東京都中央卸売市場のカウントダウン時計が99日となった。年の中で盆の時期は仕事の量より人手の確保の問題がある。地方から来ている人は帰省させたいが仕事のやりくりが大変だ。豊洲へ行けば機械化が進むので盆前の大量入荷に人手が追いつく。例年盆明けは正月明け以上に暇となる。あと1か月、税務署からの通告がなければ築地での書類は貸倉庫行となる。混乱が予想される引っ越しは何が起きても不思議ではない。市場の引っ越しは経験が少ない。
7月も終わった。都知事の結果でまた騒動となるのだろうか。リオが終われば移転の秋となる。盆明けから工事が始まる。引越しの打ち合わせだが日程が決まりそうもない。このところ物がよく壊れる。コワレモンGOと言う状態か。
ツバメが去ってゆきそうだ。来年の築地には違った風景となる。
このところ毎日新しいトラブル。
今回はドットプリンタ-の紙つまり。原因はラベル用紙がはがれて接着剤がどこかについて。紙送りが不調のようだ。この頃とにかく不調が多い。冷蔵庫が2回、フォ-クリフトの椅子が破損、ドットプリンタ-と。
回覧が回ってきた、中国と日本で春先の天候不順で梅の作柄が良くないようだ。その上、梅の美容効果で需要が伸び、在庫が不足らしい。秋口から世間のデフレ反して大幅な梅の値上げだろう。具体的には量目調整となるのだが梅干を一粒か二粒減らすしかない。このところ中国の天候不順の話が良く来る。天候情報が隠せなくなったのだろうか。
いま納豆の本を読んでいるが、十年ほど前のミャンマ-の話が出てくるが、最近の携帯電話の普及の速さは世界最速の普及と言う。今年か来年にはほぼ行き渡ると言う。機器の安さと競争の激しさで電話料金も下がっていると言う。この先日本より進むかもしれない。しがらみのない世界は先行している国の失敗を避ける。
童話 ジャックと豆の木の話の豆といわれる。タチナタマメ(立鉈豆)という。福神漬のなた豆とは少し違うようだが混同されている。
なた豆の逸話で清水次郎長のなた豆煙管(キセル)という言葉がある。キザミタバコを筒の先に入れタバコを楽しむ器具であるが今はほとんど見かけない。なた豆煙管とは丸い管でなく筒の部分が平たい管でなた豆の鞘の形に似ているから命名されたようだ。
次郎長の愛用の煙管があるようだが講談の話から伝わっている。次郎長の講談話は明治の自由民権運動弾圧の時代に天田愚庵の東海遊侠伝から始まる。これから次郎長の色々な話が創作された。次郎長の講談は幕末の話だが福神漬の次郎長関連逸話は明治10年代の話である。
福神漬を調べていると不思議なことがドンドン増える。
去痰剤
ようやくナタ豆の漢方薬としての効果が文献に出てきた。本草辞典 清水藤太郎著戦前発行された本である。刃豆をTOODU/トウズ たてわきの種子、一名白刃豆、去痰剤とする。
去痰とはのどに詰まった痰を除くことを意味すると思われる。
最近のナタ豆の薬効は口臭除去らしいが明治期以前の文献には出てこないので本当に本草の意味する薬効があるかを疑問に思っていたが本草辞典で薬効が見つかった。
幕末の出版である武江産物誌でなた豆は江東地域で広く栽培されていると記述があったが痰を取る効果があったならば広く栽培されても不思議ではない。
漬物の歴史を調べていると台東区の上野公園は聖地かもしれない。徳川家が江戸の地を領国としてから後、幕府が出来た時、伊賀上野の藤堂高虎が上野の山に屋敷を構えた。沢庵和尚が寛永寺の天海と藤堂高虎の手助けで紫衣事件で死罪となるところを山形上山へ流罪となった。沢庵漬という漬物がこの後名前となった展開となる。
福神漬についても,上野寛永寺の門前で繁栄していた下谷の人達が上野戦争の混乱で荒廃し、復活を目指していたときご当地の食品として下谷の人達の支援で今日に至ったと思われる。
あと少しで豊洲へいけるのにまた冷蔵庫が不調となってしまった。原因は掃除の手抜きでガスの安全弁が飛んだようだ。部品が届く水曜日まで稼働しているところへ移動させる。ここで困るのが賞味期限の管理である。毎度後ろの商品を動かすたび賞味期限の前後が動く。26日が一番の難関かもしれない。今のところ25日はなんとかなりそうだ。冷蔵庫の件で豊洲市場での故障対策を話し合う。空調器の目詰まり防止の掃除が大切という。
歌舞伎で上野物というジャンルがあるのを知った。上野を舞台とする作品である。上野で開催された博覧会の客を目当てとして上演したようだ。明治の初めのころは今の歌舞伎が時代劇ではなく現代劇のような娯楽を江戸・東京の人に提供していた。
上野を観光地化する動きで地元の人達が上野戦争で寂れた町の復興に参加するようになる。老舗薬圃の池之端仲町・守田治兵衛を中心としていたようだ。上野動物園も明治15年開園となる。福神漬の創製時期とほぼ同じ頃である。-
築地市場の中を歩きスマホをすると、ターレ-の音に気が付かないで衝突する。さすがに今日は見かけないが明日は休みでどうなるか解らない。日々最後の築地ということで一般客が場内をウロウロする姿が目に付く。
ようやく中国で環境問題に目覚めたらしく漬物工場が排水設備の強化工事が終わるまで操業を停止させられている。日本から中国へ生産が移転しても、コストのかかる排水問題が先送りしていた。過去の日本の経験から、いずれ排水は問題になると言っていたがこちらの警告も耳を貸さなかった。それが最近の環境意識の向上で設備を強化するようだ。遅い。声を出す人がようやく増えてきたようだ。
福神漬けに入っているひょうたん型の名前というTBSの番組があった。だいぶ取材で手抜きしていて、7種の野菜の中に胡瓜が入っていた。七福神の命名の由来なので上野のご当地食品であった酒悦の福神漬には徳川の御紋を連想するキュウリは明治期には入っていなかった。入ったのは昭和の50年代以降で、初期のJAS規格にはキュウリが入っていなかった。福神漬には戊辰戦争のさまざまな思いが入っていることをすでに忘れ去られた。なた豆は漢字で刃豆と書いていて廃刀令とかチョン髷を切るとかの意味も入っていた。食品名で明治政府に抵抗した名残でもある。
TVでも話していたように日本の漬物でなた豆が入っている漬物は今は福神漬しか記憶がない。
短い時間でまとめるとなるとここまでかもしれない。
文学のイベントともいえる賞の審査が築地4丁目の料亭で行われている。昔は報道機関が料亭の周囲にたむろしていたが今は出版不況とかで寂しい風景となってしまった。昼間の観光バスの喧騒から一転築地の夜の閑散とした風景となる。
ここは明治以後クリスチャンとなった幕臣戸川残花の屋敷跡で、明治初めは大隈重信の拠点にもなった有名なところであった。明治三大女傑芸者であった伊藤きんが新喜楽という料亭を作った。女性による芸者文化の創立者である。他の二人は横浜富貴楼のお倉、三菱岩崎邸のひいきだった下谷芸者数寄屋大茂という。
周囲の関心も築地市場が豊洲へ移転するとまた寂しくなるか、一転して夜の飲食街となるかまだ予想がつかない。
豊洲市場へ移転する築地市場内の水神社の奉賛金の掲示板がほぼ埋まってきた。築地の水産部と関係のある市川海老蔵が西の二枚目にある。長い間掲示していたので薄れている。
築地の信用情報誌にこのところ移転に否定的なところが顕在化しているようだ。総需要が変化なければ撤退するところがあれば従業員を引き取り、残存者が一息つける。
このごろ感じるのだが築地の衰退は世間のデジタル化に設備が追いつかないことから来ているように思える。豊洲での設備が最新になるがそれで追いつけたかどうかは解らない。
箱根の山の向こうは梅雨明けのようで関東もすぐ梅雨が開けそうだが最低気温の予報を見るとまだ少し先のようだ。あまり暑いと熱中症対策で梅干しが不足しそうで秋口値上げが早くなりそうである。
都知事の選挙をしているが築地はカヤの外という感じ。
秋口までニ福神漬をまとめようとしているが10年という月日の間に新しい資料が次々と出てくる。どうやら上野のことをもう少し調べる必要がある。歌舞伎の上野物、上野公園、寛永寺等。彰義隊の上野戦争で上野周辺の遊び場がすたれた。そこで再復活を目指した下谷の人たちの物語のような気がする。
【クン】拾帖-東京大学の学術遺産 モリナガヨウ/著
明治期の農水産業の恩人である田中芳男の検索をしていたらこの本が出てきた。2014年の出版である。
田中は一応福神漬の命名者の一人に名を挙げられている。この本を読んでいると228ページの所に福神漬の缶詰のレッテルが掲載されていた。帝国酒悦福神漬株式会社と読める。現物を見ないとはっきりしないが初期の福神漬の缶詰レッテルでないような気がする。
こんなマイナ-の福神漬の検索で田中芳男の引用文献がはっきり出るのは不思議である。どこから辿りついたのだろうか。
レッテルの時期を確認するには東京大学に行く必要があるように思えてきた。