリンナトリウム及びこれを含む製剤の使用出来る食品及び使用基準量(残存量)は下記の通りです。
サッカリンナトリウムとして、
食品名使用基準量
こうじ漬、酢漬及びたくあん漬の漬物
2.0g/kg
粉末清涼飲料1.5g/kg
かす漬、みそ漬及びしょう油漬の漬物並びに魚介加工品(魚肉ねり製品、つくだ煮、漬物及び缶詰又は瓶詰食品を除く。)1.2 g/kg
海藻加工品、しょう油、つくだ煮及び煮豆0.50 g/kg
魚肉ねり製品、シロップ、酢、清涼飲料水、ソース、乳飲料、乳酸菌飲料及び氷菓0.30 g/kg
(5倍以上に希釈して飲用に供する清涼飲料水及び乳酸菌飲料の原料に供する乳酸菌飲料又ははっ酵乳)1.5 g/kg
(3倍以上に希釈して使用する酢)0.90 g/kg
アイスクリーム類、あん類、ジャム、漬物(かす漬、こうじ漬、しょう油漬、酢漬、たくあん漬又はみそ漬を除く。)、はっ酵乳(乳酸菌飲料の原料に供するはっ酵乳を除く。)、フラワーペースト類及びみそ0.20 g/kg
菓子0.10 g/kg
これらの食品以外の食品及び魚介加工品の缶詰又は瓶詰0.20 g/kg
上記に定められた基準量以上残存しないように使用してください。
ただし、特別用途表示の許可又は承認を受けた場合は、この限りではありません。
●食品への食品添加物表示例
甘味料(サッカリンNa)

 この基準を見ると多くの食品がサッカリンを使用しているように見えるが、これは戦前と戦後の食糧難の時,砂糖が不足していたため、サッカリンを使用した名残である。今では大部分の食品がサッカリンを使用していない。特に漬物は冷蔵庫管理や加熱殺菌処理等の進歩とサッカリン等の添加物検出機器の精度の向上で、ごく微量の添加物が検知され、商品表示の違反と指摘されことが目立ったため、一つの工場でサッカリンを使用した機械を洗浄して、別のサッカリン不使用の漬物を作ることが出来なくなった。工場の床にサッカリン含む水を流した排水で靴や手がサッカリンで汚染され、漬物の商品から微量の検出があった。このようなことから食品表示を取り締まる食品衛生機関(保健所)と漬物業界の指導で同一工場でのサッカリンの使用が激減した。
 今でも漬物にはサッカリンが使用されているが多くは中国からの輸入漬物で無料で提供する食堂等の需要があって消えることはない。一度制定された規格は安全性が否定されない限り、使用している国産漬物がなくても、規制の法令は消えない。時代に合わないブッラク学校規則と同じで誰かが声をあげない限り消えない。
 今はサッカリンの安全性の問題は解明されてきて、製造時の発がん性のあるタ―ル系不純物がガンをもたらすと考えられていて、今後もサッカリン規制は残る。今はサッカリンは中国で世界中の需要を賄っていて、発がんの可能性のある物質から製造していない。
 戦後砂糖が不足していて、多くの子供がサッカリン入りの飲食物を食べた。つまりサッカリンの安全性確認は日本人の団塊の世代だった子供時代に人体実験したことになる。多くの駄菓子の甘味料はサッカリン入りだった。サッカリンは分析しなくとも口の中から食べ物が胃に移動しても、甘みが口内に残る。砂糖の300倍に甘さで、多すぎると苦く感じる。
 いま添加物不使用という宣伝が多いが、しっかりした定義がない。EVで電動自動車開発が加速されているが、その電気が石炭を燃焼して作っている方が多いという。目先のごまかしで消費者はごまかされている。
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