プロ野球広島東洋カープのホームグラウンド、広島市民球場。
2008年9月28日(日曜)対ヤクルト戦をもって、51年に及ぶ公式戦の歴史に終止符を打った。
父親に連れられて、最初のプロ野球を見に行ったのが、小学生高学年の頃だったと記憶する。当時は、広島カープというプロ球団はあっても、ホームグラウンドを持たない頃で、確か段原中学校の校庭に、外野席には荒縄を杭で引っ張って観客席としていたように思う。
それから、ナイター設備のない広島県営球場。そして1957年、昭和32年に現在の広島市民球場が、ナイター設備を備えて登場した。
やはり父親に連れられて、最初にナイターを見に行ったのが高校生になった頃。レフト側外野スタンドの入場門から暗い通路を抜けて、最初に目に入ったカクテル光線に映えるグリーン一色の芝生のコントラスト。あの美しさと圧倒されそうな威圧感は今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。あれから何度市民球場に足を運んだだろう。
昭和50年、初優勝を決めた10月15日の5日前には長男が無事誕生した。セガレの年を数えるとき、必ずカープの初優勝がダブる。
幼かった子供達にも、自分が味わったカクテル光線の強烈な印象を味合わさせようと連れて行った日には、試合途中であいにくの雨に見舞われ、コールド負け。
寒さを凌ごうと、バックスクリーン裏のカープうどんを買いに行けば長蛇の列。おまけに数人前で売り切れ……。
そんなこんな数々の思い出を秘めた一つの遊び場が姿を消す。
しかし、寂しいばかりではない。来シーズンからは新たな球場でまた新たな広島野球が楽しめる。
カープの球団経営に貢献するほどの入場回数ではないが、いつも必死に応援するファンの一人には違いない。
月並みだが、有り難う市民球場。ご苦労様市民球場。一つの時代が終わった。
( 写真:テレビに映し出されるファン作成の感謝横断幕 )
2008年9月28日(日曜)対ヤクルト戦をもって、51年に及ぶ公式戦の歴史に終止符を打った。
父親に連れられて、最初のプロ野球を見に行ったのが、小学生高学年の頃だったと記憶する。当時は、広島カープというプロ球団はあっても、ホームグラウンドを持たない頃で、確か段原中学校の校庭に、外野席には荒縄を杭で引っ張って観客席としていたように思う。
それから、ナイター設備のない広島県営球場。そして1957年、昭和32年に現在の広島市民球場が、ナイター設備を備えて登場した。
やはり父親に連れられて、最初にナイターを見に行ったのが高校生になった頃。レフト側外野スタンドの入場門から暗い通路を抜けて、最初に目に入ったカクテル光線に映えるグリーン一色の芝生のコントラスト。あの美しさと圧倒されそうな威圧感は今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。あれから何度市民球場に足を運んだだろう。
昭和50年、初優勝を決めた10月15日の5日前には長男が無事誕生した。セガレの年を数えるとき、必ずカープの初優勝がダブる。
幼かった子供達にも、自分が味わったカクテル光線の強烈な印象を味合わさせようと連れて行った日には、試合途中であいにくの雨に見舞われ、コールド負け。
寒さを凌ごうと、バックスクリーン裏のカープうどんを買いに行けば長蛇の列。おまけに数人前で売り切れ……。
そんなこんな数々の思い出を秘めた一つの遊び場が姿を消す。
しかし、寂しいばかりではない。来シーズンからは新たな球場でまた新たな広島野球が楽しめる。
カープの球団経営に貢献するほどの入場回数ではないが、いつも必死に応援するファンの一人には違いない。
月並みだが、有り難う市民球場。ご苦労様市民球場。一つの時代が終わった。
( 写真:テレビに映し出されるファン作成の感謝横断幕 )