かねてから、決まってこの8月になると、急にマスコミ界では「平和を祈る」「平和を守る」という言葉が氾濫する。
皆が手を合わせていれば原爆が落ちてこない訳ではなく、平和というモノがあってみんなでしがみ付いて抱いていれば世の中が平和になるものではない。
同じようなモノがある。憲法九条があれば、戦争しない訳でもなく、他国から攻撃されない訳でもない。憲法改正をせず、守っていれば、警察や国家権力からの暴力を受けないというモノではない。また基本的人権が広く認められるわけではない。
何処か、他人事で、上っ面で、真実を回避している、最近の此の圀の状況です。
1941(昭和16)年12月8日に真珠湾攻撃をすることを知っていた者は、実際の攻撃を行った連合艦隊や軍隊を別として、大日本帝國内で十数人だったと言われている。戦争はある限られた人間の意思決定と行動によって引き起こされる。
その証左が、ウクライナ侵攻のプーチンとその側近の意思決定である。また、ごく最近、アメリカの下院議長の台湾訪問の個人的決断が無用な緊張を生んだ。こんな些細なことからでも、戦争が生まれるかもしれない。
戦争がないこと、遠く離れていることが、平穏ないつもの生活が予定されることであり、それを感じる時間や日にち多ければ、「平和」という状態に近いということが、やっと余った時間が少なくなったこの年齢になって分かった。
みんなが注文するので頼んでみたけれど、具が多いだけだった。
パイナップルは入っていたけど。どうも・・・?