老いてこそ人生 石原慎太郎
「無意識過剰」とは、中学時代以来の親友で文芸評論家だった江藤淳氏が、亡くなった石原慎太郎氏に贈った人物評だそうである。
「他人からああ思われはしないか、こう言われるのではないかと顧慮することがない」。つまり思うこと考えることを言葉にして口から出し、ひるむことなく我が説を押し通す。それが出来る力の持ち主。それが、昨日89才の生涯を閉じた石原慎太郎という男である。
作家であり政治家でもあり、ホンモノのリーダーなどなど多くの顔を持ちながら、男子4人の父親であり、老いも感じながら何かと闘い続けた、一人の飽くなき闘士であった、と畏敬の念を抱いている。
あの右肩上がりの長きよき昭和の時代を君臨し続けた「石原裕次郎」のお兄ちゃんとして、兄弟いずれ劣らぬ存在価値を示したところもまたすごい。
そんなお兄ちゃんは、「太陽の季節」で芥川賞作家になり、多くの著書を残していることは言うまでもない。残念ながら我が本棚には、20年前69才で著した「老いてこそ人生」が未だに光彩を放っている(笑)
『自分がどの程度老いたかということは、決して他人との比較の中でのことではなしに、結局、自分自身の内側の問題だということ』だと、「老いてこそ人生」を書き上げた思いを述べている。自分が今確かに年を重ねてきて、自らの老い加減を計るとき、その物差しは他人じゃなく自分自身であるというところに、妙に共感した記憶がある。ただあの頃はまだ若かった。いま読み返すと、さらにその言葉に重みを伴って共感する。
太陽の季節発刊当時は、私たちにはちょっと背伸びの世代であり、むしろ兄貴世代のヒーローである。我々は弟裕ちゃん全盛の時代であった。いずれにしても絶対的な憧れをもって熱狂した世代である。そして今、半世紀以上昔に戻って、太陽の季節をいま一度ひもといてみるのも面白そうである。
まだふさふさだった髪の毛を、短く切って粋がった「慎太郎刈り」が兄貴世代。似たような髪型だがアフター慎太郎で、我々世代は潮来刈り。つまり橋幸夫の「潮来笠」という歌に誘導されたものだった。思い出話って色々さかのぼるものだね~。
コロナ対策、寒さ対策のお家籠りのおともに、太陽の季節、いいかも。
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