年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場は政治家の負け戦の場所

2012年11月30日 | 築地市場にて
ここ数年、築地市場界隈で選挙期間中連呼した立候補者の当選は少ない気がする。いやほとんどない。下げマンの築地で今回の都知事候補者は選挙運動をするのだろうか。都知事選挙だから有権者も多数いると思うが外国人観光客は日本の選挙権はない。
浜離宮前の道路はトンネル工事のためすでに道路の半分が工事現場となっている。それでも築地市場は混雑していない。いかに不振であることが良くわかる。明日から12月になるのだが置き荷のため駐車スペースが少なくなるのだろうか。
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玉椿または万両巻

2012年11月29日 | 趣味としての漬物
関東では絶滅したと思われる正月用食品の「万両巻」関西では「玉椿」というつけ物があります。どうやら関西でも間もなく赤い玉椿は絶滅しそうで一般にお目にかかるのは白い玉椿だけになったと思われます。
大きなかぶを甘酢漬けにしたものを形よく、昆布でくくってあります。高級おせち料理の一つで、酢のものとして、正月料理には欠かせないものです。製造者が少なくなり貴重なものとなってしまいました。1個40円を超える値段となってしまい、デフレの日本ではいかに正月用品とはいえその価値を認める人が少なくなったということです。

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ミャンマー市場で売っているタナカ

2012年11月28日 | 築地市場にて
ミャンマー女性と子供が主に頬に塗っている日よけはタナカという植物です。ヤンゴン市場で売っていて、粉にして頬に塗るそうです。
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ミャンマー漬物紀行16 おまけ

2012年11月28日 | 宅老のグチ

ヤンゴンの商工会議所で机の上にあったティッシユの箱に描かれている絵はどう見ても富士山としか思えない。ミャンマーで作っているといは思えず,中国かタイかシンガポールから輸入されているのだろう。気配りなのか偶然なのかわからない。
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ミャンマーの大根と白菜

2012年11月27日 | 築地市場にて
ミャンマーの大根と白菜。日本の大根と白菜より小さい。小ぶりなのは気温か大きくならない品種か不明。キュウリはピクルス用のように太くて短い。
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ミャンマー漬物紀行15 旅立ちの地

2012年11月27日 | 宅老のグチ
少年は未来に旅立つ
帰国の日、ヤンゴン国際空港で若きミャンマー少年が家族総出の見送りを受けていた。少年の目から涙があふれ、姉妹と次々と抱き合い別れを惜しんでいた。姉妹も涙し、親と共に親しき人達も目から涙があふれていた。真新しいスーツを着た少年は振り返りつつゲートをくぐった。未来が見えている国は国を背負う未来の人材を押し出す。今は合法的に出国しているようだ。
彼らの留学先はシンガポール、英国、オーストラリア、米国等の英語圏が多いという。
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ミャンマーの梅

2012年11月26日 | 築地市場にて
いつ収穫されたか不明のミャンマーの梅。先がとがっている梅は中国の梅に似ている。
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ミャンマー漬物紀行14ヤンゴン青果市場内の種屋

2012年11月26日 | 宅老のグチ
ヤンゴン青果市場の一角に種屋があった。同行の漬物業者の声から日本のメーカーの種もあるという。在庫の商品から農薬もあるようで今後も検査しなければ日本で許可されていない物が発見されるかもしれない。
 地方の農産物がヤンゴンに入るということは同時に帰る便で何かを積んでゆくことになる。市場というものはそのようなことで全国各地の情報が入ってくる。築地の天気が上天気でも秋田から来たトラックから雪が落ちているのを見るころになった。雪の便りもテレビで知るより実感する。
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ミャンマー漬物紀行13ヤンゴン青果市場の女性

2012年11月25日 | 宅老のグチ

築地市場は意外と男性の職場である。女性は帳場とかの裏方の仕事となる。ヤンゴン青果市場には多数の女性が売り子として働いていてどちらかというと運搬等の仕事に男性が就いているようだ。全て現金取引のように見える。10月から乾季だが雨季はどうなっているのだろうか。築地市場の雨漏りが酷く、ひょっとしたらヤンゴン市場の方がましかもしれない。
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ミャンマー漬物紀行12 ヤンゴン青果市場

2012年11月24日 | 宅老のグチ

前日ミャンマー シャン高原を出発したトラックが14時間かけてヤンゴン青果市場に入る。ごった返している市場を要領よく巡る。青果、花卉、果物とそれに付随するものが販売されている。一箇所漬物のようなものがあった。
 市場の活気は世界中共通である。電力が不足していて毎日のように停電がある国では冷蔵保存して廃棄物を減らそうと考えないようだ。築地市場でも営業時間中のゴミは目立つが昼過ぎ掃除が終わるとそこそこきれいになる。この感覚は清潔好きの人には耐えられないが市場というものは世界中、共通のごった煮である。清潔な日本で汚い築地市場に外国人観光客がくるのは異質な日本を知りたいこともあるのだろうか。
 ツアーガイドさんの手際の良い案内で乱雑な市場を効率よく回る。果物と野菜の売り場を遠くから眺め、日本に類似の野菜をさがす。形は似ているが説明を受けると異なるものが多い。やはり温度管理がなされていないので市場で腐るのが目立つ。フォークリフトのようなものより、市場内を人力ですべて運搬している。
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ミャンマー漬物紀行11アウンサンスーチーさんの家の前で

2012年11月23日 | 宅老のグチ

ミャンマー民主化の象徴ともいえるところで記念撮影をした。民主化以前はこの家の前を通ることも出来ず、写真を撮るだけで逮捕されたと言う。11月19日オバマ米大統領がミャンマーを訪問することでほぼ経済制裁が解除となる。投資のラッシュでバブルは必死となる。ガイドさんの話だとヤンゴン周辺のゴルフ場が8箇所ほど今あるそうだが来年には3倍の数になると言う。ホテルのドタキャン騒動も需要が急増しているから生じたものでこの混乱は当分続くと思われる。
アウンサンスチーさんの家の反対側に瀟洒な邸宅があった。ここは元日本公使館あとで一時NHKがここから道を隔ててあるスチーさんの前の様子を日本へ映像を流してたと言う。今は公使館は移転して空き家となっているという。現地に行って初めて判ることもある。 
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ミャンマー漬物紀行10農業専門学校

2012年11月22日 | 宅老のグチ

Aung Pan町の市場を見た。現地の産地組合と生産物の情報交換の場で現地生産者が20名を越える人が現れ、日本語とミャンマー語?が入り乱れ、漬物業者が希望する農産物の話をしたため長時間となってしまった。Heho空港に戻る時間を考えると空港そばにある農業専門学校に行く時間が短くなった。
 農業専門学校は駆け足訪問であった。ナスが出てきた。校長先生が9日の土曜日の午後にもかかわらず応対してくれた。我々も土壌の酸性値とか様々な農業生産の係わる基本情報を提供してもらうことを要求した。短い滞在時間だったが明治の初めの農業生産性向上のため日本各地に作られた農業専門学校を思い出させた。まだ設立2年目で今後は地域の中心産業である農業を発展させるとヒシヒシと感じた。
 heho飛行場に帰る。発展途上国では結構飛行機遅延のアナウンスで油断していると定刻通り運行し、キャンセル待ちの客にチケットを販売することもあるという。無事Hehoを出発。ただこの地が十数時間ほどあと地震に襲われたことは誰も予想していなかった。訪問地の人々が無事であること祈る。マンダレーに着陸しヤンゴンへ戻る。すごい渋滞。
日本に帰ってミャンマー地震の概要を知る。結構大きな地震で現地に半日前にいたことは今でも信じられない。地震多発地域とは思えない建設中のビルの柱の細さを感じる。
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ミャンマー漬物紀行9Aung Pan産地市場

2012年11月21日 | 宅老のグチ

 産地市場はちょうど東京オリンピックが開催された頃の神田市場、築地市場青果部の風景が残っていた。オート三輪もどきの耕運機を改造した運搬車、大八車が現役でさらに青果物がカゴとか板で出来た箱に入れられ運搬されていた。この町からヤンゴンまでトラック輸送で14時間ほどかかるという。高速道路が整備されれば半分の時間になると言う。
 ミャンマー シャン高原は日本人にとって快適な地域でここにて冬場を過ごすリゾートが出来ればそこそこの需要があるだろう。海抜1000Mの高原はミャンマーの野菜果物産地の中心地で色々な作物が出来るようだ。注目したのは生姜とニンニクである。ニンニクは生長が早く小ぶりで漬物用には向いていないと言う。生姜に関してタイの隣国と言うこともあり、ある程度の見込みがつきそうである。土壌とか肥料とか様々な初期問題がどのようになるか展開が読めない。台湾からタイに産地移動した時やタイから中国に移動した時の経験者がまだ日本にいるはずである。
 ミャンマーからの輸出にかかる輸送費は意外と安い気がする。空きコンテナに積める輸出品がほとんどない国は空コンテナでも運ばなければならない。
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ミャンマー漬物紀行8ヘーホーにて

2012年11月20日 | 宅老のグチ

ヘーホー空港は第二次大戦時、日本軍の空港だった。ネット資料によると空港の端に今でも退避壕の跡地があるという。この空港はシャン高原の中心にあって通常インレー湖観光の通過空港である。ところが我々の日程はヤンゴンーヘーホーの日帰りと言う特攻視察となっている。どんな忙しい日本人観光でもインレー湖付近まで来ていて泊まりもせず、ただ農産物加工場見学(Myanmar Belle社)とシャン高原農産物集荷出荷市場視察(Aung Pan町)が組み込まれていた。誰の差し金かと思えばミャンマー農業省の希望であると言う。入れ込んでいる日本の漬物業者と張り切っているミャンマー農業省との間で今後はどのような展開となるのでしょうか。オバマも来たくらいで世界中の山師がミャンマーに全部集まりそう。ホテルのドタキャン騒動ももその前兆かもしれない。日本ではミャンマー投資詐欺が出そうだ。我々がそのお先棒を担ぐわけにはいかない。
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ミャンマー漬物紀行7プロペラ飛行機

2012年11月19日 | 宅老のグチ
ミャンマー3日目、今回の旅行で一番心配していた日。午前4時モーニングコール。前日のホテルではモーニングコールはなかったがさすがに五つ星セドナホテルはきっちりとあった。それ以前に起きていてIPADでネットをしていた。4時30分ホテル出発。5時にはヤンゴン国際空港国内線に到着。国際線と同じ空港とは思えないほどローカル的雰囲気。出発は6時だが数分前にプラカードに便名を書いた職員が出てきて搭乗口に向かう。アナウンスがあったかどうか不明。とにかく人の流れに沿って改札と言う感じ。ヤンゴンから乗った飛行機はプロペラ機であった。ジェットでない飛行機に乗るのは30年ぶりか、飛行機の古さを心配しつつ搭乗する。室内は比較的真新しい。同行者によるとリニューアルという。ATR-72-500といい20年の実績のイタリアとフランスの企業が作った飛行機であった。ヤンゴンからヘーホー(HEHO)へ向かったが飛行予定では2時間半という。最短1時間強のフライトのはずだがどうしたことか。
 飛行機がヤンゴンを飛び立つと間もなく機内食が出た。朝食をホテルで作ったものを持参して、空港で食べていたのに機内食が出た。こんなこともあろうとホテルの食事は半分だけで残していたのでかろうじて機内食を食べることが出来た。フルーツ、サンドウィチ、水。このとき女性のクルーが配膳している時、かがんだためロンジンの下から足首が見え、ストッキングしていたのがわかった。この後に靴下を履いていたミャンマー人は旅行中見かけなかった。Asian Wings Airwayと言う飛行機会社は2011年初めに出来た会社でまだ初々しい。今でも思い出せないのだが飛行機の出発前のパフォーマンスでシートベルト着用とか、酸素マスクの付け方があるが、この飛行機では救命胴衣の付け方をしなかった気がする。タイでもミャンマーでも離着陸時窓の覆いをはずす指導があった。飛行機が燃えた時、乗客自身で気がつくためだと言う。
 1時間ほど過ぎるとシートベルト着用のアナウンスがあった。パガン遺跡と熱気球が見えた。途中着陸と言うことで乗客の半分(殆ど欧米人)が降り、少したって乗客が乗ってきた。よく見ると他の飛行機が2機ほど見え、相互に乗客を乗り換えているようだ。まるで日本のバスターミナルのようだ。手荷物もリヤカーの大型で手押しして運んでいた。
 パガン飛行場を飛び立つ時、加速した飛行機は端まで行くと滑走路をUターンして反対方向に加速し飛び立った。パガンからヘーホー飛行場まで数十分だがお茶と飴が出た。
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