喜多方市 蔵の街
2013年12月13日(金)
(昨日の続きです。)
喜多方市は、私はラーメンでしか知りませんでした。(自称「食べ物探求家」。多少違うのですが他称は「食いしん坊」)ですから。
ネットで調べると、蔵が有名なんですね。以下ネットの記事を抜粋しました。
・喜多方の蔵が観光のためにつくられたものではなく、現在も人が住み、使い、暮らしのうつわとしての役割を果たしている。
・表通りはもちろんのこと、路地裏や郊外の集落にまで蔵があり、その数は四千棟余。
・酒蔵、味噌蔵として使われていることからもわかるように、良質の水と米に恵まれた土地ならではの醸造業を営む場として、蔵が最適な建物であったことがあげられます。
・蔵は、男たちの夢の結晶として、「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」とまでいわれ、喜多方の男たちにとって、自分の蔵を建てることは、情熱をかけた誇りの対象でもあったのです。喜多方の蔵が、画一的なものでなく、白壁、黒漆喰、粗壁、レンガなどの種類や扉の技巧にいたるまでバラエティーに富んでいるのは、そうした男たち一人一人のロマンの表現だったのでしょう。
・明治十三年に起きた大火で・・市の中心部から瞬く間に燃え広がり、約三百棟の家々を焼き尽くしました。が、そのとき、くすぶる焼け野原に、厳然と残ったのがまぎれもない蔵の姿だったのです。こうして喜多方の人々は、蔵を誇りとして、蔵とともに、今日まで暮らして来たのです。
ロマンを感じます。事前に調べておけば良かったのです・・。11月13日早朝6時頃、小雨のなか、探訪しました。
薄明かりですから、陰影が柔らかです。
前の写真の拡大写真です。分限者そうです。
これは新しい建物のようです。
カラフルなのが一軒ありました。目立ち過ぎて、賛否がありそうです。
写真では分かりにくいのですが、「金」とか「銀」とかの文字が見えますので、両替商だったのでしょうか・・。
馬で曳くようです。
蔵が4000棟ということは住居そのものだったのでしょうね。
一階が店で二階が蔵のようです。
レンガを使ってモダーンな感じです。
それにしても、蔵の扉を開いているのが多いですが、どうしてでしょう・・。
宝よ入っておいで、ということでしょうか・・。
ヒンシュクをかったのが、この写真です。
蔵通りで、どうして蔵を背景に写真を撮らなかったのか!と。私は多くの蔵の中にあって、珍しい建物と感じたのです。くらやんでいます。
やがて、杉の球を見つけました。勿論、入ってみることにしました。