戦後に生まれた者にとって、戦争は歴史として知る。しかし戦後の「日本史」の教育は古代から始まり、明治維新、大正ロマンぐらいで終わる。近過去は、授業をしないのである。不思議なことに、大学の入試問題にもその範囲は出てこなかった。だいたい戦後生まれ世代の人はほとんど同様な体験や機会をもっている。したがって、「8・15終戦の日」という日が特別であるかのようにマスコミによって印象付けられて行く。学校は夏休みなので何も言わない。甲子園球場の高校野球での黙祷が象徴となり、旧盆で人々が田舎に大移動していくのもその背景となった。ほぼこの世代は同じような体験を語る者が多い。東京は9月1日が始業日だ。歴史を見れば、9月2日が敗戦の日であり、世界的には第二次世界大戦の終了の日にすることが多いそうだ。この日に何か学校や地域行事が行われた記憶はない。我々は気がつかない所で、見えない手によって、想像や思考をある一定の方向に向けさせられているような気がしている。それは悲しいことに、結構十年単位の時間が過ぎてから気付かされることが多く、今も気付いてないコトがあるだろう。
先の戦争が「大東亜戦争」と称していたのを、米軍占領後に「太平洋戦争」に名称変更させられたことを知っているが、従来の戦争名称の流れからすれば、日清、日露、第一次、日中戦争・・・とくれば、日米戦争が適切であろう。仮に「日米戦争」という名称が一般化していれば、「終戦」ではなく、やはり「敗戦」であり、「原爆を落とした国は米国」であることが歴史の上で、より明確化したのではないかと思う。さすれば、この国が今でも「敗戦国」であることが、身近に解ろうというモノだ。
(参考文献:佐藤卓己『八月十五日の神話』ちくま新書、他)
この写真には「…聞いたあと」と注釈がある。皇居前にはラジオは無いし、拡声器は無かったから!、であろうか…?