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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「あいさつ」

2008年09月09日 | つれづれ噺
おはよう・こんにちは・おやすみ…何気なく交わす日常のあいさつ。ヨー元気?・オー久しぶり…などごく親しい友との再会のあいさつなど。その種類は多種多様、その時々に応じてうまく使い分けている。それが出来るのが常識ある人間と評価されることが多い。

逆にそれが出来ない人は、常識がないとか、しつけが出来ていない、ひいては親の顔が見たい…などと本人はもとより親の値打ちまで下げてしまうからご用心。

元々あいさつは、師僧が門下の僧と問答して、その悟道・知見の深浅を試みること。また相手ととり交わす、祝意や感謝・親愛の意などを述べる言葉。またそれに伴う動作。などと定義されている。

朝の何気ない出会いで「お早う、元気?」と声を掛けられると、間髪を入れず「お早う、元気よ」と返す。そこには動作として笑顔がついてまわる。仕事の終わりや会合の別れ際に、「お先に」と言えば「お疲れさん」と口をついて自然に出てくる。

ある職場では朝のおはよう以外は全て「お疲れさま」とか「おつかれでーす」という言葉が通常あいさつになっている。そこへ第三者が入って行って、顔を見るなり「お疲れ様です」と言われると「エッ、俺は、私は疲れて見えるのかしら…」と半歩退いてしまう。

言っている方はいつものことで違和感ないだろうが、あいさつ代わりに「おつかれ」と言われると、一瞬元気まで萎えてしまいそうである。しかもその癖が身に付いてしまって、家でもフッと顔を合わせると、おつかれでーすなどと言われると、大きなお世話よ、と言ってみたくなる。

少し極端な例かも知れないが、あいさつとはこのように出会い頭の瞬間で、お互いの気持ちを高揚させたり暗く沈んだりさせる、不思議な魔力を秘めている。それだけにその瞬間を大切に、その場に一番合った言葉を準備しておきたい。
「おつかれさま」や「おつかれでーす」はやはり、作業を終えて帰るときの別れのあいさつがお似合いである。 たかが、あいさつ。されど、あいさつ。極上の人間関係構築の大きなエネルギー源となるような気がする。

       ( 写真:椅子の上に立って、味塩ビンをマイク代わりに、あいさつをぶつ孫 )
コメント (15)
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