年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ゴ-ルが見える、設定できることになった。

2019年06月30日 | 宅老のグチ

70過ぎれば年齢による区切りが次々とやってきて意識しないようにしても意識する。人の年齢と活動力は一致しないのに割り切るしかない。平等に日々劣化しているのに死者が周囲から消え去る。

 洗濯機が壊れ、テレビも10年となり、そろそろ買い替えか?視聴者が高齢化しテレビを見る人の年齢が上がっているようだ。ユ~チューブも制約があってイマイチ面白くない。ただ今の若い作者は経験値が少ないので同工異曲のように感じるのは自分だけか。

 G20の会議も終わって、参院選挙となる。自由になった日程でまずは体の検診。今まで病気が出ても対処する余裕がなかった。諸々の見直し。

 6月も終わってしまった。9月が終わって豊洲の評価が出る。世間的には築地豊洲の負けと書かれそう。もともと物流基地なのに観光地並みの豪華な施設で採算度外視だし、場内物流の中心にある必要性のない施設が中心にある。そのため広くなった市場をバスで巡回となる。時間の制約があるのでタ-レ-に乗って事故にあう。内部の人たちの高齢化を知らなかったようだ。いま市場は元気な高齢者で支えられている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

G20で日韓会談なし

2019年06月28日 | 宅老のグチ

東証1部の漬物会社ピクルスが内部株ということで株価上昇率の4位となったという記事があった。日経6/27夕刊。その理由として九州に作ったばかりのキムチ工場の成績が良いという。今の日本と韓国の政治環境が再び悪くなってどのような政治の影響が現実の漬物の世界にあるかどうか記録するのがこの日記の目的でようやく新聞記事として日韓関係悪化が表れてきたようだ。まだ新聞記者は業績が良いと言っているが漬物のことを知っている身としては全体の漬物需要は停滞していて国内の需要の取り合いである。韓国との関係が悪化すると在日系および韓国直輸入のキムチの特売が少なくなったりまたは売り場の縮小となる。そこに売り場の埋め合わせとしてピクルスのキムチが入って業績が良いということになる。

 戦後日本が敗戦で苦労していた時、朝鮮で戦争がはじまり、国内の工場が戦争の兵站工場となった。破壊された兵器や修理も行っていた記憶がある。そのような時期から日本で日本人による朝鮮漬という漬物ができた。これは韓半島で作っていた発酵した漬物と似ていることはなかった。朝鮮漬は日本の漬物分類では醤油漬となる。日本語でキムチと書いても裏面の表示でも醤油漬だった。これは戦後の物資不足の時代を名残で今では誰も知らない漬物の歴史である。醤油漬は過熱殺菌していたので発酵することはない。今は醤油漬と表示されているキムチの漬物が少なくなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症専門医は秘密医か

2019年06月26日 | 宅老のグチ

先日交通違反で反則金を支払った。警察官がいるのに、一時停止線過ぎて止まり安全確認をした。警察官が言うことには停止線前で止まり、さらに安全確認することが法律となっているという。

 この違反は75歳以上となると認知症の恐れとなる違反かと問うとどうやら該当するかもしれないという。つまり駐車違反とか保管法違反のような運転に関する違反はすべて75歳以上は該当するかもしれないと言われた。まだ警察官の反応はこの解釈に自信がなさそうだだった。

 そこで近所の認知症専門医を検索すると意外と近くにあった。朝犬の散歩ついでに医者のパソコン上にあるとあった医者の前でうろうろした。(看板がない)地図上では該当するのだがグーグルア-スで見ても該当するところにない。この件で近隣の床屋で情報収集すると、認知症の専門医はあるという。やはり患者と思われる人が床屋さんで医者の場所を聞くことがあるという。床屋さん曰く。その医院は数人以上いるという。なぜ医者の看板がないかというと患者への認知症の訪問専門医で普通の病気を見る余裕がないようだ。さらに今は認知症は精神科の一部だから近隣に迷惑をかけるから看板を掲げられないかもしれない。先日大阪の警察官を襲った犯人も精神異常の経歴があったようだ。戦前での今でも精神関連の病気は遺伝と考えられており、あまり積極的に患者として表明していないようだ。でも70歳を超えれば判断力が劣化し、どこかで免許返納の決断する時期が来たようだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車の車検で 免許返納の話

2019年06月25日 | 宅老のグチ

車の車検で営業所で高齢者の免許返納の話題となる。豊洲移転時新車で遊ぶ予定が予期せぬ延期で中古車となってしまった。この件から話が営業マンと話すこととなる。高齢者の免許は問題が複雑で猫に鈴をつけるような話題となる。

今まで無事故で来た人が年齢ということで取り上げることは早く死ねということに繋がる例もある。高齢者の引きこもりをもたらす。特に男性は平日昼間に図書館でいる人を良く見かける。多分奥さんに掃除の邪魔だと追い出された気がする。新聞週刊誌は遅れていてもタダで読めるし、エアコンが効いている。シルバ-パスを利用しているのでパスで都内を徘徊している男性をよく見かける。圧倒的に多いのは女性の高齢者で豊洲の昼間はこの高齢者婦人団体が目立つ。

 さて車の営業マンとの対話で高齢者講習会で触ったドライブシュミレ-ターのことを話した。ゲ-ムセンターにあるやつの簡易版である。これを営業所において定期的にシュミレ―タ-を操作してもらい、その変化の記録を取るようにしたらどうか提案した。健康診断の賞味期限はひと月ほどと聞いている。健康診断は変化の度合いを知ることで健康診断の安全の保証期限は短い。特に若い人は注意。運転技術の劣化の度合いは個人差があって合理的判断はできない。しかし劣化の進み具合は本人も知っていると思う。自分最近駐車技術が劣化し、曲がって止まったり、やり直す気持ちが少なくなった。心の老化が進んでいるようだ。

 今の高齢者の免許問題がは無責任で誰も責任がとることはない。道義的問題があるだけである。居酒屋に車で乗り付けた人に酒を提供することと似ている。ただ駐車場で仮眠して酒気を抜いた後に飲酒運転で違反となった事例と似ている。酒気が抜けるのに個人差があって時間がいくらかは計測しないと毎回はわからない。それで運転するなら酒を飲まないという発想となる。この論理で行くと高齢者は年齢で運転しない、できないという結論となる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逃亡者に対する当局のメンツ

2019年06月24日 | 福神漬

また当局の不手際で犯罪者の逃亡騒動があった。福神漬の数々のエピソ-ドの中でまだ資料が見つからないの一つに高野長英が嘉永3年10月末に逃亡先で死去した経緯の解明が進んでいない。公表された記録では町奉行の人たちが高野の住居を囲み逮捕しようとしたが高野が自殺したという。2015年死去した鶴見 俊輔氏の著書(高野長英)によると町奉行の人たちによる撲殺だろうとしている。高野の性格から必死に生きようとしていたので自殺は考えにくい。与力たちによる撲殺のほうが歴史の整合性がとれる。

 高野は小伝馬町の牢獄から放火による火事で逃亡した。この逃亡は町奉行の面子がとれない。数年の逃亡で全国を逃げ回り、最後に江戸の中で潜伏していた。高野長英を犯罪者に仕立てた鳥居耀蔵 が嘉永3年時には失脚していてすでに冤罪という認識は江戸市中の治安維持を掌る南北の両町奉行は知っていたと思う。しかし放火による牢獄からの逃亡は江戸市民を不安にする重罪で死罪相当の事案であることも共通の認識であると思われる。

 嘉永3年の南町奉行は遠山金四郎( 景元)であった。高野長英が蛮社の獄で逮捕されたとき南町奉行は筒井政憲だった。この嘉永時期に筒井は浦賀の海防状況を視察していて浦賀奉行だった戸田氏栄と面会していると思われる。さらに筒井の次男である下曽根金三郎と手付で浦賀に出張していた内田弥太郎も浦賀にいた。鶴見 俊輔氏によると高野の江戸市内の隠れ家を手配したのは学問上の弟子であった内田弥太郎であるという。高野が死去後内田の親族等が処罰された。当時の世俗の情報を収集し記録した藤岡屋日記にも高野の一件で内田が処罰されないのはおかしいという噂があったようだ。

 内田が処罰を免れた理由は次のように解釈するのが妥当だろう。江戸町奉行の幹部はすでに冤罪として認識していたが放火の罪は重く町奉行与力たちの撲殺を容認していたと思われる。ここで火付盗賊改の職にあった長井家が記録に出てくる余地がある。文政元年から文政8年まで長井五右衛門昌純は火付盗賊改の職だった。ほぼ同時期には筒井政憲が南町奉行の職に就き、20年ほど在任し、鳥居耀蔵の画策で閑職に追いやられた。浦賀奉行だった戸田氏栄3男を二番町の長井家に養子の世話をしたのは筒井政憲(出典鶯亭金升日記)だった。

 遠山金四郎と筒井は嘉永の当時天保の改革で廃止された株仲間の再興の件で打ち合わせが頻繁に行われている。このことが内田の処分に関する記録がまだ歴史家の目に止まっていないと推測される。遠山、筒井、長井、内田の中で千葉万歳村の花香家に養子として戸田氏栄の庶子を斡旋したのが長井昌言(戸田氏英3男)で受け入れた花香家は内田弥太郎(五観)の関流和算の弟子である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特攻の遺族の想い

2019年06月19日 | 陸軍特別操縦見習士官1期

避けていた特攻に立ち向かうとき、どこを基準として良いのかわからないで60年以上経った。昭和30年代、埼玉の親族の法事の席で犬死論が記憶に残っていてとても世間の英霊論と言う雰囲気でなかった。このことから他の人には特攻遺族と言うことはごく最近まで無かった。今日のネットの文である海軍の生き残りの人の文章を見て同感した。(惜しい人たちを大勢亡くしたと思いますね。体格はいい、頭はいい、器量はいい、世のなかにはこんな人もおるのかな、と思うようなすばらしい若者たちが次から次へと死んでいって、それがいまでも残念です。)

 親族の中での叔父への思い出はこの文章のようだった。埼玉師範学校を出て教師になる夢が戦争の激化で村の子供たちを守るため、負けと知りつつ特攻したようだ。私の父と最後に横須賀海軍基地内で面会し、何を話したのだろうか。戦後の法事の席で犬死論が出ているときに父は反感を持っていたようだ。昭和28年ごろに生まれた3男は叔父の台湾からの特攻作戦名を子供の名前としてつけたようだ。母はこの父の隠れた意志を知らず、昭和30年に父が死んだ後、家庭裁判所で長男でもないのに特攻作戦名の後に一と言う字を付け足した。3男の友人からよく長男で無いのに一と言うこと聞かれていたようだ。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HARUMI FLAG

2019年06月18日 | 宅老のグチ

豊洲の職場から晴海の選手村の建物が見える。今発売中だが勝どき駅までの交通機関が無いのでどうなることやら。多分東京駅周辺に勤めている人は電動自転車の購入だろう。運河や川を渡る橋の高さは半端でないので電動しか考えにくい。

銀座のデパ-トも電動ママチャリの世界となった。この周辺では電動付は普通。そのうち子供の自転車も電動になるかもしれない。豊洲の市場の新聞チラシは築地と違って面白い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アドマチの築地から

2019年06月17日 | 宅老のグチ

土曜夜のTVで築地場外市場の番組があった。玉子焼きの親族タレントのコメントが一番適切であった。築地は梁山泊のようなところでそれぞれの店舗が自己主張し、生き残るため競争をしている。豊洲へ主役が移転してしまったので今は変化の最中でどうなるかが昔の築地を知っている人もコメントできない。ただ事情を知らない人たちだけが適当にコメントしているに過ぎない。朝日新聞が築地市場の隣に引っ越してくるまで日本の別世界だった。後にタイのバンコック市内の渋滞が激しいと聞いていたが築地と同等と見ていた。都心の迷惑施設だった。今はこのことを知らない人たちが適当にコメントしていて昔話をしても信じられない方が増えた。あれほど騒いだ豊洲の地下の汚染も今は誰も気にしていないようだ。もともと流通が変わって築地のときも荷物の築地での滞在時間も少なく、または積み替えだけで築地を通過するのを知っていたのでどこで汚染が商材に浸み込むのだろうと考えていた。それが移転反対派が強調していた思考で今豊洲で除染が済んでいないのに誰も汚染を話すことは無くなった。多分100年経っても汚染は残るが温度管理の不適切で食中毒が発生する確率が築地より下がったと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顧客満足度 75歳タバコあり、減塩なしで

2019年06月15日 | 宅老のグチ

100歳まで生きると2000万円不足と言う問題が騒がれている。長生きが絶対評価であるようだ。寝たきり長期と自己満足の健康法で70歳で死去すると人生満足度の評価がどちらが高いのだろうか。いま介護で100歳近い母を世話しているが毎日のように死にたいと言っている。息子を殺人者にするつもりかと言うと黙る。金銭的には誰にも面倒をかけていないがそれが生きがい喪失をもたらしているようだ。体力もヤットトイレに行ける程度で風呂は介護施設の世話となっている。

 75歳過ぎたらタバコも減塩食もなくして、自己責任の人生も有りかも知れない。ただタバコは他人に迷惑をかけないことが条件である。適度な長生きが2000万円問題を解決する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地ブランドの終わりの始まり

2019年06月10日 | 宅老のグチ

どこの組織でも勢いの良い時は内部の不祥事とか不満とかは先行きの期待で表だつことは少ない。ところが落ち目となると不祥事の表面化を押さえることの歯止めが利かなくなる。築地市場が豊洲へ移転し、築地場外市場の中身が変わりつつある。どうやらこれから不適切動画でますます衰退が加速される気がする。外国人労働者の件も以前なら知っていても告げ口しない。

今豊洲も低迷しているがこの原因はまだ場内の暗黙のル-ルが確立されていないことが原因でこのル-ルが確立するのは2020年9月以降だろう。理由として東京都の規制が厳しく以前のような築地市場内を観光客が自由に歩くことは許されていない。もっとも豊洲はタ-レ-の事故が築地より危険で[広いのでスピ-ドが出ている]さらに既に二人の死者が出ているので何時も場内放送で注意をしている。

 豊洲の求人広告で市場前駅のそばにJALホテル豊洲が12月オ-プンとあった。ようやく歩いて行けるところにコンビニが出来る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

D-day 75周年

2019年06月08日 | 宅老のグチ

海外のニュ-スで6月6日の式典があった。D-day75周年と言う。イギリスの退役軍人に対する敬意が感じられる。ニュ-スに出ていた元兵士の年齢は100歳近かった。後数年で歴史の世界となる。当事者が消え記録が残る。

 5月3日の知覧での特攻慰霊祭の後の鹿児島中央駅までのバスの社内の会話が聞こえてきた。英霊扱いされている人たちの寂しい現実を知る。負け戦の中それでも死んでいった人への尊敬の念が薄いように感じる。特に日本国民として特攻に参加した朝鮮人の人たちが朝鮮からも日本からも攻撃されている現実を知るとさらに悲惨さを感じる。慰霊祭には朝鮮からの特攻した人の親族も参加していた。知覧は扱いが平等である。記録によると朝鮮人で特攻に参加した人の朝鮮名が解らない人があるという。

思わず若山牧水の句を思いだした。(白鳥の歌)昭和22年作詞

 白鳥は 悲しからずや
  空の青 海の青にも
  染まず ただよう
特攻で散華した朝鮮人特攻隊員はどこで漂っているのだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地・豊洲は外国人によって支えられている

2019年06月07日 | 宅老のグチ

昔と言ってもバブル期のことを知っている築地人は少なくなった。昭和の終わりから平成のバブル期は築地も活気があって市場の食堂は異国人で占拠されていた。彼らを排除しない市場の人は居心地の良い食堂だったかもしれない。なぜ排除しないというと彼らの力で市場は円滑に運営できていた。求人活動しても銀座と対抗できる時給は出せなかった。

 日本経済が低迷したバブル崩壊後築地には外国人が消え、さらに都民の模範となるべくと言う東京都と実績を上げるため入国管理の人たちが築地で不法滞在の人たちを逮捕し本国に送還した。このことを目撃していた築地の人たちは映画のような築地市場内を追いかける騒動を見ていた。今ならスマホで画像として残っているだろうがその当時は携帯も無かった。

 時が移りまた人手不足の時代となった。豊洲は合理化され外国人に頼らない体制が整っているかもしれないが築地はまだ先行き不安もあり高給で日本人を雇えないようだ。

この先どうなるかわからないが横浜中華街が戦前から戦後の混乱期を耐えた人たちが引退し、新しい中国系の人たちによって今支えられているようだが築地も同じようにアンテナショップとして海外からの資本による海鮮系レストランが増える予感がする。

 外国人の不法滞在の一番多い事例は在留期間の終了確認漏れである。慣れた人を失うことは日本人でも同じである。戦力となっている人は人情で解雇は出来ない。特に築地は経験と人情で支えられている。

悪法もまた法。時代は変わる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸語辞典 鉈豆

2019年06月06日 | 福神漬

都立中央図書館でナタマメ調査再開。

江戸語辞典と言う本が二冊ある。

一冊には癇癪(かんしゃく)の有無を試すため、食わせたもの。これを食わすと癇癪の発作が起きるとされた。この事は山中共古の記録にある。

堕胎、流産に効果あるとされる。

この様な俗言があったようだ。

ナタマメ枳殻の気遣いと言うのもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子規の音

2019年06月04日 | 宅老のグチ

子規の音 森 まゆみ/著 

 グーグルブックの検索で八石教会がこの本に出てくる。明治34年9月9日の俳句で八石教会のことが出てくる。もっと前から子規は根岸に住んでいて八石教会の人とは面識が在った筈だがやはり寝たきりになったときは教会の拍子木の音が何か俳句を作ることになったのだろうか。

 昔はもっと音に関して寛容だった。学校の音で殺人事件が最近あった。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょん髷-八石教会

2019年06月01日 | 宅老のグチ

根岸の子規庵前の八石教会の資料集めは今日で終わる。鶯亭金升の関連で何か接点がありそうだったが無いという結論になる。明治の40年代まで残った組織が文明開化の進展で若い人が離れ、組織が衰退した。正岡子規が生きていたころが教会の組織の絶頂期で記録と記憶に残っているようだ。根岸のあたりには明治20年代でもちょん髷姿で生活していても排除されないところだったようだ。

 ただ旧幕臣の人たちが多いとはどのような意味があったのだろうか。大原幽学の組織は農村改良運動で士族とは対立するはずなのだが。東千葉は旧幕臣の細かな知行地が多く、維新後も農村の支援があったのだろうか。鶯亭金升の明治7年以後の根岸の生活状況がまだ見えない。収入が無いのに塾へ通い、団団珍聞を読んでいるとは理解できない。何か扶助があったとしか思えない。文献に出てくる士族の商法とまた違った救済活動があったと思われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする