年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

3回目のファイザ-の日

2022年02月28日 | 宅老のグチ
やっと3回目のワクチンの日が来た。予約のためらいで数日遅れたか、今のところ体調が良いし、急がず焦らず過ごした。今回は集団接種でなく町医者のネット予約となった。過去の接種で痛みも高熱もなかったので、ためらいはない。ただ周囲の人たちは結構副反応があったと聞く。

母が100歳を超え亡くなったので気になった本を借りる。著者は記者であって、僧侶の資格のある人で、過疎地・消滅地域の寺院事情を詳細に書かれている。
寺院消滅  -失われる「地方」と「宗教」- 鵜飼 秀徳著 2015年

 読み終わった印象で、お墓を守る人が少子になって、さらに長生き介護で疲弊し、墓を維持できない気持ちの人が増えていると感じる。父の墓に母が入るのだが墓の周囲の空き地が増えていると感じる。墓仕舞ををしたのだろう。土曜日に鎌倉霊園のチラシが新聞に入っていて、墓の一式の費用が600万円となっている。あそこは鎌倉の観光地で駅前からの週末の混雑は酷い。霊園から富士山が見えるというがもっと便の良い所がある気がする。墓と葬儀の費用は相続税の控除に含まれていて、立派な墓にしたという思いだろうが、谷中霊園で石川和介(関藤藤陰)の墓が合葬され、消えていた。ペり―の来航時に阿部正弘の下で活躍した人だった。子孫がいなければいずれ墓は消える。
 昨年の出生者数が発表となったが84万人で死者の方が60万人おおく、鳥取県の人口が55万人弱なので、一年で鳥取県が消えたことになる。来年あたりは島根県の人口68万人程消えるかもしれない。空き家が増え、負動産と消滅寺院増え、さらに地方が原始の日本に戻る。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、この変化の速さは頭が追い付かない。日本だけでなく東アジアの地域はフィリピンをのぞいて出生者数の減少が続いているようだ。
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もし戦争で食料不足になったら

2022年02月27日 | 宅老のグチ
ウクライナのとばっちりで食料不足になったら、どのように政府官僚は法制度を作るのだろうか。前例主義の官僚は戦前の食料配給制度を持ち出すかもしれない。母の遺品で米穀通帳があった。コメを買うとき必要で今の仕組みだとお薬手帳かもしれない。買い占めを防ぐ目的があった。行列もあった。
 東日本震災時に計画停電があったが、2011年3月14日以降 の10日間ぐらいだったので記憶が薄れたが、築地市場が停電計画地から漏れていて、後から聞くと都心は停電すると大変ということだった。もし今なら郊外にタワ-マンションが林立し、エレべ-タ-等の電気の必要な家は役に立たない。オール電化で風呂や炊事やトイレも使えない。これから電気が高くなると選択肢が電気しかないと大変な気がする。でも豊洲市場は中華のレストラン以外はガス設備がなかった気がする。オール電化でさらに温水供給がある。いきなり昭和といっても戦前の昭和から令和に移行した。トイレも。しかし電気が切れたらその設備が太陽発電で賄えるのだろうか。フォークリフトも電動である。
 情報収集するスマホでも電池切れには弱い。結局文明はエネルギ-で保持されていて、体力は食料で機械等は今のところ化石燃料だろう。戦争は映像を見ている限り物の破壊で人間の愚かさを知る。既得権も破壊される。
 夏の参議院選挙は憲法9条で護憲派の念仏はどうもスラブ民族の東方指向には役に立ちそうもない。日本は海に囲まれている幸運地と知る。
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今の戦争のことは書きたくないので

2022年02月26日 | 築地市場にて
築地市場の移転騒動時に大正のコメ騒動から、政府が物価が上がり、買い占めの商人たちを社会主義者が煽っての打ちこわし等の攻撃の対象となり、死者まで出る暴動となった。このことから中央卸売市場法が出来て関西から中央卸売市場が出来てさらに公設小売市場が出来た。これは最近まで残っている公設市場の始まりだった。
 東京が遅れたのは関東大震災と利権等の思惑があって、東京市議員の不祥事もあって昭和10年2月に築地に移転した。すでに昭和の恐慌時代で、農村の苦境のため、地方自治体は東京市場に期待していたようだが中国との戦争ですぐに統制経済となり配給所となった。品物も少なく、さらに若い人は兵隊となってしまった。今と違って人力運搬のリヤカ-や大八車が残っていて徒歩圏から築地や神田の青果市場に運ばれていった。この戦争中の記録は少ないと感じる。東京市場の歴史で業者の古老の話は不祥事が消されていて、真実の歴史と異なる。うまく立ち回った人が生き残った。戦後は築地市場内の青果部が米軍に接収され、ドライクリ-ニング場となり、豊洲移転時に築地市場の地下汚染が広く知られた。
 戦後のヤミ市の時代で卸売市場は統制で繁盛していた、さらに決済の点でも安心があったようだ。商材が集まり、配給時代でも築地のごみ集積場では一部が傷んでいて商材が捨てられいたので、給与の少ない労働者たちがごみ漁りをしていたという。築地の豊洲移転の最後の時は、場外からのごみの不法投棄を監視するカメラがついている時代となった。
 平成30年10月の大安の日に豊洲へ移転したのだが、飲酒していても業務の出来る大八車がまだ残っていて、初セリのマグロの映像では電動タ-レでは運搬している映像でなく大八車に初セリマグロを乗せた映像だった気がする。演出だろう。築地.大田は世界とつながっていて今度のウクライナ戦争はどの様な具体的な不自由さを感じ始めるのだろうか。それは海運会社から始まる気がする。ロシア絡みの為替相場で変動がありすぎて、当分様子見となるだろう。

 築地市場には暖房がなく、冬場は臭いの出ない練炭が最後まで使用していたところがあったようで、市場の休み前には東京都が練炭の始末の注意をしていた。今から思うと良く火事があった。そして新聞報道では中央区築地5-2-1となっていて、慌てた地方の荷主から火事見舞いを頂いた。
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引きこもりの言い訳2022.2

2022年02月25日 | 宅老のグチ
昔は特に戦争の後、家もみな貧しく、でも家電製品が増えるに従い、家事労働が減り、所得も増えた。仕事のえり好みをしなければ最低限の生活は出来ていたという思いがある。
 値上げの時代にまだ値下げで消費増大を図る企業がある。特に衣服は世界的に過剰生産でリサイクルの服の中には一度も着ることもなく捨てるものがあるようだ。食の世界も過剰と飢餓が混在していて,コロナによる海運物流が混乱していて、業界再編の進んだコンテナ会社が史上最高の利益を上げている。それでも日本の港湾業界にはおこぼれが少ない様だ。相変わらず大井ふ頭にコンテナ待ちの行列が見られる。多くの港湾投資より世界に通用し、24H使える施設が数か所欲しい。この辺は日本の欠点を研究した中国を再研究しないと、寄り道しない港が増える。すでに寿司用のガリ生姜は中国製造で直接アメリカへ輸出され、再加工して全米各地に行き渡る。もちろんすし屋もあるが日本のス-パ-で売られているパック詰めの寿司に小分けのガリとわさびが入っているのも外国で販売されている。日本製ではないガリで売れているようだ。日系人もあれば韓国系アメリカ人もあり故郷を離れて頑張っている。コロナの中国が発生情報を隠したため、アジア系の人が狙われるが日系は少ないと感じる。
 もう引きこもりの日本人は国外に出るしかないのだが異国ではいつ攻撃されるか判らないので出ないと思う。それゆえビザ切れの不法滞在が少ないのでパスポ-トランクが上に来る。
 コロナで人と会う機会を減らそうとするが、薬だけの診察は2か月に一回ある。リモ-トで処方し、メールで処方箋を送り、宅配で薬が来る時代はいつのことか。いずれアメリカのシステム会社のソフトで始まる気がする。日本の内輪の論理で今後もずっと通用するとは思えない。

 ロシアとウクライナの間を日本で引き裂くデマ情報があって、それぞれの支持者が日本で暗躍している。あれほど尖閣列島に中国の警備船情報が消えている。何か意図があるようで詮索の楽しみが増える。人知の及ばないところに歴史が変化する。特に日本は災害が多く、いつ震災があってもおかしくない。次の震災は四国沖と北海道東部だろう。
 当分、海外の偽情報の振り回され、疑心が深まり、西欧の歴史観とアジアの歴史観が異なること知るだろう。
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NHKの映らないテレビ

2022年02月24日 | 築地市場にて
安売り量販店でNHKの映らない、つまりチュ-ナ-がないので、普通のテレビ放送が見ることが出来ないテレビが良く売れているという。ネットの時代はもう高齢者しか見ていないかもしれない。
 築地市場で会社に10インチくらいのテレビがあった。どんな理由か東京タワ-が見えるのに、築地市場内のテレビ視聴は有線だった。テレビがアナログ放送からデジタルに切り替わり、市場の施設課から買い替えを促されていたが、業務時間中はテレビを見ることなく過ごしていた。唯一みんなで業務時間中にテレビを見ていたのは東日本の大震災時で、テレビによって情報収集し電車が止まり業務中断し帰宅指示となった。
 ある程度時間が経って、東京都から築地市場内のテレビがアナログ変換設備が古くなったのでアナログが配信中止となった。それでも誰も会社内のテレビを見ていないので映らないことを知らなかった。日曜日に大きな競馬のレ-スがあって、テレビをつけたのだが古い受像機には雨が降っていた。壊れたのかと思ったら、テレビがアナログしか映らないことを思い出した。映らなくなって4から5か月経っていた。社内の人は昼休みの時間のネットを見るのが普通でテレビは誰も見ない。
 その後NHKのお客様相談室に電話したのだが、不思議そうな対応となった。こちらは豊洲移転を控えていたので、テレビがなくても誰も困らないので契約解除を要請した。二か月ほどして契約解除となったが今でも豊洲にテレビがなく、監視カメラのテレビがある。
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やむ得ず欠席通知

2022年02月23日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
鹿児島県南鹿児島市知覧特攻慰霊顕彰会から5月3日の慰霊祭の出欠返事で悩んでいたが、コロナもあって今年は不参加決断をした。それでもコロナが収束し旅費等が安い時期にゆっくりと南鹿児島の慰霊旅をしてみたい。
 高校生等の修学旅行時期で人気が一位の観光地となったのは、1036名の壮絶な死が魂を覚醒させるのだろう。18歳から23歳くらいの優秀な学生が敗戦間際と知りつつ、死を予定していた飛行機搭乗の直前に笑顔で別れの挨拶をしている写真は涙を誘う。
 昭和20年5月15日に台湾花蓮港の料亭新川で叔父たちの特攻メンバ-が宴会をひらいた。その記念写真の前列には隊長の回りに、叔父ら6名が座っていて、後列には後に特攻することになった人たちがニコニコし、ふざけている記念写真があった。真面目な叔父は特攻隊の心の乱れを懸念したか重苦しい姿で写っていた。台湾の5月中旬は日本の梅雨の始まり頃で、蒸し暑いという。隊長以外は楽な服のようだった。後列の人たちは無礼講らしくYシャツ姿で汗拭きのタオルではしゃいでいる姿も見える。とても特攻直前の写真とは思えない。
 知覧の1036名という数字はどうも定義があって、陸軍で特攻命令が出て出撃して、散華した人たちのようだ。空中戦で損傷し、米軍等の艦船に特攻した飛行兵は含まれない様だ。これは後の軍人恩給にも影響する。叔父たちの特攻攻撃で戦果確認機が1機出撃しているが、米軍と戦闘になり、台湾に戻ることはなかった。彼は特攻隊員でないので知覧の1036名に入っていない。しかし同期の仲間の記憶では同じ死の扱いとなっている。

 中田芳子著 14歳の夏 特攻隊員の最後の日々を見つめた私

この本で台湾の叔父たちの行動とその後が書かれている。
この少女は今は90歳となっている。あの記念写真がなければ叔父の最後の日々が不明になるところだった。生き残った同期の特攻隊員の戦後の心に大きな傷があったようだ。偶然知り合ったのは叔父の魂がまださまよっていると感じる。
 そして間もなく、下北沢の町おこしをしている作家がこの第八航空師団の204隊の歴史を書籍とする。主な内容は7月19日の特攻作戦で、沖縄が米軍に制圧されている状況で飛びたった。隊の名誉のためで最初から戦果は期待していないと感じる。コロナの下で台湾の現地調査が出来ず、リモ-ト取材で苦労した様だ。この本が出れば叔父の魂が安らぐと信じたい。
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51ミリ大型クリップ

2022年02月22日 | 築地市場にて
目の前に大型のクリップがある。5センチを超えるクリップで会社の業務で使用していないものがどうして家にあるのか気になった。
 このクリップは築地市場の東京都講堂で配布された資料を束ねたものだった。築地から豊洲へ移転する際に、廃棄書類に入っていて、苦い思い出として今机の上にある。由来を知らないと大きすぎて使い道のないものと考えるだろう。
 アマゾンで調べると
プラス社製のようだ
  1. ダブルクリップ「エアかる」
  2. 規格:超特大 / クリップ幅:51mm
  3. 数量:10個 (箱入り) / カラー:ブラック
  4. とじ枚数:200枚 ※とじ枚数はPPC用紙(64g/㎡)をとじるときの目安です。
  5. 材質:本体=鉄(ブラック:鉄酸化皮膜)、ハンドル=鉄・ニッケルメッキ
この書類は地下汚染水の状況を示した地図などをA3用紙を数十枚束ねたもので、いずれ東京都の公文書館で公開されるだろうが、今から思うと時間の無駄で、儀式とはいえ、無駄な10兆円以上の費用が掛かった気がする。築地から豊洲へ移転するので、豊洲へ橋が架かり、東京ガス跡地の汚染処理を数回しても今でも豊洲市場から移転反対派の主張する汚染物質が中央卸売市場のHPには毎月のデ―タが公表されている。移転反対派の主張した汚染された土地の上を通過したものは価値が下がると言っていたが今でも思っているのだろうか。
 すべては緑の狸の口先で騙された。事の始まりは石原知事の決断から始まり、なかなか移転準備会議が進まず、新宿都庁での会費制懇談会で会議の促進を言っていたが、結局毎年1月5日の築地市場で開催される市場協会での市場長のあいさつでも進展がなかった。やっと進み始めたのが2016年東京オリンピック招致で、国内予選に参加することだった。ここでやっと会議の日程が進み始めたのだが、市場という組織の最末端で業務しているので、反対派の意向も良く情報と入り、どうせ形式だろうと暇つぶしに午後2時過ぎからの会議を傍聴していた。そこでもらった資料はざっとみかん箱4箱は超えるだろう。多くはA4の再生紙でA3は汚染水の会議の時だった。
 あのまま移転していたらもう少しましな老後があったかもしれないがそれなりの参加したという自負もある。退職後に築地移転騒動の渦中にいたというと、政治理念が違っても共通の話題となる。どの人も築地に繋がって食の思いでに繋がる。それは吉野家の一号店が築地市場のせっかちな労働者の食の要求から始まる。(美味い、安い、早い)ということになる。
 多くの誤解を招いたが一番の移転の功績者は浜渦さんだろう。誰かが悪人役をしないと理屈で通らない市場関係者のしがらみを壊せない。もう時代遅れの中央卸売市場と知っていても誰も動けなかった。毀誉褒貶のあった勝海舟のようだったと今は思う。
 都議会の5年前の選挙で日本共産党の候補者と支持者に質問した。築地市場内のあの不衛生状態と豊洲の地下汚染をどう考えるかというと言葉に詰まった。コロナの今手のアルコル-ル消毒しているが当時の築地のトイレに薬用せっけんがあっただけで量販店対応の仲卸は使い捨て手袋で仕事をしていた。
どこでも衛生事故を出すと会社の名前の前に築地市場のXXと出る。連帯被害を受けることになる。
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終わってしまえば

2022年02月21日 | 宅老のグチ
隣の国の首都で開催されたオリンピックが終わった。結局開会式、閉会式は見なかった。半年の二つのオリンピックの異様さが記憶に残りそう。まだ札幌で開催を考えているようだが、もう経済効果などを語る時期が終わった。今度のことで支援した協賛企業は次の行事に宣伝効果をどう評価するのだろうか。大阪の万博協賛企業のリストを見ると付き合い参加で仕切っている企業に頼まれ感がある。今度のコロナで人が密集することでの高揚感が否定された気がする。2月も3分の2が終わり、1週間過ぎれば3月になる。もうじき3回目のワクチンを打つのだが4回目もありそうで、早く打っても抗体が早く減るだけで、後出し接種を選択した。これで日常に戻るのだが戦争情報があって、平和というのが短い。 上野の花見の頃は人の様子の見ごろかもしれない。
 テレビは普通の放送に戻るのだが、戦争なのかコロナなのかどうするのだろう。国民の負担率が48%という報道があった。どこかで2025年に団塊の世代が全員75歳以上となる。高齢者優遇が終わる方向になるが、それ以上に若年層の介護資金の不安が増す気がする。そして見返りのない出産が減る気がする。あれほど騒いだ保育園入園騒動も、子供がいなければ終わる。散歩の途中にあった放課後の学童預かり所が閉鎖となった。密集していたので閉鎖となったのだろう。リモ-ト勤務の出来る業界と人力企業との差が出る気がする。多くの企業幹部は過去の成功で評価の難しいリモ-ト営業が元に戻りそうだ。コロナ化で訪問営業、宗教勧誘、政党宣伝が新たな方向が見えないでいるようだ。
 金で動く時代から共感で動く時代になりつつあって、(いいね!!)ボタン集計数はまだ高齢幹部は理解できていない。フェイクが多すぎ、偽情報で動かせるが数日後に嘘とわかる。米国とロシアの戦争準備報道は騙しあいにしか見えないで人が死んでゆく。
 お客様好感度NO.1企業が多すぎ、細かい設定の嘘が見える。

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ライマ

2022年02月20日 | 福神漬
新宿区の津の守に新宿歴史博物館がある。最寄りの駅は都営新宿線曙橋駅で歩いて数分で着く。そこの学芸員に明治の初めに津の守に住んでいたアメリカ人が缶詰の作り方を日本人に教えたのは誰なのか聞いた。(出典・明治事物起源・石井研堂)しかし記録がなく、結局都立公文書館へ行くように言われた。
東京都公文書館は、東京府・東京市時代からの東京都の公文書や行政刊行物を系統的に収集・保存し、閲覧に供するとともに、東京市史稿をはじめとする明治期以来の修史事業を継続している。今でも新しい東京市史稿が継続して出版されている。
1968年以後に港区海岸で業務を行っていて、道路を挟んで反対のところに都立産業貿易会館浜松町館があって、漬物の展示会の開催の時に公文書館を見ていた記憶がある。ここは人生の間に訪問することはない施設と人の出入りを見つつ思っていた。10年くらい前に芝浦地区の再開発で移転した。今は再開発が終わって『東京ポートシティ竹芝オフィス』となり、ソフトバンクが本社として使用している。都の公文書館は 2012年(平成24年)に世田谷区玉川の旧東京都立玉川高等学校校舎に移転し、そこの2階で雇い外国人を調べたが、都の職員が缶詰の起源を示して、ライマではないかと言ってきた。
図説明治事物起源事典 湯本 豪一著 東京 柏書房
 公文書館でライマを検索すると2件出てきて、夕張炭鉱を発見した地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンだった。日本における缶詰の始まりは二つの系統があって一つは長崎の松田雅典で長崎市と日本缶詰協会の本で認定されている。
 ライマと雇い外国人で検索すると『ライマンの法則』出てくる。「すでに濁音を含む語では連濁が起こらない」という一般化で,明治時代に日本にアメリカから日本に来た地質学者によって発見された日本語の法則です。北海道の夕張炭鉱を発見した人でも知られる。さらにベンジャミン・スミス・ライマンを調べると、石井研堂の記述に誤りがあって、明治3年に来日したのではなくもっと後のようだった(1973年1月)このような記述の誤りが石井の缶詰の始まりには多くあって、さらに蛇足と言える文章も多く、缶詰協会としては通説と出来ず、コラム扱いとなっている。
 上記の理由で歴史学者は石井の文章を検証していないと感じて、調べてゆくと二次的な意図が隠されていると感じるようになってきた。

北海道を開拓したアメリカ人  藤田文子著 新潮選書1993年
この本の三章にライマンの日本の業績が記述されている。著者はさりげなく書いてあるが、ライマンは芝増上寺にあった開拓使仮学校の校則に不信感を抱いた。仮学校の生徒は授業料を免除され生活費を支給されるが、卒業後数年間は開拓使で働かねばならなかった。さらにライマンは仮学校に併設されていた女学校の生徒に一目惚れし、結婚の申し込みした所、日本人の上司はその女生徒に断らせ他の女生徒を紹介したという。このことの詳細はお雇い外国人の小説を書いている森本貞子著『秋霖譜―森有礼とその妻』に詳細が書かれていている。
 ライマンの結婚申し込みを断った女性は旧幕臣広瀬家の長女で常である。広瀬家では慌てて後の文部大臣となる森有礼に嫁がせた。二人の結婚は新聞報道され立会人は福沢諭吉だった。のちに夫婦の間に問題が生じ、離婚したのだが森本貞子さんの小説では今世間に伝わる常の不倫でなく、広瀬家が女性だけだったので養子を迎えたところ、自由民権運動静岡事件の関係者であったため、密かに離婚させられた。
広瀬重雄(1859年生、旧姓藪)は幕臣の藪七郎左衛門の子として生まれ、静岡の小学校教諭を経て東京に遊学、自由民権運動に触れ、1879年に静岡県士族・広瀬秀雄の養子となって家督を継ぎ、事件当時は地元紙の記者の傍ら愛知・岐阜県下で政治演説会を開いていた。当時、養家広瀬家の娘たちは森有礼、磯野計の妻であったが、静岡事件後、姉の常は密かに離婚させられ、妹の福は出産後に急死した。 世間に離婚の理由をごまかすため、青い目の子を産んだという噂を流し、不倫ということで今に伝わる。政府幹部夫人が過激な自由民権運動家が身内にいると許されなかった。同様に磯野計の妻も悩んでいたと思われる。
 常の写真は全て消え、面影は妹の写真しか残っていない。妹の広瀬福は日本郵船が発足した時、船舶用の食品納入業者の明治屋創業者磯野計に嫁いだ。
 
 日本郵船の積載物に明治屋の商品が多く、第一次大戦末期にでインド洋で遭難した常陸丸には明治屋の練乳と酒悦の福神漬木箱が発見されたことで知られている。

 森本貞子の小説は読んでいる途中でこれは本当の話か疑問に思ったが藤田文子著の本で文献も残っていてどうやら事実のようだ。
 福神漬缶詰の逸話は良く北海道が出てくるがこんな歴史が隠れているとは思っていなかった。日本缶詰協会の缶詰の始まりで缶詰の量産工場は北海道開拓使のようだ。明治14年の政変の原因になった北海道開拓の関係の払い下げ問題は政府の意向と現実があっていないと感じる。多くの失業士族救済を考える政府役人と効率と業績を残す雇外国人との意識の差があった。多くの雇外国人は今でいうとアフリカ等で活躍する欧米人に似ている。業績と名声を上げ本国に戻る。

  








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韓国のタンムジはタクワン漬か? 続き 日本のキムチ規格のとんでもない名称

2022年02月19日 | キムチ
もう40年ほど前に、日本の漬物業者が韓国から原料提供の見返りに、加熱殺菌する漬物技術を伝えた。韓国は伝統的に家庭の女性がつくる保守的な発酵漬物を重視していて、発酵していない漬物は好まれていなかった。しかし量販店から漬物を購入すると管理のしやすい加熱し発酵しない、キムチ風漬物を買うようになった。韓国人が海外旅行に行くようになると、特に安価なグアム旅行で現地の食品店で加熱キムチ(日本産)で驚き、海外輸出に目覚めた。日本の漬物業者はアメリカ重視でいた気がする。
(加熱殺菌した漬物は安価なドライコンテナ輸送が出来る。初期は冷蔵コンテナが不足し、高額な輸送費がかかった。)

 これからハングり―精神の韓国人労働者の行き先で、日本のタクワンと称して自国の漬物を拡大していったと思われる。韓国の貿易でキムチの貿易収支を重視していることは知られている。この点で日本人嫌韓国ライタ-は日本のキムチの事情を知らないので、正確な知識での反論はない。日本のキムチの規格が農林水産省で作られていて、これをある日本の博物館の学芸員(女性)に話したがすぐには何の規格と理解できなかった。ある韓国の女性タレントが日本で(キムチ)と発言し、故国で売国奴と言われた。日本語ではキムチというがどうやら韓国語では(キンチ)と言わないといけないようだが日本語ではこの発音がない。それゆえ日本人は英語の発音で苦労している。

 農林水産省のキムチのとんでもない名称の規格(誰も知らない使われない規格)

農産物赤とうがらし類
農産物漬物のうち、赤とうがらし粉、赤とうがらし粉ににんにく、しょうがを 調味したものを,仕上げかすに漬けたもの。 赤とうがらし漬け類 が、にんにく以外のねぎ類若しくはだいこんを細刻、小切り若しくは破砕し  たものを加えたもの(以下「赤とうがらし粉等」という。)又はこれらに わさび漬  にんにく、しょうが、にんにく以外のねぎ類、だいこん以外の野菜、果実、 農産物かす漬け類のうち,わさびの根茎,葉柄等を細刻したものを酒かす 等々の文が続く。だんだん何の定義か判らく無くなる。
 韓国には地域のキムチ文化があって日本人が定義するという難解なことをしたため、誰も理解できないJAS規格となりさらにキムチという言葉も韓国からクレ-ムがあって規格名から消えた。
 今のところJAS規格を商品に表示している和風キムチは無いように感じる。
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韓国のタンムジはタクワン漬か?

2022年02月18日 | 宅老のグチ
日本の農産物漬物の規格は平成27年5月に改正があって次のようになっている。
農産物ぬか漬け類 次に掲げるものをいう。
1 農産物漬物のうち、ぬか類に砂糖類、塩等を加えたもの(以下「塩ぬ か」という。)に漬けたもの 2 1を砂糖類、果汁、みりん、香辛料等又はこれらに削りぶし、こんぶ 等を加えたものに漬け替えたもの 3 1を塩ぬかに砂糖類、果汁、みりん、香辛料等を加えたものに漬け替 えたもの
 た く あ ん 漬 け 農産物ぬか漬け類のうち、干しあげ(天日干しで水分を除くこと。以下同 じ。)又は塩押し(塩漬けにより水分を除くこと。以下同じ。)により脱 水しただいこんを漬けたものをいう。
上記の日本におけるタクワンを含むぬか漬の定義で、この定義によって量販店に売られているタクワン漬の表示となる。
 ネットで調べただけで韓国のタンムジはこの定義に当てはまらず、どうやら大根系の浅漬の一分野になる気がする。
 韓国でも日本でもライタ―などは漬物を作ったことのない人(食べているだけの人)の漬物談義は何かおかしい。漬物は食べる人の体調でレシピ通りに作っても味や食感が違って、冷蔵庫に賞味期限が切れて、2週間後に食べても自分では乳酸発酵が進んでおいしかった。日本のキムチ製造者は本当のキムチのおいしさを賞味期限に設定していないことを知っているので、いつも期限切れを食べるようにしている。まだキムチに関して日本は発展途上と考える。ただ乳酸発酵の酸味の好みは人によって異なるので、日本の量販店では無理だろう。
 日本の量販店は白菜が激安となっても価格を下げることはせず、量目を増やし、お得感を演出する。世帯人数が減り、個食化が進んで、家庭ごみを増やす増量セ-ルが好きである。テレビで良く報道される詰め放題がごみを出す罪悪感を消す。激安単価でテレビ放送を支え下請け企業ADたちの夢泥棒ともいえる。
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三河屋幸三郎と河鍋暁斎

2022年02月17日 | 宅老のグチ
蕨の図書館で研究誌『暁斎』を拾い読みしていて、暁斎の絵日記に三河屋幸三郎から絵の催促人が来ている日記があった。どのような関係があったのだろうかと頭の隅に残っていた。今コピ-した資料の断捨離をしていて、上野の彰義隊の遺体を放置されていたので幸三郎の義侠心で上野の地に埋めた。これでコピ-したのだろう。
 旧幕府・史料 同方会報告第五号 沢太郎左衛門氏演説述

 北方領土エトロフ島に日本の領土を示す柱を建てたのが近藤重蔵でその子の流人近藤富蔵が殺人を犯し、八丈島に流され、明治になって赦免されたが、手続きの漏れによって東京に戻ることは出来なかった。この時に支援したのがIHIの創業者平野冨二で彼は遭難し、八丈島で近藤富蔵の世話になった。富蔵の書いた『八丈実記』は今は東京都の文化財となって、当時の民俗資料となっている。この八丈実記に平野冨二のところに『大恩人』と書いてあった。近藤富蔵が東京に戻った時、多くの人が新聞記事を見て、富蔵に寄付をした。その中に三河屋幸三郎の名前があり多大な金を寄付した記録があった『八丈実記』。
 何か違和感があって旧幕府の史料を読んだら、幸三郎は八丈島へ流された流人と現地妻の子で、親が赦免された時、例外的に江戸に帰ることが出来た。島への恩義を幸三郎は考えていたと思われる。
 幸三郎は明治22年に死去したのだが晩年の仕事は根付等の美術品を輸出する仕事をしていた。高村光雲とも交流があったが幸三郎が早く死去したため、光雲の息子(高村 光太郎) の生活が厳しかったという記録がある。また根岸に住んでいた河鍋暁斎と交流があって、三河屋の手代が幸三郎の代わりに暁斎の家に出向き、注文してあった暁斎の絵の催促をしている暁斎絵日記がある。
 高村幸太郎の妻は女流画家で『智恵子抄』で知られている人物で福島県二本松市出身である。
 福神漬の史料を読むと、二本松・上野・根岸・横浜という地名のほかに美術と輸出関係が良く出てくる。

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お茶のペットボトル

2022年02月16日 | 宅老のグチ
国の会議で、テーブルの上にお茶のペットボトルが置かれている。築地市場で農林水産省・東京都市場監査。税務署等の調査で、昭和の30年代まで昼食の寿司など出していた時代があった。それから業務監査時にはお茶だけとなり、さらに人手不足となってお茶を出す人も足りないため、ペットボトルを出すだけになった。新年のあいさつ時に、東京都の職員に年賀タオルを出したら、受け取りを拒否された。これも東京都の倫理規定では違反のようだ。
 神奈川県警の公務員が葬儀業者の接待事件でどこの警察でもやっていると裁判で証言していたが、警察官で拒否する人や届け出している人もあると信じたい。
 昔からやっていて許されるからと思っていても、時代が変わり人の裁量が減り、他の人が来ても仕事が進むようにする時代が来た。焼津市場の問題はどこの産地市場でも起こる問題で、青果物や水産物の窃盗は単価の安いときはあまり盗まれないが単価が高くなったときは盗まれ、他の市場に運ばれ売られる。これは卸売市場法の問題でチョット前まで持ち込まれる物の拒否権がなかった。もちろん窃盗したものと知っていたら犯罪となるのだが、多くはそのような申告がなく、流通する。
人権侵害の労働で得た、安い農水産物でも日本に来れば売れるとなれば荷物は集まる。心が貧すると安さが優先となる。今の日本の学生は就職のことを考えて学生生活を送っているが欧米で学んでいる学生の中では先進国の不正活動を暴露している人もいる。これを追及されると日本の販売店の多くは消費者に説明できない。中国のウィグルの問題も日本ではあまり関心がないのは日本の学生の問題でもある。
 今あるスーパ-が生産者からの一律の大幅の値上げを拒否し、店から排除するという。この他店より安いという行動で売り先を失った製造者が多数あって、30年間の不況が続いた。当然物価が上がらないので給与も上がらなかった。今度の海外由来の物価上昇は長い不況で寡占化が進んだ日本でどう変化するのだろうか。
 人口が減って食の絶対量も減る。競争が激しいというより、先行きに希望が消え工夫も減る。これでは事業の継続は望めず、良心的なところが先に消える。気が付くと、町の中をヤマトと佐川の車のほかにヨドバシと郵便局が走り、カクヤスとウーバ-・出前館も加わり、マックの赤いバイク、ピザ屋のバイクも走る。店に品物がないと宅配の世界となる。3度めのワクチン予約でだいぶネット利用が増えた気がする。習うより慣れろ。
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オノマトペの通になる

2022年02月15日 | 宅老のグチ
ツケモノの歴史を調べると、なにか辞書や歴史書に載らない言葉がありそうでなかなか真実にたどり着けない。何が邪魔しているのだろうか。オノマトペという言葉を知り、このことがない日本語は考えられないと
へんな言葉の通になる  -豊かな日本語、オノマトペの世界-得猪 外明[著]
著者によると辞書の編集者は当たり前すぎて説明しようもないし、変化が多すぎ、さらに品の悪い言葉が多く、がり勉編集者に避けたい分野のようだ。
 犬の鳴き声は日本人は(わんわん)と言っているが他の国の人は違う声に聞こえるようだ。さらにオオカミから飼われる犬になった時から鳴き声の表現が変わったという。日本語のオノマトペは性表現から来ているものが由来して、TV等では放送禁止用語となっていて、次々と性表現の言葉が生まれる。
 病気の表現でもオノマトペは便利でお腹がキリキリ痛い、足がムズムズするとかの言葉で医者に状況を伝える。体温なら37.5度と言って誰でも状態を把握できるが、患者のキリキリ痛いを医者はどの様に把握しているのだろうか。
 日本人が生活で学んだ日本語の難しさは成人の異国人が学習するには困難がある。漢字の読み方、音読み、訓読み、職業によって異なる読み方、男ことば、女言葉に加えて、今は男女同権ということから統一化されてきて、相手がどの基準で話しているか知る必要があっるようだ。さらにオノマトペが加わる。幼少期に日本人世界から離れて、インタ-ナショナルスク-ルに入った子供はオノマトペ用語の深さを知らずに、中途半端な帰国子女になる話がある。世界では通用しても日本で言葉が通じない。
 音節が日本語では112しかなく、他言語では同音異語が少ないのでその差が目立つ。掛詞を楽しむ文化はここから来ているようだ。
 また日本人の言葉が単純で初期は清音しかなく濁音がないとこの著者は記述している。さらに英語で苦労しているLとRの区別も最初から区別で来ていなかったようだ。3歳を過ぎると日本人はLとRの発音を区別できないという。

 あっさりさっぱりという言葉をどう他の人に差を言葉を使って表現できるのだろうか。
 
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慰霊祭の出欠に悩む

2022年02月15日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
2月のこの時期に、鹿児島県知覧特攻慰霊顕彰会から招待状が届く。2年前の戦後75年の節目の慰霊祭に参加したが。令和の初めで10連休ということで、航空券と宿泊を合わせて、海外旅行並みの費用となった。叔父が特攻したのは台湾からで知覧に慰霊されている1036名の一人とは15年ほど前に知り、招待状がくるようになった。この時期は築地も忙しく、豊洲へ移転しやっと慰霊祭に参加できるようになった。家人は8年以上前から参加していて戦争礼賛と感じないと言っていた。
 チョット前の日本経済新聞のコラムで。今年は戦後77年という、さらに明治維新から敗戦まで77年だった。明治の勢いがすべて敗戦で消えた。叔父の行為は生きている自分にはどのような意味があるのか慰霊祭のテントの下で黙想する。帰りの鹿児島中央駅前のバス乗り場へ行き、東京への飛行機に乗ったのだがずっと叔父を生んだ母(てい)のことを思っていた。老衰と医者に言われ、10日以上も水を唇に濡らしただけで生きていて、最後に大あくびをして呼吸が止まった。なぜかチリ紙を鼻先に垂らし、揺れないのを確認し、周囲の人に連絡した。もう50年以上の前の話だが、その時叔父が特攻で死んだことを知り、さらに同僚が戦後に訪問し、出撃前の集合写真を届けてくれた。その写真が父の写真帳に大切に貼ってあった。その写真が2020年7月4日に日本テレビで夕方写り、もうじき下北沢の台湾の特攻隊を調べている人が本にする。
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