年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日テレのカレーライス

2010年11月30日 | 築地市場にて
11月27日(土)メレンゲの気持ち]羽鳥慎一アナと西尾由佳理アナにズームイン!を見ていたら、仕事終了後の朝食をどうやら社員食堂でカレーライスを食べていた。最近買い換えたテレビが大きくなったせいかカレーライスに付いている福神漬が目に付いた。どうも大根だらけの安い福神漬と見えたが日本テレビの社員でないので確認ができません。誰かどうか安い福神かどうか確認して返事をください。安い福神と良い福神の差は「なた豆」が入っているかと色々な種類の野菜(できれば7種類)で見分けがつきます。安い福神漬は大根だらけです。最近日テレが業績が厳しいと聞いてますが福神漬を節約するまで来たとは思えません。見間違いだと良いのですが。

昔といってもバブル期に漬物業者が高い金を払ってゴルフをしていた時、昼食時カレーライスを食べた時、そこについていた福神漬が実に粗末な福神漬でした。参加者全員で支配人に抗議したそうです。
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酒粕

2010年11月29日 | 築地市場にて
NHKの『ためしてがってん』のいたずらで酒粕が急に動き出した。ここニ~三年はかなり酒粕の価格が上がって、消費者が値上がりについてゆけなく品不足とはなっていなかった。少なくなった日本酒醸造から酒粕が搾り出てくるのだが不景気で販売数量が減って、需給が釣り合っていた。ここでバランスが崩れると粕の価値が上がり、日本酒の売れ行きが悪ければ酒粕だけが値上がりする事となる。
 なら漬・わさび漬など酒粕の使用量の多い漬物は価格改定を迫られることとなり、消費者の反発をかうこととなる。そこで今までの業者の行動は品質規格を変えて対応してきたが長い不景気でそろそろ根本的対処をしなければならない時期に来たようである。価格に厳しい販売先に商品提供を止める決断することもありうる。
 なら漬等は次第に消えてゆくでしょう。
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エトロフ

2010年11月28日 | 築地市場にて
福神漬の歴史の追跡をしていると、不思議な文章によく遭遇する。普通は記憶に残さず忘れるようにする。何度か他の文献に出て来るとさすがに気になってくる。その中の人物に一人に江戸時代の筒井政徳とか近藤重蔵とかあまり漬物に縁のなさそうな人の経歴を調べるようになってきた。
 石井研堂の明治事物起源という本の中にある缶詰の始まりに近藤重蔵という名前が出てくる。寛政10年(1798)から東蝦夷地探検がどうして明治事物起源に載ることとなったのだろうか。石井による近藤の紋別漬とはどんな溜りの漬物だったのだろうか。北海道紋別市の記事を調べても紋別漬等というご当地漬物は見当たらない。美味い物はその痕跡はどこかに残る。北海道に江戸時代の紋別漬の痕跡が今でもあるのだろうか。
石井研堂はまだ日本に缶詰が無い時代になぜ近藤重蔵を登場させたのだろうか。
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隣国の戦争の予感

2010年11月27日 | 築地市場にて
砲戦からどうやら次回といっても来週の具合では戦争勃発となりそうで、日本ではあまり危機感はないがフィリッピン大統領は韓国に滞在する5万人を日本に避難させるという。当然隣国であり在日韓国人の人達もいるので多くの人達が避難してくるだろう。人道的見地からある程度の人達は受けいることとなる。
 昔の漬物は塩分が多く、保存食だったが今では美味しくなったが保存性はなくなった。急に備蓄を始めても間に合う食品は少ない。
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江戸漂流記総集から

2010年11月26日 | 福神漬
石井研堂の明治事物起源「缶詰の始まり」に出てくるエトロフ島探検した近藤重蔵を調べるため、都立中央図書館で江戸漂流記総集を借りだした。そこには対談集があって、江戸時代の海運事情が解った。河村瑞賢によって江戸時代初期に日本全体の海運網が整備された。米の輸送を中心とした海運は商業都市大阪が中心となる事となった。実際関東から大阪方面に向かう競争力のある物資は肥料用の干鰯位しかなく、巨大な消費都市である江戸に向かって関西方面から米・塩・酒・木綿等の物資は海運で大量に輸送された。さらに需要が増え、輸送量が増える年末年始は日本近海の天候が悪く、海の遭難が増える運命であった。
 幕末に諸外国が漂流民返還を口実として日本に接近したのはこの様な裏事情がある。河村瑞賢は伊勢から上京し、土木工事の盛んな江戸で漬物を販売し、縁故を作り豪商となった。河村瑞賢の漬物は福神漬の元祖ともいえるものだったという。日本海上輸送網を作った人と多少の縁があって福神漬元祖とも言われたのでしょう。
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ノロウィルス

2010年11月25日 | 築地市場にて
ノロウィルスの遺伝子の解析で感染経路が解るため、今の試食販売の形態が事故を恐れて減りつつあるという。通常は試食の商品に蓋をして、試食の時に蓋を開けるように指導してゆくらしい。一時貝類からノロによる食中毒と報道され大被害を受けた。今ではノロ患者の排せつ物や吐いたものからも伝染することが解り、貝類の報道が少なくなった。正確な知識が伝わらないと思わぬ風評被害を受ける事がある。数年前の韓国の国会議員が中国から韓国へ輸入したキムチの問題で騒いだが結局一番被害を受けたのは日本のキムチ業者で韓国内のキムチ産業を保護する事とはならなかった。韓国から日本へ来るキムチが減り日本産と表示しているキムチが売れた。日本にも韓国人がキムチを作っている所もあるのだ。日本でも韓国でも国会議員は漬物のことをよく知らない。
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山形赤かぶ・終売の案内

2010年11月24日 | 築地市場にて
山形の荷主から悲痛なFAXが届いた。
今年の山形庄内地方の猛暑とその後の記録的豪雨によって被害を受けた後病害虫の発生で不作となり、特産の赤かぶが過去の記憶にない大被害を受けた。ここ十数年の不景気で売れ行き不振でも作付面積の減少で需給のバランスが取れていたが今年は12月に原料不足で欠品するという案内が来た。通常は来年の6月頃まで供給できていた。農家の高齢化が進む現状では余程の価格で買い上げねば作付は増えない。地域の特産品は代替は中々難しく、表示の問題で海外に向かうわけにもゆかず、天候不順が地域経済に暗い影響を与える。

どうやら来年は世界的に食品の価格改定の年になりそうである。
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設備の老朽化

2010年11月23日 | 築地市場にて
宙ぶらりんの移転問題で、旧くなった設備が更新の時を迎えても、減価償却のことを考えると、修理で対応すしかない。それはますます古ぼけた風景となる。本筋を知らない外部の騒音でますます遅れ、得意先が減ってゆく。既に空き店舗の補充は無くこのままでは築地市場内もシャッターの閉まった風景が増えてゆく事となる。
東京都の職員に引きつられて中学生らしい団体が古ぼけた構内を歩いてゆくがどんな印象があるのだろうか。彼等が説明やビデオを見る会議室のみ改装されて新しい。近日中に新しい東京都の部門が移転してくると案内が来た。外部では色々動きがあるようだが品不足で築地市場の滞貨も無く、速やかな荷捌きで順調そのもの。まったく年末らしくなく、早くなった日暮れでイルミネーションだけがまぶしい年末風景となっている。
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カット野菜を味付けると

2010年11月22日 | 築地市場にて
カット野菜に調味料で味付ければ大抵は漬物となる。油類で味付けたサラダのようなものはまだ分類されていないが基本的には同じ原理である。
 TPPの問題で米が取り上げられているが既に野菜は自由化されていて、皮むき玉ねぎ、カットねぎ、生白菜などが輸入されている。漬物用として契約栽培して、つまり農薬とか肥料の確認した野菜を輸入することとなる。
 ここで為替が問題となってくる。今は円高だが為替のリスクを考えるとある程度の利益が必要となる。生野菜は温度管理してもあまり輸送時間が取れない。中国がだめになるとロシア沿海州が次の産地として有望となる。

 来年の中国の春節の労働移動は日本の国内にも食品物価高が直撃するだろう。
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福島県立博物館研究紀要

2010年11月21日 | 福神漬
福島県郡山出身の石井研堂を調べるうちに会津に福島県立博物館研究紀要を読みたくなった。今回は「平島松尾」と『石井研堂』が一冊に入っている2009年版と立川にある都立の雑誌を中心として所蔵している所に向かった。久しぶりなので『斯民』と交互に出してもらった。広尾や国会図書館と違って直ぐに本が出て来る。『石井民司著「福島縣地理問答」について』を読んだ。やはり石井研堂は上京した時、福島県人の人脈で活動していたようである。
 明治の20年頃の福島県の重要産物は米に次いで養蚕だった。明治6年(1873)、政府拝借金による二本松製糸会社が二本松城跡に創立した理由であった。今では女工哀史のイメージで長野県や群馬県を想像するが富岡に次いでの製糸工場が福島県という理由となる。ここにも二本松藩と三菱の関係が現れてくる。戊辰戦争の時、福島地方に進軍したのは土佐藩板垣退助・大垣戸田藩であった。

福島民報の創立者平島松尾の紀要を読んだがやはり福島県人でない花香恭次郎の新史料は無かった。
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中国という呼称はおかしい。

2010年11月20日 | 福神漬
安積艮斎(あさかごんさい)
中国という呼称はおかしい。
福島県郡山出身の儒者の言葉に『中国』という呼称がおかしいという文があった。
『ロシアは漢土より広いが極寒不毛の土地が多く、人民が少なく漢土に及ぶことは無い。漢土は聖人が多く出て文化が進んでいる。このことから漢土の人達は漢土が中心だから中華とか中国と称し、他国は皆野蛮な国と軽蔑した。日本でも漢土が中華なんと称するのは知識のない人で外国を貴とんでわが国を賤しむのは大きな誤りである。広大な地球から見ると何処を中心と見るのだろうか。漢土が中心ということは無いだろう。漢土は文化が盛んな国だがおごりが生じ、異国と境界を接しているゆえに侵略を受けることが多い。わが日本は小さな国だが日が出るように精気が集まっているので自信を持つべきである。』と説いている。
 アヘン戦争の後の中国の情報を知っていて『洋外紀略』という本を著した。彼の元で岩崎弥太郎・小栗上野介等幕末明治になって活躍した人が多い。ただ有名でないのは吉田松陰を門人として扱わなかった事から来ている。蛮社の獄と安政の大獄から処罰を逃れた。
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三菱商事社史から

2010年11月19日 | 福神漬
1918年(大正7年)三菱合同から分離発足した三菱商事は麹町区八重洲1丁目にあった。関東大震災直前、つまり大正12年7月に三菱商事の会議室で缶詰協会の会合があった。三菱商事は発足の時、第四部門に雑貨部があり。そこでは北洋のサケ缶詰とカニ缶詰を扱っていた。全国の交通の要である東京駅に近い三菱商事の会議室を選んだのは缶詰協会として当然の選択でもあった。

今は缶詰の福神漬は殆ど消えてしまったが昭和30年以前は缶詰か樽入りの福神漬を小分けして販売していた。
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18日は防火訓練

2010年11月18日 | 築地市場にて
ここ一年は大きな火災も無く到って無事。青果部では喫煙所を除き、11月より前面禁煙となったのは発砲スチロール空箱にタバコの吸い殻を捨てて火事になったことから始まった。だんだん築地市場内も世間並みに歩行喫煙禁止の地域となった。
 ガンセンター病院の隣の観光バス駐車場は連日のように満車であるが景気はどの様なのだろう。暦に従って気分は年末に向かっているがはしゃぐ気にならないのは年々時間が早く過ぎてゆく年のせいなのだろうか。
防災訓練の参加者にはバナナと水とエコバッグが渡された。
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バナナが安い

2010年11月17日 | 築地市場にて
バナナが安い
16日に日本経済新聞を読んでいたら、バナナが安いという。その理由として、イランの核開発の問題で、イランが対抗措置としてフィリピンからのバナナの輸入を差し止め、行き先の無くなったバナナが日本に多く回ったという。
 食品は生産量の問題で価格は変動するが政治の問題でも容易に変化する。さてニンニクの問題であるが国際的に出回るニンニクの80%が中国産であるという。従って今価格が大幅に上昇しているが落ち着くかどうかは来年の中国の生産量である。特に懸念していることはあまりの高価格で来年の作付けに使用する種まで売ってしまったということである。日本でも昔ラッキョウであった。長い間生産者価格が低迷していたので何倍にもなった価格のため翌年用の種まで売ってしまい、ブームが去っても種不足でラッキョウの生産量が増えず、生産農家が減ってしまったという苦い経験がある。農産物の一時的な高価格は色々な弊害をもたらす。今年高温で生産量が減ってしまったロシア産の小麦が来年平年作になって、輸出に回そうとしても、ロシア産の小麦の輸入国が今年付き合った国より安い価格でしか売れないだろう。
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情報漏えい

2010年11月16日 | 福神漬
今騒いでいる情報漏えいも高野長英の事件の時もあった。元南町奉行であった筒井伊賀守の番町の邸宅の隣に偶然住んでいた、後の講談師二代目松林伯円が出入りしていた。
筒井伊賀守政憲は江戸時代日本の外交を担っていた長崎奉行を勤めた後、文政4年(1821)から天保12年(1841)まで21年という長期にわたって南町奉行を勤めた。同時期の江戸北町奉行は遠山左衛門尉景元だった。弘化4年つまり戸田伊豆守氏栄が浦賀奉行に任命された時、
 西ノ丸留守居だった。幕府天保の改革期には冷遇されたが、幕末の混乱期には外国奉行などとして活躍した。安政6年に死去するまで西ノ丸留守居だったので、ペリー来航時、浦賀で応接し、開国思想を持っていた戸田伊豆守は嘉永7年左遷され、西ノ丸留守居となった。戸田が大阪奉行に任命されるまでの間、幕府外交顧問だった筒井と戸田は同じところにいたこととなる。
「泥棒伯圓」の異名をとるほど、白波物を得意とした伯円はその題材を隠居していた筒井から聞き出し、講談に仕立てたと思われる。

福神漬の命名の背後にある人間関係は地縁とか同職とか共通のものがある。
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