年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 9キムチは素材

2021年01月31日 | 宅老のグチ
日本の漬物業はバブル時期には5000億円強の売り上げあったが、バブル崩壊後、デフレとなって今は3500億円程度になった。特に梅干しとキムチの販売単価の暴落は厳しく、多くの日本の漬物業者が倒産したり、後継者が見つからず廃業となった。日本の漬物業の中心だった、大阪中央卸売市場の本場にはかって二十数軒のの漬物問屋が並んでいたが、市場の建て替えで買い出し人の流れが変わり今は見る影もないという。市場は買い出し人の回遊で栄枯盛衰がある。青果部は店舗移動は原則としてなかった。シャッタ-街になったともいえる。京都はまだ観光地という事で漬物業者が数が多い。そこでも生き残る工夫があって、漬物を販売するという事より、飲食と雰囲気を楽しむという方向も出てきた。その中でキムチの新しい販売方法として、ご飯のお供と言う事でなく、調理師した辛みのある野菜と言う風な素材的用途を工夫し、販売拡大を目指す方向も見えた。カット野菜は少人数家庭ではゴミの量の削減となるが、やはり高価格となる。しかしキムチとなると激安となる。洗えば辛みが消える。激安野菜になるのは、調味液が入っていて、販売期間が長くなる。カット野菜は意外と短いし、何しろ超割高と言える。
 鍋の具材としてキムチの味付け野菜として販売例も出てきた。需要縮小を工夫で解決するしかない。戦後のキムチも無臭ニンニク開発競争があった。今では余程の生のニンニクで無ければ気にしない時代となった。これは韓流ドラマの影響かも知れない。テレビからは臭いが伝わらないからかもしれない。生のニンニクは甘皮を取り除くことは大変で、手伝った時に爪に間に挟まりニンニクの汁で痛かった。今はニンニクは韓国も日本も中国産で世界の需要のほとんどが中国で賄っている。韓国がキムチの本家を強調しても、にんにくの輸出制限すればおしまいとなる。キムチに本家に関して歴史・数量・金額のどれをとっても中国が元祖ともいえる。ただトウガラシが入ったのが日本経由の朝鮮半島キムチである。日本の漬物にトウガラシが入った漬物が戦後まで普及しなかったのは謎である。どちらかと言えば薬味としての利用が多いと思う。キムチに入っているトウガラシは血圧を高くする作用があって注意しないといけない。記憶であまり寒い時、靴下の中にトウガラシを入れて寒さを我慢したこともあった。ネットで調べると唐辛子の辛味の主成分でもある、化合物のカプサイシン加工がされている靴下があった。ユニクロのヒ-トテック加工衣料より安そうだ。 

10へ続く
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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 8 貿易統計

2021年01月30日 | 宅老のグチ
日本も中国も韓国もそれぞれの貿易統計(国が関税と言う記録で税金を取る。)で漬物の基準が一定であると勘違いしているライ-タが殆どである。例外は記憶の限りは無い。なぜなら多くの記事を書いているのが男性で漬物を漬けたこともあっても常時ではないと感じる。色々な情報を,集め混ぜ合わせて、さらに地域の特性,気候・時代考証もなく、受けを狙って記事を書く。見ると聞くと読むと実際は異なる。仕事になるとキムチは男にとってつらい。
 20年ほど前築地市場で働いていた時、農林水産省から問い合わせが入った。その役人は農林水産省の全国のハクサイ生産量の統計を集計し、分析している人だった。その人の話を詳しく聞くと、どうも漬物業者の生ハクサイ使用量は日本全国の農家のハクサイ生産量を超える数字となっている季節があるという。つまり統計の集計をするとハクサイは生食用は(八百屋やス-パ-での販売)無いという計算になるという。そこで漬物業界の当時のハクサイの漬物の様子を話した。
 ハクサイを漬け、製品と出荷して後、売れ残ったハクサイの浅漬にキムチ風のタレを加え朝鮮漬けとして再出荷する例があるという事を教えた。この場合、ハクサイの漬物の目方の計算は2重計上となってしまう。再出荷という業界の仕組みを知ら無かったようだった。今では品質の安定と冷蔵庫の温度管理で発酵の調整が出来る。この様な製造するところはない。夏場の生ハクサイは漬物用が多く、冬は鍋需要が多い。平成24年8月北海道・札幌で漬物業者の高齢者施設に納品した漬物からO157の大腸菌で死者が多数出た。今でもO157による食中毒の死者数の記録となっている。夏場のためハクサイ相場が大暴落した。夏の需要の大部分を占める漬物用ハクサイが全国で嫌われ、農林水産省の緊急支援が出たと記憶する。冬になって鍋重要が増えハクサイ相場が安定した。今でもハクサイの浅漬けにどうして大腸菌O157が入ったかはまだ解明されない。漬物工場と夏季開催のサッポロ競馬場とは近隣である。結局汚染経路は不明で、北海道のハクサイからもO157が検出されず、漬け込みタンクの洗浄不十分とハクサイの塩素系の殺菌剤使用が要請された。水道の殺菌と同じで嫌な臭いがし、今では別の方法で野菜を洗浄している。鳥インフルエンザとか豚コレラの感染拡大を避けるため、車のタイヤが消毒液を貯めた所を走行している動画を見た。当時の競馬場の出入りの車のための設備になかった様だ。
 貿易統計でも中国から韓国へ輸出するキムチの統計で目方で見ると圧倒的に中国が世界で一位となる。今でも韓国のキムチ貿易の収支は大幅な赤字である。
 また日本のキムチ製造事情を知らない韓国・日本のライタ-は中国から生ハクサイが日本に入り、加工され浅漬けキムチになることを知っているのだろうか。日本のハクサイが高騰した時のために、中国から価格と農薬不使用の契約ハクサイが日本へ入る。しかし日本ハクサイ相場が安い時は違約金を払って、中国で販売してもらって処分してもらう。日本に入れて廃棄すると莫大なゴミ値段と輸送費用、冷蔵庫保管費用が発生する。原料原産地表示がうるさくない時代はこの様なこともあった。キムチのハクサイが日本の製造者の住所でハクサイが中国産とは知ることは無い。多くのハクサイが中国から輸入され、青果市場行きと思っていても時には日本産の住所のキムチとなる。今のPBの食品で販売者表示となっているものが製造者も同時表示に切り替わると、生産者が同じというPBが続出すると思う。安いくて膨大な数量のPBは引き受けるところが少なくなり、商材の数字が落ち目になった商品がPBとなっている。
 また目方のトリックもあって、漬物の計量基準が一定ではない。これは漬物業界で無い人には理解しにくい。一例をあげると、築地市場で販売されている紅ショウガとすし屋向けのガリ生姜は内容量の測り方が異なる。焼きそばやタコ焼き用のショウガは固形量と液込み重量が表示されているものが多いがガリ生姜は固形量表示は小さい。昔は金魚と言われてたガリもあった。調味液にピンクのガリが泳いでいる商品を言っていた。今は表示も総重量と固形量表示が普通となった。キムチの貿易統計もどのような基準で集計しているかは通関業者しか知らない気がする。関税の問題で漬物の分類の問題でない。要するに国としては関税の計算の根拠を知りたいため統計しているのすぎない。韓国から日本へ韓国キムチの輸入が急に増えた年があった。後にわかったことは日本の生ハクサイ価格が台風等の被害で急騰し、(圧倒的に販売金額が日本産キムチの方が多い)日本国産の浅漬けキムチ特売企画が無くなり、慌てて日本のス-パ-の漬物バイヤ-がキムチの前年比販売計画を達成するため、韓国キムチの売り場拡大になったようだ。要は韓国のキムチが美味しくて急拡大したのでなく、前年比で漬物販売計画を立てているス-パーの漬物バイヤ-が売り場を天候災害の少ない韓国産キムチに振り向けた。このしわ寄せは韓国国内にキムチが高くなり、(日本向けの方が利益を採れる)そこで安価な中国産キムチを詰め替えて韓国産にして販売したこともあったようだ。産地変更は食の世界では良くある。その理由として天候による突発的で理不尽な変動である。地球温暖化で適地が不適地になることもある。
 今度のコロナで生活が苦しくなり、DXの不備もあって給付金で犯罪者が増えた。食の世界の突発の出来事は普段から予想し対策しておかないと、対処の不手際を招く。

9へ続く
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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 7 キムチ貿易

2021年01月29日 | キムチ
異なる食文化へ他の食文化を入れるには、自国の食文化を変化しないように維持し、その間に現地食文化の情報を仕入れ、販売戦略を立てねばならない。戦前日本からアメリカへ多数の労働者が出稼ぎで現地で鉄道建設とか農産物栽培に参加した。次第に出稼ぎから現地在住化したが差別も激しく、そこそこの地位が得られたが先の戦争で本国と戦って元に戻った。それから日本経済が回復しアメリカ駐在員に日本食品は故郷をしのぶ食品として神戸から輸出されていた。阪神大震災で神戸は打撃受け、東京の方に少し日本食品輸出貿易が移った。昔は日本食品貿易は臭いの強烈さから揶揄して業界用語でタクワン貿易と言っていた。
 韓国はキムチにこだわり、キムチの本家と自称しているが輸出のトン数では中国からの韓国向けが多い。そして韓国から金額では日本向けが多く、今は諸外国に輸出が増えているが、詳しく分析していないが戦前の日本人向けのタクワン貿易(日本食輸出)と同じように、異国の食文化に慣れない韓国人労働者向けのキムチ輸出と考えた方が良いのではないのだろうか。従って日本がタクワン貿易なら韓国はキムチ貿易である。どちらも臭い仲間である。
 さて日本での韓国製ビン入りキムチを努力して成功し、成功したが故に災害で倒産した日本人経営者のHさんの話を書こう。
 88年ソウルオリンピック前、韓国製発酵キムチが日本で一般のス-パ-に並び、韓国国内よりの高価格で韓国製ビン入りキムチが売れているのを見た在日の韓国人が様々なブランドを韓国から日本に輸出した。韓国でその当時、キムチを入れるガラスビン製造者は確か1社しかなく、類似の韓国キムチはレッテルしか差が無かった。そこである程度日本への輸出急増を抑えたのが夏場の冷蔵コンテナを扱う船の手配が難しかった。それも秋冬に行くに従い解消される。韓国キムチ輸入者の日本人経営者Hさんは需要地に近い港へ韓国製キムチを輸送するのでなく、韓国の日本に近い釜山港からフェリ-で九州に上陸させ、陸路を関東に向かった。船便は何か所の日本の港を立ち寄るので時間がかかるし、何と言っても関釜フェ-リ-は便数が多く、冷蔵コンテナの船積予約も取りやすかったと思われる。冬場は冷蔵輸送しなくても良かった。そこに日本だけの落とし穴があった。1995年1月17日早朝神戸を中心とした大震災があった。道路網が兵庫県で中断した。当然日本輸出入の最大の港の神戸港も被災した。
 多くのキムチを積んだ車が西日本で立ち往生し、廃棄せざを得なかった。被害の無かった在日の関東に住んでいた韓国人キムチ輸入業者は横浜とか新潟の港の船便を手配し、立ち往生し、欠品しているHさんの代替として韓国製キムチの売り場をやすやすと占拠した。片方は賞味期限の問題で廃棄や超低価格で処分して大損害を受けた。営業努力もなく新規に売り場を確保した業者の差は大きかった。震災後に日本人Hさんの経営のキムチ輸入業者は資金繰りが苦しくなり倒産した。彼がいなければ今日の日本のス-パ-で韓国キムチはこれほど早く日本に普及しなかったと思われる。日本のキムチの発展史を在日の人から研究している人も80年代の急速な韓国産キムチの増え方が解らないと本に書いてあった。在日の韓国人とキムチの売れる前は深い付き合いが無かったのでこの歴史はだれも知らない。また関西は在日韓国人が多いので需要があり、日本人に媚びてキムチを売る必要性が無かった(味付けのエビなどの海産物を外す行為)。東日本の在日韓国人は少なかったし、Hさんのキムチが急拡大するのを見て、追従したと思われる。その後関東の数字を研究し関西に変化をもたらしたので、関西の韓国系のひとが急拡大の理由が不明だったと思われる。キムチにこだわりのない日本人が関東で韓国産発酵キムチの販売指導した。
 同様の事例もあって、アメリカの寿司ブ-ムは日本人の力だけでは中々販路拡大が進まなかったがハリウッドのスタ-が寿司に関心をもってヘルシ-さを強調したので今日の海外での寿司ブ-ムとなった。このスタ-はロバ-ト・デ二-ロで一番高級なすし屋NOBU/ニュ-ヨ-クの共同経営者だった記憶がある。寿司ブ-ムはハリウッドから始まり、世界に広がる。これは日本人が努力しても無理な話だった。日本政府が旗振りして日本食を広めようとしているが過去の経験から現地のスタ-が美味しいと認め健康性を強調しないと普及しない。世界で生の魚を普通に食べていたのが日本人だった。食の世界は何処でも超保守的なのだ。今度のコロナ感染はキムチでは防げないようだ。
8へ続く
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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 6 日本でのJAS規格論争

2021年01月28日 | キムチ
今回のキムチの中国・韓国の本家論争は中国の国連の国際規格で包采が認められ、韓国がクレ-ムをつけ本家元祖論争がはじまった。日本でも同様の論争があって、農林水産省が農産物のJAS規格として日本国内用のキムチ規格を制定しようとしたところ、本家本元だと韓国から日本の規格や名称のクレ-ムがあった。簡単にいうと、韓国キムチ輸出に占める日本市場が大きく、そこに日本政府が関与し、キムチ規格を勝手に制定されるという事が戦前に併合された記憶を復活させた。そこで今のJAS規格は農産物赤とうがらし漬け類 と名称となっている。日本政府の弱腰と日本におけるキムチ市場の発展史を知らない日本の役人と日本漬物業者の戦後の漬物の歴史無知で決まってしまった。中国のように主張しても良かった気がする。
 国連でもキムチの国際規格が韓国主導で制定されたが、韓国のキムチ輸出は貿易統計上では金額から日本向けが圧倒的に多い。アメリカ向けが昔は多かったがアメリカに住む韓国系の人たちの現地生産が増え、輸送費・時間もかかるので多分これから減る一方と思われる。しかし日本市場は韓国と近いし、特に関釜フエリーで前日夕方韓国プサン港を出ると、翌日早朝に日本に着くので賞味期限の問題が消える。日本での冷蔵庫の入出庫料を節約できる。韓国の工場に出来るだけキムチを保管することが出来る。今度の中韓のキムチ論争は圧倒的に中国から韓国に入る中国産キムチの量の多さから来ている。これは韓国食堂で無料で食べ放題のキムチから来ている。タダの食品は店によって自家製を強調できなければ中国産キムチの表示がないので誰も気が付かない。従って韓国内のス-パ-などは表示されているので、韓国産と区別できるが 食堂では表示が無い様だ。一時韓国に店舗があった日本の牛丼の吉野家は日本では紅ショウガが食べ放題となっているが韓国の吉野家はキムチ食べ放題だったという。一人で食べる習慣のない韓国食堂は吉野家を受け入れることは無く、早々に韓国から撤退した。
 韓国と違って、日本は自然災害の多い国で台風上陸は年に何回かある。そこで物流の一時的断絶がある。
 1995年平成7年1月17日午前5時46分関西で大地震があった。関西淡路大震災の被害の多くは兵庫県だった。西日本と関東の物流が兵庫県で長期間分断された。日本は自然災害が多く、特に小さな地震は毎日日本のどこかである。個別のブランド力がなく、韓国産と言うだけでは競争の激しい、日本の漬物業界では欠品すると他の韓国産キムチに売り場を占拠され、挽回には苦戦する。要は再度低価格で納品しなければならなくなる。その結果デフレの日本だったので、初期は日本人経営の食料品店販売価格が1ビン600円程度だったのが今はプラ容器入りが300円になり、特売では200円が普通となってしまった。多くの韓国系キムチの新規参入者と既存のキムチ業者が共倒れとなった。今日本で販売力のあるキムチ業者はこの混乱を見ていた業者でじっくり研究して、日本のキムチ市場を占拠した。
 韓国のキムチの本家意識がすごく、日本市場で韓国内キムチ生産者の活況を見過ごすことが出来ず、見境もなく日本市場に参入し、自国の良さを強調するがお金を出して購入するのが日本人で品質・価格・鮮度のことで韓国品質をこだわりすぎ失敗する。日本と韓国では漬物に関して、こだわりの差があることを知らない。今の日本は漬物に関して価格しか気にしないバイヤ-が主流となっている。おいしく管理されたキムチ等の発酵食品はそれなりの高価格となる。当然店舗での発酵したキムチの品質維持も経費がかかるので販売か価格が高い。十分なキムチの家庭内品質維持の歴史が無い日本で韓国と同様な管理はあり得ない。韓国にはキムチ専用の冷蔵庫があって、秋に漬け込み発酵したキムチを温度管理し、長期保管できる。狭い日本では無理な話である。江戸時代の下町で練馬から発酵したタクワン漬を定期的に届けるサ-ビスがあった。火事が多く、火災時にタクワン樽を動かせなかったのでいるだけ購入していたようだ。今はこだわりより価格がバイヤ-目線となっている。オンラインでは試食も出来ない。画像と口先説明となる。



7へ続く
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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 5 96年オリンピック選手村食堂

2021年01月27日 | キムチ
1988年にソウルオリンピックで韓国製キムチが日本で大幅に売り先が増え、韓国から販売先が無くても日本いる韓国系の人を頼って、韓国の本場の味だと日本に韓国キムチが入ってきた。(海産物)虫入りやガラスビン割れのクレ-ムが多発し、日本人食料品店から一時的に嫌われ、売れ行きが落ち、そこで乱売となり多くの韓国キムチ業者が消えた。それから日本のキムチの復活となるのだが、日本キムチに負け、数字が落ち目となったことが気に入らない韓国マスコミなどが本家論争を挑んできた。特にソウルオリンピックの後の開催となった1996年開催のアトランタで選手食堂に日本風のキムチが導入されることを聞きつけ、あらゆる難癖クレ-ムでひっくり返し、さらに醗酵していないのはキムチで無いと商品名の非難を言い始めた。アメリカの日本食品貿易商社(業界用語でタクワン貿易)は日本のキムチが過熱殺菌し、日本キムチの戦後史を知らなかったためオリンピック選手食堂の扱い量が少ないと予想し、論争することをやめたと思われる。少量の輸出は冷蔵コンテナで輸送できず、ドライコンテナではコンテナ内の温度が80度にもなることがあった。96年のアメリカでは既に韓国人がニュ-ヨ-ク-やアメリカ西海岸の都市に青果店を増やしていた時だった。その当時は日本食用の大根等の野菜の確保がアメリカでは入手困難だった。ところが韓国人経営の青果店が増えると、日本の特有野菜もアメリカで栽培され、韓国系青果店で手に安価で鮮度も良く手に入るようになっていた。当然キムチも簡単に移民した韓国人が本場の味で製造していた。昔のアメリカの青果店はイタリア系が多く、日本料理店が大根を探しても無かったという。今では日本とほぼ同じ青果物がアメリカ西海岸の韓国系青果店で手に入るという。それはこだわりのない韓国系すし屋が多数あるという事もある。要は需要を創出しても馴染みのない食品は急速に広まらない。
  2010年12月韓国の女性アイドルグループ、KARAのメンバーが日本のテレビ局のバラエティ番組に出演した際に、キムチを日本語風に発音したとして、韓国でもめた。日本人がキムチという発音は韓国のキムチの発音と違って、日本人はキンチと聞こえる。まあ漢字で書けば気無値と書くのだろうか。こんな漢字を日本人が書くと悶絶するかもしれない。包采は中国の漬物で韓国はハングル表示김치で漢字では沈采、ついでに日本語では昔は朝鮮漬今はキムチ 。最近では韓国のクレ-ムと安物イメ-ジからピリ辛と言う名前にキュウリキムチが改名され、ピリ辛キュウリと言う名前になってきた。さらにピリ辛味はタイ風とかの味付けの含みもあるだろう。辛い味はこれから韓国離れとなって、南アジアの名前になる気がする。中南米も激辛味がある。酒のつまみに適当かもしれない。この日本の商品命名における韓国離れは多分韓国人は気が付かないだろう。地球温暖化でタイ・マレ-シア等の香辛料の強い味が漬物でも普及するかもしれない。あまり本家本元意識が韓国にあると日本はタイ、台湾、マレ-シア系のピリ辛味に変わって行って、加熱殺菌した日本キムチが消える事もある。カレ-ライスは南西アジアからイギリスへ味が伝わり、明治の日本にやってきて、大正時代に偽ブランドのカレ-粉が安価に日本に出回り、そして日露戦争後に軍隊用備蓄した福神漬が安く払い下げられ、一般人もカレ-ライスを食べるようになり、お供に福神漬が付いた。
 激安のイメ-ジのついた日本過熱キムチはいずれタイか台湾風の名前の付いたピリ辛漬物ブランドになると予想する。イチャモンのイメ-ジのある韓国キムチは韓流タレントが頑張らないと無理かもしれない。しかし韓国若手女優の韓国内でのキムチ宣伝は上手く行っていない記憶がある。韓国ではオモニが漬けていて、井戸端会議の様に話しながら漬けている映像を見た。こだわり感じる国母をイメ-ジする韓国女優はいないのだろうか。

6へ続く
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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 4 日本でのガラス瓶入りキムチの普及

2021年01月26日 | キムチ
さてこれから1988年ソウルオリンピック前から始まったのキムチに関しての日韓のキムチ本家バトルを書きたい。
 関東での韓国キムチの瓶入りが売れ始めたのが、昭和の終わり頃だった。はっきりとした記憶が無いが1980年くらいだろうか。もう少し後からかもしれないがこの当時、ガラス瓶入り韓国キムチを日本・関東地方で大いに販売していた業者が3社あって、二つは韓国人系(株)三輝と永盛ジャパン で一つは日本人の韓国水産物貿易の余業として乳業会社の冷蔵庫を利用して冷蔵コンテナでキムチを日本に運び、細かく取り扱い業者を増やしていった(新宿・小島屋物産)。今では日韓関係の悪化や乱売等の荒波を乗り越え川崎市の三輝だけが生き残った。永盛ジャパン社はまだブランドは残っているようだが記憶では韓国での製造者が放漫経営で危機となり、一時欠品して他の韓国系業者に販路を取られたようだ。漬物の栄枯盛衰の歴史は記録を残さないと記憶から消える。
 ここでは韓国キムチの拡販努力した小島屋物産のHさんのことを書きたい。キムチのブランドは(キムチの金さん)であった。なぜ金さんというブランドの由来を聞いたことがある。韓国の名字は日本と違って圧倒に少ない。日本ではNHKで名前の由来だけでTV番組が出来る。ところが韓国では少ない。
金という名字が多く、親族間の結婚が制限されているので、同じ苗字の恋愛は系統を調べないと恋が出来ない。日本は3親等までで、いとこ同士の結婚は法的には許される。日本史で一番初めの流罪となったのが女性で同じ母の兄と妹の不倫だった。
 Hさんは魚等の販売から各貿易会社と付き合いがあり、マグロ漁船の隅に日本食品を積み込みでグアム島貿易の納品漬物業者と知り合い、関東の漬物業者へ広がった。韓国系のキムチ取り扱い業者は韓国人の焼肉関係に販売していて、関西では売れていても、朝鮮人差別感のある関東では一般の日本人経営の食品店には納品できなかった。主な理由は戦後の混乱期のイメ-ジが残っていて、食のクレ-ム対応が期待できなかったこともある。特に瓶詰は割れたガラスで口内を切ったというクレ-ムやエビなどの海産物(韓国では入れるのが常識)がキムチに入っていて、慣れない日本人が味付けの目的のエビを虫の混入(異物混入)と騒いだこともあった。今はプラスチック容器となり、さらに海産物は日本人向けキムチに入れないように指導し、足りない風味は調味料でカバ-しているようだ。初期のキムチ販売は夏から始まり、小島屋物産から冷蔵車で来て冷蔵庫に保管しても、漬物輸送のトラックが冷蔵車でなく、温度管理ができない問題があった。そこで築地市場の中で廃棄していた発砲スチロ-ル製のリンゴ箱を確保し、その中に12個入りのキムチを2箱いれ、冷凍した保冷剤・時にはドライアイスを入れ、得意先まで輸送し、得意先の冷蔵庫に入れた。(築地市場には発砲スチロ-ルの魚箱があるが臭いがあって再使用は無理だった)この間温度が10°Cを超すと発酵が進み、場合によっては密封したビンが破裂する恐れがあった。破裂対応で空気の洩れる余地を残した包装に変えた。従ってキムチを横倒しに運ぶと、汁漏れするものがあった。またキムチのクレ-ムでシンナ-のような臭いがあるというクレ-ムがあった。これは難儀した。押し蓋の無いガラスビン入りキムチは表面にカビのような感じのするものが出来ることがあって、製造時にアルコ-ル殺菌・今のコロナで手洗いするアルコ-ル噴霧をキムチの表面にかける。開封時にアルコ-ルが消えるが稀に過剰に噴霧した食用アルコ-ルが化学反応してシンナ-のような臭いがする。しかし開封して時間が経つとシンナ-のような臭いが消えるのでクレ-ムを言った人が嘘を言ったと疑われる。そこで新規に開封していないキムチの開封するとシンナ-のような臭いがして、クレ-ムを言った消費者の冤罪を解決した。韓国の発酵したキムチに慣れなく、加熱キムチしか知らない日本人に本場のキムチの常識をHさんが日本人食料品店に売り方と管理の仕方を教え、販路を拡大した。日本人経営の食料品店向けキムチ販売の初期の話で今はこの様な対応は昔話となり、業界の古い人しか知らない。販売実績が上がると、美味しさと輸送方法の工夫が伝わり、日本人の漬物業者が韓国のビン入りキムチを取り扱うようになった。同時に多くの日本人経営の食料品店に韓国製のキムチが並んだ。小島屋物産の営業努力が無ければ今日のキムチ売り場になるのは88年のソウルオリンピックの後になったかもしれない。この頃から販売デ-タ解析が始まっていたので、営業が口先でなく客観的に韓国製ビン入りキムチが数字で売れていることを示せていた。そこにも日本の特有の予期しないことが待っていた。
5に続く
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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 3 日本特有のタレキムチ

2021年01月25日 | キムチ
日本の過熱殺菌し、保存料の入っている朝鮮漬からキムチと名前の商品が加わり、次に朝鮮半島風のキムチの味に似せた赤トウガラシを入れたタレで漬けた浅漬けキムチなるものが日本の漬物市場に現れた。今でも残っているタレは桃屋のキムチの素である。この辺が節操のない日本漬物業は外部の良さを取り入れ、日本の風土に合ったように工夫し変化させるのが漬物市場の特色かもしれない。家庭と同じ味だと金銭を出して消費者は購入してくれない。
 韓国のように発酵したキムチは冬場はともかく夏場は冷蔵庫が無いと保存料を入れてあっても数日しか食味を維持できず、酸っぱくなってしまった。そこで浅漬けしたハクサイにキムチ味の調味液を混ぜるという事で製造を簡単にし、販売時間を長くすることが出来た。これが日本のインスタント・キムチ製造方法だった。今では韓国風の発酵キムチは冷蔵庫の中で温度管理し、さらに最先端の日本のキムチ工場はIC半導体工場の空気浄化設備を導入し、発酵キムチに味の良い乳酸菌のみ人工的に添付し、雑菌が消えた空気で満たされた冷蔵庫内の漬け込みタンクで漬けるようになった。当然ハクサイ等材料は裁断後に次塩素酸等で殺菌し、無菌状態にして漬け込みタンクに入る。最先端の酒作りの世界と似ている。多分韓国の大手キムチメ-カ-も同様の設備があると思われる。こんなところで微細な加工をする近代工場の空気清浄設備がキムチ工場に使われていることが個人のキムチ製造者と付き合っているライタ-の記事とは異なる。勿論排水設備も浄化し塩分を除いて排水している。今では大手の発酵したキムチ製造業者は半導体工場と同じ装置産業となってしまった。ある時日本の最先端のキムチ新築工場の所から、異常発酵したキムチが出て、商品回収問題があった。その原因を調べていたら、キムチ工場の建設業者の空気清浄機の手抜き工事が判明し、莫大な建築設計違約金が発生し、ほぼ無料で工場建設代金が回収できたという。でもス-パ-の売り場を一時的に失い、売り場挽回に営業マンは苦労したという。空気清浄のフィルタ-のサイズを安易に考えミスったようだ。今のコロナ感染の感覚だと不織布マスクとウレタンマスクのとの差と言ってよい。漬物(キムチ)の素人の建築屋は乳酸菌の小ささを知らず、手抜きしたようだ.
乳酸菌の大きさは2~4マイクロメートルぐらい 。つまり1000分の2ミリから1000分の4ミリでフィルタ-は建設業者は手抜き工事でキムチを腐敗する雑菌を阻止することが出来なかった。
 4へ続く

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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 2 過熱殺菌の日本キムチ

2021年01月24日 | キムチ
さて日本のキムチは韓国人と日本人のライタ-達は日本の最近の大手量販店で販売されている日本製キムチ製造事情を詳しく知らないだろう。
 戦争前に朝鮮が日本領土となる前から、留学生が韓国から明治日本へ入っていた。ただ人数が少ないのでキムチも日本人には広まらなかった。また今の日本でのキムチの主役野菜のハクサイはまだ日本で栽培することは出来なかった。ハクサイが明治に入って大陸との交流が始まり日本でもハクサイ栽培が始まったがアブラナ科のハクサイは交雑が激しく、自家栽培で種を採るとすぐに結球しないハクサイとなり、一時は日本での栽培を諦めたときもあった。何度かの挑戦で日本で栽培に適するハクサイの種取りが出来た。明治の終わり頃でこのハクサイ栽培で江戸の漬物用野菜の三河島菜が絶滅した。最近都立農産高校(葛飾区)で三河島菜の復活があり、地域の料理店に調理依頼した記事があった。江戸時代の伝統野菜の半分は生野菜で販売の他、加工できる野菜だった。土物は保管は簡単だが野菜は干したり、塩漬して保存し、使う時に塩抜きして使ったようだ。ついでに日本と韓国のハクサイの差だが日本は雨が多く降るのでハクサイには水分が多い。韓国のハクサイは水分が少ない上に、キムジャンの季節では少し干して水分を減らして個人は漬けているようだ。気温が大陸性気候に準じていて、韓国の秋冬は日本より寒いが雪は少ない。
 キムチは戦前に大陸に進出した日本軍人には知れていたがニンニクに強烈なにおいで当時の日本人の食卓にあがることは少なかった。今は忘れられているが戦前の日本女性は通常漬物を漬けることは当たり前の仕事だった。従って明治に入って軍隊・工場とか学生寮とかの所で漬物が金銭を使って購入していた。従ってニンニクの臭いの強いキムチは無理だった。江戸時代の藩邸でも野菜を作り漬物を漬けていたようだ。3千人もいたと言われる仙台藩江戸屋敷は今のJR大井町駅付近で仙台味噌を作っていたようだ。キムチのような発酵の漬物は慣れないと食してくれず捨てることになるので、家庭は保守的は食生活となる。
 戦争が終わって、大陸から引き揚げた人や軍隊生活を朝鮮半島で送り、キムチに馴染んだ人たちが日本に戻り都市で設備投資の少ない漬物業に入ってきた。また戦争で男性が少なくなり、さらに女性が戦時中に家を追い出され、軍需工場に入ったことから、家にいなくても良い時代になった。そこで都市の狭い家に漬物樽を多数並べることなく食料品店で漬物を購入するようになった。特に糠味噌漬は空気を循環させないといけないので専業主婦しか発酵の管理ができない。今では骨董品的な漬物となった。
 戦後の都市生活で食の世界が徐々に落ち着いてくると外食の世界に向かっていった。弁当をもって通勤していたが食料事情が良くなると外食が増えてきた。
 戦前戦後を通じてあった食料の販売統制が解除されると、外地から帰国した開拓団の人たちの野菜で作った漬物が都市に流入した。満蒙開拓団が帰国し、開拓した農地はコメつくりには適さない寒冷地域が多くさらに都会から離れていたので野菜出荷だと運送費がかかり、また鮮度が落ちるためしきりに行政が漬物製造へ向かうように指導した。軽井沢や八ヶ岳山麓・嬬恋等の冷涼気候を好む夏野菜(レタス・高原キャベツ)で有名なところも戦後の開拓民はサッカリン入りの浅漬け沢庵を販売していた。特に長野県は松本方面は名古屋・大阪市場に出荷し、上信地域は関東市場に出荷してきた。同様に東北は東京市場に出荷してきた記憶がある。
 多くの地域が都市に漬物を売り込むと乱売となり、過剰野菜が漬物原料となってしまった。そこで関東の漬物業者が食品規制をする官庁に働きかけ、戦後の混乱期の粗悪醤油に入っている保存料の安息香酸が戦後の漬物に入ってしまう問題から、漬物に保存料の使用許可が出た。勿論賞味期限の短い漬物は許可されないが醤油漬の表示があるものは許可された。今は漬物に安息香酸ナトリウム 添加することは禁止され(醤油由来の誤差の範囲内は黙認)、ソルビン酸Kが醤油漬の保存料として許可されている。漬物原料とさらに規制緩和だけでなく新規商品の開発を目指した。戦争前の味から大陸で知った、辛みのある漬物が食欲増進する。これが朝鮮漬の始まりで、ほぼ同時期に関西・関東で辛みのある味で醤油漬の表示で販売され始めた。これもまた乱売となり、ある業者が自社競合を避ける上級な辛みのある漬物を(キムチ)と命名した。これが新製品として小売店で朝鮮漬と両立して売れたので、一店舗にキムチと朝鮮漬が並ぶこともあった。保存料を入れてある日本のキムチは発酵食品で無いため、ポリ袋に入れ、加熱殺菌の方法するのですが、80℃30分間で行なわれます。この目的はたくあん漬では長期間発酵熟成されているわけで、乳酸菌や酵母菌が生きています。無殺菌では乳酸発酵が進みすぎて、風味が損なわれてしまいます。発酵の進行を止めるため加熱殺菌を行なっているのです。またこの殺菌条件は病原性大腸菌O157(75℃1分で死滅するといわれています)他有害な微生物にも十分効果のある殺菌条件です。タクワン以外でも80度のお湯の熱が材料に伝わる 80度C10分以上ほど浸け過熱殺菌する。(あまり長時間湯に漬けると野菜を煮たように歯切れが落ちる)中にある腐敗菌を殺菌した。この作り方は韓国の発酵キムチと完全に異なる製造方法だった。
 この加熱殺菌した日本のキムチ・朝鮮漬のことを知らない、韓国・日本のライ-タ-達の無知からキムチの混乱が始まる。誤報から始まった日韓の関係と似ている。
 また韓国でも常温流通できる過熱殺菌した日本キムチをマネしているものも出た。これまた混乱に拍車をかけた。食の世界は本家本元であってもいつかは廃れる。そして文献に載れば良いが正確なレシピが無いので再現は不能となる。仮に再現できても時代の変化で味の好みが変わっておいしいと感じないだろう。戦時中の何もない時のスイトンのおいしさを老人が言っていたがなんでも不自由なく食する時代ではおいしいと感じない。給食のクジラの龍田揚げはおいしかった記憶があったが、食の豊富な築地のクジラは昔ほどおいしいと感じなかった。
 30年以上前の日本人が作った常温流通できる日本キムチの主流は過熱殺菌したキムチ・朝鮮漬だった。要するの日本の漬物屋・食品問屋で冷蔵輸送で漬物を配送していなかった。この加熱殺菌した日本キムチが海外にドライコンテナで輸出され、表示ラベルがキムチと翻訳され、世界各地で韓国人のキムチ本家の意識をいらだたせた。本家本元の韓国キムチはドライコンテナでは船積の以前に発酵し、キムチの包装袋を膨張させコンテナ内で爆発し、にんにくの臭いでコンテナが再使用できなくなる。コンテナ洗浄費用が発生する。
 3へ続く

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茨城県鉾田市の蛮社の獄に関係する無量寿寺が燃えた。

2021年01月23日 | 宅老のグチ
2019年9月茨城県鉾田市の無量寿寺に行った。その寺が火災に遭った。茨城新聞の報道によると、2021年1月21日午後3時すぎ火事にあって本堂などが燃えた。訪問した無量寿寺は高台の上にあって、上から広々とした北浦の水田を眺めた。茨城新聞は文化財のことを記事にしていたがこの寺の住職がいわゆる日本史に出てくる、蛮社の獄の始まりと言う記事文が無かった。多分学校で習い、受験の日本史では薩長史観で組み立てられている明治史観とその対立史観もまだ最近の研究成果が反映されていないようだ。
 文献による研究で水野忠邦が最初に蘭学を学び、幕府の政治に関心を持っている幕臣以外の人物の情報を収集していたようだ。そこに引っかかったのが鉾田市の無量寿寺の住職だった。彼は聞きつけた小笠原諸島渡航計画の妄想を話した。それがいつの間に渡航計画となった。この頭の中の計画が築地の桂川家に出入りしている人物の素行調査をしている人から、老中水野忠邦に報告され、大規模な蘭学弾圧に向かった。そもそも妄想から始まった計画なので、捜査しても実際の具体的な渡航計画が見当たらず、無量寿寺の住職は獄中で死去した。参考 史料学入門 東京大学教養学部歴史学部会/編
 なぜ茨城県鉾田の住職が小笠原に関心を持ったかと言うと、当時の霞ケ浦水運網で水戸と江戸からの物資と情報が集まっていたと思われる。蛮社の獄の前に今の北茨城市の大津浜に異国人が上陸した。これが大津浜事件と呼ばれ、水戸藩の捜査で海上で水戸の漁民と異国船のクジラ船員のとの秘密の交流があった。
大津浜事件は、文政7年(1824年)5月28日に水戸藩領の大津(北茨城市大津町)の浜にイギリス人12人が上陸し、水戸藩が尋問した後彼らを船に帰した事件。1825年の異国船打払令の一因となった。 その後、浦賀に漂流民を載せた船を砲撃し、退散させた。この行為を人道に反すると批判する書を高野長英が書き、幕府に知れることとなった。非幕臣の人たちが処分された。
 江戸時代後期の蘭学者の団体はいくつもあったが蘭学を学び,救荒対策の研究していくうちに次第に幕政批判となった団体が尚歯会だった。この団体は天保年間 (1830~44) ,先駆的洋学者渡辺崋山,高野長英らが組織したもので,単なる交友を超え,当時の政治・社会問題,あるいは海防 問題も論議していた。当時は武士でも幕臣以外は幕政に関心を持つことは禁止されてた。これが無量寿寺の住職の捜査から、蘭学者の捜査に向かい、蛮社の獄となり、高野長英が自首し、脱獄し、数年の逃亡の末、江戸市中で南町奉行配下の与力たちによって撲殺された。
 火付盗賊改の長井家の知行地が少し茨城県にあって、文献に地名が載っていたので無量寿寺を訪問し、安塚村へカーナビの案内で車で行った。そこで道に迷い、ウロウロしているうちに、漬物原料の工場があった。鉾田市は関東でも有数の漬物原料産地である。
鉾田市の市史に安塚村村の領主に長井五郎右衛門という名前を見つけ、船橋市史で確認したら旗本長井家の知行地だった。結構市史は間違いが多くあって、誤記を計算しておかないと感じる。この安塚村に自由民権運動の花香恭次郎が明治の7年頃滞在した気がする。滞在文献があって欲しい。今でも静かな無量寿寺付近は都会の生活に横浜・東京に馴染んだ恭次郎は耐えれなかった。その後銀座の公益問答新聞に縁故で入社し記者生活を送るが、社主の二本松藩出身の服部撫松と西南戦争の立場が食い違い、新聞社を退職し、福島へ向かった。

 
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前回の緊急事態の時の反省で

2021年01月22日 | 宅老のグチ
去年の緊急事態中に太目となったので結局秋には給付金の一部でサイズの合わないズボンを諦め購入した。冬に向かって重ね着になれば、着れないのは確実だった。
 さて今回の対策として、食事制限と歩き1万歩を継続する。しかし他者との接触を避けるため、人の少ない時間を狙って歩く。幸い人の前回の自粛期間で周囲の人の行動を調べていたので他人との接触は少ない。注意するのはス-パ-でこれは土日は回避しないと無理な気がする。
 重点的に矯正するのはサイズが増えた腹の部分。あとは乾燥肌。何か顔の周りがガサガサしてきた。老化現象と思うがスピ-ドが早い。河原の乾燥した風の中を歩いていたからか気になる。特にマスクの無いところがガサガサ。
 とりだめたDVDを見て暇つぶしするしかない。無駄な買い物が増えそうだ。
 国会の野党の追及も、コロナがどう変化するか解らないので迫力が足りない。やはり福島原発のように最悪想定は政府・国会は苦手のようだ。ピンチはチャンス。給付金でも飲食店の納税デ-タと法人番号、個人事業者はやはり納税デ-タと給付金を連動させ、速やかに支援する。ところが中間搾取が多すぎて、さらにデジタルでないので給付に時間がかかる。まだ今回だけでコロナ騒動が終わると思っているようだ。納税デ-タを活用し、さらに飲食店の雇用者データを利用し、救済するという発想が出ないのだろうか。そうすれば法人ナンバ-とマイナンバ-の意義も見える。
 そろそろ確定申告だがずいぶん減った気がする。それ以上支出が減った気がする。最近マスクも買わないで洗濯している。不織布マスクが良いとあるが人との接触が無ければ気にすることは無い。連日晴天で空気が乾燥し、河原から見える富士山が雪不足で真っ白でない。やはり富士山は雪で覆われ、空気のきれいな冬が良い。
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中韓のキムチ本家論争に日本から参戦 1

2021年01月21日 | キムチ
今中国と韓国でキムチの本家論争がはじまり、中国外務省の報道官まで言及し、波紋はひろがる。
 そもそもこのブログは15年ほど前の、中韓の寄生虫キムチ問題で韓国政治家・マスコミの漬物知識の無知さを知り、さらに同調する日本のマスコミが面白がって報道し、内容を知ると如何に日本の漬物知識がないかを知り、調べながらはじまった。ここでキムチの本家論争に参戦を見逃すと、また日本の漬物知識のない日本と韓国のライタ-によって、誤解が広まる。誤解も何回も書かれると引用もされ、真実となる。今は前回と違って、TVはコロナ一色でさらにアメリカ大統領の交代もあって、話題になる確率は少ないがコロナ報道に飽きて、気分転換のキムチ論争が面白可笑しく脚色されることもある。いつとばっちりが日本に来て、盛業しているキムチ業者が衰業になることもあり得る。
 前回の寄生虫キムチで韓国から輸入しているキムチ貿易会社が大打撃を日本で受けた。韓国と日本の間は冷蔵コンテナで輸送され冷蔵庫で保管する。賞味期限は45日から長いのは100日位あった気がする。当時は冷蔵コンテナの韓国から日本への船便の数が少なく、船会社との長期輸送予約を入れていた。一月以上前には入れて無いと臨時の冷蔵コンテナはかなりの割高と言っていた。売れ行きが順調なら通常は日本国内の冷蔵庫に2〜3日しか保管しないで回転するが寄生虫キムチで急に売れ行きが止まり、日本に行く韓国産キムチは中国産キムチで無いので影響が無いと通常の販売予定で次々と韓国から日本に来ていた。短い間隔で運行する通勤電車が不意な事故で止まると後続も止まるので大混乱となると同じである。冷蔵庫に滞貨したキムチは賞味期限が切れかかり、まともな値段で販売できない。しかし安く売らないと今度は冷蔵庫の保管料が膨大となる。そして廃棄となるとゴミ代と輸送料も加わる。安定していた価格で販売していた韓国キムチがキムチブランドが違っても激安で販売されると事情の知らない売り先から同じ値段で納入しろと来る。何社かのキムチ輸入業者が消えた。さらに日本の漬物業者も誤解され特売が消え、さらに国産原料使用のシ-ルを張って、対応した。和風キムチと表示していて、醤油味やダシで味付けている日本の製造住所のあるキムチは売れなくなった韓国キムチの売り場を取り戻したため売れ行きがさほど落ちなかったが韓国風のイメ-ジの名前が付けた日本産のキムチは在日の人が作ったと思われ、売れ行きが落ちた。そして韓国マスコミが自国のキムチの安全性を強調するため中国産キムチに寄生虫があると大騒ぎし、結局韓国産キムチの日本向けが減った。中国産は韓国産より激安で、タダで韓国食堂に提供されるキムチは中国産から韓国産に切り替わらなかった。食堂では原産地表示は無かった記憶がある。結局韓国マスコミ・政治家は自国のキムチを増やそうと中国産キムチの危険性を持ち出したが自滅した。自国でのキムチ販売の実情を知らなかった。
 韓国キムチは寄生虫キムチ論争以前はもっと在日の人と日本人の漬物屋の努力で日本のシエアは大きかった気がする。単価もガラス製の容器に入っていてキムチ1ビン600円くらいしていた。今は容量も大きいプラスチック容器のが当時より安く韓国産キムチが日本で販売されている。要は日本も韓国も漬物に関して、過去の知識で報道しているので自滅報道となる。
 中国のパォツ゚ァイは発酵食品でそれなりの歴史がある。ただ漬物の文献が少ない。中国の会社で一番歴史の古い会社が北京にある漬物屋(六秘居) で4000年以上歴史のある中国で漬物会社は一番古いという。日本でいうと室町時代の1538年創業 という。日本では千年以上続く会社もある。
 日本で一番古い漬物屋で現存する業者は定義にもよるが京都のなら漬屋であると思う。醤油や酒屋の片手間の漬物屋はあったと思うが本業でない。
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危機感のない2回目の非常事態宣言

2021年01月20日 | 宅老のグチ
前と違って、今回の非常事態宣言が毎日の新規感染者数が新記録になっていても、何か危機感が感じられない。ある程度新型コロナの情報があって、社会のバッシング行動をとらねば許されるし、今では感染したら休まないといけないというになった。それゆえ、感染するというところに出入りすることは結果責任を伴うことを知る。マスクして距離を置いて許される感染源は通勤電車と買い物と思われる。さらに病院通いは感染危険があって不要不急の通院を抑えているようだ。近所でサイレンを鳴らさないで救急車が長時間停まっていた。多分急いで苦しんでいる人の所へ行っても、患者がケガと判っていてもコロナ感染を防ぐ防護服を救急隊員は着ている。受け入れる病院が見つからないと動かないようだ。この状況を見るとTVで報道されている病床ひっ迫感を実感する。
 SNS等で経済維持のために多人数で飲食を見せつけ、友人は感染意識が高いので安全と言っている人が今度の危機感の薄さを示している。このことが他の人に安心感を与え、多人数会食の罪悪感を減少させ感染を拡大し、さらに前と違った感染力の強いコロナで連日の様に無症状の感染者を増やしている。今年中にある衆議院の選挙用のポスタ-でPCR検査拡大と言っている政党は何処に病床と看護師を確保しているのだろうか。無責任な主張は命を懸けている看護師にムチを打っている気がする。多分長い間コロナの医療従事者は家族と会っていない気がする。病院はクラスタ-感染になりやすく、家族も非難される。野党は政府の給付金政策で新しい犯罪者を作らないようにするべきで、桜の追及は不要不急の質問事項で選挙戦で結果を問えば良いように思える。今回のコロナで準備不足の政策で多くの新規の詐欺師を作った。過料とはいえ生きるための仕事・労働が犯罪となる政治はおかしい。とにかく今の国会の与野党のパフォ-マンス行動が多く、それによって危機感が政治に感じない。例年インフルエンザ肺炎で多数の死者が出ている。今度のコロナではまだそこまで行っていない。そろそろコロナを政争の具から離れる時期に来たようだ。そこにはオリンピック中止という選択もある。
 非常事態宣言の二日後にス-パ-に行ったが、前回と違ってマスクは販売しているし、紙類も多い。レジの行列も少ないし、釣の手渡しのレジが消えた。まだスマホで決済をしている人は見かけないがどうなのだろう。午前中のス-パ-はコロナ以前のジジババショップに戻っている。

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日本史Aから

2021年01月19日 | 宅老のグチ
大学共通テストを見て回答をいつも気が付いた時、記憶の衰えを図る目安としている。数学・英語と理科系は無視。もっぱら国語と日本史・地理とかの人文系を気に入った数問を解く。
 そこで日本史AとBがあって、新聞にはBしか設問が無く、回答がABともあった。検索し調べるとAの出題範囲が狭い。しかし過去の受験傾向からBを選択する人が多く、正解率も高いという。予備校の解説ではAの方が範囲が狭いのに難しいのは暗記だけでは回答できない問題設定がある傾向と言う。
 古代とかの歴史は今の実生活では役に立たない。むしろ明治以降の歴史知識が必要になる。戦後75年を過ぎれば戦後史の知識も必要となる。暗記ならスマホで正解が簡単に出る。要はどのような方法を検索し、フェイクニュ-スかどうかの知識を知らないと、偽情報拡散し、人を困惑させる。ある時は自己の行為で人格を否定することで自殺を誘引させることを引き起こす。年寄りは過去の経験でありえないと判断するが経験の少ない若者はテレビ局の演出をそのまま信じ、ダイレクトに個人攻撃する。
 時間が経てば真実が解ってくる。築地であれほどTVで豊洲市場の地下汚染を騒いだが、今でも汚染が減らないでいるのに食品に地下汚染が付いていない。要は豊洲市場で働く労働者の健康問題を論点をすり替えた人たちのウソが時間が経って判明したという事である。汚染が食品に付く前に、一日中豊洲で働く人が健康であるはずがない。要は豊洲の労働者は炭鉱のカナリアになっている。このことは誰も議論していない。
 100年経って日本史の問題でコロナの対処の遅れで設問があったら、遅れの原因の一つはオリンピック開催にこだわったことが正解になる気がする。
 
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オリンピック開催中止決断で4月解散へ向かうのか

2021年01月18日 | 宅老のグチ
大手飲食店によって、大都市から地方都市へさらに小都市までチェ-ン店が占拠した風景となってしまった。この風景は地場の選挙民を対象とする政治家には面白くないようだ。多くの雇用と税収が本部のある都市に落とされ、非正規雇用の低賃金の人が店舗のある都市に落ちる。さらに設備や納入業者も店舗のある地域に落ちないようになっている。そのため町自体が昔と違って、金が地域で循環せず本部のある都市に落ちる。
 今度のコロナの飲食店救済資金は弱小飲食店には巨大な不労所得となる。逆に大手の飲食店は給付されず、借金が増える。すると本部が店舗設備をする会社より、名義だけの独立ならば、給付金で維持出来るのでこの差が目立つだろう。次のコロナは10年以内に又あるし、春節時期ならば世界中の恐怖を引き起こす。
 むかし、大店法というのがあって、量販店の拡大を一時押えていた。いまは大きなス-パ-がネット通販との競争に苦しんでいる。コロナで一時的に復活したが変化の激しい競争は所得の取り合いとなる。その中で介護費用はどんどん増える。コロナで太目となった人が感染リスクのある運動施設に向かうか無料の運動に向かうかは解らない。昼間のTVは同内容異局で広告主は惰性で広告している気がする。ネットの個人広告の進歩は個人情報の洩れもあるし、位置情報から近隣の施設広告が来る。多くの情報を集めるとより正確な広告となる。
 国会が始まったがオリンピック開催中止決断で予算通過後の4月解散も見えてきた。今年の税収は少なく、増税も予想される。何しろ2022年から団塊の世代が後期高齢者となり、医療費が膨張する。コロナの蔓延で不謹慎な人たちが70代前半を医療破壊で抹殺しようと企んだと思うようになった。あれほど行政のトップが叫んでも若者の謹慎疲れで危機感が減っている感じがする。
 人心一新でオリンピック中止決断の声が日々増える気がする。
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コロナの戦後政治の予測。

2021年01月17日 | 宅老のグチ
多かれ少なかれどの家族も不祥事はある。ただ気が付かない、記憶にないとかがあって普通生活上言及することは無い。都立中央図書館3階の片隅に、評伝本や個人伝記本が多数ある部屋がある。開架なので、取り出し少し見出だしだけ読み戻す。ここを定期的に観察すると一定の変化があるようだ。多くの個人の評伝でも全部が正確であることはあり得ない。競争の世界で善人で評価を上げることは短い。多くは長く残る悪評で消える。時代が変化するためである。これはインフルエンザのようで毎年少し変化し、ワクチンがあっても時代の変化で記憶が消える。
 2020年は1月終わり頃からコロナ不安が始まり、まだ終わらない。冷静だった日本も隠れた同調圧力が目立った年になった。これで数万人の子供が先送りの誕生となった。この数字は2年後に保育園の競争率を大幅に下げる気がする。
 コロナ戦争の戦勝国と言ってよい国でもどのような出生数になるのだろうか。子供の数はいくら統計をごまかしても消費の所で現われ、需要を計算する業者から漏れてくる。以前のように感ピュ-タで商売していた時代と違ってデ-タが通信とか位置情報・アクセス数で分析しているので政府がごまかしても業者は需要の変化で統計の疑念を持つ。中国の統計で出生数の数もあるが生まれる男女の比率の変化を知りたい。日本でも中国・韓国でも昔は男子が好まれたが今の日本は女子の希望の方が多い感じがする。特に養子縁組の世界では女子の方が希望が多いという。理由は子供に衣服で美しくできること。結婚すれば好みの子供に育たないと縁切りできるという長期の責任逃れの考えのようだ。
 極端な出生男女比率となっている中国でいまどのような数字となっているのだろうか。口先では男女平等と言っている中国で出生前診断で女子の間引きが今でもあるのだろうか。東南アジアから誘拐される女子報道を聞くと、未婚の男子が焦っている感じがする。
 女子優位になった中国では高騰したマンションを用意しないと数の多い男子は結婚市場に優位に立てない様だ。婚期は遅れ、出生数が減る。ゆがんだ統計は思わぬところか誤りを指摘される。株の世界で粉飾はつきものだが前年比でみるところが化粧することもある。損を先送り等があるが次の利益拡大が無いと損が膨らむ。今の日本政府は損切、高齢者切を見送り、給付金で次の活況を待っているが、次の活況の妨げとなるデジタル環境がゲ-ムしかない。電車の中で見ているスマホは芸能情報だけかもしれない。そこにオンライン配信の入る余地はないのだろうか。まだ新聞のデジタル配信の数字が見えない。新聞配達が無くなれば一気に新聞業は衰退する。築地の新聞社は決算から不動産屋が新聞を作っている。コロナが長引けばDXに対応できない。新聞配達店はウ-バ-の飲食店に展開すれば都市部は対処できる。マンションにポステイング禁止でも新聞のついでに飲食店情報を入れ、予約してもらい、夕方夕刊配達後に飲食店からの配送を請け負えば新聞部数が減っても町が活性化する。
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