年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

226事件の記念日に渋谷に行く

2025年02月28日 | 宅老のグチ
数年前に226事件の記念日に渋谷のNHK脇の226事件慰霊碑を訪問した。その日は午後だったので手を合わせて祈っている人が少しいただけで、何か行事らしきものがあった様子が見えた。
 そこで午前中に行って見て、ついでにNHKの観光客用の施設見学を計画した。久しぶりの渋谷と言って良い位の変化があって、これでは通勤の人以外が戸惑う気がするくらいの工事現場で、人の流れと上空に見える鉄道とビルの位置関係から現在地を知る。すでにハチ公の銅像は駅から直接いけないので大回り。暇な外国人観光客が写真を撮っている。そこでスクランブル交差点を渡るのだが、渋谷には大小各種のスクランブル交差点があって、赤信号の見極めが難しい。午前10時前に、NHK前に着くと226事件慰霊碑の前の黒い服を着たほぼ男性だけの集団が見えて、僧侶の読経と共に焼香している姿が見えた。自分はNHKをを一回りして代々木公園の広さを初めて知った。
 一回りして、NHKの入り口を警備している人に聞くと見学者用施設は工事で閉館と言う。仕方なくもう一度慰霊碑に行くとまだ行事が行われていて、挨拶をしている様子。
その中を横切って、宇田川町から渋谷駅に向かう。渋谷は谷の街で下り坂で適当に歩くと渋谷駅に着く。」そこからJR新橋駅へ向かうバスで大江戸線大門駅で降りる。
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関税暴力団

2025年02月27日 | 宅老のグチ
トランプのアメリカの貿易収支が偏っていると、大統領選挙前の公約を実施している。何か政治の世界と言うより、商売の駆け引きの様に見える。どこが傷つくか判らないが日本だけがのんびりしていて,これで良いのかと電車の中で旅行カバンを複数抱えている外国人観光客を眺めている。実に奇妙な風景であれほどデフレが続いた日本がインフレになって、そのインフレの象徴がコメ価格と言う。もちろん給与の改定が普通となっていて、そこの改定が出来ないところが休眠するしかない。下町歩きをしていて、閉店した看板を眺めると、時代の変化が閉店した看板で推測できる。コメ屋、理髪店、魚屋が目立つ。時計修理と言う仕事もあった。
 アメリカの恐喝は今のところ各国との交渉中のようで、手札の多い所が何か免除されている。歴史は時間というもので判断されるがまだ発足後わずかでトランプの焦りを感じる。なにか偽ニュ-スが多すぎて、中国においてのアメリカ通がいなくなったと感じるのは、ハリウッドへ大金をまいた中国不動産業者の不振から来たとも思える。そういえば2022年のアカデミー賞は中国系の俳優だった。今年は日本になるのだろうか。今の日本の映画業界は世界の傾向と異なっていて、国産映画が多いという。
 そんな異端国家へ3月末のサクラ見物の外国人観光客が激増するのだろうか。今度の日曜日は20度を超すという。サクラの開花は待ち遠しいがアッという間に散って、青葉となる。
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時計の回りが早くて

2025年02月26日 | 福神漬
自分が自己の当日の行動を決めて、予定しても家族の日程と宅配の様子でしばしば予定が未定となる。さらに天候の様子も変わる。
 一応今日の予定は昨日のうちに決めているが、今日家から出て、空の様子から決めるだろう。2月26日は226事件の記念日で先の戦争に向かう促進事件と今では思われている。この評価はまだ自分としては納得がいかない。どこかでためらいがあったはずだが、議論のできない日本では空気を醸成した勢力が勝つ事例が目立っている。
昨日の自宅蟄居で押し入れから取り出したファイルを眺め、整理を始めた。
 能久親王御事蹟と言う森鴎外の関係する資料で、鴎外記念館図書室でコピ-したものだった。福神漬の資料調査で森鴎外は福神漬の記述のあるものが見つかっていない。
 九段下の昭和館図書室で、能久親王御事蹟と言う本を検索すると、2冊出て来る。1冊は台湾教育委員会の編纂で、内容は能久親王御事蹟と台湾の神社にどう能久親王が祀られているかの本で、戦前の台湾でどのような皇民化教育をしているかわかる本だった。もう1冊が日本陸軍の親睦団体の東京偕行社堂陰会が編纂している。この仕組みの解読が多くの森鴎外の研究者でなされている様子があって、自分も福神漬のバックグランドから眺め、分析してみたいと思っている。
 結論から言うと、大方の記述が鴎外と共に台湾で過ごした陸軍幹部の気持ちと、実際の台湾南部の戦場で日々弱っていく北白川宮能久親王の病気治療を忌避する意志の様子が書かれている。この解釈が今の時代と明治期の解釈が異なっていて、評価の揺れが見える。
 そもそも福神漬は上野戦争で荒廃した上野寛永寺の公園化し、文明開化の象徴地域とし、観光地化となり復興が出来つつあった。その観光客用の持ち帰ることの出来る缶詰入りの漬物の商品名が福神漬と言う名称だった。当時のまだ親幕府感でブランド名を弾圧されないよう、谷中の七福神巡りを思わせる引き札を創った。中の7種の野菜に武士の象徴である刀を意味する刀豆がその暗示の一つである。しかしこの込み入った暗示は普通の東京人には理解できず、今では福神漬の中身の研究はない。漬物業界の人でも今では江戸時代に切り口が徳川の葵の紋に似いていて、下品の野菜としていたキュウリが今では福神漬の原料に加わってしまった。悲しい。

 資料参考 研究誌 鴎外88号 村上裕紀
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世間の高齢者の常識から外れつつある今を感じる

2025年02月25日 | 宅老のグチ
平均と言う言葉のマジックで日本人は惑わされていると感じる。バブル崩壊後の人口の数字で、政府と与野党の将来の人口ピラミッドの絵が願望であると知っていて、これを報道する新聞が御用新聞化していて、何故だろうと思っていた。今はその理由は次の様に考えると良いと思う。
1 悲観的な将来を描くと、将来の見込みの立たない人物が節約するか、逆に乱雑な消費に向かうしかないと予想される。
2 平均的な富裕層は多くは存在せず、その富の税負担が少ない。このことは節税できる知識は富裕層しか必要としないし、さらに節税に手を出して巨大になると、税を管理する組織がその節税策をつぶしに入る。自分のバブル期の築地来ていた不動産融資による投資案内があって、それに乗って給与の高く、高額な所得税負担を不動産投資の金利負担の赤字で、節税していた。ところが税制が変わり、不動産所得の赤字は給与所得と分離され、高額となった不動産投資は暴落で大損害となり、日本の長期にわたって不動産価格が低迷した。日本を研究していた中国が比較的うまく不動産投資を制御していたが、コロナと過剰不動産融資、地方政府の競争で制御不能となって行った。この時に次の産業を育成する必要があるのに、アメリカ・日本の中国懸念で警戒され、パクリ産業に行く先が消えている。
 
 最近図書館で借りた高齢者本で納得いく本があった。91歳の評論家樋口さんと医師で高齢者の健康本の和田秀樹さんの本で健康寿命の説明が納得いくものだった。厚生労働省の平均健康寿命の数字と平均寿命の差が多くのこれから高齢者になる人を悩ませる。リタイア時の2000万円問題もここから来ていると思われる。平均寿命はこれは公式な統計から導き出させる。この公式性と平均健康寿命は共通の計算できないものと最近知った。この健康と言うのが介護の状態をどう思っているかで決まる。かなり主観性があって、実際自分の母が、毎年来ていた介護のケ-スワ-カ―との面談日に介護の度数をあげないように無理したような行動をしていた。和田先生の解説では介護保険料の分析で介護が困難になるのは死の前の2から3年前であるという。この差の知識を広めないのは投資誘導を狙っている世界である。
 介護度数が要介護3になると特養の施設に申し込むことが出来、順番待ちとなる。何か保育園のポイント制度のようなもので、介護人がいなく、介護の困難度によって入所が決まる様でこのような仕組みだったとは知らなかった。生活保護・介護制度の知識は普通人にはなじみがない。多くの自己破産と付き合ったが無理して返済するより、親族から融資を受けず、自己破産後に親族から支援してもらった方が立ち上がりが早い。人生は長い。この知識があれば自殺はする必要がない。ミスのない人生はごくまれである。
 多くの富裕層は高齢者の介護問題でべらぼうに高い介護施設の情報を得ていて、対策を立てているがそこには人生観の問題が残っていて、宝くじのような一時の高収入の人が付き合えない世界がある。
 ここに日本人が西行や松尾芭蕉に惹かれるのだろう。
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2万3千人の内の一人。

2025年02月24日 | 宅老のグチ
都営三田線の日比谷駅で降りて、皇居の一般参賀にまた行って見た。地下街となっている日比谷から大手町駅に向かうが昇り階段が封鎖されていて、仕方なくビルの中の出口を探し、上に出た。出たところが丁度二重橋が正面に見えて、人混みの様子から、すでに多くの人が二重橋を歩いている様子が見えた。皇居前の庭園広場は交通封鎖されていて、バスのような機動隊の車で、不埒な突入車を防いでいる様子が見える。途中で日の丸の小旗の配布があって、前の時にこの小旗の処理を気にしていた。今日の確認で坂下門外の広くなったところで小旗の回収をしていた。小旗自体は何処の費用で賄われているのだろうか。戦後80年で今年の言葉でも自然災害から日本は常在災害国を感じる。たった5分位の面会時間で、人々は無言で広場を立ち去る。小旗が振られている時は何も見えない。歓声も寂しい。青空が目に染みる。関東は晴れ続き。
 坂下門へ向かって歩くのだが、ものすごい下り坂と感じていて、転倒事故が無いと良いと念じて帰る。順調に坂下門に着いたのだが、急に門のところで渋滞となる。理由は簡単で平がった歩行者が門のところで狭くなって、渋滞となる。交通情報の歩行者渋滞とみえる。
 さて前日の予定ので行くかと思っていて、ふと愛宕山のNHK放送会館へ行って見て、べらぼうの内容を見て見たくなった。結果は並みの評価。今の時代でコンテンツがどうかということと、表現の弾圧とかのあらすじのバレを気にしているが、歴史を知っている現代人はこのバレは教養で補える。
 3連休の寒い日。東京は梅花の満開で、伊豆の河津桜は遅れているという。昨年と同様に東京のサクラはまだかいな。
 今日の新聞報道で一般参賀は23000人と言う。自分としては少ないと感じた。これなら9時45分に皇居前広場に着くと10時20分の回に間に合い、午後の日程が楽になる。人ごみで一番感じたのが日本人の身長が低い。周囲は155センチくらい。ところどころの高身長人は欧米系の顔。この差はいつ追いつくのだろうか。
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天皇誕生日の一般参賀に行って見たい

2025年02月23日 | 宅老のグチ
皇居二重橋を普通人が渡れるのは、新年と天皇誕生日と思っていても、東京に住んでいるといつでも行けると思い、さらに築地の仕事では昭和・平成の天皇誕生日は業務が忙しく、また込み具合が報道で目立っていて、とても行く気にはなれなかった。リタイアして、一度冥途の土産話と二重橋上から見る風景を見てみたいと思っていった。最初はテレビで見たように大手町から向かったが,要領が判った今は都営三田線の日比谷で降りて、皇居の広場添いに、人の歩く方向に向かう。すると警備の人達の混み具合から、検問の場所に向かう。人の多い所はすでに検問検査が終わった人たちの集合地で気にしていけない。人の動きが止まると、いよいよ皇居に入る時間となるが実際は動かない。動き出してもすぐに止まる。寒いので隣の人が埋まるまで寒い。雨の日に一般参賀があって、足元の砂利の土は水たまりのため空間が出来てそこに吹き渡る風が染みた。そこが埋まってほっとしてもまた少し動く。皇居前の広場は広いし、寒い。真夏の一般参賀があったら、何人かの高齢者の熱中症の救急活動がありそう。仮設トイレもあるが寒さから使うのだろう。ないのは飲み物の自販機でさらに検問所では係の人に飲用の食と言う証明で飲まされていたのを記憶する。空港の検問より緩いがそれなりの警備。どうせ見えないので人ごみの中心にいることは無い。周囲を見渡すと私服の警察官らしき人も居る。疑いの目がきつい。仕事とは言え不祥事には敏感である。特に皇族警備に関して不祥事があった時の左派政党の追及が酷いと感じる。左派なのに右翼以上の厳しい追及と思った。
 帰りは宮内庁の庁舎を見て坂下門から出るが、ここから皇居周回マラソンの人達にぶつからないように歩いて、皇居東御苑の梅林坂で満開になった梅花を眺め、国立公文書館の所で終戦のラジオ放送を聞く。いつも昭和天皇の堪え難きを耐え、もって太平の世を開かれんことを欲すと言う所で平和だった80年を想う。そのあと千代田図書館と昭和館で文献探しをする予定。
 近いけれど靖国神社には気分的に行けない日。
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最近の戦争は4年で大方のめどがつき、長い戦後処理と次の戦前が始まる

2025年02月22日 | 宅老のグチ
今週は色々記念日があって、23日は天皇誕生日、24日はウクライナ戦争開戦3周年で終わりの始まりの4年目、26日は渋谷の226事件記念碑とNHKのもがきの見学。何か浅草公会堂脇を歩いていたら、NHKの放送車が止まっていて、台東区とタイアップしていたイベントをしていた様子が見える。
 台東区の大河ドラマ館の概要
〇開設場所
 台東区民会館9階 二天門付近にある都立産業貿易会館内にある
 (台東区花川戸2-6-5)
〇開館期間
 2025年2月1日(土)から
 2026年1月12日(月・祝)
〇開館時間
 午前9時から午後5時
 (最終入館時間は午後4時30分)
〇休館日
 毎月第2月曜日(第2月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始等

何か日曜の大河ドラマの視聴率が低そうで、慌てて宣伝を仕掛けている様に見えるが実際は予定済でいたのだ浅草のあまりの外国人観光客の大賑わいで、日本人の存在感が薄く、日本人の目立つのが修学旅行生と見える。若い日本人が浅草で感じたインバンウンドの脅威とか実際を見聞きし、日本の常識が破壊されつつあることを知るだろう。惰性で存在していたと思われる文化も変化している。街のゴミが激減したのが極左ゲリラの無差別爆弾で繁華街でのゴミ箱撤去から始まる。従ってこの文化自体はまだ50年も経っていないが江戸時代には紙資源を大切にする文化があって、くず拾い、紙拾い、わら草履拾いという江戸の仕事があって、再生紙の仕事の原料となった。極端な話では広小路と言うと所に公衆トイレがあって、そこでの排泄物が野菜の肥料となってトイレの利権化している文献もあった。江戸城の排泄物は栄養価が高く、葛西船と呼ばれる専用船で野菜産地である江東地域に運ばれた。この江東地域は園芸農業の先進地であって、ゴミ集積場の発酵熱とアブラ紙で温室がつくられ、冬でも夏野菜が出来た。初夢の茄子は贅沢な食の夢であった。
 平和と言う反動がウクライナでどう感じるのだろうか。ウクライナの人口爆発と急速な経済復興が待たれる。そこに至る過程はつらい交渉が待っている。理性があれば核は使えない兵器と確認で来た戦争だったと言える日が来るのだろうか。
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品川歴史館の図書室で

2025年02月21日 | 宅老のグチ
品川区と大田区の境にあって、ほんのちょっと品川区寄りの場所に品川区の歴史館がある。歩いて行くとJR大井町駅より、はるかに大田区のJR大森駅の方が近い。シルバ-パス利用で行くと変わらない。この地の歴史2館は大森貝塚を発見したお雇い外国人でそこから日本の文献の無い時代の研究が始まった。日本考古学の発祥地。
 大森駅は新橋と横浜(桜木町駅)の中間停車場で、お雇い外国人の住いがあった。後に大森にはドイツ人学校(大田区山王2丁目)があって、今でもジャ―マン通りと言う名称が残っている。ドイツ人学校は1925年から1991年まで大森にあって、横浜に移転した。
 多くの郷土史の歴史館は都区内では小学生の授業のために、交通の便が良い所が選ばれているように見える。団体行動の訓練も兼ねて、まるで護送車で送迎されていると見ていたこともあった。
 品川歴史館では常設展示と図書室が無料地域でいつも誰も図書室にいない。開架の本を眺めて、適当に自分の関心外の本を手に取り、いつものように書き出しと、終わりの部分を読んでから書庫に戻す。自宅が狭く、汚しそうなので出来るだけ、記憶に残すが再度読みたい時のためのメモをする。ついでに引用の部分をコピ-して著者の頭脳の中身をみる。
 品が歴史館で品川区の観光地図を頂いた。そこからJR西大井地域を散歩計画を立てる。そも前に大井・大崎地域の大名屋敷を本を眺めていて、伊達騒動と松平不昧(ふまい)関係する屋敷があって、詳細な分析で驚く。伊達騒動は歌舞伎にも取り上げられていて、不祥事の内容が自分には理解しがたい。は江戸時代後期の松江藩主だった松平不昧は藩の財政再建をした後自分の茶道を極める茶室を品川区に集めた土地に建てた。この土地取引の様子が江戸時代の土地取引の複雑さを知ることとなる。幕府の拝領地なので表向きは金銭の絡まない取引の様に見えていて、損したり抱き合わせで購入し、不要な土地を外すというテクニックがあった様子が見える。土地の持ち主の移動は記録が残るので日本は土地本位制の国と思える。
 歴史館を出て、大井警察署に向かい、西大井駅付近にあるカメラのニコンミュ-ジアムに向かう。ニコンの発展史を見ていると、映像業界の浮き沈みが激しいことが理解できる。ニコンは何処に向かうのだろうか。先の見えない展示がミュ-ジアムに見えていた。ニコンを出てJR西大井駅伊藤博文の墓を見て、立教系の女子高校を通り過ぎ、都営浅草線馬込駅で散歩が終わる。風が強かった。
 
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高輪台の味の素食の文化センタ-図書館のリニュ-アルで

2025年02月20日 | 宅老のグチ
休館中だった高輪台の味の素食の文化センタ-に行って見た。味の素の発足時は、食の衛生問題でピンチだったことはあまり知られていない。一応味の素の社史には古い社史には記述があるのだが会社の歴史で不都合なことは徐々に消えていて(記述があってもさりげなく)、自分が福神漬を調べていると味の素の発展史と整合性がとれないところに気がついて尋ねたこともあった。これが展示物から消えたかの確認もある。日本郵船の横浜にある歴史博物館の図書室があって、そこには場違いのカレ―ライスの本がかなり多く所蔵されている。多くは福神漬伝説から集めたと思われる。その日本郵船の伝説で長谷川伸の小説にもなったインド洋の常陸丸が郵船会議室の壁に戦前の郵船が所有している船舶が描かれていて、説明には常陸丸一世と書いてあった。常陸丸の一世は靖国神社の入り口と言うべき大鳥居の右に常陸丸殉難碑があって、この悲劇は後の旅順港閉塞作戦・203高地の戦いの動機となった。いわば日露戦争の話で常陸丸二世は第一次大戦において、戦時協力の問題と戦時海上保険と言う保険金の問題でもあった。(出典神戸大学図書館新聞切り抜き・海上保険)
 味の素の展示物に
 鈴木三郎助・鈴木藤三郎・岩下清周・岩下によって金融支援を受けた会社、そしてキリスト教、神山福生病院(ハンセン氏病)、井深八重・有馬頼寧等々の複雑な人間関係をほぐすのが福神漬だった。
 リニュ-アルされた味の素の発展を展示してある2階へ早速向かった。殆ど内容は一新されていないと見えた。やはり味の素の安全宣言の証明書があって、検査時が明治時代で、証明書の再発行が昭和だった。この昭和の時期になぜ再発行したのかを尋ねたところ、誰も知らないようだった。昭和の初めに何か味の素の安全証明が必要だったかまだ解明できない。今はSNSの時代で不適切な書き込みも検索すると出てくる時代で、どうも時効と言う言葉が消えている。
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言葉の弾圧・漬物と言う言葉の弾圧史

2025年02月19日 | 宅老のグチ
アメリカのトランプ政権の発足時に、合成着色料の赤色3号に懸念が生じている報道があって、日本でも検討があったようだ。この日本での報道の見出しに漬物が出てきた。日本からアメリカには紅しょうがはほとんど輸出されていない、今はアメリカで製造されていて、原料はタイ産。中国産でカリフォルニア州で工場では非日本人が寿司用のガリを製造している。
 合成着色料「赤色3号」に消費者庁「安全性問題ない」との見解…アメリカFDAが食品への使用禁止を1月に発表も お菓子や漬物などに使用
 いつもこの手の世間的には良からぬ印象を与える食品衛生問題で、声の小さい漬物業界をいじめている感覚がある。食の大手や量販店のPB激安食品にも赤色3号が表示で示されている食品がある。コストを抑えるには人工着色料を使ったほうが、色持ちが良い。今はLED照明に切り替えつつあるが、蛍光灯時代はそこから出る紫外線で天然色素が分解させられ、脱色すると聞いたことがあって、人工着色を使った商品を売り込む時に、安全性を強調するバイヤーに出す資料に付け加えることもあった。バイヤーも責任逃れの証拠となる。
 このつけものと言う言葉を表記する漢字を調べたことがあった。もう20年以上も前だった。明治以降に文明開化の中で、日本の漢字表記の問題は政治的にも文化的にも大問題であった。
 漬けるという感じの成り立ちはサンズイに責任の責が付いている。サンズイは水や液体を著わす。『責(セキ)』zéは、借金を責める様子を表す形声文字です。 朿(とげ・刺す)+貝(財貨)=責(借金を刺すように繰り返し責める。 責める。 せめる)です。お金を意味する貝にとげを突き刺し、返済を意識させる。この責という文字は日本の小学校で5年生で学ぶという。
 戦前の日本で漬物と言う字を、デジタルの新聞検索で調べると、複数の表記がある。
漬物 ツケモノ 漬け物などがあることが解かる。教育の近代化は読み書きソロバンから、読み書きの時間を減らし、他の教科へ向かっていった。そこで漢字数制限問題が生じ、文明開化に役に立たない漬物が無視される。意識されない女性の仕事。
 戦後になっても漢字の学習文字数の問題と新聞表記と法律表記の問題から、漬物と言う漢字は翻弄されている。
当用漢字、常用漢字等々をきちんと説明できる小学校教師はいるのだろうか。日本の日本農林規格という法律に(農産物つけもの類)と言う規格がある。これは漬物の部分がひらがなである。漢字の文字問題の時に法律が出来た。同様に今は量販店の漬物売り場は漢字で漬物となっているが新聞の意識しない記事では漬け物と書かれる方が多い。
 この様な漬物の漢字表記の問題を研究している人はいないように見える。
著名人が講演会等で聴衆の気を引くために漬物を引用されることがあると感じる。そこには見下し感があって、日本の食文化の最後を締めが漬物と言うことを忘れている。今は日本食の食後にアイスクリ-ムが出て来る時代となった。口直しと言う。
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今週にはある選択をすることになって

2025年02月18日 | 宅老のグチ
今週に人生の中で大切な選択をすることになった。それは転居。二年半前に転居したので、その準備過程も理解しているが、物価高が過去と言って良い位変化があって2年半という期間でも大昔と感じる。そもそも契約上ではあと1年半ほど継続できるが、80歳に近づくと、先延ばししても余命が少なくなるだけで、悩みの期間が先送りとなり、結局再契約が出来るかどうかの問題となる。不動産物件の2025年問題は確実に相続の空き家問題となり、そこから発生する古家の改修問題・処分問題が出てき、さらに東京郊外を含め少子ということで、バス便が消え、後期高齢者の問題から運転免許の返納問題がやってくる。郊外では医者通いは自家用車が無いと難しい。それは郊外の郷土資料の図書館巡りをしていたのでバス便を利用すると不自然に病院を経由して、バス路線が組み立てられている。今は駅・学校・病院が地域住民の集合場所となっている。どちらかと言うと店舗はネット販売で衰退で、イオンのようなところは雨除けの暇つぶしとなり、飲食店も休日以外は暇なようだ。そこからフ―ドコ-トと言う施設が衰退している様子が見える。
 寝ている時にご託宣という言葉を思い出したが、五択から一択・二択・三択と増える選択は人生で多く経験する。今回の選択はいまはまだ二択で済んでいるが先延ばしは出来ない。
 ご託宣の意味から
《「御託宣」の略》自分勝手なことを、もったいぶってくどくど言うこと。偉そうに言いたてること。また、その言葉。「—を並べる」
 この様なことが辞書に書かれている。まあ他の人にとってどうでも良いことでも、100円玉を手にした少年が百円ショップに並んでいる商品が全部買えるが、一個選択すると残りが買えなくなる状況に似ている。若い時と違って稼いで100円玉を増やし、百円ショップの並んでいる人生という商品の買い増しが出来ていたが、今は時間切れで一度の選択しかない。困ったもんだ。
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他社より安くの時代が終わる

2025年02月17日 | 宅老のグチ
ようやくデフレの最終局面が来た。今回の35年にもなるデフレは食ではマックの65円ハンバ-ガ-、牛丼の安売り、ヤマダ電機の他店より高いものは値引きして同額にしますという宣伝の記憶がある。今ヤマダ電機は長期低迷中で株価も下がっている。同業他社は競争の方向を変えて、余った敷地を飲食店・フィットネス施設に転換して効率を上げている。今人件費の急上昇している地域を一度訪問してみたい。一番は春のニセコと熊本のス-パ-である。すでにニセコ附近の介護施設は賃金の上昇に堪えられず介護人が集められず、消えつつある。もしかすると破綻した夕張市より酷いかもしれない。これはニセコの行政情報で高齢者の状況が知ることが出来る。財政的にはニセコでは税収増大で不安は消えるが高齢者が追い出されることは同じである。東京の中心地域で漬物の発展史を調べていると、古地図にあった住民は都市化で高額となった土地価格で転居している様子が見える。多くの老人たちは暇を持て余し、元地元の祭りに集まる様子が図書館郷土資料に見える。
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東京の有名私立大学の男女比

2025年02月16日 | 宅老のグチ
池袋の立教大学の広報を担う立教学院展示館で順路の最後の方に、女子学生の写真があった。それは戦後に女子入学が始まり、4人の女子学生が入っている集合写真だった。NHKの虎に翼で戦前の日本では教師を育成するところと医師を育成するところしか女性の教育機関で記憶がなくて、明治大学でも極端な差別・区別があった様子がドラマで出ていた。
 そんな立教大学の現状が展示館の男女のグラフにあって、何か半分くらいが女性の様に見えて、家で調べると学部の中でも差があって、理系は男性が優位で、文系は女性が圧倒的多数派で、まるで女子高が共学になった後の様に見える。普通の受験偏差値では女子によって上昇する傾向がある。この辺りは受験偏差値の研究があるように見える。
 東京という所に住んでいる自分には東京という憧れ感がない。それゆえ上京という心理と期待感が欠如している。家があり、親がいる。ところが上京学生は一人になると孤独感が出る。そこからの展開がある人とない人の差となり、人生の分かれ目となる。情報の多さと、選択の多さが東京の魅力と魔力である。日本の戦後の人生の選択の自由度が学歴によって、変わることが自分にも親にも期待されている。
 キリスト教系大学でも男女比の傾向は同じで、きらびやかな青山学院の男女比がほぼ50%づつで、バランスが良いと言われる。郊外から渋谷に回帰するのは大学の傾向判断から来ていると思われる。同様に女子の学校、遊びの渋谷というイメ―ジを抜けるためのスポ―ツ宣伝で補っていると自分は見ている。バンカラのイメ―ジがあった早稲田大学は周囲に女子大学が衛星の様に存在する。早稲田の男女比が6対4である。この数字は早稲田大男性の優越感を感じる。衛星女子大学の存在が早稲田の多様性の素と思われる。
 これと真逆なのが京都大学の女子の扱いで、まだ大学の公認ミスコンが開催できない。これと別の傾向で東京大学ではあるようだ。やはり東京と京都の地域差と期待値があって、東京では学と美女も要件の一つで、多くの苦学生が戦前では、将来を見込まれた男性を女子の親が援助している様子が見える。日本の公園の父と言われた農学者の本多清六は女子親の支援でドイツ留学を果たした。妻の銓子は日本の女性医師の4番目の人であったが、本多が活躍すると子育てと夫の支援で仕事を断念した。戦前の期待される女性像だったと思われる。今でも少子でその気風が日本では残っているようにみえる。良し悪しが別として残っている。そこから長生きし、子育てが終わると残りの人生となる。
 少子の問題で今の議論の傾向は長い不況で結婚できない世代が多かったからという分析が今出ている。従って保育園充実等の政策支援は富裕層の支援と政治家の目に見える箱もの政策である。都会の子育ては悩みが多い。そこに仕事という問題がある。そして楽になるのが子供を持つことの断念となる。
 事実は文献で確認できるが傾向とか噂は文字にならないと確認できない。
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4の日の巣鴨・そして池袋の立教学院展示館・豊島区郷土資料館

2025年02月15日 | 宅老のグチ
4の日は巣鴨のとげぬき地蔵の縁日で、池袋の立教大学の入試のすき間狙いで、周遊コ-スを回って見た。
親族の歴史を調べている内に、キリスト教系の人の名が出てきて、無関係であると思い放置しいた。1月の寒い日に今まで調べていたことに飽きてきて、無関係なことを暇つぶしで調べることにした。すると立教大学が検索に出てきて、図書館で立教大学の歴史というか立教学院史を読んだ。立教学院は築地居留地から始まり、何度も築地で火災・震災等の被害を受け、まだ未開の地だった池袋付近の田園に移転した。
 自分が知りたいことは戦後のGHQと親族の関係である。たかが一介の農民にGHQが干渉するとはとても思えなかった。確かに叔父たちの特攻隊員は数十名の米兵死者を出し、負傷者も多数記録にある。そこで親族が慌てて叔父の遺品・遺書等の処分するとは思えなかった。もう少し理由があると思って
 昭和20年8月15日に敗戦となり、米兵が日本に上陸した。その中でGHQの中に立教学院の教師がいて、開戦後にアメリカに戻った人がいた。その人が戦後の荒廃と言う状況でも立教学院を放置していた学院幹部を追放した。11名。その中で唯一身の潔白を主張した人物がいた。キリスト教精神に反する行為を行っていなく、さらに治安維持機構に狙われていたことを証拠を出して、比較的早く公職追放が解除された。この人物の親族が叔父たちの村で戦後の食料の不足時に疎開していた。
 立教学院展示館にはこのことは数行の文章で敗戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ・SCAP)から大学総長以下、幹部11名の追放令が出た。この措置は戦前教育を担った教職者の公職追放の先駆けとなった。なおGHQによる直接の公職追放は立教学院だけだった。
 実にあっさりとした展示だった。展示館を出た後、学院の敷地を一周し、ふと豊島区の郷土資料館があることを思い出し行くことにした。この豊島区の郷土資料館はビルの上層にあって、昔のイベントで滝野川の種子問屋があって、ナタマメの販売状況と用途を調べたことがあった。何か大刀豆と言うのがあったと記憶する。
 池袋の敗戦直後は闇市の全盛で都内最大級の規模があった。それは東武東上線と西武線池袋線(当時は武蔵野線)で郊外の食料がヤミで運ばれていた。当時の配給のカロリ-は600カロリー位で、今入院時の最低カロリ-を大幅に下回るのでヤミ食料を手に入れないと餓死することも普通だった。この展示も郷土資料館にあった。
二つの歴史資料館は池袋の未来に終戦直後をどう伝えようとしているのか。



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中卒・高卒学歴の国会議員はいるのだろうか?

2025年02月14日 | 宅老のグチ
今度の国会の議論でふと今の国会議員で中卒・高卒学歴の議員はいるのだろうか?と思った。親の資産ガチャでほとんど全部が大卒以上の学歴と思われる。水増し学歴で今の物価高の生活困窮者の様子がボランテア活動で得た知識で動いている気がする。多くの貧困高齢者でも声が大きい人もある。でも大部分は声を出しても救われないので声を潜め我慢する人生を送っている。多くの生活困窮者には行政の支援情報が伝わらない。偏っていると思われる。仕事を増やしたくない行政の役人もいる。多くの末端の行政役人は専門職でさらに繁忙期と閑散期がある。そこで融通が出来れば良いのだが仕組みと法知識の専門性があって、無理な部分もあると感じる。DXの時代に決まった定型の質問がAI機能で回答が出る。この進歩が激しく、記事や論文の要約の正確性と回答作成時間の短さが早い。今は新聞記事も読者層の高齢化で一つの記事の文字数が制限されているが、内容を正確に報道するのは足りないと記者たちは思っている様子が見える。そこで見出しと簡単な要約を出し、そこから記者名を出した記事に行くことで記者のボ-ナスが増える仕組みで出来る。行政も他部門の支援ポイント制度があっても良い気がする。
 今は玉石混交の報道で、どちらかと言うと石だらけの河原で変な石を探している子供遊びと見える。
アイザック・ニュートン「我々は、海岸で貝殻を拾って遊ぶ子供のようなものである。真理の大海は、海の彼方にあるのかも知れないのに」という言葉を知っている。波音が母親の体内の血流音に似ていて、心が安静になるという。あのうるさいパチンコ屋の金属の玉の騒音も血流音に似ているという。清流の音も同様な効果があるのだろうか。
 多くの議員は底辺の声の小さい人の本音を知らないし、投票所に行かないので票にならない。大卒議員がパフォ-マンス的に弱者に寄り添っている姿勢を見せている。議員の彼らは宴席で指定席に座っている。多くの貧者は末席で座るかそもそも席は用意されていない。当選のバンザイは上段の席に立つことになり、落選の土下座は貧困民への仲間入り。墓地の墓巡りでやはり墓碑に記載しているのは勲章である。学歴を記載してある墓碑はまだ見たことがない。
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