「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「隠岐の島観光、その2」

2016年07月06日 | 旅行・レジャー

このたびの、隠岐の島観光を思い立ったのは、歴史の足跡をこの目で確かめ、そこに立ってみる、という大きな目的もあった。
その一つが、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に追われ、流罪として隠岐の島に渡らされ、この地で終焉を迎えた史実を確かめておきたかったこと。
不遇な日々の中で、和歌を詠むことで自らを慰めたといわれる数多くの御詠が、至るところに残されていた。

 

        ❝ 我こそは 新島守よおきの海の あらきなみ風 心して吹け ”

この奥には、後鳥羽天皇を荼毘に付した「火葬塚」が残されており、祭神として祀った隠岐神社も建てられている。
ちなみに、後鳥羽天皇は、源平の戦いに敗れた平氏一門が下関壇ノ浦で建礼門院と共に入水して果てた安徳天皇の弟君である。
ついでに言うなら、後鳥羽天皇の弟君が後醍醐天皇である。そんな歴史を知ることもできた。


               西の島町の國賀海岸遊覧では、目を見張る奇岩や、日本海荒波の織り成す自然芸術作品を間近に堪能。

  
        どうすればこのような芸術が生まれるのか、不思議な感覚さえする。 まさに衣を着流したような、弁天岩の奇岩

14年前に訪れた佐渡島の尖閣湾遊覧の、度肝を抜かれた断崖絶壁の荘厳さを彷彿させる見ごたえのある奇岩遊覧。
海が少し荒れていて、今にも降り出しそうな危険な状態での遊覧だっただけに、その迫力は身に迫るものがあった。
こういった景色に出会うとまた一つ、日本は広いなと思うし、平和の有り難さを改めてかみしめる思いがする。

行ってよかった、掛け値なしに良かった。
ホテルの新鮮海産物に囲まれる夕食もまた一興。さて最後の一日はどんな歓迎話が待っているのだろうか。

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行ってきました、隠岐の島」

2016年07月05日 | 旅行・レジャー

 
  2343トン、全長100m幅20m大型フェリー        知夫里島観光、方角銘板

7月2・3・4日の3日間、島根県沖50kmの日本海に浮かぶ「隠岐の島群島」の制覇を目指して…… などというと笑われるかも。
何はともあれ、行ってきました「隠岐の島」。格別な目新しい観光地が発掘されたとか、あらたな史跡が見つかったなどという目玉が
あるわけではないが、兎に角行ってみたい場所だった。
目玉と言えば、隠岐フェリー「しらしま」に乗船する前に散策した「水木しげる、妖怪ロード」に目玉オヤジが至るところにあったな~。

あふれんばかりの海の幸、交通手段は渡し船、潮の香りと波の音、などという情緒にあこがれたのかな。
「後鳥羽上皇火葬の地」という歴史遺産があることは知っていた。日本海の荒波にもまれた奇岩景勝も魅力であった。
そんな漠然とした憧れで、潮風に吹かれながらゆったりのんびりの船旅をする。そんな目論見であったのだ。
船は、大型トラック20台を乗せられる全長100mもある大型フェリー、さぞかし快適な旅に・・・。

境港を出港するまでは間違いなくそんな雰囲気であったし、そう信じていた。
ところがどうだ!港を離れてものの15分。まさにスコール。屋根付きの甲板ではあったが、そんな屋根など物の数ではないほどの大雨。
慌てて船室に。それから30分。外洋に出たころには、あの大きなフェリーが波のうねりに合わせて揺れ始めた。

隠岐の島「子ども相撲大会の監督」として子供を引率する人の話では、「何度か出かけたが、今日の波は初めて体験する」という。
「今日の波はどのくらい?」おそるおそる聞いてみると「3mか3.5mはある。珍しいシケだね~」というではないか。
それを聞いたとたんになにやら胸騒ぎ、おなか騒ぎが始まった。あとは推して知るべし。顔面蒼白、生きた心地のしない2時間を。
耐えに耐えて? 胃も腸もひっくり返ったような半病人状態で、島前(どうぜん)西ノ島町別府港にようやく到着。  

一口のアルコールも口にできず、ただ海の幸を少し遠慮気味に頬張るだけの夕食。さて翌日は。
       
             知夫里島の数少ない観光地、赤壁(波に洗われた絶壁が赤く輝いて見える)

2日目からが本格的な観光となる。一番に臨んだのが「360度展望の赤はげ山」。あまり名前はよくないがほれぼれする絶景とか。
地元のおっちゃんが運転するバスで頂上へ。「あいにく昨日来の雨で霧に覆われて惜しいですね」でパノラマ展望を断念。
次なる「絶景、赤壁」へ。これはは見事!!まさに絵の具を刷いたような赤く光る絶壁。

というようなことで、苦しみの後の楽しみを求めて、隠岐の島群島の旅は続く。また日を改めよう。

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「文月ついたち」

2016年07月01日 | 旅行・レジャー

                                           


6月の別称は「水無月」となっている。
その名に反して今年の6月は、集中豪雨も各地で発生、大きな災害をもたらす大雨に泣かされた。
特に、熊本地震で復興に立ち上がっている九州地方に、再三にわたる大雨被害は、なんともお気の毒である。

沖縄の基地問題と混同するのは当たっていないかもしれないが、一極集中でなく、日本全国平均的にばらまけばいいのに。
お天道様もそこらあたりを考えて、雨の欲しい地方にも分けてあげるくらいの思い遣りは持てないのだろうか。
雨も少しは降り方を考えて、日本列島まんべんなく降らせれば、大いに感謝されるだろうに。
沖縄基地問題は、大きな基地を抱える我が町であるだけに、声を大にして叫びたい部分ではある。

月が替わって7月。別称は「文月」と言われる。文月の語源や由来は取り敢えず置いといて・・・。
暑い季節がやってくるな~というのが第一印象。暑さの中でこの先、広島カープの戦いはどうなるんじゃろう。気がかりな部分でもある。
それに、7月1日の今日は、富士山山開きの日でもある。多くの登山者がご来光を楽しんだことだろう。
一度は挑戦したいと思い続けて来た富士登山。もうあきらめの方が先に立つお年頃になったような。

だから、というわけでもない。孫兄ちゃんが島根県の高校に入学したから、というわけでもない。
なのに、何故かしら島根県という土地柄に気持ちが向くようになった。
そこで、富士山の山開きに対抗するわけでもないが、この季節はやはり、山より海でしょう…という気分に。
そこで、島根県の北50kmの日本海に浮かぶ「隠岐の島群島」が頭をかすめる。

隠岐諸島は、島根県の北方約50kmにある諸島。隠岐群島、隠岐の島(おきのしま)とも呼ばれる。
現在は島根県隠岐郡に所属。かつては、隠岐諸島を中心とする令制国である隠岐の国が存在した。
山陰地方では今でも隠岐諸島を指して隠岐国(おきのくに)と呼ぶ場合がある。
当諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれている。  などとNET紹介されている。

行ってみたくなった。行ってみるか。行ってみよう・・・。海の幸を求めて・・・。

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