グルーの『滞日十年』の1941年8月29日の件に、「極端論者」という聞きなれない訳語が出てくる。英文の原文を読んでいないからやや乱暴な推察になるが、現代ならば、「執拗な暴力的クレイマー」とでも訳したい。
戦前の近衛政権の頃はこの「極端論者」たちの動きを見て、首相暗殺への危険信号、暗示と政府は捉えていたようである。確かに、近衛政権の前には、二・二六事件では、岡田首相が狙われ、親族が誤認されて暗殺された。元首相の斎藤実内府も暗殺された。五・一五事件で犬養首相が白昼暗殺された時に臨時首相代理を務めた高橋是清蔵相も暗殺された。戦前とはそうした政治テロの時代であった。
公家上りの近衛文麿ですら、その恐怖と戦いながら一応は頑張ったが、結局天皇と木戸内府に梯子を外されて、東條内閣の出現となった訳である。あの儘、近衛が政権を続ければ、多分に暗殺されただろう。実際9月には、彼は暴徒に襲われていた。
その頃から80年余を経て、元首相が白昼凶弾に倒れた。その行為が政治的テロであったか、まだ明確には分からない。宗教団体の財産収奪に対する恨みによる暴力行動だけなのかもしれない。検察は精神鑑定と称して、その後の本人の自白などの捜査状況を説明することを避けている。いつものように検察の隠蔽シフトの高い壁が出来上がっている。
日米戦争の開戦の間際は、満州事変以降の五・一五事件、二・二六事件等の一連の政治的テロが頻発され、所謂「極端論者」を恐れていたことがよく分かる。今そのような執拗な暴力的「極端論者」がこの世の中に存在しているかの現状把握はされていない。
今回の凶弾事件で、図らずも焙り出されたのは、旧統一教会の政治的な行動の一端が露出された。旧統一教会の政治的な影響力は、自民党の本体に直接作用していたのか、或いは、自民党の後背後に潜んでいたのか、全く今のところよく分からない。
国民の目下の関心事は、旧統一教会と自民党と云う政党の右傾化との関係性又は関連性の実態である。