久し振りの雨が、火鉢の水がめに間断なく波紋を広げている
スイカやトマト・キューりなど、孫のおやつにもってこいの夏野菜。苗を植えてからおよそ1ヶ月。
例年にない寒暖の差が激しく、いつまでも霜注意報などの冷え込みがあったりして心配はしたが、その割には苗の成長が順調でホッとしている。
ところがここにきて、雨が少ないことで苗たちは水を求めて喘ぎ始めていた。
そんな折、ありがたい五月雨という恵みの雨が大地を潤している。
途中に途切れがあったりしながらも降り続く静かな雨を「五月雨」さみだれというのは、いまさら言うまでもないが、今日の五月雨は有難いほどのまとまった雨になり、野菜も大地も大きく深呼吸しているようだ。
五月雨に もの思ひをればほととぎす 夜深く鳴きて いづち行くらむ 紀友則
これほどに、五月雨を見ながらぼんやり物思いにふける時代もあったな~・・・と振り返ってみたくなるが、どうかするとそれさえも少し億劫になってくるような、釈然としないものがある5月半ば。季節の変わり目という独特の雰囲気があるからなのだろうか。
さみだれ、とは今一つマイナスイメージの表現に使われることもある。
プロ野球で、いい投手に抑えられ、途切れ途切れにしかヒットを打てなかった相手チームの打線を称して「五月雨打線」などと呼んだりする。
このところのやぶにらみブログも、文字通り「五月雨ブログ」と陰口をたたかれるのかもしれない。
まあいい、ネタに事欠いて書かないなどという愚かしさ故ではない。
他用に追われて少しゆとりに欠ける日々を過ごしている・・・ ということにしておこう。