最近目が悪くなったらしい。昨晩は本を読む気になれなかった。ずっとネットの「統一教会関係」なんかを見て、いつものクラシックを聴いていた。
深夜になって、少し本を読む気になり、また『時代の一面』の遺した東郷外相の感情の理由を考えていた。
話は変わるが、私は40歳過ぎた頃から「小説」というのモノを読まなくなった。いわゆる「文芸的な」という意味の。松本清張の新潮文庫版はほとんど読んだが。
又話しは変わるが、私は「国葬」に反対だ。むろん吉田茂の「国葬」もおかしいと思う。抑々「国葬」という馬鹿げたことは止めて欲しいと思っている。
吉田の国葬を強引に進めた佐藤栄作が沖縄返還を評価されてノーベル平和賞を貰ったことをふと思い出した。人の記憶とはその程度であろう。寧ろ理由なくノーベル文学賞が取れなかった村上春樹の方が記憶に残るだろう。
今度の国葬も忘れやすいこの国の人々の記憶にはほとんど残らない。単に自民党内の政局に過ぎない。
寧ろカルト宗教に侵された政党の情けない、哀れな「レガシー」として残るかもしれない。
・・・という長い前振りの後に、ほんとに久しぶりに「小説」なるモノを読んだのだ。確かに疲れた眼には楽な内容だった。読み出して、すぐにこのストーリ、何処か記憶にあると思いだした。
「自分の息子がハワイでサメに片足を食われて死に、毎年その時期になるとハワイに行く女性の話だ」そして現地で出会った人に「片足のサーファー」を視たと聞かされる物語だ。
私の年代からすると、この手の話は、小さな子供に胸を触られてくすぐったい、というそんな感じである。心地よい絵空事という言葉が浮かんだ。残念ながら、絵空事に擽られるには少々年齢をとり過ぎた。吉田羊ははまり役だと思った。
むろん原作は村上春樹である。