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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

つけ物の国 昭和5年

2023年12月31日 | 福神漬
 18年前に福神漬の出ている記事を載せた。この佐伯矩という人は日本の栄養学を作った人で、佐伯栄養学校が大田区馬込から今はJR蒲田駅付近に移転した。跡地は公園となっていた。この栄養学によって漬物がかなり影響があった。漬物が前近代的ともいわれた記憶がある。ただ長寿ということから見ると結構日本食は役に立っている。ただ学者の分析では日本女性の世界一はりくつにあわないという。日本を除くと、女性の長寿は男女格差に比例している。日本の女性は社会でも仕事でも格差があって、それなのに長寿世界一ということに理由がまだ見つからないという。アエラ・ドット 2023年11月
昭和5年2月16日朝日新聞
つけ物の国 佐伯 矩
我々くらいつけ物に親しんでいる国はなく、普通用いられている沢庵・浅つけ・葉つけであるがその材料及び漬け方の区別からつけ物の種類は実に驚くほど多い。
 先ず、材料から言えば大根が首位を占めているがついでカブ・ニンジン・ゴボウ・瓜・ナス・なた豆・わらび・ミョウガ・しょうが・梅の実・松茸・各種野菜の根・葉・茎・果実等は殆ど用いる。
 つけ方についてこれを見ても新鮮なもの、干してあるもの、若いもの、熟せるもの、単なる塩つけ・ぬかつけ・みそつけ・かすつけ・からしつけ・酢つけ・しょう油つけ・砂糖つけ・アルコールつけ・油つけ等枚挙にいとまない。
 つけ物の中に重要な地位を占めている福神つけのこときはその本質においてはむしろ煮物というべきで普通のつけ物の感覚から種を異にするべきである。

昭和5年2月24日朝日新聞
つけ物の話 佐伯 矩
西洋料理の宴会から帰宅して今一度お茶漬、つけ物の口直し無しにはという人達のうらみの程もいかにやと、更に大根漬に関して一節を追加することにする。
 沢庵もその固有の臭いのために外国人はもとより時には日本人でさえもこれを口にすることが出来ない者がないではない。私の知人で三人の極端な沢庵漬嫌いがあったが近頃また一人ふえた。わが国で充分に普及してもののこれを始めて試食されたときさぞかし鼻をつまんでつばを吐き手痛くけなしてことであろうと察するに余りある。
 ところがどうであろう近頃つけ物に人工的な着色や味付けが流行して、沢庵に毒々しい深黄色で着色したり、浅つけの大根にわざわざ砂糖を加える愚をあえてしていたり中に浅つけの大根に密かにサッカリンでもって味付けし、このために警察より没収・廃棄を命じられる例も稀ではない。
 サッカリンをもって甘味を付けたものを販売することは現に法令の厳禁するところで、これに違反してその制裁を受けることはもとより止むを得ないことであるが元来サッカリンは決して毒物ではないのである。つけ物に甘味を付ける程度のサッカリンを取締るべしとせば、その科学的構造から見て世情広く用いられている、茶もコーヒーもまた速やかにこれを厳禁せねばならぬ理がある。
この禁制は砂糖を保護する政治経済的見地から生まれたものである。なるべく近い将来撤廃されるべきものだと私は十年前から主張してきた。だから家庭では自家用のつけ物にサッカリンの微量を用いても差し支えないことである。しかし、砂糖のように栄養はなくその量をあやまると頗る味が悪い。

この当時ではすでにサッカリン規制は政治経済的見地からと広く知られていた。つまり、税収を確保するため砂糖業を保護する必要があった。=砂糖消費税

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神楽坂5丁目の近江屋さんで万両巻きを今年は予約し購入

2023年12月30日 | 宅老のグチ
暮の28日は神楽坂の近江屋さんで万両巻き購入。奉書巻きとも言って、学問を象徴する言い方もある。巻物。後はナマス。これで自分のおせちのこだわりが終わる。
 29日の仕事納の日は近所を歩くと、大掃除をしている会社が目立つ。この風景が年末という雰囲気を出しているのだが、何か松飾りが量販店で11月から見ているので、意外と少ないと感じる。やはり正月明けのゴミという意識があるのだろうか。売れ残った松飾はひそやかに倉庫で一年休眠になると思う。日付もないし賞味期限もない。そして藁で造っていないので変色もない。
 謹賀新年の印刷紙が閉まったシャッタ-に張られている。人手不足のス-パ-で3ケ日は休み所が増えた。日経新聞によると、都下のス-パ-いなげやが正月休みが減り二日からという。来年のいなげや業績がどうなることやら。
 自分の予想では、他店の業績の良い所にいなげやのパ-トさんが流出する気がする。同時に無理して正月に働いた人にお年玉を出さないと転職となりそうだ。
 元日の墓参りで、郊外のイオン系のス-パ-に行って、飲み物を買った時、レジの人の顔色が酷かった。こんな閑散で働かされているという、心の表情が出ている。令和になって平成のクリスマスが短くなり、正月だけとなったス-パ-の年末。デリバリ-の発達が、配送の難しいクリスマスケーキ崩れの問題を引き起こした。この問題をクリアしないとケ-キの配送は消える。おせちの通販も以前に過剰受注で欠品騒動があった。受注ロスを避けるために、長い期間受注するが、そこに人手と欠品で通勤電車の遅延のような問題が起きる。電車は毎日の学習効果で対策が進む。ただ正月食材は毎年想定外の事が起きて、対処で苦労する。その結果は難しい物は作らない。儲からないものは作らないとなる。
 万両巻きは昔は多かったが中国産が出回り、受注日が極端に早くなり、正月商材として外された歴史がある。今では料亭系のおせちセットしか見かけない気がする。神楽坂の近江屋さんはもしかすると料亭系を除くと都内では見かけない漬物となりそうだ。ただ作ることは簡単だが売ることは難しい。今年は予約と言っていた。大根を薄く切って、糸コンブで縛り、酢の調味液につける。手間の費用が消費者に受け入れれれるの問題となる。そのうちに正月3が日に働くのは雇用されない超高齢者の職場となりそう。 
 来年後半にいなげやさんに行って、パートさんの平均年齢を探ってみたい。これが長いデフレの終わりとなるか判断材料となる気がする。多分来年も最低賃金が東京都で広告される。時給40円上がればそれだけ扶養の問題になってくる。それ以上に上がりそうなのはインバウンドの影響下のホテルの下働き。コロナで打撃を受けていたので超人手不足。部屋があっても掃除等が出来ないで稼働率を下げている。今は食事はコンビニ情報でホテル以外でもいつでも日本は食することが出来る。都の郊外まで人手不足による賃金の上昇は行くのだろうか。近所でホテルと介護施設が次々と完成している。
 日本のマックで93歳の人が働いている。さすがに接客でないが掃除をしているという。これがネットに出るということは90歳でも人手不足となれば若い人が嫌うトイレ掃除をする雇用が生まれる。生きがいも生まれる。働く日数が少ないので給付金の問題も消える。政治家の怠慢で扶養の壁の問題が消える。もう女性は長い老後のために専業主婦にはなることは出来ないし、男性も90歳まで雇用してくれる会社はないことを自覚すべきだろう。50歳くらいで老後の仕事の準備。トイレ掃除はいつでも雇用の場があると映画で知った。
『PERFECT DAYS』
 トイレがタダで奇麗なのが日本の観光の魅力でもある。汚いとすべてが幻滅となる。
 近所の道路でゴミの回収車に比較的若い女性が乗っていた。体力のいる仕事で女性は見かけなかった。フィットネスブ-ムで男のスマホいじりより体力がありそうだ。引っ越し業界も女性がよく見かけるようになった。
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ボ-ナスの支給拒否の記憶

2023年12月29日 | 宅老のグチ
大江戸線牛込神楽坂駅の入り口で、東京都の大きなポスタ-があって、10月1日から東京都の最低賃金が時給1113円となり、前年より41円上がりましたので、周知してくださいという。来年も40円ほど上がるし、上がらないと物価上昇に負ける。仮にウクライナと中東の戦争が終わり、台湾が平穏なれば、物価上昇が収まることはない。
 むかし年末にボ-ナスを支給時に、パート社員に意向を聞くと、いらないと言われた。その理由は同居している子供の扶養に入っていて、いつまでも築地で働けることはないので、ただ家に居てはいけないというので働いているいう。そこで11月までの収入と12月の見込みを入れるとオーバ-しそうなので、全員支給が一人だけ支給しなかった。翌年に年末調整の書類を見て、少し補填した記憶がある。
 運転手の長時間労働に規制が入る。これは時間だけでなく賃金の広範囲の変動をもたらす。会社には給与を支払うために、計算の締め日があって、25日支給のの所は10日ぐらいが締め日で計算する。この様な事業所では12月は11日以降の年末繁忙期に残業しても年収に影響しない。影響するのは翌年になる。特に年収を計算しているパ-トさんは10月から計算しているので、年末繁忙期に休まれると戦力の大幅な低下となる。この辺を正月商材の多い事業所に聞くと下請け等に仕事を回して、年末休暇を避けているという。これからパ-トの自給を大幅に上げる所は上げることによって、止む得ず転職という判断も出るだろう。物価が上がり始めると過去の例から制御が難しい。
 何年かすればデフレが懐かしいという時代が来そうだ。日本史でこれだけ長いデフレは今まで無かった。つまり平和だったということで戦争があれば今のロシアの経済成長率の高さも納得する。兵器の生産も消耗も経済発展ということになる。
 自給自足から外部に生産を任せ、消費すると経済発展となる。日本は島国で江戸時代は日本国内で経済を回していた。それゆえ、自給時代の節約が不景気時代に復活した。他店より高いものは値引きしますという宣伝が受け入れる。そこにはコストの地域差を計算していなくて、他店の顧客を取るしかないという安易な経営が強かった。ネットの時代は高いものは全国で比較される。今は価値が時間消費に向かっていて、食は二分化され安物と見栄えのある食に分かれる。神楽坂で若い人は行列でレストランに並んでいる。その店の隣のチェ-ン飲食店はガラガラ。ガラガラの飲食店は栄養補給で早く安く旨いだけである。見栄えの店は写真写りと、雰囲気となる。思い出は値段で評価できない。
 高齢者で時間があるので、散歩の歩数稼ぎで昼間の都心を歩く。シルバ-パス利用なので交通費は掛からない。霞が関の官庁街の平日昼間に歩道にいる人は警察官しかいなくて、目礼すると返される。奈良公園の鹿のようだと密かに思っている。時たまご苦労さんと言うとにっこりする。暇そうなので知っていても道を聞く。こっちが暇で付き合ってもらっただけ。
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東武鉄道65年史を読みに品川図書館へ行く。

2023年12月28日 | 宅老のグチ
今は東武鉄道の一部となった、東武野田線の社史本を検索すると、都立中央図書館のほかに数か所出てきた。そこでいつも行っている所を外し、ついでの所を考えると、品川図書館の後に沢庵和尚の墓のある東海寺となった。
 東武鉄道65年史は品川区品川図書館3階の郷土委資料の開架にあって、他の資料も読める。ついでに手にした本は中央区新川の土地の所有の変遷で、今でも2000人ほどが新川地区に住民登録となっている。中央区は地名のこだわりの強い所で小学校の統合ではずいぶん揉めていた歴史が解かる。今はバブル時の地上げでこだわりの人とそうでない人が入れ替わったように見える。所有権と借地権と地上げ時に立ち退き料をもらった人と単なる借家人との次の住いの様子が良く理解できる本だ。今盛んなタワマン所有はいつかは転居する。その時の判断にはこの新川本が役に立つ。1000戸近いタワマンにおいては、不動産価値の維持のため、年々管理料が上がる。その値上がりに、自己の収入が追いつければよいが追いつかない時は退去となる。そこには都落ちという気分が出る。
 築地市場から豊洲へ移ると税金等が中央区から江東区に変わる。警察・保健所・消防署等が天下意識のある築地人とどう折り合いをつけるか今でも気になる。多くの築地・豊洲を書いている人はごく一部を書いていて、この先の変化は気にしていない書き方をしている。

 東武鉄道65年史で読みたかったのは、野田線の誕生から東武鉄道に吸収されるまでの概略を知りたかった。この先は千葉県史となる。野田線はキッコ-マンの発展史と重なる。軽便鉄道が次第に物資・旅客の鉄道となっていった。
 大正の野田争議と関東大震災の虐殺映画(福田村事件)の背景にはこの野田線が絡んでいる。新設の鉄道工事には日本人だけで不足していた。そこで多くの朝鮮半島から来ていた人が従事していて、さらに家族連れもあった。福田村の事件の映画で朝鮮飴が出て来るが鉄道工事の家族の内職だろう。第一次野田争議は大正12年頃で、キッコ-マンの容器が樽から瓶詰めに変わる時期と、江戸川水運から鉄道配送に変わりつつあるときだった。そこに雇用の近代化を進める会社と手配師の利権(ピンハネが酷かった)、それに不安を煽る労働運動の闘士たちが日本中から野田に集まった。第一次野田争議は闘争期間は短かったが、この不十分な解決が昭和の大争議となってしまったと思われる。今でも野田市には隠れたしこりがある気がする。
 京急新馬場駅に近い六行会ビルに品川図書館がある。この六行会は品川宿の時代の名残である。図書館で二冊読んで、タクワン和尚の東海寺へ行く。


 築地にいた時にたくわん漬をもって、東海寺大山墓地に2-3回ほど訪問していたので沢庵禅師の墓の位置は解っている。東海寺の目黒川周辺が激変していた。まず入り口の門が塀で封鎖されていた。これは工事業者が無理に門を通り抜ける時に、引っ掛かり門が歪んだ新聞記事を見ていたので、修復ということでなく、ゆがみを直しただけだろう。寺と環状6号線との間にタワマン。目黒川の下には首都高速が走っている。さらに大山墓地の入り口にリニア新幹線の変電所が工事中。官営ガラス工場が消え、品川区立品川学園という9年生の学校。
 横浜の高島山で鉄道開業時に海を埋め立てた時の土砂をとった。同じように鉄道を反対していた薩摩の抵抗をはぐらかす、品川築堤の土砂は、東海寺の山を削った土砂である。幕府の寺院で繁栄していたが維新後に鉄道工事で寺院の敷地が減ってしまった。大山墓地の案内で井上勝の案内が見えない。一応鉄道記念物で新幹線の塀際にある。井上は今の発展をどう思うのだろうか。墓の隣は新幹線、地下はリニアが通る。
 目黒川沿いにJR五反田駅まで歩く。あと数年すれば目黒区の目黒川桜より大崎の方が桜の道が整備され、山手線の駅にも近いし、遊覧船の船付き場もある。
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2024年豊洲市場カレンダ-で想う

2023年12月27日 | 宅老のグチ
毎年、どこかで談合があって、日本全国の中央卸売市場の休日が決まる。それが決まらないと、漁協、農協等の金融機関をのぞいて、仕事の段取りが出来ない。また今はゴルフ場の予約困難時には水曜日が開市かどうかの問題があった。今は休市が増えてこの問題が消えた。
 市場の休みは生産者と市場関係者の問題の立つ位置が異なっていた時代があって、いつも生産者側に負けていた。今は農漁業の人手不足と後継者不足があって、休日増加問題は少しはましとなった気がする。それでも長い休みは取りにくい。
 26日に久しぶりにJR新橋駅から、汐サイトのビルを抜け、、元築地市場を横目にして、朝日新聞前の歩道の並木の太さを見ていた。あの歩道には昔は買い出し人の車が縦列駐車していて、大田市場が出来て青果部の車が減り警察と行政が徐々に世間の常識が築地市場にやってきた歴史の痕跡でもある。市場内のフォ―クリフトは表向きは場外を走ることは出来ないとなっている。そこには車検の問題があって、市場は私有地扱いで車検はない。整備点検証が無いと東京都の場内走行許可証の更新ができない。更新するとスッテ-カ―が渡される。これを車体に張る。
 元となった築地市場正門の付近に原爆マグロのパネルの金属板が残っている。浴恩園跡は消えた気がする。
 ネズミの逃亡を阻止した市場の塀を観つつ、波除神社の通りに入る。大混雑の記憶があって、知っている年末の場外市場の風景と違うという印象。勝鬨橋を渡り、大江戸線勝どき駅に入る。晴海のマンション群に住民が入居したらカチドキ駅はどう変化するのだろうか。歩いてゆくののだろうか。それともランニングか自転車通勤か。
  この写真は勝鬨橋から旧築地市場を見た。正面が朝日新聞の茶色いびる。その後ろのビル群は汐サイト。旧築地市場の水産部駐車場2棟と厚生会館とプ-ルも消えた。隅田川の岸壁にあった未完成で放置されていた建物も消えた。築地市場の歴史遺産となる金属の骨組みも消えた。これでは歴史遺産となるのは勝鬨橋しかない気がする。
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大田市場の年末食材のチラシ

2023年12月26日 | 宅老のグチ
ポストに入っていた大田市場水産仲卸のチラシ。今までの経験では秋口に東京都の広報誌に市場祭りの案内があって、この日だけが一般人が市場の入り口で入場拒否されない。表向きテロ対策と言っているが、実際は市場は東京都の管理地で、交通事故があると人身事故であっても警察処理の手続きがややこしい。一応守衛所に事故届しておかないと自動車保険請求ができない。それゆえ道路と市場との境の事故は問題が生じる。反則点が加わらないこともある。時には交通事故でも労災の事もある。この点では築地いた時、飯田橋の労働基準監督署から職員が築地市場で労災事故が多いと講演した。築地の労災はたいてい不注意から来ていて、梯子から落ちて骨折が目立つ。水産仲卸の店舗の上に発砲スチロ-ルが置いてあって、これをとるために梯子に登って取り扱う。何しろ年寄なのでバランスを崩しやすい。それにタ―レ-の操作ミス。重大事故はフォ―クリフトの事故。最低でもフォ―クリフトは重症骨折となる。この様な理由で東京都と市場関係者は一般人を市場内に入れたくない。
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正月の始まりと年納の挨拶

2023年12月25日 | 宅老のグチ
25日の新聞朝刊のス-パ-のチラシが寂しい。ドラッグストアとかドンキホーテの店頭のお供え餅とか松飾は11月には並んでいて、昔みたいな正月気分にはなれない。規制が緩い日本は季節感の演出がフランスワインの美味しくない解禁日しか思い出せない。新米もそれぞれの地域で決めていて、県主導で新米出荷日を宣伝している所が無いと感じる。何かコメ不足の時代が長かって高く売るということに抵抗があるようだ。農家ならわかると思うが検査すると1等米のほか落第したコメも出来る。緑のコメ、割れた米,カタチの悪いコメなどはくず米になって、せんべい等になる。ここで海外米と競争となる。くず米でもそこまでに肥料と労力がかかっている。農業の虚しいのは機械を作るのと違って、最後まで収入が計算できない。豊作で過剰となり値崩れもある。

 高齢者になって、年末に思うのはよく一年生き延びた。喪服の人達と夕方に出会うと、ようやくコロナで自粛されていた葬儀が小さくてもやる気になってきたと思う。
 26日からのス-パ-で漬物では御ナマス。千枚漬、千代呂義等普段見かけない漬物が並ぶ。昔と言っても昭和のバブル時期にはもっと種類が多かった。
酢蓮、紅白酢蓮、万両巻き、地方によってはもっと地のつけ物がある。実際は正月明けの白菜が発酵して美味しい。
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福を求めて、中野区立歴史民俗資料館へ

2023年12月24日 | 福神漬
江戸川区の郷土資料館で見つけた中野区の七福神めぐりの展示を見に行った。大江戸線新江古田駅から15分というパンフレットを信じて行くが、やはり中野区は戦災にあっても区画整理、番地整理がされていないので最後の所で苦労した。しかしそれが幸いして、裏口に大きな漬物樽があって、これは10年以上前に見た樽だった。説明版では鷺ノ宮のタクワン屋から寄贈されたという。多分学芸員に聞けばわかると思うが鷺ノ宮の土地持ちで有名だったヤマシンという漬物屋だろう。今は廃業していている。トウゴと呼ばれていた漬物用大樽は10石入り。1.8リットル瓶千本分入る。一つの樽でおおよそ4000本のダイコンが入る。樽の途中に穴があるが小学生ののぞき穴。好奇心の多い小学生は必ず覗く。練馬区の郷土資料館、板橋の郷土資料館にもタクワン樽がある。戦前の都下の農村地帯でたくわんが農産加工の中心だった。
大樽の前に井戸。樽の上にふたのような屋根。樽の高さと横幅は1.8Mほどと推測される。日本の醤油・みその木樽の規格。漬物用は醤油等の廃棄の樽を使うことが多かった。
 中野区の歴史民俗資料館は中野区の小学生の学習の場で、結構漬物は学ばれているが、何故という展示がされていないと感じる。それは戦後育ちの先生には沢庵が軍需産業だったことを知らないと言える。戦前戦後の30年頃までは日本女性が漬物は自分で漬けるもので、購入するものではなかった歴史があった。
 七福神めぐりの解説があって、今まで知らなかった七福神巡りの変遷史を知った。
 最初の七福神の選定は京都から始まる。そこはそれぞれが離れた位置に福神があって、巡るということには最初はならなかった。徳川家康が上野の地に京都の風景を模した施設を作った。
 清水観音堂は、京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂 、琵琶湖は不忍池等々。そこに七福神を模した寺院の選定もあった。そこから谷中七福神めぐりが生まれたという。絵師は正月用の七福神の絵を商店に提供し、生活の糧としたようだ。西川口の河鍋暁斎の絵は、七福神の絵が多く残っている。
 京都の七福神巡りは文政年間に始まるが江戸では江戸時代後期が第一回の福神漬巡りの流行期、二回目は明治後期から昭和初期、第三回目は昭和50年以降で今盛んな日本全国の七福神巡りの半数は昭和54年から57年の頃から始まった。意外と新しい。
 コラム的に中野区郷土歴史資料館に福神漬の解説がある。どうして七が消えたかはまだ不明である。七は日本人には縁起の良い数字で中国人は八で、両国に共通の忌み嫌う数字は四である。日本の福神は大黒・恵比寿様で抱え込むタイは1ッ匹と決まっていて、二匹抱え込むのは強欲という。どうしてなのだろうか。べったら市の恵比寿購では干からびたタイをお供えしても良いようだ。多分腐ってもタイという言葉の由来かもしれない。お供えなので食べることはないし、冷蔵庫のや氷の無い時代には腐る。骨のしっかりしているタイは形は残る。
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PERFECT DAYSを初日に観る

2023年12月23日 | 宅老のグチ
PERFECT DAYSというカンヌ映画祭で賞をとった映画を日本公開初日に観る計画を立て、調べると渋谷で一か所あったが、一回目の上映がシルバ-パス利用では通勤時間にあたりそうなので回避した。そこで11時頃の上映で選択する。
 映画を観た感じでは、渋谷区の観光案内、浅草付近の飲み屋文化、それに銭湯の入り方もあって、さらにTOTOのトイレの宣伝もある。この映画を観た後は欧米系の観光客誘致の宣伝映画と見てしまった。タイトルも出演者もすべて英文字で日本語は最後に木漏れ日と出るだけ。期待以上に日本語が出ない。それでいても出演者は日本人となる。映画の隅田川は奇麗だが季節感が消してあって、普通の観光映画のようには見えない。
 これは地下鉄銀座線の宣伝映画だなと思った。これから浅草駅の改札口にある飲み屋の常連はスマホに撮られる気がする。奈良公園の鹿の様になってしまいそうだ。
 最下層の仕事見なされそうな仕事でも、日本ではきちんとすれば日本全体の評価となることを築地市場の人達は言っていた。その仕事が清潔な日本と食の日本ということでいま世界に評価されている。キレイな日本は個人やトイレ・道路等々の公共の施設のごみが無いこと。これには日本人の全体の協力が無いと出来ない。奈良公園の鹿はかわいいが日本人でないため、道はフンだらけである。犬の散歩でパリはフンだらけという。日本はまだ犬のフンだらけというのが少ない。近所の道で犬の糞を放置しているのを見た人が、白墨で丸を書いてそれとなく注意しているのを見た。
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体感したひと月244万人の外国人観光客

2023年12月22日 | 宅老のグチ
シルバ-パス利用で都営交通と都内のバス利用で動いている。21日に都営新宿線船堀駅前の船堀タワーに急に行きたくなって、訪問したがエレべ-タ-の長期点検で休み。それで近所の江戸川区郷土資料館へ行った。ここへは江戸川区役所前の都バスのバス停で降りて、親水公園の道を歩いて、グリ-ンパ-クという区の施設の3階にある。2回目の訪問。江戸川区は埋め立ての町で、海苔の産地でもあったようだ。ただ海苔自体は大田区の方が質と量と従事者が多かったので印象は薄い。アサクサノリというブランドが深川浦と言う所から採れたのだろうか。
 戻りに船堀駅で隣駅の東大島駅に中川船番所資料館を思い出して行くがここも臨時改修中で休み。仕方なく家に戻る。都営新宿線馬喰横山町駅で降りて、都営浅草線に乘り替えるのだが新宿線はガラガラで浅草線はほぼ満員。コロナ中は浅草はガラガラで仲見世をゆったり歩いて、台東区中央図書館へ行っていた。
 浅草線の混み具合を見て、つり革につかまりながら考える。オーバ-ッ-リズムというが強大な旅行鞄が電車を占拠する。コロナ以前のアジア系の外国人の日本滞在の日数が少ないので、カバンが小さかった印象がある。日産自動車の逃亡者ゴ-ンさんが中に入れるくらいの大きなカバン。それも一人一個でなく2個もあって、夫婦だともう大変。通路をふさぐし、網棚に乗せることも出来ない。どうも日本の電車は荷物の大きさに寛容だ。この辺は監視国家中国に見習いたいと思った。
 日本の政府も民間人も外国人観光客の人数を増やす事しか考えなかった。そこで中国から増えて、人数的には満足したが次に滞在日数が短いということから長期滞在と少し変えてたが距離が遠い欧米人の日本滞在が長期になるとカバンが大きすぎる。コインロッカ-が入るサイズとはとても思えない。これから京都・奈良・大阪等々の主要駅には巨大なロッカ-が必要と思う。京都のオ-バ-ッリズムで想うのは市営バスに巨大な旅行カバンは大きすぎる。
 間も無く東京の二つを結ぶ都営浅草線と、人気観光地の二つを終点にもつ銀座線は最初の東京でのオ-バ-ツーリズムの体感地となるだろう。
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暮の10日

2023年12月21日 | 宅老のグチ
23日の天皇誕生日が移動して、令和と昭和は同じ年末の休日カレンダ-となる。特に23日が祭日となると今年でも暮の3連休となって、不景気だった平成でも雪を求めて車が動く。今は昭和の時代と違って高速道路がネットワ-クされ一か所が不通になってもう回路があるし、それ以上に天気予報がよく当たる。
 何か高速道路が混んでいないと感じるのは宿泊費が高くなっているのだろ。
コロナの後で宿泊業の様に一番打撃を受けた業界が人手の戻りが遅いという。

 バブル崩壊の時、特に株式相場が4万円直前に正月となった。そのため投資家が正月休みの新聞を読んで、売り時と思って、正月明けの大発会から下げ続けた。最終的に下げ止まったのは2009年3月10日7054.98円となっているので10年以上下がった。中国のバブル解消にも少なくとも10年はかかるがそこには弱気の心の解消で、政府が強権で景気が良いという情報を出しても、情報操作の疑心がある限り、個人の財産を浪費することはない。そこで指標となるのが豚肉価格、贈答用の酒の高価格品の売れ行き、高価な菓子類の売れ行き、中国新幹線の混み具合、EVの補助金の減り具合などで調べるしかない。すでに日本の紙おむつメ-カ-が中国から撤退しているのは、安売りが通常になっていることを示している。出生が減ったので関連業界も不振と、規模維持のため低価格競争となる。
 これを打破するためには稼働率の上昇より、経営分析が必要だが、情報漏れを嫌う中国が出来るのだろうか。デフレを輸出しても、先進国は保護的に走っていた、ドイツではEVの補助金が消えそうで、またガソリン系の車になりそうだ。やはりコロナとウクライナの事が思惑を壊しつあると感じる。
 築地の場外でロシア産のカニが安いという。自分の目で築地場外市場の混み具合を見てみたい。
 大雪予報が出ているが26日からの正月商材が店頭に並ぶ。今年もまた神楽坂でナマスと万両巻きを買ってみたい。
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10年以上訪問していない在日韓人歴史資料館へ

2023年12月20日 | キムチ
このブログを始めたのはあまりにも日本のマスコミが漬物の事を知らないということから始めた。その後に築地市場移転問題もあって、すでに6000回を超える更新もある。ただ今記憶の整理をしていて、不適切なところの訂正を始めた。
 2005年秋に韓国と中国はキムチの寄生虫問題で論争があった。結局問題を大きくした韓国政治家は今となっては中国にキムチの関して負けた形となる。一時的に中国から韓国へのキムチ貿易が減ったが儲ける金額の多い日本向けの韓国産キムチが大幅に減った。日本のキムチ市場は2005年のキムチ騒動以前は売れ筋の価格が500円を超していたが今では300円以下が普通となってしまった。
 日本でのキムチのこう高価格の売れ行きが落ち、賞味期限のが切迫し、投げ売りとなり、適切な売り方(10度以下)をしていないところまで販路を広げた。そこで安さだけで購入した青果店・消費者は味の悪いキムチでさらに消費が落ちた。悪いことに日本向けのキムチは冷蔵コンテナで運んでいて、一月ほど前からコンテナの予約があるため、そのために仕込みもあって急に売れ行きが悪いと言っても、中々日本向かが止まらなかった。この時は韓国の業者も日本の業者も大打撃となった。日本のキムチ製造者は韓国産・中國産のイメ―ジを無くすため、和風とか国産野菜使用とかのシ-ルを貼って対応した。さらにパッケ-ジデザインも日本風を感じるデザインとなった。当時のキムチの韓国の貿易収支は日本向けで中国の低価格キムチを補っていた。韓国政治家の暴走が自国の高利益を生む輸出キムチの金額を落とした。
 キムチの日本での普及の歴史を再び調べ始めるのだが基本的な資料を基礎調査をした。在日韓人歴史資料館と少し話したのだが、初めて訪問した時話した館長が亡くなっていた。展示物は少し内容が変わっていたがやはり10年以上の年月で言い分が少し変わってきたと思う。ただ(恨)の国では消せない気持ちが出ている。
 目的の図書室には食関係の本が増えていないと思い、資料館の人に聞くと増えてるという。記憶違いか?それでも重要性が無いのか、踏み台をお使わないと取り出せない位置にあった。
 食は観光に行っても、少なくとも3度は付き合う。何か韓国農民を虐げていると妄想する。韓国では食堂でキムチは無料で食することが出来る。不景気の時だも無料で、この無料のため農家を痛めつけ、購入者の食堂が安い中国産を輸入する。デフレ時は無料が食の世界を破壊する。

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昭和30年までの漬物業の苦悩

2023年12月19日 | 趣味としての漬物
戦前の物資不足と統制
昭和13年7月9日物品販売価格取締規則(マル公)90品目
 あらゆる生活必需品に国が値段をつけ、その価格以上での販売を禁じた。
昭和14年9月18日
九・一八価格停止令公布(10月20日施行) マル停
物品販売価格取締規則(マル公)90品目だったので、同一商品でも値段が違うという混乱があった。

価格停止令公布以後高くしたい値段を業者組合で協定、官庁許可をうけたもの マル協

行政庁の許可を受けた例外的な“許可価格品”は マル許

価格停止令公布以後の新製品は マル新

この様な状態では公定価格を破るヤミ取引で商品を販売し、また依存していった。その結果、高輪・月島・渋谷の警察署に多数の業者が検挙され、早くて2日。一週間から10日の拘置をうけた。取調べは極めて厳しく、剣道に使う竹刀で殴りつけ威嚇してから取り調べするといった状態であった。
 漬物は軍需物資であったため優先的に砂糖の配給を受けていたが,軍のほうで福神漬を分析した結果、配給した砂糖の総量に満たない結果が出たため憲兵隊の取調べを受けた。
 漬物統制組合事務所にも憲兵が調査に来て、書類等を押収した。主要な福神漬業者は憲兵隊に拘引され、警察を上回る暴力的取締りを受けたが、業者はやましいところはなく、糖度測定方法の違いから来る誤差が憲兵隊の曲解をもたらしたと伝えられている。

良い漬物と提供したいという思いは時局、行政との摩擦を引き起こしていたのである。出典 炎よ永遠に 東京都漬物事業協同組合史
この本は都立中央図書館、味の素食の文化センタ-に蔵書がある。
 福神漬の憲兵隊の取り締まりだが具体的な内容が判らないが、想像だが
食塩濃度のパーセントは、塩を混ぜた後の食塩水の重さのうち、何グラムが塩の重さであるかという事ですが、そこまで細かく計算しなくても、1リットル(1000g)の3%、つまり30gの塩を入れればほぼ3%の食塩水が出来ます。 ちなみに、正確に計算すると、このやり方だと誤差は生じていて、憲兵の知識と漬物業者の見解が異なっていたようです。福神漬につかう砂糖と出来上がった福神漬の目方の計算違いと思われる。なお軍隊用の漬物はサッカリンの規制を当時は逃れていた。
人工甘味質取締規則
(明治34年10月16日内務省令第31号)
(主としてサッカリンという人工甘味料の取り締まり)
 軍隊への納品は販売目的で無いという理由でずっとサッカリンは規制外だった。従って、終戦間際に砂糖が極端に不足した時漬物にサッカリンの一般国民にも使用許可が出た。千分の3で今でもタクワン漬のサッカリンの使用許可量は0.3%となっている。この規制の始まりは外貨を浪費する砂糖消費を抑える目的で始まった。戦中は砂糖事態が無かった。
 戦前のサッカリン問題の記憶が今でも残っていて(闇市にサッカリンが流出していて)、漬物業者は添加物排除志向の人にいつも攻撃されている。今は食品分析機器が普及し、ごく少量でも検出できるので、数値が出ると包装の表記違反となる。アレルギ-表示と同じで一気に信用を落とすし、製造時に機械の洗浄に時間がかかって、サッカリン使用の漬物は専用工場にしている。
 それゆえ戦後に売れた浅漬沢庵がいつの間に消えた。そして今は誰も知らない。長野県の信州早漬沢庵は戦後に中国や外地から日本に引き揚げた農民で開拓された、高冷地でいまは高原野菜の産地として知られているが、野菜の前は大根の産地であった。
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オ-ラミンの食中毒の記事(闇市時代のタクワンに使われていた)

2023年12月18日 | タクワン
図書館で戦後の新聞縮刷本を読んでいて、漬物が闇市時代に記事が目立つ。その中でオーラミンによる食中毒の記事があった。
 オーラミンという化学物質が食品に使われ、被害が出たのは戦後の事だった。戦前は黄色く着色するウコン・ターメリックは日本領土だった台湾・沖縄で生産されていて、戦後に日本の国では生産が無かった。戦後すぐは沖縄は米軍の管轄だった。
そこで黄色く着色する食品にオーラミンを使用したようだ。このオ-ラミンが漬物業界に印象が残っているのは、主婦連・日本生活協同組合が発足した年に一番力を入れたのが、漬物の沢庵にオーラミンの使用禁止運動だった。従って、主婦たちの運動の発展経緯を書いたものには必ず沢庵のオ-ラミン禁止運動が記述されている。
 なぜ戦後にオ-ラミンを沢庵に使用したのか、生協の記述がないので今では漬物の悪徳商人の印象だけが残る。
 漬物のタクワンは大根に含まれている辛味成分「4-メチルチオ-3-ブテニルイソチオシアネート」の働きによるものだといいます。大根 を塩漬して、貯蔵している内に白い大根が黄色く変色するのです。それはゆっくりで戦後の食料不足の時に、白い塩漬のダイコンでは食欲が出ないので、黄色く染めて販売したと思われる。関東と関西では食の色のこだわり異なり、オーラミンの問題が発生したのは多くは関西だったが、監督官庁が東京にあるため関東の漬物組合が対応していた記録がある。
 最も戦争前に陸軍に納入していた漬物業者がウコン粉でたくわんを最初に黄色く染めたようだった。練馬鷺ノ宮(株)ヤマシンの社史
 沢庵は白い大根が一律に黄色くなるのでなく、少しずつ黄色くなる。従ってタクワンを切って出すと、白いタクワン、変色途中のタクワン、黄色くなった沢庵、黒くなりつつあるタクワンとなる。
 軍隊では平等性が重んじられ、配膳する兵士のため、黄色くすることによって、配膳の不平等の問題が消える。黄色い沢庵の方がおいしく感じる。すると理不尽な上官による暴力が避けられることになる。
 この黄色くすることが全国に広まったが、戦後のウコン粉の不足で自然変色を待つしかなくなった。そこでダイコンと沢庵を区別するため化学染料を使ったようだ。ただのような漬物の歴史を語る人が無く、本の記述に残っていて、悪徳漬物業者の印象が消えない。

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新築の川崎市役所展望回廊へ

2023年12月17日 | 宅老のグチ
川崎宿400年のイベントで訪問した所、ボランテアガイドの人に出来たばかりの川崎市役所の最上階25階から見る景色を薦められた。天気の良い日にと思っていたが暇な日に行くことにした。市役所は建物だけが完成していて、完全に引っ越しするのが2月の様で1階はコンビニ店舗が何もない。25階へ直行のエレべ-タで行くが都庁展望台エレべ-タ-より遅い。まだ混んでいないのでル-ルはこれから出来そうだが、回り方を工夫しないといけない気がする。まだ富士山をきれいに写真を撮った人がなさそうだ。表向きは富士山が見えるというが何か欠けているように感じる。
 展望デッキから羽田空港方面を見た写真。
 川崎宿の案内所で模型を見ていて、色違いの宿屋があって、その色違いの理由が飯盛女 がいるかいないかの差という。多摩川の川止めと言って、江戸へ渡れない時は川崎に泊まるしかない。と単純に思っていたが川崎大師の存在を忘れていた。江戸時代から川崎大師は近郊の行楽地であった。日帰りも可能で川止めにあったと言って、川崎宿の飯盛女と遊んだことのあるだろう。そんなことを思いながら川崎市役所の真下にある歓楽街を見ていた。これほど日本の先端を行っているソ-プ街と市役所が接近している所は日本に無いだろう。展望台から川崎地方競馬場、競輪場等のギャンブル施設が見えて、さらに京浜工業地帯が見える。景色を見ながら南北町奉行を経験した遠山金さんを思い出す。天保の改革で緊縮財政の水野の政策に抵抗し、歌舞伎の移転等の対策で江戸に娯楽を残した。清貧は一時的には効果があるが経済が貧弱となりさらに経済を悪化する。
 バブル崩壊時に税収が不足している時に交際費課税が強化され、接待需要が減ってしまった。今度の税制改正で、飲食の交際費課税の金額が1回5000円以下から10000円以下となるようだ。表向きは物価上昇という。日本のデフレを脱却するには人手不足にするしかない。それには最低賃金の上昇とIT技術の進歩で貧困者が殺到するデリバリ-の最低料金とか無料配送を禁止するしかない。タダの物を運んでも労賃を発生する。そこがタダ働きを誘発する。
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