窓の向こうに広がる雑木林。ふもとには茶色の竹林が葉を落とし始めている。
かつてアオサギが巣を架け、子育ての難しさを目の前に見せてくれたあの里山。
これから新しく若竹が育ち、天を衝くがごとく青々と伸びる竹林も、今は年老いた古い竹が世代交代を待っているかのようだ。
そういえば「竹の秋」という言葉をふと思い出した。成長した竹が落葉する様を言う。
季節的には、4月の総称として使われ、季語は春となっている。
暦の上では早くも「立夏」。春の話題となる竹の秋はもう手遅れかもしれない、と思いながらも日本語には季節を表すのに粋な言葉があるものだと、改めて感心しながらしたためている。
椎の木や樫の木など、黄緑色の盛り上がるような新緑のもとで、少し勢いに欠ける竹林の茶色が目立っている。
タケノコはここ1ヶ月ばかりが旬の食べ物として重宝された。その一方で、あの竹林をなす古い竹から生まれたタケノコが脚光を浴びるころ、親竹は凋落の秋を迎え、葉を落とし、新たな装いを強いられているのである。
自然の営みとはいえ、新旧交代、世代交代の現実は待ったなしという姿を見せつけられる思いがする。
私たちが、友の恩恵にあずかって年に1度行う藪の中のクラス会。
この時は、頭を出したタケノコは先ず掘ってお土産にもらって帰る。
そんな中でも、竹藪の持ち主君が「これは掘らないで・・・」と何本か残すタケノコがある。
これは成長させて、来年のタケノコの親となる竹を残して藪を守るための、長年の知恵である。
直径2mくらいの陽だまりがいくつかできるように、竹を間引いたり、新たに伸ばしたり・・・そんなテクニックを駆使してこそ、いい竹が育ち、おいしいタケノコが頂けるのである。
山の木々が葉を落とすのは文字通り秋という季節の風物詩。
ならば竹にとっては、葉を落とす今の季節が秋に相当する。つまり「竹の秋」。ウ~ンなるほど。
そんなことはいまさら言うまでもないことなのであろうが、日に日に動く山の姿を見ると、何か感じるものがある立夏ではある。