政治家が選挙で当選する為には、まずコアなシンパがいること。そして、ポスター張りとか電話やはがきの依頼事務などの選挙事務を行うボランティアがいること、選挙カーを運転してくれる運転手がいること。以上が最低線必要だと思う。
立民党が駄目なのは、それらの選挙事務を金持ち労働組合の連合に頼っていることだと思っていた。だから、あの党は社会の底辺の側に立った主張ができない。また、底辺の人々は日々の暮らしに忙しく選挙事務なんか到底手伝えない。
その点自民党は選挙体制がしっかりしているように見えた。日ごろから商店街や農協に関わり、青年会議所や商工会議所などのマンパワーを使って、比較的余裕をもって選挙運動をしているように見えた。資金力は鼻から自民党が優勢なのは言うまでもないが。
しかし、待てよ。田中角栄はカネをばら撒いて100人規模の田中派を維持した。今の安倍派は何をばら撒いて大所帯を保持したのだろうか。金は何にでも代えられる、時にはその金で選挙の運動員を雇うこともある。
安倍派は「統一教会」(家庭連合)の派遣した秘書をそれに充てていたのではないか。金=人(マンパワー)なんだね。それが安倍派のとびぬけた大所帯が維持できるカラクリだったのではないか!
これを興醒めというのかもしれない。第二次安倍政権から、新進の学者たちが盛んに指摘した「政治の右傾化」の理由は、単に「統一教会」の云う反LGBT、反夫婦別姓、在りもしない家庭重視?なのかな。
俄かに「子ども家庭庁」に変更したり、自民憲法草案24条の「家族重視」の改正方向までも、霊感商法の「統一教会」の意向に沿っていた、と思うと、途轍もなく情けない愚劣な断面を曝したことになる。
自民党は、茂木や福田が惚けて何を言っても、とても誤魔化せない非常事態になったような気がする。
今この本も読んでますが、この頃の自民党はまだ良かった。