冬から春へ、季節の分かれ目となる今日を、節分といって寿ぐ、全国各地でお祝いの催しがあったようだ。その多くが、悪いものの代表に仕立て上げられた鬼に対して、炒った大豆を投げつけて退散させ「悪を払って新たな佳き年を迎える」という、太古の昔の人の知恵と願望が今の豆まきとして伝えられているという。
そもそも節分とは、春夏秋冬の季節の分かれ目として年4回あったことはご承知の通り。
4回のうちでも、1年の変わり目として重んじられたのが、春立つ前の日、つまり立春の前の日、2月3日か4日が最も大切な節分として扱われてきたらしい。
昔の人は、病気や飢饉など悪いことは全て鬼のしわざと考えていたという。悪いことの象徴でもある鬼をやっつけるには、炒った大豆が効果的ということで、豆まきをして無病息災を祈願した。おとぎ話そのものである。
そんな豆まきについて、自分の心にふと気づかされるものがある。
何か自分の気持ちにそぐわぬことが起こったら「鬼のせいだ」自分は悪くないのに、鬼のせいでこうなった。だから豆を投げつけることで自らを正当化して、「鬼だ・鬼だ」といって相手を傷つけるような人間らしからぬ行動に走ったことはないだろうか、と。
お隣の半島の主は、常に誰かを「鬼」に仕立てていなければ自分の気持ちが落ち着かない。とばかりに、攻撃を仕掛け、威嚇して、鬼でもない相手を赤鬼や青鬼、白鬼に見立てて炒った豆を投げつける。豆なら可愛いが、大陸間弾道弾であったり、核弾頭などとなると穏やかではない。
我が国とお隣の半島は、歴史も文化も近い位置にあるから、おとぎ話の「豆まき」文化がそのまま残っていて、今もって仮想敵国を作り上げ、狙いをつけて緊張感を持ち続ける。そろそろ豆まき行事も半島から追い出せないものかね~。
節分のお話としてあまりふさわしくないような気がするけど、現実なのよね~。
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