台風で停電した時、ラジカセを探してたら見つけてしまった。
「セコハン娘の素晴らしき世界」
これは、幻のバンド「セコハン娘」のライブを収めた貴重な映像DVDで、円盤の田口さんの稀少なハンドメイド作品。
高円寺のお店にも、もう廃盤で置いてないだろうプレミアもの、、、
かも?
この作品を語るには、メンバーの一人、夭折のドラマー:須山岳彦氏のことを出さないわけにはいかない。
彼といったら、まあ興味が尽きない狂ったエピソードでいっぱい、
だが、
もっとも面白い所は、やたらと私的な事が多く、本人や周りのプライバシーにも触れることもあるし、どこからどう話して良いのか非常に難しい。
スーちゃん(須山氏の愛称)は、自身がボーカルをとるボサノバ大所帯バンドから様々なバンドを掛け持ち、時には鳥肌実を超越するほどのピンの芸を(何故かベース弾き語り)こなす傍ら、
フランス文学出版の白水社の売れっ子編集者として、辞書からノンフィクションまで数々の重要な書籍を世に送り出した。(文学賞授賞式へ、イカれたロックミュージシャンの風貌のまま出掛けて、警備員に取り押さえられた逸話あり)
とにかく、おかしなヒトだった。
(この先、あんなヒトには先ずオキナワじゃ出会えない、、、と、つぶやいたら
いや、東京でもそうそうあんなヒトはいないですよ、と言われた)
身の回りのヒトを喜ばすことが大好きで、何かの集まりにスーちゃんが登場するとパッと花が咲く、
特に酒の席に登場すると、皆がいい気分で酔っぱらって酔っぱらってしまう
そして、しばし、最後にガックシさせられる、
まぁ、しかし本当に多くに愛される宇宙人のような存在だった。
スーちゃんは、ヒトの才能を見つけ共感し引き出すことに長けていた。さすがは有能編集者。
それはヒトによっては、才能というよりも心に秘めていたもの、例えば幼児性、変身願望、だったりした。
よく一緒にいた当時、
新たな登場人物が現れると、必ずあだ名がついた。
思想はあっても実体のない○○会とか○○連とか、作るのが好きだった。
しゃべり方が、相互に影響し、しまいにはオネェ調になっていった。
アホな所を引き出して遊んでくれたわけだ。
元々バンド関係の共通の友人もいて、顔見知りではあったが、急に親交を深めるようになったのは、彼が西荻へ引っ越してきてからだった。
街を歩いていたら、声をかけられた。
当日はまだロックスターなルックスではなく、トレンチコートにセカンドバックというどこか野暮ったい格好だった。そして、まだ、どことなく塩らしい感じだった。
その年、例年にない猛暑の夏が、狂乱の夏となるとは、その時はまだつゆにも思わなかった。
酒と笑いとダンスと裸の夜宴の日々、、、
〈中略〉
その後、
スーちゃんは、風呂なし冷蔵庫なしのアパート「悲しみ荘」から、西荻内の結構広めの築浅マンション「黄金館」へ移った。
そして、あまり交流がなくなった頃、町屋へ越していった。
友情が壊れるから一緒にバンドはやらないようにしよう、と言ってた割りには、私の職場の文化祭バンドに毎年のように参加したし、私のバンドのベースに穴が空いたとき、猛烈特訓してヘルプしてくれたこともあった。
そして、とうとうスーちゃんから初めてバンドをやりたい、と言ってきて結成したのが、これ「セコハン娘」だった。
その時のセリフ
「ねえ、○○○ちゃーん、退院してね、リハビリしたいから、一緒にバンドやろ~」って、、、
今思うと彼にとっては、声帯を取る前の最期のバンド活動で、とにかく、言葉が天才的に冴えていた。
それと共に、あっちの世界へ持っていってしまう力が余りにも強かった。
本番は随分控えめであったが、重ねるリハーサルでは、背筋が凍るほど可笑しすぎて、もう練習にならなかった。と言うか、練習なんてどうでもよくなった。
才能のほとばしりを、誰も止められるわけはない。
この人、本当に異星人なのでは、、、
欲しい方いたら連絡ください。
11月上京の際持参してお渡し可能。
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「セコハン娘の素晴らしき世界」
これは、幻のバンド「セコハン娘」のライブを収めた貴重な映像DVDで、円盤の田口さんの稀少なハンドメイド作品。
高円寺のお店にも、もう廃盤で置いてないだろうプレミアもの、、、
かも?
この作品を語るには、メンバーの一人、夭折のドラマー:須山岳彦氏のことを出さないわけにはいかない。
彼といったら、まあ興味が尽きない狂ったエピソードでいっぱい、
だが、
もっとも面白い所は、やたらと私的な事が多く、本人や周りのプライバシーにも触れることもあるし、どこからどう話して良いのか非常に難しい。
スーちゃん(須山氏の愛称)は、自身がボーカルをとるボサノバ大所帯バンドから様々なバンドを掛け持ち、時には鳥肌実を超越するほどのピンの芸を(何故かベース弾き語り)こなす傍ら、
フランス文学出版の白水社の売れっ子編集者として、辞書からノンフィクションまで数々の重要な書籍を世に送り出した。(文学賞授賞式へ、イカれたロックミュージシャンの風貌のまま出掛けて、警備員に取り押さえられた逸話あり)
とにかく、おかしなヒトだった。
(この先、あんなヒトには先ずオキナワじゃ出会えない、、、と、つぶやいたら
いや、東京でもそうそうあんなヒトはいないですよ、と言われた)
身の回りのヒトを喜ばすことが大好きで、何かの集まりにスーちゃんが登場するとパッと花が咲く、
特に酒の席に登場すると、皆がいい気分で酔っぱらって酔っぱらってしまう
そして、しばし、最後にガックシさせられる、
まぁ、しかし本当に多くに愛される宇宙人のような存在だった。
スーちゃんは、ヒトの才能を見つけ共感し引き出すことに長けていた。さすがは有能編集者。
それはヒトによっては、才能というよりも心に秘めていたもの、例えば幼児性、変身願望、だったりした。
よく一緒にいた当時、
新たな登場人物が現れると、必ずあだ名がついた。
思想はあっても実体のない○○会とか○○連とか、作るのが好きだった。
しゃべり方が、相互に影響し、しまいにはオネェ調になっていった。
アホな所を引き出して遊んでくれたわけだ。
元々バンド関係の共通の友人もいて、顔見知りではあったが、急に親交を深めるようになったのは、彼が西荻へ引っ越してきてからだった。
街を歩いていたら、声をかけられた。
当日はまだロックスターなルックスではなく、トレンチコートにセカンドバックというどこか野暮ったい格好だった。そして、まだ、どことなく塩らしい感じだった。
その年、例年にない猛暑の夏が、狂乱の夏となるとは、その時はまだつゆにも思わなかった。
酒と笑いとダンスと裸の夜宴の日々、、、
〈中略〉
その後、
スーちゃんは、風呂なし冷蔵庫なしのアパート「悲しみ荘」から、西荻内の結構広めの築浅マンション「黄金館」へ移った。
そして、あまり交流がなくなった頃、町屋へ越していった。
友情が壊れるから一緒にバンドはやらないようにしよう、と言ってた割りには、私の職場の文化祭バンドに毎年のように参加したし、私のバンドのベースに穴が空いたとき、猛烈特訓してヘルプしてくれたこともあった。
そして、とうとうスーちゃんから初めてバンドをやりたい、と言ってきて結成したのが、これ「セコハン娘」だった。
その時のセリフ
「ねえ、○○○ちゃーん、退院してね、リハビリしたいから、一緒にバンドやろ~」って、、、
今思うと彼にとっては、声帯を取る前の最期のバンド活動で、とにかく、言葉が天才的に冴えていた。
それと共に、あっちの世界へ持っていってしまう力が余りにも強かった。
本番は随分控えめであったが、重ねるリハーサルでは、背筋が凍るほど可笑しすぎて、もう練習にならなかった。と言うか、練習なんてどうでもよくなった。
才能のほとばしりを、誰も止められるわけはない。
この人、本当に異星人なのでは、、、
欲しい方いたら連絡ください。
11月上京の際持参してお渡し可能。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/16/ab59da3eea25aebd55e8f0e98d79669a.jpg)
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