水戸八幡宮と保和苑でアジサイまつりを開催中とのインターネット情報を得たので、無料駐車場が併設されている水戸八幡宮を訪れました。高速道路を水戸北インタ(スマートIC)で降りて10分ほど、雨引観音から約45分で到着しました。途中笠間付近までは激しい雨に見舞われましたが、雨雲が抜けたため水戸近辺では薄日が差してきました。
水戸八幡宮は初めて訪れました。桜が有名なのでもともとチェックを入れていましたが今年は訪れる機会が無りませんでした。由緒あるお寺なので、HPから由緒概略を引用します。
当宮は文禄元年(1592)佐竹義宣公によって創建されました。
義宣公は天正十八年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、翌十九年に常陸太田より水戸に居城を移し、その翌年の文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。のち八幡小路(現在の北見町)を聖域と定め、慶長三年(1598)に御本殿(国指定重要文化財)を建立し、水府総鎮守の社と定めました。
―慶長七年(1602)…佐竹氏が秋田へ移封され水戸は徳川家の所領となる。―
徳川の御代、元禄七年(1694)には二代藩主光圀公の寺社政策の命により、那珂西村(現城里町那珂西)へ御本殿始め移遷されましたが、宝永六年(1709)三代藩主綱條公の時代になり、正神主田所修理清澄をはじめ氏子等の請願により那珂西から再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。
なお、水戸に再遷座される際、白鶴一羽が舞い降りて神域を卜定したと伝わります。
以来、水戸藩主代々の崇敬社で農・工・商の神、また厄除・子育て・戌亥年生まれの守護神として信仰されています。
引用終わり。
随神門をくぐる前にアジサイを見学しました。山あじさいを中心に、浜あじさい系、西洋あじさい系など50種5,000株以上のあじさいが境内を彩っています。
高尾山で見かけるキツリフネが咲いていました。こんなところでお目にかかるとは意外な感じです。
随神門の彫刻です。欄間の彫刻に彩色の痕跡が残っています。墨書によると、建立は宝暦7年(1757)であるが、随神社が奉納された享保8年(1723)の可能性もあるそうです(HP情報)。「開運赤竜」が掲げられています。
拝殿の前に大きな輪が設置されています。6月30日に夏越の大祓式~茅の輪くぐりの神事~
が開催されます。HPによると
「水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶといふなり」
半年間に知らず知らずに犯した罪・穢を祓い清める神事で、大祓詞を唱和し、参列者全員で和歌を唱えて茅の輪をくぐり、罪・穢を移した紙人形を那珂の清流に流して、健康、息災を祈る。(以上引用終わり)
とあります。説明に従い左側→右側と八の字にくぐってから参拝してきました。
拝殿の右手奥にある天満天神宮です。
合格小僧は眼鏡をかけていました(笑)。
沢山の摂社末社が祀らています。これは石尊神社。御祭神は大山祇神、巨大な自然石を御神体とする神奈川県伊勢原市大山阿夫利神社は石尊本宮とも称されます。
拝殿の左手には、御神木の御葉付公孫樹(イチョウ)がそびえています。国指定天然記念物です。
推定樹齢700年、樹高42m、幹周り9mの巨木です。きっと黄葉は見事なことでしょう。
拝殿の奥には八幡宮本殿が続きます。こちらは国指定重要文化財です。慶長3年(1598)、水戸城主となった佐竹義宣公により建立され、建立400年目となる平成10年末、建立当時の色、模様、金箔を施し、まばゆいばかりの姿に復原されたそうです(HPより引用)。
帰りに烈公御涼所を訪れました。那珂川の涼風が吹き付ける見晴しの良い高台です。9代水戸藩主、徳川斉昭公がお涼みになった場所です。正面は推定樹齢400年のケヤキの大木です。御涼所の木蔭から、東は那珂川河口、北は八溝山地、西は日光、那須の連山を遠望でき、朝日御来迎の御聖地でもあるそうです。
水戸八幡宮は初めて訪れました。桜が有名なのでもともとチェックを入れていましたが今年は訪れる機会が無りませんでした。由緒あるお寺なので、HPから由緒概略を引用します。
当宮は文禄元年(1592)佐竹義宣公によって創建されました。
義宣公は天正十八年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、翌十九年に常陸太田より水戸に居城を移し、その翌年の文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。のち八幡小路(現在の北見町)を聖域と定め、慶長三年(1598)に御本殿(国指定重要文化財)を建立し、水府総鎮守の社と定めました。
―慶長七年(1602)…佐竹氏が秋田へ移封され水戸は徳川家の所領となる。―
徳川の御代、元禄七年(1694)には二代藩主光圀公の寺社政策の命により、那珂西村(現城里町那珂西)へ御本殿始め移遷されましたが、宝永六年(1709)三代藩主綱條公の時代になり、正神主田所修理清澄をはじめ氏子等の請願により那珂西から再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。
なお、水戸に再遷座される際、白鶴一羽が舞い降りて神域を卜定したと伝わります。
以来、水戸藩主代々の崇敬社で農・工・商の神、また厄除・子育て・戌亥年生まれの守護神として信仰されています。
引用終わり。
随神門をくぐる前にアジサイを見学しました。山あじさいを中心に、浜あじさい系、西洋あじさい系など50種5,000株以上のあじさいが境内を彩っています。
高尾山で見かけるキツリフネが咲いていました。こんなところでお目にかかるとは意外な感じです。
随神門の彫刻です。欄間の彫刻に彩色の痕跡が残っています。墨書によると、建立は宝暦7年(1757)であるが、随神社が奉納された享保8年(1723)の可能性もあるそうです(HP情報)。「開運赤竜」が掲げられています。
拝殿の前に大きな輪が設置されています。6月30日に夏越の大祓式~茅の輪くぐりの神事~
が開催されます。HPによると
「水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶといふなり」
半年間に知らず知らずに犯した罪・穢を祓い清める神事で、大祓詞を唱和し、参列者全員で和歌を唱えて茅の輪をくぐり、罪・穢を移した紙人形を那珂の清流に流して、健康、息災を祈る。(以上引用終わり)
とあります。説明に従い左側→右側と八の字にくぐってから参拝してきました。
拝殿の右手奥にある天満天神宮です。
合格小僧は眼鏡をかけていました(笑)。
沢山の摂社末社が祀らています。これは石尊神社。御祭神は大山祇神、巨大な自然石を御神体とする神奈川県伊勢原市大山阿夫利神社は石尊本宮とも称されます。
拝殿の左手には、御神木の御葉付公孫樹(イチョウ)がそびえています。国指定天然記念物です。
推定樹齢700年、樹高42m、幹周り9mの巨木です。きっと黄葉は見事なことでしょう。
拝殿の奥には八幡宮本殿が続きます。こちらは国指定重要文化財です。慶長3年(1598)、水戸城主となった佐竹義宣公により建立され、建立400年目となる平成10年末、建立当時の色、模様、金箔を施し、まばゆいばかりの姿に復原されたそうです(HPより引用)。
帰りに烈公御涼所を訪れました。那珂川の涼風が吹き付ける見晴しの良い高台です。9代水戸藩主、徳川斉昭公がお涼みになった場所です。正面は推定樹齢400年のケヤキの大木です。御涼所の木蔭から、東は那珂川河口、北は八溝山地、西は日光、那須の連山を遠望でき、朝日御来迎の御聖地でもあるそうです。
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