ア・デイトリッパーな長い一でありました。
それは、リハーサルに、ドラマーS山氏(本職は編集者)が水死体のような面持で時間に遅れてリハ会場にやって来た所から始まりました。
16:45 なんとかドラムセットに座っているものの、もうろう状態で目つきが完全にイッってました。普段落ち着いてるPAの人も、ドラマーの何かやらかしそうな雰囲気にシンバルをセットし忘れ、灰野敬二ばりの爆音の対バンの方々も場内でシーンと黙ってしまいました。
リハをやってもまともな演奏にならず、まるで無駄だったので、早々に切り上げると、S氏は片付けもせず客席で仰向けになって片足をテーブルに放り出したまま寝てしまいました。
因みにその日の他の出演者は、●ふくろ ●鳥を見た(なかおちさと+山崎怠雅+東郷生志)●ハリネコ+うんこ(舞踏)と、真面目に音楽を追求している方々ばかりです。
急にむっくり起き出したs氏、
「本番まで長ーいから、どっかへ行こう」「西荻の飲み屋行きた~い」
と言うが、
「そりゃ遠いぜ」と阻止すると、
「じゃあ、俺がおごるからスタジオに入ろう」
と、何故か前向きな意見を言うので、楽器を抱えて3人でスタジオを探し高円寺を彷徨う羽目に。予約なしでスタジオへ行くなんて初めてです。
1件目、満室。
2件目場所分からず。
3件目鋲のいっぱい付いた皮ジャンを着てる人たちがたむろするスタジオ。こりゃ一杯でしょうよ。
しかし!満室ではあったが、店の兄ちゃんが他のスタジオの電話番号をあれこれ親切に教えてくれました。
17:50 3件ほどTELして、やっと早稲田通りにあるスタジオに空きがあり、18時入りで予約、大急ぎでタクシーで行くことに。
が、環7に入って車はのろのろ渋滞、信号で全然動かない状態に。昔の女人のくだらない話に花が開く間に時間はどんどん過ぎていきます。さすがに、まったく動かない車に乗ってるのは無駄だと下車すると、その先なんと歩いて20メートルで早稲田通りでした。ありゃりゃ。しかも、降りたとたんに次々と車は流れだしました。
18:20 早稲田通りをスタジオ探してうろうろ、S氏がtelで場所を聞くと小僧寿しの近く、洋服の病院の地下だと。しかしその建物はどう見ても、木造2階建ての古アパート。何の看板もなく真っ暗。お化けスタジオか??
しかし、良くまわりを見渡すと、普通に鉄筋のビルにちゃんとスタジオの看板があるじゃないですか。
この頃には、S氏も意識がこの世に戻って来ていて、いざリハーサル。ズドントコ、ズドントコ♪なかなかやるぜぃ~。こんなに旨いドラムが叩けるとは皆知らないでしょう。
しかし数曲やるうち、どうも乗りが悪くなっていく。だんだん動かなくなりました。
ドラマー・S氏、「腹が減った、朝から何も食ってない、なんか食わせてくれ!」「豚カツ!」
意識モウロウ状態が終わった後は、腹が減って動けない、と。
プリンや油を気にしていても、本当はがっつり揚げ物や丼ぶりめし大盛りが食いたい願望があるんですね。まぁ、まともな演奏をさせるには、空腹の中にいけないモノを入れる前に、御飯を入れさせよう。
19:00 ではでは、前から私が入ってみたい食堂が近くにあるようだから、そこへ行ってみましょ。
テクテク早稲田通りを歩き、駅と逆の道へ右折。商店の明かりはほぼなし、はずしたか?とっくに潰れてる?
しかしながら自分を信じて直進しました。私の後を歩く2人は、暗い道で「いい加減にしてよ」という顔。
「あの先の明かりのとこまで行って、何もなかったらあきらめるから~」
を、2回ほど繰り返し、急に商店街のボンボリ電燈が見えてきたと思ったら、陸の孤島のような商店街があらわれた!深度800M.
おー、あったー!!
>゜))))彡
民生食堂「天平」
戦時中に外食券がないとご飯が食べられない外食券食堂という時代がしばらく続いた後、昭和26(1951)年に東京都指定民生食堂という制度ができて、外食券食堂から民生食堂へという流れができてきたのだそうです。これが今の大衆食堂へとつながっていくんだそうです。
店の前のディスプレーの焼き飯は、真黒に日焼けしております。
入店すると、んまぁ一気にディープトリップ。深度1000M.
4人掛けのテーブルが4つと、カウンターのように長いテーブルがどーんと一つ。ビールに定食の正統派の独り者と、持ち込み?の蟹をつまみに酒を飲んでる常連客数名。
ビール大瓶500円、お通しのアラレ、味がしみた生揚げの煮付け、あんまーいドロドロのカレーライス、愛情で包まれたオムライス、食べ応えのあるポークソテー、、、
いつか我々の誰かが刑務所に入った時には、きっとここで食べた物をつばを飲み込みながら思い出すことでしょう。
だだっ広い厨房を抜けて入るお便所、王監督のサインの色紙、常連客に呼び止められても言うこと聞かずに一人出っていく酔っ払ったおばあさん!
ここは、彼の世か深海か、はたまた南千住か出屋敷か、、、
素晴らしすぎます。
世界遺産に認定であります!
20:30 21時が出番なのでそろそろお勘定。S氏も飯を腹に入れ、焼酎お湯割りで絶好調。
まぁ、だいたい進行はオスものだからと余裕で会場へ行くと、あわわ、もう出番。
あせって、セッティング。その日のメニューをこなしました。
新曲は10分以上にわたる大作「深海ロック」。
あとは、会場にて深夜まで語らいの時間。
27:00 タクシーにて帰還。こんな日があってもいいのさ。
それは、リハーサルに、ドラマーS山氏(本職は編集者)が水死体のような面持で時間に遅れてリハ会場にやって来た所から始まりました。
16:45 なんとかドラムセットに座っているものの、もうろう状態で目つきが完全にイッってました。普段落ち着いてるPAの人も、ドラマーの何かやらかしそうな雰囲気にシンバルをセットし忘れ、灰野敬二ばりの爆音の対バンの方々も場内でシーンと黙ってしまいました。
リハをやってもまともな演奏にならず、まるで無駄だったので、早々に切り上げると、S氏は片付けもせず客席で仰向けになって片足をテーブルに放り出したまま寝てしまいました。
因みにその日の他の出演者は、●ふくろ ●鳥を見た(なかおちさと+山崎怠雅+東郷生志)●ハリネコ+うんこ(舞踏)と、真面目に音楽を追求している方々ばかりです。
急にむっくり起き出したs氏、
「本番まで長ーいから、どっかへ行こう」「西荻の飲み屋行きた~い」
と言うが、
「そりゃ遠いぜ」と阻止すると、
「じゃあ、俺がおごるからスタジオに入ろう」
と、何故か前向きな意見を言うので、楽器を抱えて3人でスタジオを探し高円寺を彷徨う羽目に。予約なしでスタジオへ行くなんて初めてです。
1件目、満室。
2件目場所分からず。
3件目鋲のいっぱい付いた皮ジャンを着てる人たちがたむろするスタジオ。こりゃ一杯でしょうよ。
しかし!満室ではあったが、店の兄ちゃんが他のスタジオの電話番号をあれこれ親切に教えてくれました。
17:50 3件ほどTELして、やっと早稲田通りにあるスタジオに空きがあり、18時入りで予約、大急ぎでタクシーで行くことに。
が、環7に入って車はのろのろ渋滞、信号で全然動かない状態に。昔の女人のくだらない話に花が開く間に時間はどんどん過ぎていきます。さすがに、まったく動かない車に乗ってるのは無駄だと下車すると、その先なんと歩いて20メートルで早稲田通りでした。ありゃりゃ。しかも、降りたとたんに次々と車は流れだしました。
18:20 早稲田通りをスタジオ探してうろうろ、S氏がtelで場所を聞くと小僧寿しの近く、洋服の病院の地下だと。しかしその建物はどう見ても、木造2階建ての古アパート。何の看板もなく真っ暗。お化けスタジオか??
しかし、良くまわりを見渡すと、普通に鉄筋のビルにちゃんとスタジオの看板があるじゃないですか。
この頃には、S氏も意識がこの世に戻って来ていて、いざリハーサル。ズドントコ、ズドントコ♪なかなかやるぜぃ~。こんなに旨いドラムが叩けるとは皆知らないでしょう。
しかし数曲やるうち、どうも乗りが悪くなっていく。だんだん動かなくなりました。
ドラマー・S氏、「腹が減った、朝から何も食ってない、なんか食わせてくれ!」「豚カツ!」
意識モウロウ状態が終わった後は、腹が減って動けない、と。
プリンや油を気にしていても、本当はがっつり揚げ物や丼ぶりめし大盛りが食いたい願望があるんですね。まぁ、まともな演奏をさせるには、空腹の中にいけないモノを入れる前に、御飯を入れさせよう。
19:00 ではでは、前から私が入ってみたい食堂が近くにあるようだから、そこへ行ってみましょ。
テクテク早稲田通りを歩き、駅と逆の道へ右折。商店の明かりはほぼなし、はずしたか?とっくに潰れてる?
しかしながら自分を信じて直進しました。私の後を歩く2人は、暗い道で「いい加減にしてよ」という顔。
「あの先の明かりのとこまで行って、何もなかったらあきらめるから~」
を、2回ほど繰り返し、急に商店街のボンボリ電燈が見えてきたと思ったら、陸の孤島のような商店街があらわれた!深度800M.
おー、あったー!!
>゜))))彡
民生食堂「天平」
戦時中に外食券がないとご飯が食べられない外食券食堂という時代がしばらく続いた後、昭和26(1951)年に東京都指定民生食堂という制度ができて、外食券食堂から民生食堂へという流れができてきたのだそうです。これが今の大衆食堂へとつながっていくんだそうです。
店の前のディスプレーの焼き飯は、真黒に日焼けしております。
入店すると、んまぁ一気にディープトリップ。深度1000M.
4人掛けのテーブルが4つと、カウンターのように長いテーブルがどーんと一つ。ビールに定食の正統派の独り者と、持ち込み?の蟹をつまみに酒を飲んでる常連客数名。
ビール大瓶500円、お通しのアラレ、味がしみた生揚げの煮付け、あんまーいドロドロのカレーライス、愛情で包まれたオムライス、食べ応えのあるポークソテー、、、
いつか我々の誰かが刑務所に入った時には、きっとここで食べた物をつばを飲み込みながら思い出すことでしょう。
だだっ広い厨房を抜けて入るお便所、王監督のサインの色紙、常連客に呼び止められても言うこと聞かずに一人出っていく酔っ払ったおばあさん!
ここは、彼の世か深海か、はたまた南千住か出屋敷か、、、
素晴らしすぎます。
世界遺産に認定であります!
20:30 21時が出番なのでそろそろお勘定。S氏も飯を腹に入れ、焼酎お湯割りで絶好調。
まぁ、だいたい進行はオスものだからと余裕で会場へ行くと、あわわ、もう出番。
あせって、セッティング。その日のメニューをこなしました。
新曲は10分以上にわたる大作「深海ロック」。
あとは、会場にて深夜まで語らいの時間。
27:00 タクシーにて帰還。こんな日があってもいいのさ。