漬物は昭和30年頃までは都市を除いて各家庭で漬る物が主だった。従って販売すようになったのはごく最近の60年とも言える。漬物の歴史から見ると日本経済の発展と共に色々な資材や機械が普及して安価になってまたは不用になって初めて漬物に使用された。味噌・醤油・塩・砂糖・酒粕・米糠・樽・缶・プラスティック等が漬物の味付けや製造・包装容器等に使用されたのはかなり普及した後とも言える。包装機が安価となり、自動計量機が作られ、人手不足が解消された。キムチの世界では空気中の雑菌を除去する幕が使用されいる。これはICチップを作成する工場と同じ考え方である。 明治の中頃まで日本の流通は徒歩経済で近代的な交通の発達で漬物流通は影響を受け、交通の普及具合を示している。このような見方から漬物は日本の食品の近代化の歴史を示しているともいえる。
戦後最悪の台風が来ているので、外出を抑え未投稿の見直し。ほぼ15年前の草稿を書き直し。昭和33年の狩野川台風は今でも記憶に残っている。床下まで浸水し、翌々日まで水が残った。野菜と交通網の被害が大きく、損害よりその後の忙しさでカバ-したようだ。先日伊豆の戸田への帰り道に狩野川の水のバイパストンネルを見て床下浸水を思い出した。
悪化の一途をたどる日韓関係でキムチの売れ行きは国産は変わらない。しかしキムチの販促につながるTV番組の反響はイマイチで一時の話題しかない。しかし梅に関しては梅産地議員んぼ活躍と和歌山県の応援でまだまだ続きそうだ。昨年以前は災害等で不作続きだったがようやく復活したようだ。贈答品が個人用にも使用され昔の勢いが出たようだ。
地方の活性化には観光が一番だが農産水産加工も所得を維持するには良い手段といえる。少ない収入でもネットの時代は東京と同じとなる。
NHKの番組で奈良漬は奈良時代ということを放送していた。長い漬物業界に身を置いていて聞いたことない説である。まだ奈良漬を調べていないが粕漬けという説から春日となり、春日大社を思い起こし奈良漬となったという説もある。
NHKの[ためしてガッテン]でえラッキョウが出るようだ。素材として旬になるのだが漬物のラッキョウはどう処理されるのだろうか。
青果物のラッキョウは国産がほとんどだが漬物用、特に安価なラッキョウ漬は中国産がほとんどである。それは根と茎の処置が機械化されず、さらに手が荒れることで日本人がやりたがらない仕事となってしまった。
絵解き)江戸庶民のことわざ
F.ステナケル著 上田得之助著 河鍋暁斎画 北村孝一訳・解説
河鍋暁斎を検索していたら、この本に出会った。江戸時代の食生活の中で糠の役割が今ではわからなくなってことわざとして残っていても解説があまり正確ではない。
江戸の食文化研究者の松下幸子さんの本によると漬物のぬかみそ漬が現れたのは江戸時代の後期であるという。つまり江戸時代のほとんどの時期では『ぬかみそ』は本当にみそ汁の代用として食されていたようだ
辞書では1 古い糠味噌を味噌代わりにして作った、粗末な汁。
2 《「女郎買いの糠味噌汁」から》家ではけちで、ひどい粗食をすること。
紀州の梅の新品種で梅とスモモの交雑種ということで色鮮やかという。品種登録されて数年経つが色鮮やかということでもう少し出回ると思うがまだ試食の機会はない。梅ジュ-スとか梅酒に適しているという。
今年の梅の作柄はソロソロ発表されると思うが昨年並みだろう。ただ梅の病気の蔓延が気にかかる。
キャベツの漬物だが日本では馴染みがない。ドイツなどでは軍隊食として普及したようだ。BBCのテレビ番組でキャプテンクックの航海でザワークラウトとレモンを食べたため、ビタミンC不足による壊血病から一人の死者が出なかったという。ザワークラウトはビタミンCが豊富に含まれている。当時はまだ壊血病がビタミンC不足と知られていなかった。
日本の軍隊ではタクワンが知られているがビタミンB1不足を補う量はなかった。精米した白米常食による脚気はビタミンB1の不足と知ったのは大正のころで脚気が無くなったのは戦時中の米不足の頃となる。
式年遷宮でにぎわう伊勢市で毎年正月明けにわずかの期間現れる『朝熊小菜/アサマコナ』と呼ばれる伝統野菜がある。先日名古屋で開催された地域特産の漬物会議のあと伊勢市にある漬物業者から小菜の状況を聞くと、まだ十数軒の農家が栽培していると言う。伊勢市の人達の小菜に対する保存育成策が一定の効果をあげているようだ。
いま多くの地域で伝統野菜の復活を目指しているがその中に漬物と言う商品を混ぜないと需要を上回る生産があったとき、生産者の意欲が減退する。そして趣味で栽培する状況に陥る。
大きなかぶを甘酢漬けにしたものを形よく、昆布でくくってあります。高級おせち料理の一つで、酢のものとして、正月料理には欠かせないものです。製造者が少なくなり貴重なものとなってしまいました。1個40円を超える値段となってしまい、デフレの日本ではいかに正月用品とはいえその価値を認める人が少なくなったということです。
相知高菜は三池高菜(福岡県)等の品種に比べると形状がやや小型で、肉質も軟らかいため1反(10アール)当たりの収穫量が少なく、また漬物加工業者も歩どまり等の問題で敬遠し、次第に栽培されなくなっていた。
3月から4月かけて漬けこまれた相知高菜は乳酸発酵して漬けあがる。繊維が柔らかくおいしい。新しい佐賀の特産漬物となる。
千枚漬が売れ出す頃、今年の終わりを意識します。とんでもない一年が早く終わって心機一転の春を待ちたい気分です。タイの天気情報を見ているとようやく雨の少ない時期に向かっているようです。