年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

河村瑞賢の見落とし

2017年10月31日 | 福神漬

福神漬命名者伝説で河村瑞賢説をあまり重要視していなかった。最近まで根岸党の福島県人・高橋太華の少年向けの伝記から来ていたのではないかと思っていたが中央区新川にあった河村瑞賢屋敷がかなり影響があったと感じ始めた。新川に在った下り酒問屋は江戸市中の高級酒需要の中心であった。河村瑞賢の死去後新川付近は上方から樽回船によって輸送される上方の酒の終着点であった。

 明治期福神漬は缶詰入りだったので販売ル-トは酒問屋系統が取り扱っていることが大正期の電話帳に見える。ビン缶詰問屋と言う区分がある。酒系統の問屋から河村瑞賢の出世に繋がる逸話の中の漬物話から福神漬元祖説が出ても不思議ではない。新川酒問屋の興亡を記述した本に河村瑞賢がかなりの部分を占めているので伝説の出所かもしれない。海で遭難した船員漁民等の日本返還から人道問題となり、幕府の海禁政策の変更となった。

 どうして酒問屋が漬物の缶詰を売っているのか聞かれたとき、河村瑞賢の話を持ち出され伝説となったら面白い。

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考証天保水滸伝から

2017年10月30日 | 福神漬

千葉県旭市図書館で(考証天保水滸伝)に幕末における海上郡内領主区分図というのがあった。船橋市史近世編で幕臣長井五右衛門昌言の知行地が飯岡のところに二ヶ所あると記載されていたが飯岡町史を読んだだけでは判らなかったので大原幽学記念館の学芸員に聞いたところ、今の旭市上永井(行部岬灯台のあるところ)と飯岡町と言うことだった。飯岡町ということは天保水滸伝の悪役となっている飯岡助五郎の町である。助五郎が浦賀に近いところの出身で長井昌言もペリ-の国書を受け取った浦賀奉行戸田氏栄の3男である。

 このことと花香家に養子となった戸田氏栄5男鉄丸(後の花香恭次郎)とどのような関連があったのだろうか。後は嘉永3年の時、二人制の浦賀奉行で戸田は江戸に滞在していたのだろうか。高野長英が惨殺されたのが嘉永3年10月末である。南町奉行所内の与力同心は冤罪であっても高野長英が小伝馬町牢獄から逃亡したことを重く見ていたのではないだろうか。

 高野の逃亡を助けた内田弥太郎が処分を逃れたのが浦賀の防衛警備にとって必要な人材だったからではないのだろうか。ペリ-来航後、内田は政治の表面から消えている。明治になって暦を太陽暦にしたり、度量の統一を図った。国立科学博物館に内田弥太郎の所蔵していた物差しや升があるという。

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豊洲引っ越し日 予想

2017年10月29日 | 築地市場にて

昨日が千日前なら今日はオリンピック999日前。外はイベントで忙しそうだが築地は何もないような静けさ。二週連続の台風。紅葉の季節なのに台風とは.

 色々な施設の老朽化が加速しているようで雨漏りが心配。最近場内放送で目立つのは市場外からゴミの持込だろう。まだまだ日程が発表になっていないので落ち着いているが今後はどうなるかわからない。今朝の日本経済新聞朝刊報道では築地水産仲卸の団体が豊洲移転を平成30年10月と提案しているようだ。一番移転反対している団体からの提案なので10月で決まるだろう。来年10月となれば六曜で判断すると、10月5日から4日間か10月7日からの4日間しかない。前回の例からだと10月9日は六曜で先負けとなる。10月11日だと大安となる。築地の人は六曜を気にする人が多いので豊洲開業は10月11日の木曜と予想する。来年の台風は予定外である。

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袖珍官員録改/明治6年

2017年10月28日 | 福神漬

明治6年に刊行した袖珍官員録を国立公文書館のデジタルライブラリ-で検索する。以前検索したときは、工部省鉄道寮の七等のところに長井昌言の記録があったが今は見つからない。昨日再び袖珍官員録を検索すると七等のところに小野友五郎の名前があった。急遽小野友五郎の本を借り出す。明治に入って小野は新橋~横浜間の鉄道の測量に参加したようだ。特に小野は神奈川の担当で高島嘉右衛門とも交流があったと思われる。明治6年に長井昌言は死去しているので小野と長井の同じ鉄道寮の同僚として短い期間だったが交友があったのだろうか。

 小野友五郎は茨城県笠間の出身なので資料は笠間の方が揃っているようだ。先週の選挙のあった日(22日)笠間で小野友五郎の講演会があったようだ。小野の伝記ともいえる小説が笠間で多数借り出されている。

 福神漬に関係あるかどうかはまだ解らないが長崎海軍伝習所で小野は浦賀の中島三郎助と同期だった。中島は戊辰戦争最後の戦闘で死去している。同日市川行徳の漬物商人が中島と共に戦死している。浦賀でペリ-から米国国書を受け取った戸田伊豆守の3男が長井昌言である。長井と小野が短い期間と思われるが明治6年の同時期工部省鉄道寮の七等の役人だった。小野は築地に移転した幕府海軍伝習所(築地6丁目付近)、中島三郎助の3男は築地市場の隣りの浜離宮で生まれている。小野は二回目の米国行きの後、福沢諭吉の図書購入の件で告発し、福沢の図書は幕府に没収された。この解除を上申したのは浜離宮の出身の木村芥舟であて先は長井筑前守昌言だった。(木村芥舟日記・慶応3年末)

 福神漬の歴史から幕末から明治にかけて開国志向のあった人たちの人間関係が明らかになる。特に失業した武士に職を与えることを皆考えていたようだ。

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明石の大蔵市場の火事

2017年10月27日 | 築地市場にて

先日兵庫県明石の大蔵市場が火事となり10時間以上燃え、30軒ほど被災したと言う。火事現場の市場は昔の公設市場のようで時代に取り残された市場で現在は殆ど閉店していて火事の発見が遅れ、初期消火が出来ず大火となったようだ。8月の築地場外市場の火事も10時間以上消火にかかり鎮火に難儀した。市場の構造上で建物が繋がり、昔の施設なので防火扉が無く、さらに屋根があるので上からの放水の効果がない。築地場外の火事現場の撤去作業も順調とはいえないでいる。年明けまでこのままなのだろうか。

 今アニサキス問題で水産物の需要が縮小加速しているようで、築地の水産業者がさえない。そろそろ豊洲移転日が発表になるが一番うるさい水産仲卸の地下対策工事の業者がない様だ。判断できない知事とオリンピック日程との間でどの様な展開になるのだろうか。

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福神漬伝説 田中芳男説を探る

2017年10月26日 | 福神漬

 

長野県飯田市出身の田中芳男が上野公園にどう関係してくるかを探ってみよう。

福神漬の言い伝えで明治の田中好男が命名者として文献に出てくるのは大日本洋酒缶詰沿革史  1915年刊(大正4年)からである。

 今まで資料を調べていると田中説はこの本からしかない。さてどうして長野県飯田市出身の人が福神漬に関係してくるのだろうか。

 

 田中は町田久成と共に上野公園を整備する尽力した。1867年パリ万国博覧会で田中と町田は知り合った。町田は1865年薩摩藩英国留学生15名の中の一人でイギリス滞在中に同時期に密出国した芸州藩野村文夫〈後の村田文夫〉と会っていると思われる。

 田中芳男がなぜパリにいたかというと長野県飯田市の医師の3男に生まれた田中は尾張本草学の伊藤圭介について学び、伊藤に伴われ幕府の洋学研究機関『蕃書調所』の一施設・物産所に勤務のため江戸に移ります。慶応3年(1967)パリで開催された万国博覧会に幕府として展示物を収集し参加します。ここから近代の博覧会と田中のつながりが始まります。

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東洋文庫 酉陽雑俎

2017年10月25日 | 福神漬

東洋文庫 酉陽雑俎 3冊19巻 325ペ-ジ

833 樂浪有挾劍豆,莢生橫斜,如人挾劍。即此豆也。

 

楽浪の東にある融沢のなかに生じる。豆の莢〈サヤ〉の形が、人が剣をたばさんだ格好に似ている。斜めになって生ずる。

 

楽浪とは今の北朝鮮のピョンヤンに当たる。

 

 この資料を調べた〈食材本草〉というブログの書き手は『ナタ豆は莢を野菜として食べることもできるが、近郊百姓が栽培していなかったので豆としてのみしか利用できなかったのだと思われる。
 上流階級にとっては、穀類や豆類への拘りといえば、先ずは味と食感で、次が見かけだろう。長寿だ健康だといった発想があったとは思えぬ。』

 

東洋文庫の日本語訳の識者もナタ豆の本草学的薬効がわからなかったようだ。挾劍豆という漢字に影響され現物のナタ豆と違うようだ。ナタ豆が帯刀という漢字で剣をたばさんだ言う意味を書いたのだろうか。

SWORD BEENSという英語もSWORDは剣という意味を持っている。

 もしかすると挾劍豆とナタ豆が同一の植物かという疑念が生じる。貝原益軒が大和本草という本を著すまで日本の本草学は中国にある植物は日本に在ると思っていたようだ。貝原益軒が中国にない日本の植物を調べた。ナタ豆は江戸時代初期に中国から渡来したので資料は江戸時代となる。従って河村瑞賢・了翁禅師等も福神漬創製者に入ってもおかしくはない。
時期的の言い伝えのつじつまは合う。

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多数決のきかない築地で

2017年10月24日 | 築地市場にて

少数異見がが全体行動を阻止できる築地市場では長年かかって合意形成が、知事の一言で豊洲移転が中止となって、混迷のさなかにある。

 食の世界ではどんどん変わるので今は主流の食材であっても、病気(BSE)とか資源絶滅(うなぎ.まぐろ)とかで変わるし、練馬大根が10月下旬の台風で蒔き直しがきかず、関西で普及していた青首大根が関東に普及した。12月26日に築地市場に入荷する三浦大根は練馬大根系の名残である。

 日本の市というものは自然に発生し、変化するもので行政の上からの指導で継続できる施設ができるとは思えない。継続できる築地の跡地再開発は築地人の智慧なくしてありえない。無ければ都の役人の天下り先が増えるだけとなる。

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選挙が終われば再び築地

2017年10月23日 | 築地市場にて

急な総選挙で築地の話題も消えてしまったが終われば築地の移転話も復活する。台風の風で朝からユリカモメ線が全線運行休止という。豊洲市場が開業していたらかなりの距離を歩くことになる。埋立地と言うことで風をさえぎる建物や木も少なく風には弱い豊洲市場となるのだろうか。安全確認のために豊洲市場へは入り口で署名すれば入れるようだ。

 

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食文化を変える10月下旬の台風

2017年10月22日 | 築地市場にて

10月下旬に大型の台風が上陸しそうだ。この季節の台風は野菜の蒔き直しが利かないので被害状況によっては野菜価格の高騰が長く続く。しかし昔なら春まで続くのだが中国とかアメリカから輸送される野菜で高価格の時期が短い。何処の産地が打撃を受けるか台風が通過してみなければわからない。

海外からの青果物輸送は コンテナ輸送の発達で輸送時間と港の通関時間の短縮で国内輸送と変わらない。国内競争と国際競争の間で情報力の弱いところが淘汰される。

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古書・大言海を買う

2017年10月21日 | 福神漬

アマゾンで古書を買う。4000円也。九州より届く。大槻文彦著大言海・昭和七年からの4冊。出版されてから80年は経ってこの価格ということは辞書として役に立たない本で価値を認めない人がほとんどと思える。4冊で5キロほどの重さがある。辞書というより骨董品と見ている。

 言海が出版された時、記念の会合の騒動が会った。伊藤博文の出席を嫌った福沢諭吉が欠席したと言う。さらに第二代日本銀行総裁富田鉄之助も仙台の縁で出席したと言う。個人で辞書編纂をするということが大変だったことを今の人は知らないだろう。多くの誤りがあるというけれど全ての近代日本語の意味の解釈はここから始まる。辞書のアイウエオ順となったのは言海から始まる。大正時代の電話帳などはイロハ順だった。

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ナタ豆の文献 エロ系はあるけれど口臭系は

2017年10月20日 | 福神漬

20日・日本経済新聞にナタマメ入りの歯磨き広告があった。福神漬の資料文献調査で少なくとも明治期以前に口臭除去の記述がある文献は見つからない。そもそも本草学にナタマメの記述があるが具体的に効能を書いてあるのが見つからない。どの様な医薬的効能があったのだろうか。

分厚い漢方薬辞典にも効能の記述が少ない。もし江戸時代から明治期に口臭除去の効能が知られていたら、遊女の口臭除去と考えたほうが良いのだろうか。江戸時代から上野池之端は庶民の行楽地・風俗街でナタマメに何かの効能を知っていたのだろうか。

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ベッタラ市の雨

2017年10月19日 | 築地市場にて

来週には台風が来ると言うが今週19日20日例年の小伝馬町付近で開催されるベッタラ市が低調になりそうだ。晴れれば神社の周辺でス-ツ姿の人たちが路上で立ち飲み宴会をするという日本であまり見かけないお祭りがある。神輿もないし、境内もない神社でここまでお祭りが続いて来たのは奇跡ということしかない。10年以上前だったと思うがやはり選挙期間中にベッタラ市があった。低調だった。今は天候デリバテブとかで保険をかけているようだ。だが今年の気温は明治期の日本橋の気温と思える。

 

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好色一代男のナタマメ2

2017年10月18日 | 福神漬

江戸時代恋愛事情-若衆の恋、町娘の恋・板坂則子著

江戸時代で恋愛など対象の年齢によって変化するとはこの本で理解できる。江戸時代の初期は男色(なんしょく)の時代で中期以後が遊女を中心とした女色のことが文学の主流となる。

 さてナタ豆は江戸時代始めに中国から渡来したとされる。何かの効能がある植物であったようだ。ナタ豆の実のサヤの大きさは30センチから50センチにもなるので性的比喩の対象になるとは思えなかったが春画が男根を巨大に描くので比喩としてナタ豆が出てきてもおかしくない。井原西鶴の好色一代男が1682年(天和2年) に刊行されているので、ナタ豆が日本に渡来して色々なところで栽培されていたのだろう。巻二のところでナタ豆が当時は一般的な男色(衆道)のところで出てくる。若者の生え出した陰毛のところとナタ豆の大きさをワザワザ書き加えたと思う国文学者はまだ見つからない。

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時間切れ・押し出し豊洲

2017年10月17日 | 築地市場にて

昨日22日の選挙後と予想していた豊洲移転報時期道が来年9月・10月と東京都が築地の業界団体に豊洲移転時期を提示したようだ。水産仲卸以外は異論はないだろう。問題は水産仲卸だけでまだまだ過去の経緯からすんなりいくとは思えない。外神田に在った青果市場が大田区に移転した時でも秋葉原駅前に数年以上残留した青果業者があった。

 どうやら政治の季節から実需の季節に入ったようだ。戦争があろうと無かろうと一日経てば腹が減る。まだ最初に東京都庁内でオリンピック招致を考え出したのは誰だろう。リオの時福岡のほうが有利であったと記憶する。何年か後の中央卸売市場史には土壌汚染とかオリンピック招致が並立しそう。築地の日本橋から移転も関東大震災となっているが震災と築地開業との間に10年以上の時間があったことを忘れている。

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