音楽サークルに参加していながら、いまだに楽譜が読めないシロウトの私ですが、亡くなった父親はヴァイオリンをやってたんですよ。といってもクラシックではなく、ギターを弾く仲間と、今で言うバンド活動みたいなことをやってたみたいですね。昭和20年代後半です。都会の飲み屋街にいる「流し」に憧れた時期もあったらしくて、母が父に惹かれたのも、ヴァイオリンを弾きながら父が歌った「水色のワルツ」に感動したからやとか・・・ま、歌もうまい方やったしね。15年前に亡くなったんやけど、今生きてたら、私がやってるちゃっちい笛吹きの演奏も、きっと喜んでくれたんやないかと思いますね。
父がなんでヴァイオリンを弾くことになったんか、やけど、戦争から帰ってから、父は故郷、九州の網元にお世話になってたらしいんです。
まぁ、戦争から将来の夢なんて喪失して帰ってきてるし、自分の人生設計なんて考えられへんかったみたいやね。若いし、お金はないけど、遊んでたみたいです。といっても、終戦後の田舎なんで、素朴なもんやったでしょうけど。
網元の娘さんと付き合ってたらしくて、その娘さんにもらったのがヴァイオリンやったんです。なんでかその家にあったらしく、(親戚の人がやってたとか・・) 音楽好きな父にくれたんですね。
漁に出るのに船に乗ってたから、練習は海の上。我流ながら、それなりに弾けるようになって、でも、そのうち、その田舎暮らしが耐えられなくなって、その網元の娘さんもほって! 大阪へ出てきたらしいんです。
そうそう、その娘さんがくれたヴァイオリンは、ウソかホンマか、ストラディヴァリウスの贋作(ってどんだけあるんだか?)らしいって、父が言うてたんやけど、私はそれを見たことがないんですよ。
というのも、そのヴァイオリンと、女の人(複数らしい・・笑)からもらった手紙ばっかり入ったバッグ一つ抱えて大阪に出てきた父は、当たり前やけどビンボーで、生活のためにそのヴァイオリンを売ってしまったんですね。何でもそれを欲しがった人は、音楽をやってた人らしいねんけど、当時(昭和26、7年ごろ)の1万円とスズキのヴァイオリンとを引き換えに、そのヴァイオリンを欲しがったらしいんです・・・・贋作でも、ええもんやったんやろか~???
ケースだけはず~っと持ってました。私が覚えてるのはボロボロになった、皮製のシックな(いや、汚くなってましたけど~)ケースやったけど、その中にスズキのヴァイオリンが入れてありましたね。
生活にゆとりができた中年期以降に、「売らへんかったら良かった」って、父は言うてましたけどね。(遅いわ~!)
今もあったら、何でも鑑定団で鑑定してもらうとこやけど。
でも、スズキのヴァイオリンは、今も遺品として残してますよ。
弟が小学生の時からギターをやってるんやけど、父は、弟が楽器をするのをすごく楽しみにしてましたね。自分のことのように。
その弟は、(今はもちろんおっさんですが) 今までにギターを15本くらい買ったらしいんやけど、今、手元にあるのは数本。若い頃は、その道に進もうかと血迷うてたけど、今だに、キーボードにシンセ、トランペットにサックスなど、お金もないのに音楽で遊びたがってますね。仕事に追われて時間がないんで、じっくりできないようやけど。
なんで、父の想い出を書きたくなったかは、この弟のことがあるんやけど、それはまたいつか書きます。
3月24日は、父の誕生日でした。
ついでに、今日、26日は、結婚記念日です。27回目。すごい!
なんのセレモニーも、今日はありませんけど・・・
画像は、ダンナの誕生日のケーキです。
父がなんでヴァイオリンを弾くことになったんか、やけど、戦争から帰ってから、父は故郷、九州の網元にお世話になってたらしいんです。
まぁ、戦争から将来の夢なんて喪失して帰ってきてるし、自分の人生設計なんて考えられへんかったみたいやね。若いし、お金はないけど、遊んでたみたいです。といっても、終戦後の田舎なんで、素朴なもんやったでしょうけど。
網元の娘さんと付き合ってたらしくて、その娘さんにもらったのがヴァイオリンやったんです。なんでかその家にあったらしく、(親戚の人がやってたとか・・) 音楽好きな父にくれたんですね。
漁に出るのに船に乗ってたから、練習は海の上。我流ながら、それなりに弾けるようになって、でも、そのうち、その田舎暮らしが耐えられなくなって、その網元の娘さんもほって! 大阪へ出てきたらしいんです。
そうそう、その娘さんがくれたヴァイオリンは、ウソかホンマか、ストラディヴァリウスの贋作(ってどんだけあるんだか?)らしいって、父が言うてたんやけど、私はそれを見たことがないんですよ。
というのも、そのヴァイオリンと、女の人(複数らしい・・笑)からもらった手紙ばっかり入ったバッグ一つ抱えて大阪に出てきた父は、当たり前やけどビンボーで、生活のためにそのヴァイオリンを売ってしまったんですね。何でもそれを欲しがった人は、音楽をやってた人らしいねんけど、当時(昭和26、7年ごろ)の1万円とスズキのヴァイオリンとを引き換えに、そのヴァイオリンを欲しがったらしいんです・・・・贋作でも、ええもんやったんやろか~???
ケースだけはず~っと持ってました。私が覚えてるのはボロボロになった、皮製のシックな(いや、汚くなってましたけど~)ケースやったけど、その中にスズキのヴァイオリンが入れてありましたね。
生活にゆとりができた中年期以降に、「売らへんかったら良かった」って、父は言うてましたけどね。(遅いわ~!)
今もあったら、何でも鑑定団で鑑定してもらうとこやけど。
でも、スズキのヴァイオリンは、今も遺品として残してますよ。
弟が小学生の時からギターをやってるんやけど、父は、弟が楽器をするのをすごく楽しみにしてましたね。自分のことのように。
その弟は、(今はもちろんおっさんですが) 今までにギターを15本くらい買ったらしいんやけど、今、手元にあるのは数本。若い頃は、その道に進もうかと血迷うてたけど、今だに、キーボードにシンセ、トランペットにサックスなど、お金もないのに音楽で遊びたがってますね。仕事に追われて時間がないんで、じっくりできないようやけど。
なんで、父の想い出を書きたくなったかは、この弟のことがあるんやけど、それはまたいつか書きます。
3月24日は、父の誕生日でした。
ついでに、今日、26日は、結婚記念日です。27回目。すごい!
なんのセレモニーも、今日はありませんけど・・・
画像は、ダンナの誕生日のケーキです。