年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

節電のため休市が増えるか?

2011年04月30日 | 築地市場にて
4月29日の日本経済新聞記事で東京の市場が節電のため夏場の休市を増やす検討に入っているという。今年の1月の変則的な休市の影響があるかもしれない。築地市場の青果部が休みで水産部が開市のときがあった。6月は殆どの水曜日は休市だがそれと同じように7月から9月にかけて休むのだろうか。報道によると節電効果が少ないと反対の声もあるという。日給月給の人にとっては給与が下がることになるので反対するだろう。25%から15%の節電目標の引き下げとなったので休市増は論議したことで終わるだろう。過度の自粛は経済にとってマイナスとなることが強調されるようになってきた。高速道路の連休中の渋滞も常磐道を除くと例年並みの渋滞となった。もう直ぐ千円高速も終わる。ガソリン・電気・高速道路・輸入食品等が少しづつ上がってきている。石油精製施設の地震・津波による被災でポリ袋の製造が遅れ、一部の漬物の製造の品目が減ってきた。
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暗い築地市場

2011年04月29日 | 築地市場にて
節電で築地市場の常夜灯が消されていたり間引き消燈されたりしていて実に暗い。そして放射能の風評被害で宴会需要が減って、高価な商材の値段が付かず安くなっている。何処まで続く自粛という行動が消費を減らし築地を傷める。
 暗い築地で節電要請がやって来た。とりあえず常夜灯にスイッチをつけて部分消燈を図ることにする。どれだけ効果があるか1月経ってみないと結果はわからない。暗い仕事場はそれでなくとも気分を暗くする。名古屋からやって来た人の東京の暗さを指摘する。築地にツバメがやってきても、気分は晴れない。どうやらパレットの隙間で今年も巣作りをしているようである。
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築地の13%

2011年04月28日 | 築地市場にて
ついに東京都から夏季の節電要請が来た。築地市場全体で大口使用者になるので築地市場内にある業者も対象となり、25%の節電要請となると説明された。既に3月の電気量が節電効果で10%ほど減っている。この金額は3月中旬以降の節電だけで実際は15%程になっているのではないのだろうか。しかし今年の春は寒く冷蔵庫の電気使用量が少ないので単純には前年と比較できない。東京都のデータによると築地市場の最近の節電状況は全体では前年比13%減となっているそうである。これから10%程の追加節電には余程の工夫が必要かもしれない。
 季節だけが順調にやってきて、例年築地市場をねぐらとするツバメもやってきて、どこで巣作りを行うのだろうか。
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なまず絵

2011年04月27日 | 築地市場にて
江戸時代末期に安政の大地震というのがあった。江戸の多くの家が倒壊し、圧死した著名人が文献に残っている。この地震後(なまず絵)という風刺絵が江戸で流行った。当時の日本人はなまずが地震を引き起こすとか予兆を察知するとか考えていたようである。安政のなまず絵はほんの2ヶ月ほどの間に幕府の許可を得ずに秘密出版したものが殆どであるという。その理由として地震による芝居興業の中止となり、役者絵等の浮世絵の売り上げの見込みが消えてしまって、急遽幕府の許可を得ることなく出版したという。多くのなまず絵は当時の世相を風刺している。
そう言えば築地でナマズを見かけたことは無い。昔古利根川の吉川付近でナマズ料理の店があった気がする。しかし記憶のジシンが無い。

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房総数学年表

2011年04月26日 | 福神漬
房総数学年表 (昭11年) (千葉県図書館叢書〈第7輯〉):三上 義夫著
千葉県における和算の歴史を調べるため、この本を蔵書している図書館を探すと、神奈川県立中央図書館が所蔵していた。行ったことの無い図書館でJR桜木町駅付近なのでここで借りて読むこととなった。横浜市中央図書館より小さくみすぼらしい図書館だった。さて目的の本は本というより冊子に近いもので、三上氏による房総地方の数学年表だった。目的の花香恭法は記載されていなかったが花香安精は何か所に記載されていた。この年表の中に関流和算家として内田恭(五観・弥太郎)の名前が佐倉付近の寺院に算額が奉納されている事が解る。また関流と対決した最上流の会田安明の名前が出てきて、江戸にて伊能忠敬と交流があったようである。会田は利根川治水事業で伊能と知り合ったと思われる。関東農政局のホームページによると利根川下流域で和算が普及していたのは干拓事業や治水事業等で農業土木工事で測量の知識が必要になったことで我が国独自の高度な数学文化が房総で発展していた事と佐原の商業の発達もあると思われる。
この本によると花香安精は天保13年(1842)5月12日60歳で死去している。文政3年花香は岩井不動に算額を奉納している。
花香安精の養子である花香恭法と内田五観との関係を示すものはまだ見つからない。高野長英が死去する寸前どうして花香恭法のところにいったのだろうか。このところは高野長英の小説で納得のいく筋書きはまだ見つからない。内田弥太郎は長英が死去した後、公職から身を引き、江戸で塾を開いていたという。
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残像

2011年04月25日 | 築地市場にて
東京都水道局の放射能のデータを見ていると、先月に報道された異常値から大幅に減少していて、昨日の雨でも浄水場には異常値は出ていない。しかしこのことは報道されず、まだスーパー等では水が売れているようである。商売とはいえ、売れ行きにつながらない情報は無視することは心が痛む。
 東京都から連絡の来る放射能に汚染された農林水産物は徐々に減って、今では殆どが福島県の産物となってしまった。福島県産でも解除になる品目が増えてきて、最近規制に入ったのが露地栽培の原木しいたけ(福島県)となっただけである。今築地などの東京市場に入っているのは概ね安心できるといえる。
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かごの鳥?

2011年04月24日 | 築地市場にて
東京都から震災で崩れた築地市場青果部の建物の修復工事の案内が来た。ずいぶん早い。工事予告の書類を眺めているとどうやら修復は間違えで建物をネットで覆い、次の崩壊で被害者を出さないためと思われる、まるでネットで囲まれた鳥かごの中で仕事を何年かするのだろうか?
 昔の鉱山では籠の中に小鳥を飼っていて、危険な有毒ガスを察知するようになっていました。さて籠の鳥状態で築地市場人は何の危険察知を求められているのだろうか。
 実際に工事が始まると、建物全体を覆うネット工事にはならず、タイルが貼ってある部分にネットで防護する工事だった。緑色のネットなので壁面緑化工事のようになった。余震が多くどこまで崩壊を防止できるのだろうか。

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福神漬の由来を遡ると

2011年04月23日 | 福神漬
儒者佐藤一斎が浅草源空寺にある伊能忠敬の墓誌を書いた経緯は江戸時代の天文学事情を書いた本から知った。佐藤一斎はペリー来航時、アメリカ国書を翻訳した6人の中の一人である。福神漬の由来を追及するとこのあたりの時代まで遡ることとなる。日本史の時代区分で『幕末』は何時頃から始まるか?という命題がある。これには二つの見方があってペリー来航時と享保の改革頃からという考えがある。福神漬の由来関連からみるとやはり享保の改革前後の事情も取り入れないと、花香恭次郎や長井昌言・鶯亭金升の話にならない。
 『増修日本数学史』には内田恭(五観・弥太郎)は50箇所ほど出てくるが、花香恭法・安精は出てこない。高野長英の逃亡先として出てくる花香恭法は内田弥太郎(五観)の学問上の弟子であったことは事実なのだろうか。
 ペリーの国書を浦賀で戸田伊豆守氏栄が受け取ったとき、戸田の後ろで警備していたのは下曽根金三郎だった。当時の記録にはでてこないが下曽根の下で浦賀で内田弥太郎は働いていた。(維新史綱要 嘉永2年6月5日 幕府、小姓組下曽根信敦「後信之・金三郎・後甲斐守」を浦賀に遣し、砲術教授及警備勤務を命ず。尋で、門人内田弥太郎「浦賀奉行手付」を信敦に付属せしむ。)下曽根は南町奉行だった筒井政憲の子であった。筒井はペリーの国書を翻訳した6人の一人でもある。戸田伊豆守氏栄の3男は筒井の斡旋で長井家に養子となり、長井昌言となった。戸田伊豆守氏栄の5男である花香恭次郎が内田弥太郎の斡旋で、内田の学問上の弟子である花香恭法が引き取ったのではないのだろうか。

自由民権運動 福島事件被告人 花香恭次郎 この事件のころ福神漬は命名された。
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香取・佐原・佐倉へ

2011年04月22日 | 築地市場にて
旭市の大原幽学記念館の郷土資料室に展示してある花香安精一門の算学を見る。千葉県東部は江戸時代には和算の盛んな地域であった。算学には関流x代花香安精とあった。
また花香安精の収集した和算の資料は今千葉県中央図書館に所蔵されている。記念館を出て、香取市佐原へ向かう。東関東自動車道路の香取インターを過ぎると、屋根の上をブルーシートで覆われている家が増えた。これは今度の震災で被害を受けた家である。市の中心地は軒並みと言って良い位シートで覆われている。伊能忠敬の史料を調べるため、駅の東にある文化センター内の図書館に向かうが閉館中だった。どうやら地震で図書が散乱していて整理中で19日を目途として開館すると掲示してあった。よって次の目的地は佐倉に行く事となった。佐倉市の中心に美術館があって、そこに市の無料駐車場がある。図書館は駐車場からすぐの所にある。佐倉11万石の歴代当主の名前が書いてあるのぼり旗を眺めつつ、図書館2階にある郷土資料の所に行く。佐倉市史で佐倉の和算の普及状況を知る。蘭学の佐倉は良く知られているが和算も普及していた。伊能忠敬の仕事も周囲の学問環境状況よって左右されていた事が解る。

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『放射性物質と食品について』の築地市場内の講演会

2011年04月21日 | 築地市場にて
4月20日築地市場東京都講堂にて東京都の主催で『放射制物質と食品について』と題して講習会があった。21日もある。狭い会場は250名ほどの市場関係者で1時から始まった。いつもの講習会と違って、早朝から勤務している市場人は一人も居眠りすることなく真剣に2時間ほどの講演を聴いていた。農林水産省の人もみえていたがとにかく原発の制御がなされていない以上では状況の変化に対応できるようにはっきりした方針が出せないようである。農水産物のモニタリングの状況が講演の後の質問で内容が理解できるようになった。少し汚染の状況が安定してきたようであるが風評被害をなくすまでには到っていない。今の行政側の建前では市場には汚染された食品は入荷していないこととなっている。
 講演終了後、市場人の表情は暗い。今回の講演では何も進展は期待できなかった。食品に対して日本では公的機関で放射能の証明を出せるところが少ないという。食品では短時間の検査で証明を出してくれるところが無ければ実用的でない。

今回の講習会で個人的に感じたことは今のレベルでは原発の付近の住民を除くと高齢者は放射能に関して過度に心配する必要はない。ただ年少者には注意をしなければならない。
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どこにもぶつけようのない風評被害

2011年04月20日 | 築地市場にて
震災の後過度の報道合戦で自粛となり、飲食関連産業は軒並み営業不振となっている。築地の観光客需要や外国人需要の恩恵もなかった業界にも不景気がやってきた。桜は咲いて散ったが景気のつぼみも震災という暴風雪で景気のつぼみも吹っ飛んだ気がする。都内の区議会の選挙もあまり静かすぎて、選挙を行っているかどうか解らない。
 傷んでもいない新しい商品の所在地が関東東北というだけで排除される事は悲しい。そして、自主検査して安全を確認しても自粛商品を販売していたと批判される。産地応援の心情と自粛商品の販売と批判の風評は今も揺れて、風向きが定まらない。その様なことから応援セールもどちらかというと被災の少ない地域の商品が多い気がする。
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幸田露伴 露伴全集第十四巻

2011年04月19日 | 福神漬
草鞋記程(そうあいきてい) 明治25年11月
明治25年大阪朝日新聞に招かれ、大阪へ向かうことになった根岸党の一員・須藤南翠の送別会を兼ねて、根岸党8名(須藤南翠・幸堂得知・幸田露伴・久保田米僊・
富岡 永洗・高橋太華・森田思軒・)は上野から群馬の妙義山に旅行を行った。
 上野より、汽車で群馬へ向かう車中で酒豪だった森田思軒が福神漬の缶詰を開け、酒のつまみとしている文があった。根岸党は上野周辺で酒を飲みながら交遊する当時の文化人の集まりだった。福神漬がご当地の食べもとして文献に出てくる。今の物価に換算すると福神漬の1缶の価格は2千円~3千円程になるだろう。かなり高価な食品で上野周辺の医者・学者・芸者・文化人・商人等しか食することはできなかったと思われる。
 福神漬の文献はあまり多くない。この当時に既に東京名産となっていた。
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伊能忠敬贈位

2011年04月18日 | 福神漬
千葉県の明治23年7月第一回衆議院選挙で佐原の辺りの選挙区では大須賀庸之助が当選した。同じ選挙区で立候補していた自由党の花香恭次郎は3位で落選した。
明治16年頃、日本赤十字社創立人佐野常民が千葉・佐原地方を視察した折、当地の郡長だった大須賀庸之助は佐野に伊能忠敬の業績を知らせたと推測される。間もなく佐野常民は「故伊能先生事蹟」を著した。その後大須賀は伊能忠敬先生の贈位運動を始めた。当時の東京地学協会の代表者は北白川親王でした。この方は上野戦争の時、彰義隊に担ぎあげられた、上野寛永寺の輪王寺宮でした。東京地学協会の設立者の中に榎本武揚がいた。
 幸田露伴の2度にわたる少年向けの小説で「伊能忠敬」の最後に北白川親王の発起による贈位の文が出てくる。露伴は上野寛永寺の門前の下谷で維新直前に生まれた。従って北白川親王がどの様な人物であったか周知のことだった。特に最初の露伴の小説「伊能忠敬」はまだ北白川親王が明治28年に台湾で戦病死する以前だった。また幸田露伴の兄、郡司大尉は千島探検した位の人だった。
 旧幕臣の縁者・子孫は明治の半ば頃からあらゆる機会を利用して戊辰戦争のあと反逆者であったことから名誉回復・復権運動をしていた。幸田露伴は小説「伊能忠敬」で北白川親王の名誉回復運動をしていたように思える。
 福神漬の史料調査をしてゆくと、当時の旧幕臣関係者の名誉回復運動と重なる。それは明治維新後の欧風化・近代化路線を見なおす運動の時期でもあった。福神漬がカレーライスに付いていても不思議ではないのは創製された時期が複雑な和と洋のせめぎ合いの時期だった。
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絶対に効く睡眠薬

2011年04月17日 | 築地市場にて
眠れないときに絶対に役に立つ睡眠薬がある。数学の本である。数字を見てあらゆる回答を考える。しかしその前に睡魔に襲われ寝てしまう。ところが今読んでいる数学の本は逆に面白く起きてしまった。
三上義夫著「文化史上より見たる日本の数学」
この本は内田弥太郎(五観)の絡みで、高野長英を匿った千葉県の花香恭法を調べに行った時、大原幽学の資料がある記念館に郷土史料があって、花香安精門人の和算の額が展示していたのに思いだした。和算を知るため図書館から借りる事となった。千葉県には日本地図を作製した伊能忠敬がいる。佐原で商人が数学を学ぶことはどの様な事か三上の本でよく理解できる。要するに江戸時代の数学は勘定役とか商人の実用によって数学を学んだ人達の中に和歌のような趣味的にものの中に数学(和算)があったという。従って神社に和算の額を掲示して自己表現をしていたという。江戸時代の数学者は殆ど趣味的な世界の人物で内田五観の弟子は数多いが金に不自由していたという。
 高野長英の事件もシーボルトが伊能忠敬の地図を海外に持ち出そうとしてから始まる。佐原・佐倉は和算の熱心な地方であった事が理解できる。
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築地市場の38日目新任挨拶

2011年04月16日 | 築地市場にて

新年度が始まって、配置転換等の関係で新任の挨拶にやって来る時期となった。今年の挨拶は「大変な時に新任になりましたね。」で始まる。ついでに3月11日はどこにいて、どんな行動をとったかを話す事となる。節電対策は次に来る。既にサマータイム制もどきを実施しているので夕方5時過ぎには大方の社員は家の付近に帰っていて、帰宅難民となる恐れはない。律儀な日本人は地震があっても大方の人は5時まで仕事をしていたようで、頻繁に起きている余震で電車が止まったり、運行本数が減らされていてヒヤヒヤしているようである。最近の調査では11日の平均帰宅時間が8時間だったという。もちろんその中には食事の時間も含まれていると思うが帰宅難民話は後世に残るだろう。
 かき菜や春菊などの汚染された野菜の制限解除の知らせが続々と連絡が入り、新しい段階に入った気がする。今後は規制が続いている商材と解除になった商材が混在する難しい時期に入った。
様々な分野で汚染除去の工夫がなされていて、原発が冷温化すれば風評被害も収まる気がする。コンビニの棚にもカップラーメンが元通り陳列されていて、あの騒動はなんだったと思う。ガソリンスタンド渋滞が過去の歴史となった気がする。築地のスタンドも元のようにターレー専用のスタンドとなりつつある。未だに消えないセリ見学中止のポスターも外国人観光客不在では解除しても良い頃だと思う。しかし東京都の場内放送では安全のため、観光は自粛してくださいと放送している。築地市場で働いている人達の安全はどうなっているのだろうか。ヘルメット着用指示まだ出てはいない。工事現場より少しましな状態なのだろうか。ニュージランドの地震で倒壊した語学学校は前年の地震で耐震力が落ち、次の大地震で倒壊したという。築地の施設の古さは中で働いている人が一番理解している。
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