毎年のことながら、あっという間に2カ月を過ごし、ひな祭りの歌が聞こえる弥生3月を迎えた。
梅の花が峠を越え、寒ヒザクラや河津サクラ、桃の花の出番がやってきたというところか。
このころになると、近くの孫たちが「ばあちゃん、お雛様は飾らんの?」と尋ねる。
男の子だから関係ないようなものだが、本人たちにとっては、「母親のお雛様」という意識があるのかないのか、飾って欲しい素振りを見せる。
遠くから帰ってくる姫孫は、自分ちに、自分のお雛様が飾ってあるからだろうか、じいちゃんちの雛飾りに特別な思い入れもないような。
今年に入って、足腰の不調を訴える大黒柱の意向で今年は飾らず、箱入り雛は押し入れで眠っている。
3月の声と同時に、少し緊張の場が訪れるのが卒業式への参列である。
例年の通り、先ずは母校の高校へ。礼服にネクタイ締めて背筋を伸ばす心地よい緊張の朝。
時ならぬ寒波襲来で寒いのなんの。背中へ1枚ペタッ!カイロを貼り付け、勇躍のお出かけ。
『厳粛を旨とする卒業式」なのだから、第三者があれこれ口を挟むことではないのかもしれない。
がしかし、詰めかけた保護者と本人にとっては、今日はまさにお祝いの晴れ舞台であり、大きな節目となる記念日である。
それなら、教師も少しは柔らかみを出して、厳粛の中にも楽しさを加味した、心に残る卒業式はできないものか。そんな一人よがりの欲張りが頭をもたげる。
卒業式を、本当に生徒のための晴れ舞台、お祝いの儀式と考えるなら、もう一歩進んだプロデュースがあってもいいのではないか。
厳粛な催しだからこそ、ほんの少しの微笑ましい演出で、肩の力を抜くシーンを取り込んでもいいのではないか。
そんな落差を取り入れることで、その前後の厳粛さが一段と増す、という心地よさを味わった経験は何度もしてきた。
今さら言うまでもなく、「メリハリ」とはまさにそんなことを言うのだろう。この絶妙な「さじ加減」がプロデューサーの腕の見せ所である。
などと、責任のない傍観者としての立場では、何かと余計なものが見えてくるものだ。
いざ自分がそんなプロデューすを引き受けたとき、さてどれだけの力が出せるのか。あくまでも、のめり込まない冷静さを保ちたいと思うがはてさて。所詮岡目八目かなー。