昨日6月10日の夕方、新国立劇場でロッシーニの「チェネレントラ」を聞いてきました。オペラの世界にはまって30年近くなりますが、ロッシーニは「セビリアの理髪師」を数回聞いたことがあるだけで、「チェネレントラ」は初体験。でもこんなに楽しいオペラだったとは・・・
7月から勤務地が再び都心から離れ、仕事も非常に厳しくなりそう。従って平日夜の音楽会は恐らく最後のチャンスとなります。昼休みにインターネットを検索したところ当日の公演に空席があったため、比較的良い場所B席を予約し定時間で切り上げ初台へ直行。公演やソリストに関する事前準備もほとんど無しに、辛い仕事を忘れてロッシーニの音楽を楽しめれば・・・程度の軽い気持で駆けつけたのですが、何と素晴らしい公演なのでしょう。ソリストが粒揃いで演技も絶妙、笑わせてくれます。オーケストラも舞台に牽引されてロッシーニワールド全開。些細な音のミスなど気になりません。こんなに充実した新国立劇場の公演は「バラの騎士」以来かな?
プログラムによると、この作品はシンデレラ物語です。シンデレラを題材にした多くのオペラやバレエが御伽噺の枠組を残す一方、笑いと感傷を交えみじめな境遇の女性が善良な心によって王妃となるまでの大人の恋愛劇として描かれたのがロッシーニのチェネレントラです(水谷彰良さんの作品解説より抜粋)。そして、後で気付いたのですが、王子がシンデレラ(チェネレントラ)見つける手がかりは"靴"ではなく彼女から手渡された"腕輪"だったのですね。それと継母ではなく継父である点も御伽噺との違いです。
本公演はバイエルン州立歌劇場のプロダクションをレンタルして上演されており、ジャン=ピエール・ポネルの演出はとてもシンプル。奇をてらうこともなく、ごく自然に音楽と舞台に集中できます。豪華絢爛や流行りの時代読み変えも否定はしませんが、私はシンプルなほうが好きだな~
緞帳が下りて、舞台転換の間に狭い空間で演じる場面が何回かありましたが、一幕でアリドーロがアンジェリーナを舞踏会に誘う場面は緞帳に映る影がなかなか効果的でした。
ディヴィッド・サイラス指揮、東京フィルは出だしの序曲のロッシーニ・クレッシェンドがいま一つ盛り上がりに欠けて不安が頭をよぎりましたが、幕が開くと杞憂に終わりました。何といっても歌手陣が素晴らしい。王子ドン・ラミーロ役のアントニーナ・シラグーザとその従者ダンディーニ役のロベルト・デ・カンディアは絶妙のコンビ。継父である男爵ドン・マニフィコ役のブルーノ・デ・シモーネが味のある演技で応えます。哲学者で王子の教育係アリドーロ役のギュンター・グロイスベックは舞台の進行を支え、同時に引き締めてくれますが、ちょっと物足りなかったかな。それにしても、途中まで従者に扮する王子シラグーザの美声の見事なこと!2幕初めに”彼女を探し出そう”と歌うアリアは驚異的なハイCで大喝采。遂にカバレッタのアンコールまで飛び出しました。オペラ公演でのアンコールは久しぶりです。熱狂に包まれたアンコールの直後、従者に戻ったダンディーニが”これでお役御免だ”と歌う出す部分も、実感こもり笑いが湧き出てきます。これもロッシーニオペラの魅力なのでしょう。
一方アンジェリーナ役のヴェッセリーナ・カサロヴァは長身でバリトンのような声質と深くて太い声。しかも陽気なイタリア人に囲まれた中でブルガリア人らしい?怪しい魅力が漂ってきます。最初はシンデレラのイメージと違うなという印象でしたが、2人の姉のキャラクターに比べて動きを抑え(それでも存在感絶大!)、チェネレントラ(灰かぶり娘)から王妃に至る内面の変化を見事に演じていました。抑制された声は底抜けに明るい王子と凄くバランスとれていましたが、王子よりも長身なシンデレラはイメージと違うかな(見た目ですが)・・・ふと3年前のセビリアの理髪師でロジーナを歌ったバルチェッローナを思い出してしまいました。あの公演ではアルマヴィーヴァ伯爵の背が低く、イスの上に立ってもロジーナに届かなかった。
演技のほうも皆さん芸達者。特にダンディーニ役(途中まで王子に変装)のカンディアはコミカルな動きに会場の笑いを誘っていました。クロリンダとティースベの二人の継姉を演じた日本人(幸田浩子と清水華澄)も熱演でしたが、国民性の違いなのかどうしてもオーバアクションになりすぎ、逆にそのアンバランスがとても楽しめました。セリフでも、3(サン!)とか、誰だ!とか突然日本語が飛び出し、先に紹介した王子アリアのアンコールもあって、舞台と客席が一体となった素晴らしい公演でした。
この「チェネレントラ」の完成はロッシーニが25歳の1817年。「セビリアの理髪師」や「オテッロ」が発表された翌年で、僅かな期間で大作を書き上げてしまったようです。モーツアルトと並ぶ天才ですね。当時のヨーロッパでは、モーツアルトよりもロッシーニのほうが人々の感性に合っていて絶大な人気を博したそうです。「セビリアの理髪師」に比べると、口ずさみたくなるようなメロディがすぐに思い出せないのですが、ガラコンサートで歌われる聞き覚えのあるアリアがいくつか出てきます。休憩一回をはさみ3時間10分近い長丁場ですが、軽やかな音楽とロッシーニ歌いによる超絶技巧と演技、大満足の一夜でした。
正面玄関の生け花です。
7月から勤務地が再び都心から離れ、仕事も非常に厳しくなりそう。従って平日夜の音楽会は恐らく最後のチャンスとなります。昼休みにインターネットを検索したところ当日の公演に空席があったため、比較的良い場所B席を予約し定時間で切り上げ初台へ直行。公演やソリストに関する事前準備もほとんど無しに、辛い仕事を忘れてロッシーニの音楽を楽しめれば・・・程度の軽い気持で駆けつけたのですが、何と素晴らしい公演なのでしょう。ソリストが粒揃いで演技も絶妙、笑わせてくれます。オーケストラも舞台に牽引されてロッシーニワールド全開。些細な音のミスなど気になりません。こんなに充実した新国立劇場の公演は「バラの騎士」以来かな?
プログラムによると、この作品はシンデレラ物語です。シンデレラを題材にした多くのオペラやバレエが御伽噺の枠組を残す一方、笑いと感傷を交えみじめな境遇の女性が善良な心によって王妃となるまでの大人の恋愛劇として描かれたのがロッシーニのチェネレントラです(水谷彰良さんの作品解説より抜粋)。そして、後で気付いたのですが、王子がシンデレラ(チェネレントラ)見つける手がかりは"靴"ではなく彼女から手渡された"腕輪"だったのですね。それと継母ではなく継父である点も御伽噺との違いです。
本公演はバイエルン州立歌劇場のプロダクションをレンタルして上演されており、ジャン=ピエール・ポネルの演出はとてもシンプル。奇をてらうこともなく、ごく自然に音楽と舞台に集中できます。豪華絢爛や流行りの時代読み変えも否定はしませんが、私はシンプルなほうが好きだな~
緞帳が下りて、舞台転換の間に狭い空間で演じる場面が何回かありましたが、一幕でアリドーロがアンジェリーナを舞踏会に誘う場面は緞帳に映る影がなかなか効果的でした。
ディヴィッド・サイラス指揮、東京フィルは出だしの序曲のロッシーニ・クレッシェンドがいま一つ盛り上がりに欠けて不安が頭をよぎりましたが、幕が開くと杞憂に終わりました。何といっても歌手陣が素晴らしい。王子ドン・ラミーロ役のアントニーナ・シラグーザとその従者ダンディーニ役のロベルト・デ・カンディアは絶妙のコンビ。継父である男爵ドン・マニフィコ役のブルーノ・デ・シモーネが味のある演技で応えます。哲学者で王子の教育係アリドーロ役のギュンター・グロイスベックは舞台の進行を支え、同時に引き締めてくれますが、ちょっと物足りなかったかな。それにしても、途中まで従者に扮する王子シラグーザの美声の見事なこと!2幕初めに”彼女を探し出そう”と歌うアリアは驚異的なハイCで大喝采。遂にカバレッタのアンコールまで飛び出しました。オペラ公演でのアンコールは久しぶりです。熱狂に包まれたアンコールの直後、従者に戻ったダンディーニが”これでお役御免だ”と歌う出す部分も、実感こもり笑いが湧き出てきます。これもロッシーニオペラの魅力なのでしょう。
一方アンジェリーナ役のヴェッセリーナ・カサロヴァは長身でバリトンのような声質と深くて太い声。しかも陽気なイタリア人に囲まれた中でブルガリア人らしい?怪しい魅力が漂ってきます。最初はシンデレラのイメージと違うなという印象でしたが、2人の姉のキャラクターに比べて動きを抑え(それでも存在感絶大!)、チェネレントラ(灰かぶり娘)から王妃に至る内面の変化を見事に演じていました。抑制された声は底抜けに明るい王子と凄くバランスとれていましたが、王子よりも長身なシンデレラはイメージと違うかな(見た目ですが)・・・ふと3年前のセビリアの理髪師でロジーナを歌ったバルチェッローナを思い出してしまいました。あの公演ではアルマヴィーヴァ伯爵の背が低く、イスの上に立ってもロジーナに届かなかった。
演技のほうも皆さん芸達者。特にダンディーニ役(途中まで王子に変装)のカンディアはコミカルな動きに会場の笑いを誘っていました。クロリンダとティースベの二人の継姉を演じた日本人(幸田浩子と清水華澄)も熱演でしたが、国民性の違いなのかどうしてもオーバアクションになりすぎ、逆にそのアンバランスがとても楽しめました。セリフでも、3(サン!)とか、誰だ!とか突然日本語が飛び出し、先に紹介した王子アリアのアンコールもあって、舞台と客席が一体となった素晴らしい公演でした。
この「チェネレントラ」の完成はロッシーニが25歳の1817年。「セビリアの理髪師」や「オテッロ」が発表された翌年で、僅かな期間で大作を書き上げてしまったようです。モーツアルトと並ぶ天才ですね。当時のヨーロッパでは、モーツアルトよりもロッシーニのほうが人々の感性に合っていて絶大な人気を博したそうです。「セビリアの理髪師」に比べると、口ずさみたくなるようなメロディがすぐに思い出せないのですが、ガラコンサートで歌われる聞き覚えのあるアリアがいくつか出てきます。休憩一回をはさみ3時間10分近い長丁場ですが、軽やかな音楽とロッシーニ歌いによる超絶技巧と演技、大満足の一夜でした。
正面玄関の生け花です。