藤田侍従長の下には木下道雄侍従次長が居た。藤田が公職追放を予期して辞職を願い出た時に、木下が後任候補になった。しかし、天皇の「人間宣言」、「五人の会の拝聴記録」(後に『昭和天皇独白録』として刊行)を終えたところでお役御免となった。
木下は1887年生まれ、1974年87歳でこの世を去った。ということは、彼は藤田尚徳『侍従長の回想』の1961年刊行を知っていただろう。そして、自分はもっと昭和天皇の事を知っているという自負もあったであろう。
その遺志を汲み取ったのが娘の淳であり、それを薦めたのが、『侍従長の回想』を解説した皇室記者だった高橋紘であろう。
天皇崩御まで待って、やっと一冊の本となって結実した。それが『側近日誌』である。自分こそが側近であるという表明の題名でもあった。
その一年後に、遠くアメリカから、「五人の会」の一人寺崎英成が写していた「天皇が戦時中を振り返って告白した記録」が遺族から公開され『昭和天皇独白録』が刊行される。
天皇崩御後のこの二冊の本は不思議な縁であるが、出版が文藝春秋であることが気になる。
不思議なことに、天皇・皇室関係は文藝春秋がほぼ独占状態である。この出版社は不思議な存在で、今も文春砲によって世を騒がしている。
吉田裕は『昭和天皇の終戦史』のなかで、『西園寺公と政局』と『木戸日記』の二冊あれば昭和天皇の史料は十分だと云うが、果たしてそうだろうか、天皇の人物像を知るには『側近日誌』と『昭和天皇独白録』がなければ面白くない。