午前中、休みなのに会議が長引いて出荷準備が遅れているとの連絡で急遽出勤。晴れなのではかどり、すぐに豊洲の電話の件で通信会社との打ち合わせ。IP電話が基本となるが年1回以上ある電気点検停電対策でメタル回線を用意することを話す。午前8時から4時までの停電なので無停電電池を用意することができない。今はパソコンをインバ-タ発電機を2台用意して停電時の業務をこなす。
午後国分寺市に移転した都立多摩図書館へ大正時代の雑誌を見に行く。必要な雑誌が欠号だった。雑誌の切り抜く行為に憤りを感じる。日本画家鏑木清方の木版に対する見方が明治という時代の変化の激しさを感じる。平成もあと少しで終わるがここ数年の変化の激しさは明治期を越える速さかもしれない。不治の病が緩和されるとかより長寿となりそうで、介護というものの複雑さが身にしみて感じる。
大正時代の中央美術という雑誌のマイクロフィルムは国会図書館にあるが混雑が気になっていく気にならない。明治の小林清親が千葉飯岡の助五郎方に宿泊したのはどんな時期だったのだろうか。(開化の浮世絵師)酒井忠康著から
想像だが小林清親が銚子方面に旅行したとき飯岡に宿泊したのだろう。そしてその案内人が鶯亭金升だろう。鶯亭は飯岡の永井地区が幕臣時期に知行地だった。元の知行者の子孫の訪問で当時から有名だった飯岡の助五郎宅に泊ったのだろう。この影響が作家の長谷川伸に及んでいると感じる。鶯亭金升日記に長谷川伸の文章があるがその意味がこれで理解できる。